109話──酒場
その日の深夜。
イナニスが取ってくれていた宿から、一人で外出するミラーの姿があった。
王都の警備体制万全な宿は、ヤターリの定価の二回りほど上をいく値段だったが、Aランクなだけあり稼ぎは十分。一人一部屋取ってあったので誰にも気付かれることなく宿を出ていた。
朝帰りすることもあったが、その事情は決して女絡みではない。
それはエンプもイナニスもわかっていることなので、零点の評判が下がるとか、風評被害の心配はしていない。
ミラーは誰にも見られないように、周りをキョロキョロ注意深く観察しながら、サッと路地裏に入る。
そこでミラーは、羽織っていた大きめのローブを脱いだ。
それからローブの内側に入れていた、片手で握れるサイズのポーチを開くと、その中に適当に丸めたローブを入れていく。物理的に、明らかに入るはずの無いサイズだったが、ローブはすんなりと吸い込まれていく。
伸縮性のある戦闘用の茶色い靴も、片足だけ脱いでポーチの中に入れる。そして、ミラーがそのポーチから手を抜くと別の黒い靴が握られていた。
それを履くと、同じようにもう片方の茶色い靴を脱いで黒い靴と入れ替えた。
コンコンと地面をつま先で叩いて履き心地を確かめ、満足そうに頷く。
そして、なにがあっても人前で外すことのない仮面に手を掛け、スッと抵抗なく外してまたポーチに入れた。
冒険者ミラーの要素も面影も一切ない、一般人と遜色無い見た目になる。
最後に残ったポーチを腰に引っ掛けて手ぶらの状態になれば完成だ。
それは、時々ミラーが気分転換をしたいときや、ミラーでいることが疲れた結果の姿。
変装を解いた、ミラー本来の姿。
「……よし」
A級冒険者『ミラー』という名の化けの皮を脱いだ、『セイジ』という稀人だ。
─────
まだ喧騒が残る街並みを眺めながら歩いていき、やがてセイジは古びた酒場へ足を踏み入れた。
それはエンプとの、王都観光という名の女子受けを狙う情報収集中に偶然見かけただけの、人気があるかも知らない、なんの思い入れも無い店だ。
少し黒ずんだ木の扉は軋んで音を鳴らし、ドアベルが、カッ……と耳を撫でるおまけ程度の音を鳴らした。
店の中に客は誰もいない。
時間が悪いのか、それとも評価が良くない店なのか。なにも下調べせずに入ったので理由は定かではない。
「いらっしゃいませ……」
白い整えられた口髭が特徴的な店主は、乾いた木を響かせるようなダミ声でセイジを迎えてくれた。
「……見ない顔ですね。最近来られたのですか?」
「一見お断りだった?」
「いえ、誰の誘いでもないのにこの店にくる客が珍しかったので少々気になりましてね。この店は、どんな人でも歓迎しますよ。たとえ、逃亡者だったとしても」
「俺はそんなんじゃないよ。……もしかしてこの眼帯?」
「失礼。そのようなつもりではなかったのですが……まぁ、こちらへどうぞ」
店主が目の前のカウンター席へ促してきたので、セイジは素直にそこへ腰掛ける。
背もたれのない円状の平面な硬い椅子で、座り心地はあんまりだった。
「静かに飲みたいのであればそのようにしますが」
「いやいや、よければ話し相手になってよ。お酒とつまみものをお任せで。あんまり度数は高くないもので」
「かしこまりました」
丸投げしても、テキパキと動いて用意してくれる様は、酒場の店主というよりバーテンダーのようだった。
出された酒はピンクがかった色味のリキュール。それと干し肉だ。
酒の前に干し肉を食べてみれば、それほどパサついてないし変に塩辛くも無くて案外おいしかった。
「では、その眼帯の経緯について聞いても?」
「興味あるの?」
セイジは眼帯を撫でながら聞いた。
「それはもちろん気になりますよ。魔術で治せないほどの傷だったのでしょう?それに、その手は冒険者の手ですから」
店主がセイジの手のどこから冒険者だと察したのか、セイジにはわからない。
確かに、なにもしていない柔肌とは程遠い手ではあると思う。皮膚は分厚くなったし、白い傷痕として残ってしまっている場所もある。
