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おまけ 某伯爵令嬢メル・ネイト

お話としては、3話目の聖女セレスで終わっていると思うのですが

自分の中で納得するために書いてみました。


リアとランツの、5年間を埋めるお話です。


 


『ネイト伯爵令嬢メル様

 我が家の庭の薔薇が見事に咲きました。

 是非、観においで下さい。

 リア・デール』


 突然届いたその招待状に、ネイト伯爵家はその日騒然となった。

 格上であり王家の覚えめでたいデール侯爵家のご令嬢であり、神殿が認めた聖女であるリア嬢は、その実、聖女から誰よりも遠い場所にいる悪魔のような令嬢として名を馳せている存在だからだ。そしてすでに一度、メルはその毒の牙によって心を引き裂かれたことがある。

 だからこそ、素直に招待を受けることができなかった。


 戴いた招待状は、いま王都で一番の話題となっているショコラティエの手によるチョコレート菓子と一緒に今朝届けられた。

 美しい装丁が施された2段重ねの箱入りのそれは、見るからに艶やかで繊細な細工が施されておりまるで芸術品のようであったし、箱から漂ってくる香りも芳しくなにより美味しそうだったが、添えられていたカードにあった『心を込めて リア』の文字に、毒が入っているのではないかと先入観が先立ってしまい未だ誰も手に付けていない。



「あなた、どうすればいいのでしょう」

 メルが受け取った招待状の内容を確認しただけで倒れそうになったこともあり、侍女の判断で母親であるシル・ネイト伯爵夫人の手元へとその招待状は渡ったのだが、肝心のシル夫人もその内容にオロオロとするばかりで返事をどうすればいいのかまったく判らなかった。

 故に、家長であるネイト伯爵自身に判断を委ねることにしたのだが。


「格上である侯爵家のご令嬢からきた名指しの招待状だ。お断りする訳にはいかないだろうが……メルも、先日の受けたショックからようやく立ち直り始めたところだからねぇ」

 うんうんと唸る伯爵はどこか頼りなかった。

 実直であれ──それがネイト伯爵家の家訓である。

 故に、仮病などで誤魔化すことなど誰も思いつくこともない。

 どちらにしろ、仮病で一旦は断ることはできたとしても、後日再び誘われた場合を考えると選べるものではない。なにしろメルには、あのリア嬢を目の前にして仮病を使ったことについて嘘であったことを誤魔化すような演技ができる訳もないのだ。絶対にバレる。

 更なる不興を買う位なら、お茶会の席での数時間をなんとかやり過ごす方向で最初から参加した方がマシではないか。それがネイト伯爵の判断だった。


「なぁ、メル。数時間だけのことだと、頑張って参加して来てはどうだろうか。デール家に赴く際には、侍女のアンだけではなく家令のナイも連れて行くといい。お茶会の席にはナイを控えさせて貰えば、少しは安心できるだろう?」

 ネイト伯爵の言葉に、傍で控えていたナイとアンがお任せくださいとばかりに頭を下げる。

「お嬢様のことは、私がお守りしてみせます」

 聖女である侯爵令嬢の癇癪に、伯爵家の家令がどこまで対抗できるか判らないが、それでも幼い頃からずっと傍でメルを見守ってきてくれていたナイに対する信頼は篤い。

 勿論、専属侍女であるアンのことも信頼しているメルは、「ふたりが一緒についてきてくれるなら、がんばれる、そんな気がします」と父親の提案を受け入れた。




 お茶会の当日、ネイト伯爵家は朝から浮足立っていた。


「メルお嬢様、公爵令嬢に負けないように、今朝の朝食はガッツリ肉をご用意しました!」

 力こぶを見せながら普段は果物と少しのパンケーキのみを食するメルの前にまるで晩餐のような大きなステーキ肉が山盛り出される。いや、晩餐でもメルはこれほど大量の肉を食べた事など無い。ちなみにステーキ肉以外にも生クリームをたっぷり使った贅沢なマッシュポテト(普段は牛乳を使っているのであっさり軽い口当たりだ)や、焼き立てのパンやメルの大好物であるベリーをたっぷり使ったカスタードタルトなどが用意されていた。

