境界の山桜 ~隠された地名~
幼い頃僕は田舎の祖父の家で一時期を過ごしていた。
ある時野原で遊んでいるうちに、知らず知らず山の方に入って迷った。
そこで僕は大きな山ほどの岩の側で、一本の山桜に見入っていた。
満開の桜の花に、夕焼けの残照で血の色に染めあがったように見える姿は禍々しいはずなのに、歩き疲れて動けなくなったのと恐ろしさでその場を離れることが出来なかった。
やがて陽も沈み闇が訪れようとしたときに老人…恐らく祖父が僕を見つけ怒る訳でもなく心配するわけでもなく一言
「オチの桜は境界じゃ…桜に飲まれなんだな」
聞きなれない言葉に戸惑いを覚えながらも、僕は帰路についた。
それからすぐ僕はこの地を離れ三十年近くの年月が流ていた。生活に追われながらの日々は充実していたが、幼少の頃の記憶が脳裏から離れる事はなかった。
ある時、幼少の記憶をたどりたいと思い、祖父が住んでいた土地へ向かった。
帰郷と言う感傷的な気持ちはない。親と祖父は折り合いが悪く、良い話をあまり聞いた事が無いい。親は祖父ごと故郷を捨てたのだろう。
目的の場所は地方都市の中心地の郊外であるが、三角州から発展した地形なので山が案外近くまで迫っている。
最寄りの駅に降り立つと子供の身頃のに見た景色が蘇える…どころか、むしろ違和感を覚えた。
「聖桜ヶ丘?(せいおうがおか)」
駅前の広場から山の手にかけて住宅が立ち並び、街路樹の桜が満開に咲き誇る光景が広がっていた。そこは田舎と呼ぶには所狭しと住宅が立ち並び、当時の記憶は間違いではないかと疑ってしまうほどであった。
「あれから時間も経っていれば街の一つぐらいは出来ていてもおかしくは無いか」
とんだ浦島太郎も居たものだと自嘲しながらその場を後にした。
まずはこの地のお寺に参詣することにした。
お寺には、建立時の縁起や伝承と言ったものが伝わっていることがあり「オチ」についての話も聞けるのではと期待している。
子供の頃の記憶を頼りに畑が広がる田舎道を歩いてゆく。やがて目の前に小高い丘が見え、山門をくぐるとつづら折りの坂が現れる。息を切らせながら登るとやがてこの一帯の集落を見渡せる高台にある寺に至った。
そこは寺務所のある大きな寺ではなく、地域に根差した生活寺院であった。縁側に回り来訪を告げると住職が快くて迎えてくれた。
「むき出しで恐縮ですが…」
千円札を三枚、志納金として住職に差し出した。
「これはご丁寧に」
住職が礼を言い袖にお札をしまう。観光化されているお寺なら拝観料を払うところだろうが、そうでない場合は志納金を渡す方が便宜を図ってもらえる事がある。
改めて住職を見ると歳の頃は60前後…僕の親と同じ世代だろうか。
暫く世間話で場を温めながらそろそろ本題に斬り込む。
「そう言えばこの辺りには奇景な岩があると聞きましたが」
「それは天狗岩の事ですか?」
「天狗岩と言うのですか?面妖な名前ですね」
それは僕が迷子になった時に近くにあった岩の事だろうか。ひとまず記憶をたどる手がかりを得た。
「天狗が運んだ岩…と言い伝わっておりました。なにしろ人の手で運ぶには大きいうえに、どんな目的で置かれたのか分からないものでしての。天狗がいたずらをしたと思われたのでしょうな」
「それは是非見てみたいですね。どの辺りにありますか?」
記憶の中の景色を思い出しながら気持ちが逸る。
「…いえその岩はかつて有ったと言うべきでしょう」
「と言いますと?」
住職は残念そうな顔をしながら、僕を試す様に話を続けた。
「ここへは電車を利用してこられましたかな?」
「ええ」
「でしたら住宅街が広がっているのが目に留まりませんでしたか」
「確か聖桜ヶ丘でしたか」
「あの辺りはかつて寂しい所でしてな。雑木林があるだけで立ち入る人も少ない所でした」
その説明でおおよその予想は付いた。あの景色はも見る事も叶わないと。
