07:恋には落ちるものだけれど、愛は育むものなのです
母から政略結婚であると聞かされたアルベルトは驚いた。それまでずっと両親は恋愛結婚だと思い込んでいたからだ。子は7人も儲けるし両親は子どもの目から見ても夫婦としてとても仲が良い。
「政略結婚……?」
「ええ、そもそも王族が自分の気持ちだけで婚姻相手を決められるわけないでしょうに」
「でも、兄上は」
長兄である王太子は確実に恋愛結婚であることをアルベルトは知っている。10歳も上の兄だが、今は王太子妃となっているルチアーナが婚約者になる前から、幼いアルベルトにいかに愛らしく賢く美しく能力が高く素晴らしい女性かを切々と語っていたのだ。
第一王子であるジャンカルロにしてみれば、下手な相手に片思いの相手への思いを零せば周囲からの善意と思惑とで婚約者に決まってしまうだろうことが心外で、まだ幼すぎて政治や権謀、政権に全く関わりのない5歳の弟に語っていたのだが、5つに満たなかった弟が十年以上経っても覚えているとは思いもよらなかっただろう。
身分も教養も問題ない相手のルチアーナが婚約者になること自体は万々歳だし、ルチアーナの家もそれを望んでくれるだろう。なのに外堀を固めなかったのは愛をもって自分との結婚を望んでほしいという、ジャンカルロの拗れた男心であったことを、今は当のルチアーナも両親や兄弟も知っていたのである。
「ええ、問題のないお相手を思い、相手にも思われた稀有な例ね。私なんて、婚約の儀まで陛下のお顔も見たことなかったのよ?生家の領の発展に一生涯尽力することが私の望みでしたしね。その陛下ときたら初対面の私に向かって“私からの愛を望むな”と仰ってねぇ。いっそ出奔して他国で平民になって暮らそうかとも思いましたよ。そういう展開もあるあるでしょう?」
そうなっていたら、今頃あなたたちは存在していなかったわねぇ――とコロコロと笑いながらいう母に、いや、笑い事ではないだろうとフェルディナンドは思う。
政略だと聞いた時は驚いたが、それは形だけで恋情をもった婚姻だと勝手に思いこんでいたアルベルトは、愛を望むなという言葉に衝撃を受けた。
「あるあるじゃないですよ、母上。妃候補の貴族の令嬢が出奔して他国で平民になるなんて話は聞いたことがありません。しかしよくもまぁ、そんな言葉を初対面で投げつけられて父上と結婚しましたね」
フェルディナンドも父の言葉は初耳だったらしく、呆れを含んだ声音で問う。
「まあ、成り行き、かしらね?陛下も色々とあって拗らせていただけなのはその後に分かったから」
成り行き……。婚姻とはそういうものだろうかとアルベルトは首を傾げる。しかし、母の言うようにもしかしたら自分たち7人の兄弟はこの世に生まれなかった可能性もあるのだと考え、成り行きでもいいじゃないかと自分を納得させた。
「私と陛下はそういう形で始まった夫婦ですが、今は幸せですよ。あなたたち7人の子どもに恵まれたということを抜きにしても、陛下とは愛を育めましたからね。ねえアルベルト」
「はっ、はい、母上」
「恋には落ちるものだけれど、愛は育むものなの。相手に真摯に向き合って、意見が合わないことや納得がいかないことがあっても二人で解決して育てるものよ。それをあなたは一人身勝手な気持ちをトリアちゃんにぶつけたから関係はもう壊れたの。それは分かるわね?」
「……はい」
「トリアちゃんをどうしても愛せないということもあるでしょう。私から見ればあの子のどこに不満があるのかさっぱり分からないけれど、そりが合わないとか相性が悪いとかいうこともありますからね。でも、あなたは自分は他の女性と恋をしたいけれど、トリアちゃんにはそれを認めないと言ったのよね?それはあまりにも自己中じゃないかな?」
「ジコチュー」
「自己中心的、の略だよアルベルト」
意味の分からない言葉を呟いたアルベルトに、フェルディナンドが補足する。彼は出版された王妃語録にすべて目を通していたし、アルベルトよりも付き合いが長い分、母の言葉を知ってもいた。
「自己中心的……と言われればそうかもしれません。でもっ」
ここまできてもまだ“でも”と言い募るアルベルトにカロリーナは嘆息する。これだけ言ってもまだ分からないのかと落胆もした。
「トリアが他の男がいいとなれば、私は種馬としても使えない無用なものになってしまいますっ。そうなってしまったら、私はどうしたらっ」
悲嘆を絞り出すようなアルベルトの言葉に、フェルディナンドとカロリーナは驚き目を合わせる。
種馬?無用なもの?いったいアルベルトは何を言っているんだと、理解不能な言葉に驚きを隠せなかった。
母と兄に問われアルベルトは語る。己を恥じるかのように小さな声で。
それはヴィットーリアとの二年前に婚約が決まった時の事。
「アルベルト殿下は良かったですねぇ。兄殿下たちと違って能力があるわけでもないのにヴィットーリアさまの婿がねに決まって」
「いやいや。無能だからこそ陛下と妃殿下は苦労して押し付け先を見つけたんだろうよ。ヴィットーリアさまならば引く手あまただ。よりによってアルベルト殿下を婿にする必要なんかないし」
「でもほら、王家の血筋であるわけだから種馬としては上々じゃないか?」
「見目は素晴らしいしな」
「おいおいお前ら、その言いようは不敬だぞ。聞かれでもしたら首が飛ぶ」
「ははっ。これはここだけの話だよ。しかし羨ましいねぇ、無能がゆえにヴィットーリアさまと結婚できるなんてさ」
アルベルトは城で己の名が聞こえたので、いったい何を話しているのだろうと様子を窺ったときに聞いた会話だった。その会話を聞いた後、アルベルトはどうやって部屋に戻ったのか覚えていない。ただ、自分は無能だと城の者が陰口をたたいていたこと、自分は王家の血筋と見た目だけで種馬としてしか価値がないことを知った。
「アルベルト、口さがないその者たちの名は分かるか?」
フェルディナンドが微笑みながら聞いた。
声で誰なのかは承知していたアルベルトだが、よくない予感がして首を横に振った。心なしか部屋が冷えてきたような気もして、凄まじい覇気をもって笑う兄に言ってはいけないと本能で察知したのだ。
「そう、では、日にちと時間と場所を教えてくれるかしら?そこから割り出すわ」
こちらもにこやかに問うカロリーナだが、手にしている扇子がミシミシと悲鳴を上げている。
背筋に冷たいものが走るアルベルトは母の問いにも首を振る。
衝撃を受けた日のことは今もまざまざと思い起こせるし、母の問いへの答えは持っているが口にしてはいけない。
危険だ。
何がどうとは言えないが危険を察知する本能が口をつぐめと訴えているようにアルベルトは感じた。
アルベルトの本能は正しかった。
可愛い息子、可愛い弟を悪し様に言った者たちの首を飛ばそうと彼を愛する母と兄は決意していたのだから。尤も王族に対する不敬にあたるのだから、個人的感情ばかりとも言えない。
ただ、首を飛ばすが比喩なのかそうでないのかは不明である。
彼は家族に愛されているのだ。