「絶対に、負けちゃ駄目ですよ!」

 結局、その日は朝まで眠れなかったメルには重すぎる朝食ではあったが、料理長の心遣いが嬉しくて、メルは必死でそれらのご馳走を口へ運んだのだった。


「お嬢様、あまり眠れなかったご様子ですね。午後のお茶会までお時間はまだございます。マッサージや髪の手入れをしている間に、もし眠れるようでしたらどうぞそのままお休みになって下さいね」

 食べ過ぎて胃もたれをしそうになっているメルに、苦笑しながら胃薬を持ってきてくれたアンが優しくそう言った。

 本当は食べてすぐ眠るのは美容上良くないことは分かっていたが、午後のお茶会で倒れられても困る。できるだけ体調を整えておくことを優先するべきだろう。

「ありがとう、アン」

 メルは力なく頷いた。本当はちゃんと眠って英気を養っておくべきだと判っていても前夜は眠れなかった自分が不甲斐ない。

「目が覚めた時には、ピカピカの艶々、一段と美少女度が上がったお嬢様をご覧に入れますわ」

 メルを安心させる為にも、アンはひと際明るくそう笑って言った。



「お嬢様、そろそろお着換えのお時間です」

 絶対に眠れない、そう思っていたのにアンの優しい手で満遍なく揉み解されている内に気がつけば寝ていたらしい。ちゃんとベッドの中で声を掛けられて、メルは思わず顔を赤くした。

「いやだわ。完全に寝ていたのね、私」

「よく眠っておいででしたよ」

 くすくすと朗らかにアンから笑って指摘されてメルは恥ずかしそうにベッドからその身を起こした。

 さぁ、戦争だ。戦争の準備をしよう。



「仕事に手がつかなかった」とお昼で仕事から帰ってきてしまったネイト伯爵とシル夫人、そして伯爵家で働くすべての使用人達に見送られて、メルはデール侯爵家の前に着いた。

 着いてしまった。


 箱馬車の扉が無情に開く、しかしなかなか足が踏み出せないでいるメルに、ナイが優しくその手を差し出した。

「メルお嬢様、ネイト伯爵家に仕える全て者が、お嬢様のお味方です。たとえ今は傍にいなくとも皆応援しております」

 差し出された手に、メルは震える自分の手を乗せた。

 重ねた手の温かさに勇気が湧いてくる。

「ありがとう。……行きます」

 ゆっくりと顔を上げたメルは、その戦いの場へと足を踏み出した。



「ようこそ、デール侯爵家へ」

 馬車を降りた先で待っていた人が誰なのか、メルが理解する前に声が掛けられた。


「……リア様。ほ、ほんじ、つは、お、招きい…ただきまし、まして、ありがとう、ご、ざいます」

 不意打ちの出迎えに、せっかく奮い起こした勇気がガラガラと崩れる。

 それでも、エスコートしてくれるナイの手に支えられていたお陰で、その場へと無様に頽れることだけはせずに済んだ。

 遅れて、なんとか淑女の礼を取るも、それはどこかぎこちなく、目の前のリアから指摘されることを覚悟する。


「まぁ。普段より一段とカーテシーの軸がぶれてましてよ。お顔ももっと表情を作らなくては訪問先への礼を欠いてしまうわ」


 確かにそれは招待客への声掛けとしては不適切だ。しかし、普段のリアが投げつける筈の、悪意に満ちた切れ味するどい言葉からすれば、かなり切れ味が鈍い。まるで優秀な姉が出来の悪い妹へする忠告のようである。

