03:”男の浮気と女の浮気は違う”と仰いました
「だっだだだっ大体っなぜ私にそのような疑惑が出る!?」
アルベルトには勃起不全も種無しも男色も幼女趣味も老女趣味も全くない。いったい、どこからそのような疑惑が出たのか本気で理解不能である。
もっとも、勃起不全と種無しに関してはヴィットーリアや王妃が言ったのではなく、いきなり婚約解消云々を大勢の前で言いだした王子のせいで沸いた周囲の推測であったのだが。
「殿下は仰いました」
ヴィットーリアは落ち着いていた。なにせ「あの王妃」と呼ばれるお方が全面的に味方になってくれているのだ。第五王子が抗っても、軍馬と競走をするミニチュアダックスフンドの様相になるだけである。
「“男の浮気と女の浮気は違う”と」
言われてアルベルトは、そういえばそんなことを言ったような気がする――と、あまり使われていない海馬から情報を引き出した。
「女性は身籠る可能性があるので貞淑でなければならない。男性は身籠ることがないので貞操に重きを置く必要がない。なので、殿下が愛情を向ける対象は身籠る可能性のある女性ではないと判断し、王妃殿下に相談させていただきました」
やはり後継を得られないお相手では例え王子殿下と言えども家に迎えられませんから。ヴィットーリアはアルベルトが悪いわけではない、家のためなのだと繰り返す。
「な、なぜそのような……」
「何故も何も当然でございましょう?殿下のお相手が妊娠可能な方でしたら、殿下の仰った“身籠る可能性がある女性”に該当しますもの。そのような方と逢瀬を重ねることは殿下の主張に反します。ならば、殿下が浮気をされるとすれば身籠る可能性がないお相手、男性であるか、お年を召されて、或いは幼すぎて妊娠が不可能であるかです」
ヴィットーリアは本気で言っている。言っているのだが、周囲で二人の会話を聞いていた面々は察した。
つまり「自分は浮気してもいいけどお前はダメだ」と言いたかっただけだろうと。
ここでアルベルトの為に釈明すると、彼は現在進行形で浮気をしているわけではない。浮気心があるわけでもない。
婿入りする自身のことを考え、将来の為にヴィットーリアに釘を刺しただけなのだ。
ヴィットーリアにしてみれば、夫との子であろうと浮気相手の子だろうと自分の子どもならば血は繋がるのだから、家の存続的に問題ないと言えば問題ない。しかし、それではと自分はどうなるのだと考えたアルベルトが婚姻はまだ先であるのに先走って牽制した。ヴィットーリアは勿論貞淑な淑女であるので婚約者がいる身だから異性との距離はきちんととっていたし、生真面目な性格から浮気など考えたこともなかったので、完全にアルベルトの勇み足である。
「それは、言葉の綾で……」
アルベルトは口ごもる。
二人は互いに恋愛感情は持っていない。婚約もあくまで王家からの頼みで成立したものだ。
だが、家付き娘で本人の資質も高く引く手あまたなヴィットーリアと違い、アルベルトは国王と王妃がお膳立てしてくれたこの縁談が壊れては、行き場がなくなってしまう。
しかし、言えようか。
結婚後に子を儲ける義務を果たしたら、好いた相手を見つけるから自由にさせろ、などと。
これが既に婚姻後であったのなら、そして跡取りを産んだ後ならヴィットーリアは「ご自由にどうぞ」と言っただろう。彼女にとって大事なことは次代に血を繋げることであって、アルベルトと良い関係を保つことではないのだ。
彼女にも恋愛結婚に対するあこがれはあるが、それはそれ。跡取り娘として家のことを第一に考えるように教育され、本人も納得の上での政略結婚なのだ。
求めるのは愛情よりも継嗣。それさえ達成されればアルベルトなど不要――とまでは王家の手前言えないが、邪魔をしなければ何をしていてもいいと考えている。
王子、牽制したつもりが大失敗の巻である。
