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飴屋あやかし噺  作者: 神楽 羊
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琥珀ヶ原

記憶に残る最初の光景、一面の薄暗い草原、しとしとと雨が降っている。


風は無く柔らかで誰かが泣いているような雨だ。

幼い頃からそこでずっと空を見上げていた。


原罪の随分と前の話



時々雲の切れ間から差す天使の梯子が自分を掬い上げてくれないだろうかと思ったがその名前が皮肉で飴売りは笑った。


ただその綺麗な光を見たくて今も待ってる。


長い間、それだけが全てだと思っていた。




ここはどこか?と幼い飴売りは悪鬼に向かって尋ねた。



詰まらなそうに悪魔は答えた。


「ここは辺獄だ。」







***


僕は座って飴を舐めていた。


時々白い巡礼者の様なフードを纏った飴屋が現れてもうそろそろ行きましょうと言ってくる、どうやら自分の様子を心配して見に来てくれているようだ。

けれどまだここに居たいと伝えると、そうですかと首をすくめ諦めた様に隣に座った。


ここは大きな木の下で気持ちの良い花畑が目下に見える。随分と長い事来ていなかったピクニックに来ているような気分だ。


体を地面に投げ出し自分の人生が一体何なのか、ボンヤリと頭に浮かべ宝石の結晶に似た飴玉をポケットから取り出す、包み紙を開けてまじまじと眺める。


何個目かの(それは虹色だった)キャンディを口に入れる。


たちまちマッチ売りの少女のように暖かい思い出が脳内に蘇る、物語と違うのはこれが僕の本当の思い出だということだ。


幸せと温もり、それに身を委ねる。

過ぎ去った過去の灯火のような時間、細胞の全てが満たされて行く。妻とまだ小さい頃の娘の姿がありありと浮かんで来た。


「あまり長い事ここにいると御身体に障ります、私が差し上げた飴玉ももう残り僅かなのでは無いですか?」


不思議な男で濡れたような唇はいつも笑みを絶やさず妖艶と胡散臭さのちょうど真ん中のような顔をしていた。


髪は肩まで伸びていてフードを被っていると修道女のように見える。




確かに、僕のポケットの中の飴玉は残り僅かしか無かった。そしてその飴は全て綺麗な色をしていた。





***




僕がこの場所を歩き回った当初、扉が不意に現れる事があった。

そこから人が入って来るとフラフラ頼りなさげに境界の向こうへと歩いて行った。まるでそれがさも当然だと言うように。


この場所には明確な境界線があって、ここへ来る時彼に絶対に向こう側へ行かないようにと釘を刺されたのだ。


あの時僕は酔っていたので言われた事を何となくしか覚えていなかった。


僕は鍵がかかったそのドアを何度も叩く、その度向こうから小さく泣き声が聞こえた。

どこへ繋がっているのか確認する暇も無くドアは消失していった。



近くの木の影で暇をつぶす。

ここに来てどれほど時間が経ったのかも忘れてしまった。飴屋はいつ来るのだろう?