 違和感にどう対応すべきか悩んでいる内に、リアが慌てた様子で否定を繰り返した。


「あっ。あの、あのね。今のは悪口ではないのよ! そういうのじゃないの。全然、まったくそういうのではありませんから。違いますの。えぇ、絶対にちがいますのっ」

 何かに怯えるように左右を見回しながら懸命に「悪口ではなかった」と繰り返すリアに、メルはどうすればいいのか判らず頭が真っ白になった。

 隣にいるナイや後ろに控えるアンも、事前の情報とまったく違う様子のリアに、どう対処すべきか悩んでいるようだった。

 その内に、リア嬢がハッとして自身の口元を押さえた。

 

「ああぁぁっ。わ、わたくしとしたことが、お客様を御案内することもせずにとんだ失礼を致しました。ごめんなさい、わたくしこそ礼を欠いた行いをしてしまいました」

 ごめんなさいですわ、としょげるリアを前にメルは言葉を失う。


 ──リア・デール侯爵令嬢が、謝罪を口にした?


 メルをエスコートするナイも、付き添いのアンも、今見て聞いたことは白昼夢か何かだろうかと頭を悩ませる。

 しかし結局、誰も何も言えないまま一向は前を歩くリアの後ろをついていった。



「どうかしら。自慢の庭なのよ」

 案内された応接室の先にある庭へと続く大きな窓が開かれると、咲き乱れる薔薇の華やかな香りが一気にメルへと届く。

 その濃密な香りと視界を埋め尽くすような薔薇の花園に、メルは圧倒された。


「きれい」


 赤白黄紫オレンジに茶色に斑入りに多色グラデ。

 一重と多重、大輪の一輪咲きに、小輪のスプレー咲き。

 ありとあらゆる薔薇が咲き乱れていた。


「そうでしょう? 我が家の庭師が丹精込めてお世話をしてくれているのよ」

「リア様が、誰かをお褒めになった……っ! いやだ、私ったら」

 思わず、類稀なる薔薇の園の美しさよりも、稀有な瞬間に立ち会ってしまったとばかりに言葉に出してしまったメルは焦った。

 つい自ら不興を買うような言葉を口にしてしまった。

 お茶はまだ用意されていないとはいえ、どこかのお茶会でまだ熱いそれを頭から掛けられていたご令嬢の姿が思い浮かんで反射的に目をぎゅっと瞑る。


 しかし。訪れたのは不快な仕打ちでも辛辣な言葉でもなく、温かな手に自らの手が包まれる感触だった。


「わたくし、自然に誰かを褒められたかしら!」


 その言葉の意味が理解できなかったメルが、そっと瞑っていた目を開ければ、そこには美しい少女が頬を染め見上げてくる姿があった。

 いつも険を含んで意地悪そうであった鋭い瞳が、いまは幸せそうに明るく光り輝いている。

 かなりの吊り目ではあるものの、こうして嬉しそうに微笑んでいる今の瞳は宝玉のような美しさだった。


「どうなの? わたくし、いま、庭師を褒めることができたのよね?!」

 さあどうなの、と強く問い詰められたメルは、その勢いに押されて背中が反った状態だった。完全に引いている。

 メルはいま混乱の境地に陥っていた。

 自分が置かれている状況も、なにを聞いたのかも、訊かれているのかもまったく判らない。

 そんなメルの恐慌状態に気が付かないリアだけが、ひとり興奮して言葉を重ねる。


「どうなのか、聞いているんですのよ!」

 思わず声がひと際大きくなった時だった。


 ピッ!!


