06:王子は思い思われる相手が欲しかったのです
ベラドンナとの茶会を終えたカロリーナは、私室のソファに座って呼び出した者が訪れるのを待っていた。
ノックの音に応えを返すと、入ってきたのは待ち人のアルベルトではなくフェルディナンドであった。
「あら、あちらは無事に済んだの?」
「ええ、母上。ヴィーの顔を見たとたんにあのお姫様は別人になりましたよ。私も一緒にお茶を頂きましたけどね、目に入っていたのかどうか」
フェルディナンドが学園にいたヴィットーリアを王宮に連れてきたのは、隣国の第一王女襲来がゆえんであった。昨年この国を訪れた王女がヴィットーリアをいたく気に入り、なんとかして自分の兄の婚約者にならないかとアルベルトという婚約者がいる家付き娘である彼女を人目憚らず口説いていたのは有名な話である。
たった半月の逗留であったにもかかわらず、王女はヴィットーリアにこの上なく懐き、心酔してお姉さまと呼ぶありさまの挙句「お義姉様と呼びたい」と掻き口説いていた。当の兄の気持ちもお構いなしにである。
ヴィットーリアに諭されて泣く泣く諦め帰国した王女だったが、アルベルトの婚約が解消されたと聞き乗り込んできたのだ。
隣国とは同盟国でどちらが上でも下でもない対等な関係であったが、先年、この国の大臣が隣国との外交でしくじったこともあって、訪問の許可を伺う使者とそう変わらぬタイミングでやってきた王女を無下にもできなかった。
王女は今度こそお姉さまを我が国に!と勇んでいたのだが、ふたを開ければ既に次の婚約が成ったあと。流石に一国の王女なので癇癪を起こすような真似はしなかったが、こめかみが引きつるのを取り繕うところまで淑女の仮面は厚くなかったらしい。王女の対応を任された王太子は彼女を穏便に隣国に帰すにはヴィットーリアとの対面は不可欠と、急ぎフェルディナンドを使いに出す許可を国王と王妃に求め、それが学園の食堂での一幕へとつながる。
「トリアちゃんに任せれば大丈夫ね。王女がトリアちゃんに駄々をこねても上手くいなすでしょう」
そこに再度ノックの音が響く。
「お呼びと伺い参りました」
入ってきたのはアルベルトである。
学園での男色疑惑やら寝耳に水の婚約解消に関してのあれやこれやでアルベルトは疲れ切っていたが、王妃の呼び出しでは応じないわけにはいかない。お座りなさいと言われ王妃の対面に座る。次兄のフェルディナンドも母に呼び出されたのだろうかと思い見やると「ヴィーの件なら、私も一緒に聞きたいな」とアルベルトの隣に座ったので、フェルディナンドは偶々ここにいたのだと、ならば呼び出されたのは自分だけかと嘆息する。
「あなた、男色ではないの?」
前置きもなく前のめりに聞いてきた母に、アルベルトは体中の力が抜ける思いをしたが、ここで黙っていては肯定の意味に取られてしまうと力ない声で「ありえません」と答える。
「幼女が好きだとか熟女が好きだとか、そういう趣味でもないの?いいのよ、個人の趣味嗜好は犯罪でない限り尊重します。ああ、幼女の場合は性欲をぶつけることは許しませんよ。イエスロリータノータッチ、これを貫くのならば認めます」
アルベルトはイエスロリータノータッチの意味は分からねど、きっと碌でもないことだと訊ねることも考えることすら放棄して「ありえません」と再度答える。
息子の言葉を聞いてカロリーナは唇を噛んだ。では、ベラドンナの言ったことが真実だったのだ。アルベルトがしたのはヴィットーリアに対する浮気宣言であり、性的指向や性自認という本人ではどうにもならないことではなかった。
情けない。理解しがたい。悲しい。悔しい。カロリーナの胸にそんな思いが去来する。
「アルベルト、あなたはなぜトリアちゃんにあんなことを言ったの?将来結婚しようという相手に、自分は浮気をするけれど相手には許さないと言ったのよね?いずれ夫婦になろうという相手にそんなことを言われたトリアちゃんの気持ちを考えることもしなかったの?」
まっすぐ自分に向けられる非難の視線に耐えられず、アルベルトは目を逸らす。だって、政略結婚じゃないか。お互いに愛などない。自分はトリアの家を存続させるための種馬ではないか。両親も長兄夫婦も愛のある結婚をしている。次兄は独り身だが三兄と四兄だって愛情で結ばれた婚約者がいる。なぜ自分だけが愛のない結婚をしなければならないのだ。アルベルトはそう言いたかった。だが、言えなかった。
政略結婚の理由はアルベルトも分かっている。自身で身を立てるほどの才覚のない己の為に両親が見繕ってくれた縁談だ。それが嫌ならば兄たちのように自分の才で道を切り開き、自分の力量で相手を見つければいい。だが、それが出来れば不本意な相手との婚約などしていない。
ヴィットーリアに言った言葉は本音であるがゆえに致命的であったのだと、今更ながらアルベルトは知った。
「父上と母上のように、兄上と義姉上のように、思い思われる相手が欲しかったのです。政略で結ばれる縁でなく、心で結びつく恋がしたかった」
長い沈黙の後。小さな声でアルベルトは自分の胸の内をこぼす。
「恋ならトリアちゃんとすればよかったじゃない」
カロリーナの言葉にアルベルトは苦笑をこぼす。ヴィットーリアと恋が出来れば何も問題はなかっただろう。たとえ政略結婚でも。
だが、恋はしようと思ってできるものではない。相手を選んでできるものでもない。
「母上には分かりませんよ。父上と今なお仲睦まじくしてる母上には」
アルベルトの言う通り、王と王妃は婚姻から27年経ち儲けた7人の子どもが大人になっている今でも仲睦まじい。王妃であるカロリーナにしてみれば、私に構う暇があるのならもっと仕事をしろ、鬱陶しいと思うこともままあれど、良き夫であり良き父親でもある国王を愛している。
「それはね、お互いの努力の結果。私だけが頑張っても陛下だけが頑張っても今の関係はなかったの。アルベルトはそもそも努力を放棄したわ。浮気宣言だなんて最低の事よ。これから関係を作っていくお相手に対して決して言っていい言葉ではないの」
「だからっ!母上には分からないと言っているでしょう!政略結婚の相手を好きになれたら苦労しないんですよっ!」
逆切れである。
確かに言ってはいけない言葉をヴィットーリアにぶつけたかもしれないが、恋愛結婚をした母親に責められたくはないとアルベルトは苛立った。
「あら?私と陛下も政略結婚ですよ?」
「……え?」
アルベルトには寝耳に水の事実であった。