転ばぬ先の杖
コンビニと雑居ビルの間に、その建物はある。
(今日は見えた)
古い感じの喫茶店、一見するとそれだけ。
植物を絡ませたレンガ調の壁は、雰囲気作りというよりは貧乏臭くボロい。営業中の掛札も、なんか斜め。オシャレというよりはただズレてる。そもそも客寄せする気があるのか微妙。
もしかしたら潰れてるのかもしれない。
ライバル店と鎬を削り、流行り廃りで消えていく。そんなお店は珍しくない。
今だってその建物を眺めているのは向かいのコーヒースタンドのテラス席なのだから。立地も駐車場の数もこちらのが上で、なによりあちらの入りにくさが半端ない。
しかし私が注目してるのはそんなところじゃない。
「ねえマナ」
「なに?」
「あれ、見える?」
「……どれ?」
「コンビニの隣り」
「……人? 物?」
「建物」
「あー、見える見える。きったないビルだよね。んで? それが?」
「うん。汚いなぁ、って思って……」
「不思議ちゃん乙」
本当だよ。
それで済めばどれだけいいか……。
一瞬たりとも視線を逸らさず、網膜に謎い喫茶店を焼き付ける。
変化は唐突に起こった。
(あ)
と思った時には既に遅く。
最初からその存在なんて無かったように、喫茶店は消えていた。
いつもこうだ。
不意に表れて、唐突に消える、私を悩ます喫茶店。
見えるようになったのは最近で、毎度のこと友達に確認するのだが……。
見えるのは私だけという事実。
頭のイタい娘ちゃんである。
安くてペラいフラペチーノで喉を潤しつつ、病院に行くべきかどうかを悩む。
十六年生きてきた中で、初めてのケース。
なるほど。初めては焦るってほんとだな。どうしよう。割と解決方法が無いぞ?
良い考えが出てこないかと頭を揺らしながら悩んでいると、スマホに夢中だった友達が顔を上げた。
「んでー? ほんとどした。唐突な不思議ちゃんムーブとか。狙ってる男子の好みにイメチェン?」
「そんなんじゃないけどー……。まあ色々と悩みがあるのですよ。マナと違ってー」
「カチーン」
「ごちーん」
軽い肩パンに効果音をつけてみた。お気に召しました?
唐突な暴力にヨヨヨとテーブルに身を投げ出す。あー、なんと不幸……。
「おらー、早く話せよー。外で乳揉まれたいかー」
ガチ勘弁。
「お許しをー、お許しをー。これで、これで平にお許しをー」
「いや飲みかけとかいらないし」
なんだと? 現役女子高生の飲みかけフラペチーノだぞ? 金塊には及ばずとも銀塊ぐらいにはなるんじゃないの?
「それで? 本気なに? さっきからずっと道路見てんじゃん。恋煩いか? この時間に毎回ここを通る男子に一途アピールでもしてんのか?」
「切なー。なにそれめっちゃいい娘やん。友達になりたくない」
「それな」
相変わらずの緩い雰囲気。不思議ちゃんムーブもなんのその。私たちの絆はその程度じゃ崩れないぜい。
この空気ならイケるかもしれないと、悩みを婉曲に伝えてみる。
「実はさー? 最近になって人には見えない私だけのパーソナリティが見えたり見えなかったり?」
「厨二病です。病院紹介しときますねー?」
唐突な他人行儀?! 離される席は一人分。絆はどうした?
でもそうなるよね〜。
頭イタいのを治したきゃ病院で間違いない。かかるのは心のお医者さんだけど。
「ってガチで病院検索したの見せてくるやん。ちゃうやん。そうじゃないやん」
「え〜? だってミオが誤魔化すからー」
なんにも誤魔化してはないのだが?
言葉を選ぶ必要があるらしい。
えーと、えーと。
「あー…………なんて言うか、今まで一度として経験したことのないようなことを経験しまして……」
マナが噎せた。
「驚くと同時に不思議と心地良くて……このままじゃいけないって分かってるんだけど、病院に行くのには今一つ躊躇しちゃうのね?」
マナが咳き込んだ。
「だから他の解決方法……それこそあの扉の向こうに行けばいいんだろうけど……帰って来れないんじゃないかって不安で……」
マナが赤くなった。
「どう思う?」
「行かないで」
そうだよねぇ?
「え? なに? あんたそういう?」
どういう?
「だ、大丈夫! 大丈夫よ! ミオは綺麗だから! いや綺麗だからそんなことになっちゃったんだろうけど……。まだまだ良いことあるから! 生きてたら! 何もあんな汚いビルに重ねることないわ! うん。うんうん! な、なにか飲む? あたし奢っちゃう」
「キャラメルフラペチーノとチョコチップワッフルとサンドイッチ」
「ガッツリいくやん?」
やれやれと席を発つ親友を笑顔で見送る。
まさか唐突に奢ってくれるなんて。今日はいい日だなぁ、なんて思ったり。
不意に一人になったことで、再び向かいのコンビニと雑居ビルの間をチラリ。
(あ。また出てる)
私だけに見える喫茶店。
ちょっとした特別感。
こうやって眺めているだけなら問題無い。
誘うように現れるそれに、いつしか私は名前をつけた。
『十三番地』
これまた安直なネーミング。やっぱり病気で間違いない。私、そんなセンスじゃなかったもん。
残り少しになったフラペチーノをズコズコ吸いながら、代わり映えのしない不思議喫茶を眺める。
喫茶店の近くを通る人は、誰一人としてその存在に気付かない。
……不思議ー。
隣のビルから降りてきた人がコンビニまで歩いている。その距離で分かると思うんだけど、気付かない。
気付けない。
だーれも知らない自分だけの特別。
そう思うと少しだけ気分が良い。
でもねー? さすがに危ないでしょー。近寄りたいとは思えんわー。
消える瞬間とかどうなってるんだろうか? 圧縮とかされちゃうんだろうか?
……怖っ?!
まあ被害とか出たことないんだけど。
なんらかの変化はないものかと、最近はずっと眺めているが、得られるものはない。
――――しかしそれも今日までだったようで。
ずいぶんあっさりと、男の子が一人、喫茶店へと入っていった。
「………………うええ?!」
――――何故かそれに釣られるように、私は席を立って向かいの喫茶店へと走ってしまった。