 ぱふん、とささやかな風を顔に感じたと思ったと同時に、聞きなれない楽器、笛のような音が聞こえた。


「リー。駄目だよ。メル嬢が怖がっているだろう?」


 その声に視線を移すと、そこにいたのは目を眇めた貴公子。いいや、王子様そのものだった。


「……ランツ、王太子殿下」

 慌てて淑女の礼を取る。頭を下げ続けている間に、ランツはリアを叱りだした。


「……だって、リア、自分でも気が付かない内に誉め言葉を言えるようになったみたいだったので、確かめたかったんですもの! …きゃっ」

 ピッ! と再び笛のような音がして、リアが黙った。

「リア。今日、キミがメル嬢を呼びたてた理由をちゃんと理解してる?」

「……ごめんなさい。リアが悪かったです」


 どこか気安いふたりの会話に、思わず許可も得ないままメルは顔を上げてしまった。

 しかし、視線に気が付いたのかランツが顔をこちらに向けたことに気が付いて、慌てて再び頭を下げた。

「あぁ。ごめんね、メル・ネイト伯爵令嬢。楽にしてくれて構わないよ。それと、リアが申し訳なかった。いま、いろいろと反省して人を褒める練習中なんだ」


 反省? 人を褒める練習?


 なにやらメルの知っているリア・デール侯爵令嬢にとってこれほど似合わない単語はないだろうと思う言葉が、王太子殿下の口から出た気がする。


 あまりの展開に硬直したままのメルを、ランツはそつなく席に着かせた。

 そうして勝手に傍に控えていた侍女に合図を送り、お茶会を始めてしまった。

「リアも、いつまでもそこで立っていないで席に着きなさい」

 ランツの言葉に素直に従うリアの姿に、メルは再び目を見開いた。

 でも、言葉はでない。そのまま沈黙を貫いた。


 配られたお茶はメルの好きなニルギリだった。甘い香りが恐慌寸前の心を落ち着かせてくれる。が、前にリアが、季節感無視で最高級のダージリンファーストフラッシュを求める主張をしていたのを見たことがあるメルはこれにも驚いた。


「メル・ネイト伯爵令嬢の一番お好きな紅茶だとお聞きしましたので本日の最初のお茶に選んでみましたの。一緒に入れる果物もいろいろと用意してありますので、自由に楽しんでくださいね」

 言われてテーブルを見れば、そこには色とりどりの果物がカップサイズに合うように美しく飾切りされて盛りつけられていた。

 ちいさなトングが添えられている。

 震える手でそっとオレンジを摘まみ上げてカップへと落とす。

 紅茶で温められ、ふわりと柑橘系の爽やかな香りが立ち昇ると、それまで硬直していた身体からゆるりと力が抜けていくのが判った。

 繊細な造りのちいさなカップを口元へ運ぼうとして、その唇に感じた熱に一瞬動きが止まってしまった。

 猫舌のメルは、果物をたくさん入れることで紅茶の熱を冷ましてから飲むのを好んでいたが、令嬢たちの集まる場ではストレートで飲むか入れてもミルクをほんの少しだけが主流なので、いかにも熱そうな紅茶に口をつけるのには躊躇してしまうことがある。

