01:次代を成せぬ方との婚姻だけはお受けいたしかねるのです
「トリア!貴様、どういうつもりだ!」
時は昼下がり。生徒らが昼食を取っている学園の食堂で大声を上げたのはこの国の第5王子であるアルベルトで、周囲から咎めるような視線が集まっていることを歯牙にもかけず女性ばかり5人が食事をとっているテーブルへずかずかと近づいた。
「まあ、殿下、どうなさいましたの?」
「どうしたもなにもあるか!トリア、私との婚約を解消したいとはどういうことだ!」
「あらまあ殿下、このような場所でそんなことを大声で仰ってはいけません。ほら、皆さまが何事かとショウガラコのようにお耳を大きくしています」
ヴィットーリアが王子を窘める体で周囲への注意喚起を促すと、何事が起ったのかと好奇心でギラギラした目を向けていた面々がバツが悪そうに目を逸らした。だが、穏やかだったランチタイムに起きた騒動を聞き逃すまいと耳はそばだてていて、王子の乱入前にそこここにあった会話の続きがぎこちなく再開されても、気はそぞろである。
「お話がございますならお呼び出し下さいな」
悪戯した子どもを咎めるように嘆息しつつヴィットーリアが言う。
王子の言った婚約解消という大事件の続きを聞きたがっている生徒たちは心の中で「えー、ここで!続きはここで!」と願っている。
平和な世界情勢、泰平な国、穏やかに過ぎる学生生活に降ってわいた面白そうな話題を見逃したくないのはもっともだろう。その願いが王子に届いたのかは定かではないが、生徒たちにとっては幸いなことに物語は場面転換をせずに進む。誠に平和なことである。
「ふざけるな!なぜ、私が貴様の体面を気遣ってやらねばならぬ。ここに集まる皆にも貴様の不条理を知ってもらわねばならぬぞ。いかに狭量で貴族らしからぬ心根で王族を敬うこともせず婚約者たる私を立てることもできぬ出来損ないであるかを!」
ヴィットーリアの不条理がどういったものかというよりも王子はいったい何をやらかして婚約解消の憂き目にあっているのかと周囲は思っているが、ここで続きが聞けるなら問題ないらしく一様に心躍り目が煌めく。ヴィットーリアは、息継ぎせずに長広舌を終えたアルベルトの肺活量に感心している。
平穏は確かに大事なことなのだが、血気盛んな青少年たちはたまにはこんな面白いことがあってもいいじゃないかとワクワクしている状態だ。いいぞーもっとやれーと声がかからないのが不思議なほどに。これほどの娯楽はそうそうないだろうから仕方ない。
「私は殿下のために申し上げたのですけれどねぇ」
顔を真っ赤にして足を踏み鳴らし品の欠片も無いアルベルトとは反対に、ヴィットーリアは至極落ち着いている。殿下の為にという言葉にも嘘はなく、場所を変えようとしたのも彼の今後を慮った温情によるものだったのだが、アルベルトが進んで恥をかきたいというのなら構わないかと思い直した。
同じテーブルについているヴィットーリアの友人たちが、婚約解消自体が初耳だったようで「聞いていない」「友達甲斐のない」と口々に恨み言をこぼすのに、ヴィットーリアが目線で謝ると「あとで包み欠かさず吐いてもらいますわよ」と睨む振りをした。
ここでつまびらかにしなくてはならなそうなのに「ここだけの話」を残しておかなくては後が怖いわとヴィットーリアは苦笑で返す。
「まず、婚約解消に関してでございますが既に成っておりますので私はもうアルベルト殿下の婚約者ではございません。国王陛下、王妃殿下にも至らぬこととお詫びいたしましたがこのような事情なら仕方ない弁明のしようもないと、むしろ労わっていただきました」
「……は?もう婚約解消が成立したというのか?」
「はい、殿下はそれをお聞きになったからいらしたのでは?」
「いや……母上から貴様が私との婚約解消を申し出たとだけ……」
さもあろう。短気なアルベルトなら相手が王妃であろうとも話半ばの半端な情報で部屋を飛び出したのだとヴィットーリアは納得した。