そこから冒険者だと推測したのかもしれないし、もしかしたら店主はそれ以上のなにかを感じ取ったのかもしれない。冒険者の往来が多い大通りより少し外れた場所なので、冒険者との交流は少なからずあるだろう。
「回復魔術でもどうにもならない傷ってどれほどのものかわかる?」
「原型が想像できないほどに崩れていたり、欠損している状態ですね」
「まぁ、それの後者だよ」
「目の欠損とは……一体なにがあったのですか?」
店主は恐る恐るでありながらも興味津々な様子で聞いてきた。しかし、セイジはその期待に応えられる回答をできない。
「それは秘密だよ。まだ誰にも話したことがない完全な秘密なんだ」
「そうでしたか。失礼いたしました」
店主は目を瞑って、小さくお辞儀をした。
「それ以外ならいいよ」
「ランクをお聞きしても?」
「んー、Cランクってところかな」
「そうですか」
曖昧なセイジの回答がそれ以上掘り下げられることはなかった。濁した以上、はっきり言いたくないということなのは余程察しが悪くない限りわかることだからだ。
「まぁ、パーティーメンバーのおかげで実際はそれより上なんだけど、俺だけの力量で考えたらCが良いところだと思うんだよね」
「では、過度な期待を受けることがあるのでは?周囲からはパーティーのランクが評価の基準になりますから」
「過度な期待……メンバーが相当頑張ってくれていて、訝しまれることはあまり無いかな」
「メンバーからはどうですか?」
「いまのところは追い付けてるし、文句とかは言われてないね。いつか見放されるんじゃないかって不安はあるけど……最後まで一緒に続けるパーティーではないし、そこまで心配はしてないよ」
「将来の目処が立っているのですか?」
「なんにも」
セイジは首を振って否定した。
「目処なんて立ってないけど、冒険者としての今って人生に必ず必要なものとは思ってないんだ。だからいつかは解散するか抜ける気でいる」
「人生というものは自分では決められない物ですからな。それに、他人が決められるものでもない」
「店主さんは人生をどう捉えているんだ?」
「そうですね……」
セイジの質問に、口髭を触りながら思案する店主。
考えがまとまるまでの間、あまり手を付けてなかった干し肉とリキュールを食べて飲んで、ゆっくりと待った。
「……亡骸の上で躍るモノ。でしょうかね」
「その亡骸というのは、文明を築き上げてきた人々のことか?それで、躍るのは今を生きる自分たちだと」
「いえ、確かにそのような考え方もできますが、私の考えは違います」
それから店主は「失礼」と一言言って、カウンター裏の見えてないところから取り出したコップで……水?蒸留酒?どちらか視覚だけでは判断できなかったが、透明な飲料を飲んでいた。
「自分自身の亡骸を作り続けることが人生なのではないかと思います。その上で踊るのも、自分自身。生まれ変わった、なんて洒落た表現はできません。望んだ変化は変化ではなく、進化。望まない、やむを得ない変化だから、亡骸が残るのです。後悔という名の亡骸が」
「……」
「きっと世の中には、私のこの考えが全く当てはまらないような恵まれた人もいるでしょう。全てが思い通りに進み、不自由という言葉を知らないような天性の運を持った人がね。もしそんな人に出会ったらどう思います?」
「羨ましいな。ずるいって思うよ」
「えぇ。同感です。ですが、そんな人を妬む私たちの感情も、恵まれた人からすると滑稽な踊りに見えるでしょう。視点が違えば真実さえねじ曲がってしまいますから」
「そうかもな……」
「理想と現実の相違に苦しみ、夢を諦めた時、一人の自分が死にます。夢を見ていた自分を殺し、諦めた自分が新たな人生を歩み始める。その繰り返しが、人生というモノの本質なのではないでしょうか」
「……店主さんの夢はなんだったんだ?どうにも俺には今の店主さんの言葉が達観した考えには感じられなかった。そこに、亡骸があるんだろ?」
「秘密、ですよ。墓場まで持って行って、捨てるだけのものです」
「そうか……」
夜は更けていく。
やがて明けていく。
そんな繰り返しで、亡骸は作られていく。
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