10:終わり良ければすべて良しなのです
「私の絵や彫刻は素晴らしいらしい」
「え?ああ、はい、存じております」
婚約解消のドタバタから時は経ち、学園の卒業まであと3日。
元婚約者のアルベルトからの訪問の打診を受けたヴィットーリアは、現婚約者であるフェルディナンドの了承を取り付けたうえで快諾した。
騒動の後、アルベルトが学園を暫く休学していた間さまざまな噂が飛んだ。
婚約解消の衝撃で臥せっているというのは真っ当なほうで、衝撃は同じでも臥せっているのではなく不能になってしまったとか、運命の相手と出会い、あの騒ぎの時に出た“男の浮気”ではなく本気で入れ込んで駆け落ちをしたとか、恥をかかされたことを逆恨みして地下組織に加わりヴィットーリアを狙っているとか、不敬もここに極まれりといった様子であった。
噂が噂を呼び憶測が憶測を重ね妄想という域まで進んだころ、アルベルトは復学した。
久しぶりに顔を見せたアルベルトは、今までの苛々して毛を逆立てた猫のようにひりつく感じではなく、何かを吹っ切ったかのように自然体で落ち着いていた。
その様子を見た生徒たちは、衝撃は受けたとしてもそれがいい方向へ作用したのだろうとアルベルトの為に喜んだ。
不敬な噂も本気ではなく軽口であったのだが、アルベルトが心無い陰口で辛い思いをしたことを知っているヴィットーリアは心を痛めていた。しかし、復学したアルベルトの様子を見てほっとする。休学中に何があったのか分からないが、彼は強くなったように見えたのだ。
そんなアルベルトが久々に相対したヴィットーリアにあいさつの後にしたのはいきなり冒頭の発言である。彼の発言の意図が分からず怪訝な面持ちになってしまったのは仕方のないことだろう。
「なので、卒業後は万象の塔へ行くことにした」
「万象の塔へ、でございますか。あの、妃殿下はこどおじでいいと仰っていましたが」
ヴィットーリアはアルベルトの思いもよらぬ言葉に目を丸くして驚いた。
万象の塔は変人奇人の塔とも奇矯の塔ともいわれる、芸術家が集まる場所だ。塔と呼ばれているが実際は塔ではなく、小さな町規模の集落である。なぜ万象の塔と呼ばれているかというと、百年ほど前に今は集落となっている、当時は何もない場所でとある芸術家が制作した建造物が塔だったからである。
何もなかった地にポツンと建てられた塔は、不思議と人を惹きつけるものであった。
塔が建てられた場所に画家や彫刻家、音楽家、工芸家や陶芸家など芸術に才はあるものの、一様に人付き合いが不得手であったり集団生活に馴染めない者たちが集った。
たった一人の芸術家が住み処とした場所は、今では数百人規模となっている。
もちろんすべての者が芸術家として大成しているわけではない。だが、集落の人々はのびのびと己の思うままに創作活動をしている。これは、三代前の王妃が塔を建てた芸術家の才に惚れこみ芸術を保護し芸術家を助成する組織を立ち上げたことによる。
もともと、この国が美術や音楽などの造詣が深い者、愛する者が多い気風であったためそれは今日でも継続されていた。
それに対し王妃が「ルネサーンス!!」と叫んだが、その意味を解明した者はいない。
「こどおじか……。私も母上に言われて意味を聞かされたよ。子どものころに親が与えた部屋にすんだまま中年になっても独立できない者という意味だと」
アルベルトが笑う。自分の母親の感性が一般から離れていること周囲の者が言っていたが、それは本当だったのだと実感したのだ。それは母としての愛情であろうとも、貴族と国民の範であるべき王族の言うことではないとアルベルトは抗弁した。息子を民の税で無駄飯を食らう役立たずにするつもりかと訴えると、王妃カロリーナは実家由来でも国庫でもなく自分個人の資産でアルベルトが一生暮らす分くらい余裕だと胸を張った。事細かにいかに自分の力で資産を築いてきたかを説明された時、アルベルトは己が母ながら規格外だと放心してしまったことを思い出す。
「私が暫く学園を休んでいた時期があっただろう?」
「ええ、あの騒動の後ですね」
あの騒動と言われて思い出したかアルベルトが少し苦い顔になるが、頭を振ってそれを思考の外に追いやって話を続けた。
「あの時、私は万象の塔へ赴いていた。私は知らなかった。あの場所では誰もが自分の作りたい物を作り、愛し、生き生きとしていた」
「私は訪れたことはございませんが、殿下の気風に合ってらっしゃたということでしょうか」
「そうだ。私は、あの場所でなら深く息ができる。王宮も学園も息苦しくいつも喘いでいるような心持だったが、万象の塔では肩の力を抜いて呼吸ができた。体の隅々まで空気が流れた」