 その時、リアから「何種類か入れてもいいのでしょう?」と自ら幾つもの種類が違う果物をカップに入れていく姿を見て唖然としてしまった。


「リア。メル嬢に助け舟を出したい気持ちは判るけど、それでは紅茶が溢れてしまうよ?」

 呆れた様子のランツは、それでも今は怒るというより優しく窘めただけだ。

「ランツ殿下!? あ、の…いえ、これはわたくしが試してみたかっただけで、べ、別にたす助け舟とかそういうのじゃありませんのよ!」

 あわあわと慌てて否定したせいでリアの紅茶のカップの中身が溢れ零れる。

「あつっ!」

「わ、馬鹿」

 火傷はないかと訊ねるランツの様子は、保護者というか守護者のようで。

 メルはふたりの様子に目を細めた。

「大丈夫ですわ。ホラ、紅くなってすらおりませんもの」

 ほっそりとした白い指をひらひらと振ってみせるリアは、メルが知っていたリア・デール侯爵令嬢と同一人物とは思えなかった。

 ちらりと、その原因かもしれない人物を見上げていると、不意に視線が合う。そのままふわりと柔らかく笑顔を見せられて、メルは思わず赤面してしまった。

 王太子殿下とこれほど近付いたのは初めてだった。

 聖女として認定された時ですらもっとずっと遠い存在で、メルにとっては婚約者候補として名乗りを上げるつもりにもなれないほどあまりに遠くて高貴なる存在だった。


 見目麗しいだけではない。この方の始めた国内の産業改革は留まることを知らない。


 灌漑設備に関する取り決めや都市部におけるごみ処理に関する事業。貿易に関する条約について等々。

 なにものにも囚われない自由な発想を10代らしいと取るか10代にしてと恐れるか、貴族間における評価は二分されている。

 しかし王太子殿下の指揮の下、この国がかつてない発展を遂げようとしているということに異議を唱える者は少ない。

 この国の未来を背負って立つに相応しい御方だということ。それだけは間違いない。


 そんな王太子殿下の傍に立つ未来の王太子妃、未来の王妃となる女性にリア・デール嬢を戴くことに顔を顰める者の多くが、もう一人の聖女であるメルに期待を寄せているのは判っていた。

 しかし── 自分には無理だとメルは自覚していた。

 メル・ネイトには、リア嬢を押しのける勇気も自信もないのだから。

 かといって、もう一人の聖女は3つも年下の子爵令嬢だ。リア嬢の対抗馬として立つのはメル以上に難しいだろう。

 担ぎ出される覚悟をしなければならないのかと思うと気が滅入る。

 このお茶会も、それに関する牽制だと思っていたのだが。もしかしたら根本的に間違っていたのだろうかと悩む。

 そこに、リア嬢の上ずった声が上がった。


「メル様、メル・ネイト伯爵令嬢。本日こちらにお呼びしたのには理由があるのです」

「は、はい」

 持っていた茶器を音を立てないようにソーサーに戻して姿勢を正す。そうして、視線をリア・デールに向けた。


 …………。


 しかし、呼び掛けただけで、リアはなかなかその続きを口にしようとしない。

 時間だけが無為に過ぎていく。そこへ、ランツが態とらしく溜息を吐いた。

「リア?」

 その呼びかけに、びくりと身体を竦ませたリアが、目をぎゅっと瞑ったと思うと立ち上がり、がばりと大きく腰を折って頭を下げた。


「ごめんなさい。わたくし、わたくしはメル様に意地悪でしたわ。言葉の選び方がどれもこれも壊滅的に意地が悪くて、悪意たっぷりにしか受け取れないような、どうにも悪口にしか取れない言葉を選んでましたこと、お詫びしたいのです」


「……リア様?」


 言葉の選び方が独特なのは変わらないのかと思いつつ、今伝えられた言葉をひとつひとつ頭の中で吟味していくと、どうやら自分は謝罪を受けているらしいと理解し衝撃を受けた。


「え、リア様?! リア様が謝罪を?!!!」

「やっぱり! わたくしの言葉はメル様を傷つけていたのですね!」


 リアのその言葉に眩暈がした。

 もしや、過去の会話はどれもこれもメルを傷つけるつもりで言っていたのではなかったとでもいうのだろうか、と。


「わたくし、単なる事実を述べているだけ、のつもりでした。本当に、あの時はそう思っていたのです。その程度のレベルで自慢するのは恥ずかしいことですよ、と親切から教えて差し上げるべきだと。信じていたのです」

 まさかの親切心からの発言だったのだというリアからの告白に、メルだけでなく後ろに控えていたナイやアンも絶句する。


「でも……、ライツ殿下から、ご指摘を受け、本当の自分の醜さを暴かれたのです」

 しょぼん、と俯いてドレスの裾を掴んでいるリアは、本当に悔いているように見えた。

「……わたくしの発言の数々は、親切心からのものだけではないのだと。相手の嫌がる言葉を選んで投げつける事で相手を追い払い、自分の方が上なのだと、優位に立っているのだと思うための、ものだった、と」