琥珀色の空と原色の花が咲き乱れているのどかな気持ちの良い場所、あの男が何度も渡るなと言った、細い川が流れているのが見える。


三途の川なのではないかと一瞬考えて現実感の無さに苦笑いが出た。


しかし待てど暮らせど夕暮れのままで時間という概念が存在しないこの場所は本当にそうなのかもしれないと少し怖くなった。


それを忘れるように僕はポケットの中に大量に入っているキャンディの中から一つ取り出す。

「良い色と悪い色、全て大事、だったか。」


歌うように言った飴屋の言葉を思い出す。


優しい色合いの包み紙を開くとターコイズブルー色の飴玉が姿を見せた、口に頬張るとめくるめく甘さの中、色鮮やかな思い出が広がっていく。


恍惚の表情を浮かべながらしばらく僕は放心状態になった。


二度、三度と立て続けに口に含むとまるで嬉しかった思い出のその日に帰ったような幸福を、その全てを感じる事が出来た。


部活のサッカー大会で優勝した日、高校に合格した日、初めて彼女と体を重ねた時の事。子が生まれた日。


数え切れないほどの嬉しくて暖かい思い出が全てこの結晶の中に詰まっている、これさえあれば、生きていけると思った。


貪るように飴を舐めていたがそろそろバランスを取らなくては、と


初めて真っ黒な包み紙の飴を食べた。



脳天まで突き抜ける様な嫌な痛みと、衝撃が僕に襲い掛かる。死の臭いと悪意に満ちた味がした、知っている別れの香り。


我に帰った後、包み紙の中身を全て確認し黒い物を全て捨てようとした、動悸が止まらない。


また、思い出すのが怖くて堪らない、体が、心が全力で拒否しているのが分かる。

怖気づいた僕は近くの木の根元に埋めそれを無かったことにしようと思った。


【あれ】を全部食べるという事は今までの痛み、苦しみ、妬み、口惜しみ、筆舌に尽くしがたい絶望を煮詰めた思い出を追体験する事に他ならない。


負の感情が溢れ出して発狂してしまう気がした。


また亡くしてしまう、また失ってしまうのが怖い。

綺麗な方の暖かい思い出だけで良い、もう逃げてもいいじゃないか。


もう妻と娘を失いたくないと僕は思ってしまった。




***


「しっかりと同じ数だけ食べていただけたでしょうか?」


しょう を浮かべたまま飴屋が僕に尋ねる。


「いや、黒い方だけ大量に残っている…どうにかならないかな?もう嫌なんだよ、恐ろしくて堪らないんだ。」


表情を変えずに飴屋は言った。


「そうですか、私が何かを言う立場にはありません。ただ選択には責任が伴います、それさえ受け入れて頂けるのであればもう帰りましょうか。」





***



この話に乗ったのは僕自身だ、疲れ果てた中年サラリーマンの僕は酔った勢いで薄汚れた路地裏の知らないバーに入りそこでカウンターに座っていた飴売りに出会った。


マスターであろう白髪の老人が半分修行のようにカウンターで丸氷を作っている。


隣にいた胡散臭い、男か女かも分からない人に僕は声をかけた。男は自分の事を飴売りだと言った、そんな商売があるのかと僕は彼に興味を持った。

飴屋は気の良い男でニコニコしながら話を聞いてくれた。

仕事の愚痴や日々の腹が立ったこと、本当の悲しみは内に秘めたままで。



「そうですか、色々と溜め込んでいるようですね。貴方に今までで幸せだった思い出を【再体験】させてあげる事が出来るのですがどうですか?やってみませんか?ああ、怪しい薬や宗教なんかじゃありませんよ。信じられないかもしれないですがね。」


飴屋が顔を寄せる、キラキラと光る瞳は瞬きをしていなかった。


酔っ払いの戯言だと思った僕は二つ返事で了承した、僕の方が泥酔していたのだが。


「約束が幾つかあります。川の向こうには絶対に行かない、帰って来れなくなります。綺麗な場所ですが死にたくなければ川を渡らないで下さい。

ポケットに入っている飴玉は良い思い出と悪い思い出が半分ずつ入っています、必ず同じ数だけ食べて下さい。

これが【思い飴】を食べる為のルールです。理解出来ましたでしょうか?」


「わかった、わかったから早く俺に夢を見させてくれ。」


気が大きくなっていた僕は話半分に彼の話を聞くと言った。


隣に座っていた飴屋が近づき僕の眉間に右手の人差し指を当て、呪文の様なものを唱える。

すると僕はあの花畑に立っていたのだ。



***


「それでは帰りましょう、黒い方の飴も大切に持って帰って下さい。それも貴方の大切な、思い出なのですから。」



「…なあ、このまま帰ったらどうなるか教えてもらってなかったよな?それを教えてはくれるのか?」


彼の目が薄く開くのが分かった。


「綺麗な方の思い出を残した黒い飴の分だけ忘れてしまいます、そしてそれは二度と戻って来ません。」


後頭部を殴られたような気がした。怒りの感情が僕を襲う、それは恐怖に飲み込まれないようにだった。


「あと何度、洋子と綾を亡くせばいいんだ?何度あの小さな棺桶を燃やせばいいんだ?」



「黒い飴の大部分がそれです。悲しみや苦しみが強いほど飴の数は増えますから。」



僕は膝から崩れ落ちた。気づけば涙が溢れていた。


「何故こんな事をするんだ?飴屋、何で俺がこんな目に合わなくちゃいけないんだ?」


震えた声が出る。


「貴方が思い出、走馬灯を望んだからです。本来ならば死の直前以外に見る事は許されていないのですが疲れ果てた貴方の少しでもお役に立てればと思いまして、説明不足で大変申し訳ない。」


飴屋はそういうと頭を掻いた。


確かに幸せだった頃に何度も帰る事が出来た。そこに嘘は無かった。


…幸福な思い出を捨てて帰るか、飴の分だけ二人の死を見届け続けるか。



僕は目を閉じ何が大切かを必死に考えた、そして飴屋は何も言わずに待ってくれた。


長い間考え込んだので出していなかった声が掠れる。


「分かった、全部思い出して二人を送ってからあのバーに帰るよ。少し待っていてくれ。」


「分かりました。どうか心を強くお持ちくださいね。」


と言うと屈託の無い顔で飴屋は笑った。



僕は全ての7個あった漆黒の飴玉を右手に載せると一つずつ噛み砕きながら飲み込んでいく。



(閑話休題)









***


辺獄にて、飴売りが悪魔に袋を渡し金貨を受け取りながら言う。


「今回は素直な客で大層お目当ての物が集まりましたよ、ゆっくりと味わってください。今後ともご贔屓に。」




舌をダラリと垂らした獣の様な赤目の悪魔が言う。

「お前の集めてくる負の感情はいつも鮮度が抜群で助かるよ。俺達はいつもやり過ぎちまうからすぐに枯らしちまう。お前みたいな人間と悪魔の間の子が一番上手くいくのかもしれないな。」


「いえいえ、私は自分のやるべき事をやっているだけですので、これで失礼します。」


踵を返した飴売りの顔にいつもの微笑みは無かった。


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