そう言ったアルベルトの顔は清々しく、復学後の彼が強くなったように見えたのは拠り所を見つけたからなのだとヴィットーリアは認識する。そして、アルベルトの辛さや居心地の悪さに気付けなかった自分を恥じ、ヴィットーリアは頭を下げた。
「殿下……。お心に沿えなくて申し訳ありませんでした」
「何だ?」
「殿下がそのように感じてらっしゃったことにまるで気づきませんでした。婚約者でありましたのに」
なんだ、そんなことかとアルベルトは笑う。
「当たり前だ。私もそなたが考えていることなどまるで分からん。分かろうとしたこともない」
そこでアルベルトは母である王妃の言葉をなぞる。「恋とは落ちるもの。愛とは育むもの」と。
「フェル様からのその言葉を伺いました」
「そうか。私にもトリアにも育むどころか種すら無かったのだから仕方ない。種を探すことすらしていなかった。――今更だが、すまなかった」
「殿下が頭を下げるなど!」
「いや、言っただろう?私は万象の塔へ行く。学園の卒業をもって王族から離れる……、いや、そんな顔をするな。追われるわけではない。私の意思で私が離れるのだ。トリアには幸せになってほしい。兄上とならきっと愛を育めると信じている。兄上を頼む――義姉上」
――兄上はすでに落ちているのだしと笑ってアルベルトはヴィットーリアに握手を求め、力強く握った後に辞去の言葉を紡ぐ。
アルベルトが帰った後、ヴィットーリアは自室で彼の言葉を反芻していた。
追われるわけではないという。自分自身の意思だと。
これでよかったのだろうか。本当はもっとアルベルトに寄り添えたのではないか。後悔の念が身を苛む。
これで良かったのだと、彼女が心から納得できたのは卒業から数年経ちフェルディナンドと婚姻したあとのこと。
卒業し時を置かず万象の塔へとアルベルトは出立し、その後、フェルディナンドとヴィットーリアの結婚式まで王都に戻ることは無かった。
「ヴィー、私の可愛い奥さん、ただいま」
フェルディナンドは侯爵邸の別館に帰宅するなり妻を抱きしめ愛を囁く。
まだ爵位は継承していないヴィットーリアだがその準備は着々と進められており、フェルディナンドは以前と変わらず王太子の補佐として王宮に出仕していた。いずれヴィットーリアが侯爵位を継承したときにはその補佐をするつもりでもある。
「お帰りなさい、フェル様」
ヴィットーリアもフェルディナンドを抱きしめ返し、その頬に口付ける。
「とうさまー、おかえりなさーい」
「お母さま、私もお父さまにだっこー」
二人の子供たちは両親の抱擁の後は自分たちの番だと言ってせがむ。フェルディナンドは満面の笑みで子どもたちを抱きしめた。
二人が結婚してから朝夕に行われるキスとハグの習慣は、子どもが生まれても変わらずに行われている。抱きしめる対象が増えてもフェルディナンドの一番は妻のままで、ヴィットーリアはそれを嬉しく思っていた。
二人の愛は互いの努力によって順調に育まれているのだ。
「今日ね、おじちゃまが来たの」
上の娘がフェルディナンドに右腕に抱かれたまま報告をする。
「うん、おじちゃまがねー、また、とうさまとかあさまの絵をもってきてくれたのー」
フェルディナンドの左腕に抱かれた下の娘が指さす先には、結婚式の絵が飾ってある。
「うん?結婚式の絵は以前に貰ったのに」
「ええ、でもあの頃よりももっといい絵が描けたからとアルベルトさまが持ってきてくださったの。差し替えて以前のものは持って帰ると仰いましたけど、頂いたからには私たちのものですからお返しはしませんでした」
幸せに微笑みあう二人の絵は、万象の塔に行ったばかりのころに描いたものより数段技術は上がっているが、最初の絵もとても素晴らしいものだったのでフェルディナンドは頷く。
「アルベルトは元気だった?」
「ええ、とても。次に来るときには娘たちの絵を描いてきてくださるそうです」
男の浮気と女の浮気は違うという言葉の意味を勘違いしたことが発端で起きた騒動であったが、結果として皆が幸福になったといえるだろう。
「愛しているよ、ヴィー」
「ええ、私も愛しています、フェル様」
アルベルトは心赴くままに芸術を愛する環境を得た。
王妃はヴィットーリアを娘と呼ぶことが出来た。
フェルディナンドはロリコンと言われようと拗らせた初恋を成就することが出来て幸福だ。
ヴィットーリアは
自分を愛してくれる夫と
可愛い子どもたち
自分が愛する幸せな家族を得た
終わり良ければすべて良し。
まだこれからも大なり小なり問題が出てくるだろうが、きっと、最後の最後にも同じ言葉を心に浮かべるだろうと
どうかしたのかと瞳を覗いて尋ねる夫に「なんでもないですよ」と微笑みながら思った。
読んでくださってありがとうございましたm(__)m