ヴィットーリアの友人たちもアルベルトが何を言いたかったのかを察したが、すでに婚約解消が成立しているとなればかける言葉もない。下手をうった王子を生ぬるく見るのみである。
「大丈夫ですか、殿下」
元婚約者が蒼白になり心なしか震えているように見えたので、ヴィットーリアは立ち上がってアルベルトの傍により声をかける。
「お体の具合がよろしくなさそうです。本日はもうお戻りになられたほうがよろしいですよ」
周りの者たちはアルベルトの様子が変わった原因を察しているが、ヴィットーリアはまさか自分のせいだとは思わず心から心配しているのだ。
解消になったとはいえ元婚約者。さらに彼は王族である。個人的に関わりがなくとも心配くらいはするだろう。
だが、アルベルトはこれを好機ととらえた。自分を心配するイコール自分のことが好きだと勘違いしたのだ。
政略とはいえ婚約者。……すでに“元”が付いていることは彼の記憶から抜け落ちている。婚約解消が成ったと言われた後の怒涛の展開で、それは彼の脳内から追い出されてしまったようだ。
「お前は浮気をする気があるのか?」
「え?いえ、まさか」
いきなり浮気の話を再度持ち出したアルベルトに疑問を覚えつつも、ヴィットーリアは問われたことに答える。元婚約者が浮気をするかどうかがなぜ気になるのだろうと思いながら。
「ならば、私も浮気をしないことにしてもいい」
「……何のお話でしょう?」
「私は男色でも年の離れた相手を好む性癖があるわけでもない。お前が浮気をしないのなら私もしないと誓ってもいいと言っているのだ。お前だとて、今からまた婚約者探しを……」
「ああ、私を心配して下さったのですか。ありがとうございます、殿下」
微笑んで感謝を伝えるヴィットーリアを見て、これはいけるとアルベルトは確信した。一瞬だけだったが。
ヴィットーリアは、アルベルトを慕ってはいないが、さりとて嫌っているわけでもないので通常通り知己に対する対応をしているだけである。
「大丈夫です。王妃殿下からお話を頂いて、新しい婚約は成立しております。なので、殿下はご自分を偽らなくてもいいのですよ」
婚約が解消され、これからまた婚約者探しをしなくてはいけない自分を心配しているのだと受け取ったヴィットーリアが、アルベルトに止めを刺した。
王妃自ら縁を結んだということは、婚約解消の撤回も再婚約も蛇に足が生えるくらいにあり得ない話だ。
特出した才のない、ただ王家の一員だというだけが己の価値だとアルベルトは認めていた。だから、これから先も恋愛感情を持てないであろうヴィットーリアとの婚約は有り難く思っていた。そして、結婚して務めを果たしたらその時こそ心のままに恋をしてみたいという希望を持っていたのだ。
ヴィットーリアよりもはるかに夢見がちで恋に憧れる乙女心をもつ王子である。
そんな彼の思惑が「男の浮気と女の浮気は違う」という不用意な一言で木っ端みじんになってしまうとは、発言したときには思いもよらなかったに違いない。まだ若く未熟ゆえに婚約者より自分のほうが偉いんだぞとやり込めたかっただけの一言だったのだ。
「私はどうしたら……」
アルベルトは呟く。
ヴィットーリアに縋っているわけではなく、心の声が漏れたのだが元婚約者はその小さな声を拾い上げる。
「大丈夫ですよ、殿下」
「トリア……」
優しく言うヴィットーリアにアルベルトは一縷の期待を見出す。先ほど期待を裏切られたばかりだというのに懲りない王子である。
「王妃殿下は、七人も息子がいるのだから一人くらい“こどおじ”になっても面倒を見ると仰ってました」
「……コドージ?」
「いえ、こどおじです。妃殿下の造語ですね。こども部屋おじさんの略だそうです」
また、妃殿下か……と周囲から”なら仕方ない”と言わんばかりの声が上がった。なぜかメモを取っている者もいる。