「そっ……そもそも、何故貴様は私との婚約解消を願い出たのだ!」
まさか既に婚約者ではなくなっているとは思いもよらず、大方小さな不満をアピールするためだけに婚約解消をちらつかせたのだろう、ならばそのような駆け引きなど私に通用しないことを思い知らせて躾けてやるのが未来の夫の務めだと意気込んでいたアルベルトは、雨に打たれた子犬のようにわかりやすく消沈している。
「私は侯爵家の跡取りです」
「そんなことは知っている」
国王夫妻は大変仲睦まじく、王子ばかり7人ももうけた。王妃が娘も欲しいと頑張っていたのだが、さすがに7人も男児が続いて諦めたのだという。
長男は国王の跡継ぎに、次男はその補佐に、三男以下は自分で身を立てることが出来るだけの能力を示すか、男子のいない家に婿入りするか。五男のアルベルトは武も智もまあそこそこで三男のように騎士団に入って頭角を現すことも、四男のように学術の徒となり研究者を目指すこともできず、侯爵家の一人娘であるヴィットーリアの婚約者に納まり、いずれ婿入りすることになっていた。
政略結婚が当然であった数代前までならともかく現在は自由恋愛からの結婚が半数を占める。もちろん、家格の差や年齢が開きすぎている、相手に瑕疵があったり不穏当な行跡があるなど許容できない相手との結婚は難しいが、幼いころから条件だけで婚約を結ぶことはほぼないと言っていい。
ヴィットーリアの両親は学園生活の中で愛を育み、家柄などに問題もなかったために婚約し、そのまま結婚した。そのため、娘にも想う相手と縁を結んでほしいと婚約者を決めなかった。
それが仇となり王家からの縁組を断ることが出来なかった。王家としては僥倖である。
長男から四男までは手間がかかることもなく己の道を定めていたのに、五男は不出来ではなかったものの優秀でもなく、特筆する能力もない。自身の力で身を立てることも難しいとなれば、最良の道は婿入りである。出来れば上位貴族で問題のない跡取り娘がいる家。
白羽の矢が立ってしまったヴィットーリアに逃げる術はなく、婚約が結ばれたのは二年前、二人が15歳の時の事であった。
王妃とヴィットーリアの母とが友人であったため、幼いころから顔を合わせる機会が多かった二人だが恋愛感情は特に育たないままだったのに婚約者となり、その後も特に色めいた感情は互いに持てない状態でも、まあ、王族・貴族ならば仕方ないと飲み込むだけの矜持は持っていた。
恋愛感情のない結婚も受け入れることにしたヴィットーリアだが、ここにきて看過できない問題が発生したと両親や国王夫妻に訴えかけたのが十日前。訴えを聞いた四人もそれならば婚約解消もやむなしと早々に動いたのだった。
その問題とは。
「私が跡を継いでそれで仕舞いというわけにはいきません」
「そんなことは分かっている!」
「あの……衆目がございます。場所を移して……」
「さっさと言え!」
王子を気遣って場所を変えようと思っていたのだが、本人がそこまで言うのなら仕方ないとヴィットーリアは諦める。もとより他人の話を聞かないことには定評のあるアルベルトなのだ。
「次代を生せぬ方との婚姻だけはお受けいたしかねるからでございます」
思いもよらぬ理由でアルベルトは二の句が継げなかった。
女性としては憚るような内容を淡々と口にしたヴィットーリアの表情は変わらなかったが、食堂にいて聞き耳を立てていた生徒たちは一斉に表情ごと体が固まってしまったようだ。
ヴィットーリアは、婚約解消を願い出たときに王妃の「あの子はあなたとあなたの家に求められていると思っているから、ちゃんと話を聞かないかもしれないわねぇ」という言葉を思い出し、心の中で頷きながらも淡々と言った。
「婚姻後に子を授かるかどうかは神の思し召しではありますが、授かることが出来ないとわかっているお相手はちょっと……」