「山を所有していた方が、事業に失敗して売り出され開発計画が進みましての」
「開発と同時に天狗岩も撤去されたと?」
「使い道のない岩ですからな。観光資源と呼ぶほどの知名度もありません」
「開発に反対とかは?」
「街が出来る事で潤うと考えた方が多数でしたからな。診療所とか無い所に病院が出来たり、児童数が減りつつあった小学校の存続にもなりましたから」
石ころ一つと利便性を量りにかければ、そう言う結論に辿り着く訳だ。むしろこだわりがあるのは僕だけと言う事か。しかしここまで来たのだから最後まで調べられる事は知っておこう。
「ではその近くにあった桜の木も?」
「あれは見事な山桜でしたね」
住職が懐かしむような目をすると、写真があるとの事で探して持って来てくれた。
「立派な桜の木ですね」
「樹齢は千年だったようで」
「今もその桜は?」
住職がかぶりを振り残念そうにしながら
「新しくできる街のシンボルと言いう話も有りましたが、山桜よりソメイヨシノを押す声が多かったもので処分されました」
「これだけ立派な物なら移植とか…」
「当山へという話も有りましたが、費用や手間などを考えるとお断りするしかなく…」
「もったいない話ですね」
「その名残という事で、街の名前に桜を残すで話が進みましての」
名前なら「オチ」を付ければ良いのでは?由緒ある物なら残すこともやぶさかではないはず。その疑問をぶつけてみた。
「つかぬことを伺いますが、その山桜に名前はついていませんでしたか?例えばオチの桜とか」
住職が一瞬驚いた表情をしたが
「オチと言うのは桜の名前ではなく地名の事です。桜の血と書いて桜血と呼ばれてました。元々は桜血と呼ばれていたものが訛ったのでしょう」
祖父が言ってたオチは桜ではなく地名だったのか。では境界の意味は?
「どういった経緯で、桜血と呼ばれるようになったのですか?」
「それが皆目伝わっておりませんでな」
淡々と住職は答えた。桜の血とは不吉な印象を持つものだが、そういうのは得てして外部の者が感じるのかもしれず、由来については執着しないのかも。好奇心だと言われればそれまでだがもう少し尋ねてみた。
「由来が伝わっていないと?」
「左様…ただ桜血については余り立ち入らない方が良いとだけ」
「ひょっとしてなにかの境界だったとか?」
「そこまでは拙僧は詳しくなく、古老から伝え聞いた話にすぎません」
淡々と住職は答えるばかりで、これ以上は学者の領域だろう。それにしても桜の血とはずいぶんと恐ろしい。かつて僕が見た夕日に染まる桜の花が血の色に見えた…そんな情景的な事では地名に残すほどの事とは思わない。余程心に残る何かがあったのか気にかかるところだ。
「桜血という禍々しい地名を聖桜ヶ丘という、見栄えのいい名前で上書きして忘れようとしているのでしょうな」
縁側から街の方を向き静かに住職がつぶやいた。そして僕の方に向かい直し
「図書館の郷土資料などは?」
「真っ先に当たりましたが、この地域の風俗や風習をまとめた風土資料的な物さえ見当たりませんでしたよ」
「元々は小さな村でしたから至らない事もありますか」
町名の由来や成り立ちなど、広域的な物であれば収集されていることはあるが、特定の地区の話となると漏れる事もある。残るとすれば
「個人でこの辺りの事を研究されていた方とかご存じありませんか」
「私が子供の頃、道楽で昔話を集めていたお爺さんが居たのは覚えていますが」
「その方はご存命で?」
住職は横に首を振り思い出したように
「聞いた話では相続したお子さんが学校に色々と寄贈したらしいです。そちらに何か残ってるかも知れませんな」
これ以上得る物もないと判断し、住職に礼を言いその場を退散した。
小学校への途中集落を散策気味に歩いてみる。昔ながらの日本家屋の中に、鉄筋コンクリートの家がぽつりぽつり建っている。中には二階建てのアパートもありのとかな田舎だと思ってたが、街中の住宅地とさほど風景が違わない。