 言葉を絞り出すようにして訥々と告解する。その様子からは、欺瞞も虚栄心も感じられなかった。


「すべての人を押しのけて誰もいなくなった場所で頂点だと威張ったとして何になるのか。そんな女がトップにいる国など、いい国となれる訳がないのです。誰かの未熟さを指摘して身の程を判らせてやろうと追い落とすのではなく、この国のすべて国民すべてに対し、愛をもってその成長を促し育むことができる大地の様な存在でなければ、その場所には立てないのだと、ようやく理解できたのです」

 ぎゅっと目を閉じたそのリアの顔には後悔が滲んでいた。

「皆が笑顔で上を向いて歩いて行ける、その中心にこそ、わたくしが求める場所があったのだと。……そこに立つ資格は今のわたくしにはありませんけれど」

 寂しそうに笑うリアに、メルは思わず「そんなこと…」と否定した。

「いいのです。ちゃんと分かっているのです。わたくしは間違いを犯しました。それを理解し、誠実に謝罪しなければいけないのです」

 ふるふると首を横に振り、リアが否定する。


「本当は、わたくしは、あなたの瞳を…溝鼠色だなんて思わなかった。本当は、綺麗、だと思ったの。スモーキークオーツのような神秘的な輝きを持つその瞳の美しさ。それを、わたくしは羨んでしまった。だけど、認めたくなかった。だから…だからこそ、わたくしの瞳の方が綺麗だって、強がってしまったの。本当に、ごめんなさい」

 苦しそうに紡がれた言葉は、メルにも理解できる女の子なら誰でも持つような普通の感情だ。

 実際のところ、メルには『では相手を攻撃しよう』などという考え方には結び付かないのだが。


 いま目の前にいるのはこのアルワース王国でもっとも爵位が高く幼いながらもその美しさで知られるリア・デール侯爵令嬢だ。

 しかし彼女について公の場以外で語られるのはその身の誉れについてではない。

 彼女の口の悪さ。黒い性格や激しい悋気、苛烈な癇癪癖についてばかりである。

 陰口を好まぬネイト伯爵家内であってすら彼女について語る際には、それ等が頭にあるのは隠しようもない事実である。


 その彼女が、いまこれまでの自らの行いを悔い、真摯に謝罪を告げたのだ。


 その顔は常のような明るい血色を失い、まるで磁器のようだった。

 艶やかで滑らかな肌でありながら白すぎるその肌色は生気を感じさせない。

 関節が白くなるほど強く握りしめた指先は細かく不安に震えている。その苦い胸の内が垣間見えるようだ、とメルはぼんやりと思った。

 そうして、そんな色を失くすほどの緊張と後悔をしながらも、自分の罪に真摯に向き合おうとするリア・デールという少女の想いに、メルは心を打たれた。

 これまでリア・デールに対して抱いてきた愁いが晴れていくようだった。


「ゆるします。リア・デール侯爵令嬢の、私に対するこれまでの発言についての謝罪を受け入れます」


 だからメルは素直にそれを口にした。

 反省と謝罪。その気持ちに嘘がないのならば、メルにはそれを受け入れることに異論はなかった。


「やったわ! ねぇ、ランツお兄様! メル様がわたくしの謝罪を受け入れて下さったわ!!」

 目の前ではしゃぐ少女に苦笑した。

 反省から一転、なんともにぎやかだ。

 そこへ。

 

 ピッ!


 ばふん、と三度ちいさな風が起こったと思うと、リアの頭に赤い色をした何かが乗っていた。いや、何かで叩かれたままなのだろうか。


「お兄様、酷いですぅ」

 恨めし気にリアが見上げる視線の先にはランツ王太子の胡乱げな顔があった。


 ピッ!「きゃん」 ピッ!「きゃん」 ピッ!「きゃん!」


 どうやらランツが手にしている赤いハンマーのようなものでリアを叩くと、ばふんと小さな風が起こると同時に笛のような「ピッ!」という音がするらしい。


「殿下、それは?」

 恐る恐るといった態でメルが訊ねると、ランツは良い笑顔で教えてくれた。


「これは教育的指導ハンマー。ハンマーといっても蛇腹の中には空気が入っていて叩かれても痛くはない。この、打撃面とは反対側から空気が抜けていく際に取り付けてある笛状のここから音がするようになっているんだよ」