やがて校庭の外周にある桜並木の通学路から三階建ての校舎が見えた。
目的の小学校は寺から歩く事小一時間で到着。寺から紹介してもらった趣旨を説明すると、長先が対応してくれたのでまずは学校の話から聞くことにした。
聖桜ヶ丘が出来たことで、その周辺にも住宅がぼつぼつと建ち児童数の減少に悩まずに済んでいる。農業をやめた人が畑を売っている影響もあるのだろう。郷土教育については、昔の事を知っている人も減ったのかあまり力は入っていない様だ。
ただ昭和の中頃までは炭焼きがこの地の産業として成り立っていたので、体験学習の一環で学校で炭焼きをしている様で専用の窯が設けられている。
頃合いを見て地域の伝承について知りたいと切り出すと、図書室の郷土資料を見せてもらえる事になった。
「終わったら声をかけてください」
「ありがとうございます」
校長の好意にお礼を述べ、早々に本棚に手を伸ばす。いくつかの冊子に目が留まる。印刷製本されてはいるが販売目的ではなくごく、少数に配布される類のものだ。
『地域の伝承』
「昭和5×年子供会記す…か」
『農家の風俗』
「昭和初期までのこの地域の農村風景や年中行事をまとめているな」
『民間伝承』
「これは…全国の同好の士が投稿し合った同人誌みたいなものか?」
何気に雑誌の裏を見ると、祖父の名で寄贈されている物だった。そう言えば親がよくこぼしていた。祖父の家は戦前までは素封家としてこの地域に土地をたくさん持っていたが、祖父は殿様気質で仕事は人に任せて道楽三昧であったと。
道楽といっても金にならない伝承を集めたり、庭園造りを楽しんだりと文化的なものだが。
ただ他人任せの性格が災いして、祖父の弟が事業に失敗。その穴埋めのために先祖の財産をすべて失った。本来なら親がいくばくかの財産を継げるのにと。聖桜ヶ丘の開発前に山を売ってしまい、手に入るはずのお金の恨み言を聞かされたものだ。
その祖父の遺産というべき民間伝承の目次をめくる。そこには祖父の名前で投稿がなされていた。タイトルは「桜血考・地名の由来と顛末」
求めていたものが祖父の遺品の中にあった。親からすれば一円にもならない代物だろうが、僕にとってはこのめぐりあわせに感謝だ。はやる気持ちをこらえながら考察を読む。
読み終えて僕は天を仰ぐ。
「そう言うことか…あの時祖父が言った言葉の意味は」
冊子に書かれていた投稿の内容を要約すると
この地域には桜血と呼ばれる、由来が分からない恐ろしい地名がある。
そこで全国の類似した地名からの推論と断りつつ、桜血は過去の崩落によって付けられた地名ではないかと考察に至る。
過去に地震や崩落が起こったところにも類似した地名があり先人が警鐘の意味を込めて呼ぶようになったのではないか。「割く」が転じて「桜」と名のつく事例も幾つかある。
崩落の根拠として、天狗岩は元々山頂か地中にあった物が地震によって崩れ落ちたのではないかと。どのような目的で置かれた分からないのも人が運べないのも人ならざる現象であると考える方が無理がない。
また岩の近くにある山桜も、元々は山頂付近に自生していたものが崩落によって山裾まで流れてそのまま根付いたと考えられる。これは箱根の逆さ杉と同様の現象であると。
戦前までは山頂に山桜の群生地があったが、戦後の復興期にそれらは切り倒され炭に活用され、その面影はないため調査は出来ない
それらを鑑みて過去の惨状を伝えるために血に染まった桜の意を用いたのではないか。
あるいは「落ち」が先にあり桜の木に併せて桜血に転じたとも考えられる。
僕は読み終えた冊子を戻すと、窓の外に夕映えの残照に染まる桜の木を眺める。恐ろしく感じていた子供の頃の記憶の意味を知ると、優しく微笑む祖父の顔が思い浮かんでいた。