 笛の横には、なにやら複雑な形状のギミックが仕掛けられていて、こちらからは空気は入るだけになっており、出ていけるのは笛状の部分からだけなのできちんと音が出る、ということらしい。


「ほら。こうして教育的に問題がある生徒の頭をこれで叩くと、痛くはないが合図として音が鳴るようになっているんだ」

 判り易いだろう? と言われて、メルは感心してしまった。

「おもしろいですね!」

 興味津々で見ていると、ランツはその瞳に楽し気な光をのせて、メルに手を差し出した。


「メル・ネイト嬢、少しでいいから頭を下げてくれるかな?」


 言われるままに首を差し出せば、そこに何かが掛けられた。

 ペンダントというには無粋な革紐の先には、ちいさな陶器製のものが付いている。


「これは?」

 手に取ってまじまじと見てもそれがどういうものなのか、メルにはさっぱり分からなかった。

 ただ、振るとコロコロと微かに軽い音がする。何かが入っているようだ。


「これは教育的指導笛。ここを咥えて息を吹き込むと」


 ピイィイィィ!


 さきほどの教育的指導ハンマーの笛の音と似ている、けれどもっとずっと大きな音がした。


「ハンマーと違って衝撃が与えられない分、音ではっきり分かるようにしてみたんだ」

「分かるようにしてみた、ということは、これらはランツ殿下の発明ですか?」

 メルの問いに、ランツははっきりとは頷かなかった。ただ微笑んだのみだ。


「とにかく、メル嬢にはこれからこの笛を常に持ち歩いて欲しい。そうして、リアの態度が悪いと思ったら、即これを吹くように」

 やってみて、と言われて恐る恐る戴いたばかりの笛に口を付ける。

 唇に当てるようにして息を吹き込んでもなかなか音が出ずに苦戦していると、「口でちゃんと咥えるようにしないと空気が漏れてしまって音が出ないんだ」と指導され意を決して勢いよく吹けば、それは「ピイィィィ!」と綺麗な音を奏でた。

 そうして、それと同時に。


「ひぃぃ」とリアが背筋を伸ばして直立不動の態勢を取った。


「…とまぁ、リアにはこの音を聞くと自身の言動について顧みるように躾けてある。だから、もし会話中に気になったことがあったら、ちゃんとこれを吹いて自覚させてあげて欲しい」

 

 なにか恐ろしい役目を負わされた気がする。


「ううう。ランツお兄様、酷いです。わたくしが、今どんな非道を行ったというのですか」


「謝罪を述べるのはいい。自分が罪を犯すことになった理由を告げたのも正しい。しかし、謝罪を受け入れられたからといって、すぐにはしゃぐのは駄目だ。お前の反省が表面的なものでしかないと受け止められる」


 まぁ、お前は思いのほか単純なのでただ嬉しくなってしまっただけだろうがな、と指摘されてリアが顔を真っ赤にして怒った。


「た、単純馬鹿とはどういう意味ですか!」

「単純だとは言ったが馬鹿とは言っていないな。それはリアが自分でそう自分の事を思っているというだけだ」

 やれやれというように両手を天にむけて顔を横に振ってみせるランツは少し楽しそうだった。

 言われたリアは、赤かった顔を更に赤く染めてぷんぷんと怒っていた。

「失礼ですわ! わたくしは未来の王太子殿下の婚約者になる為、幼い頃から厳しい教育を受けて」

「でも、人の心さえ判らない酷い言葉を選んで会話してた」

「んぐっ。そ、れは……」

 先ほどの勢いを急激に失ったリアが俯く。


「メル嬢、キミもだ。謝罪されたからといって簡単に受け入れなくてもいいんだ。キミが納得できてからでいい。リアの反省の態度に納得できなければ一生恨んでいたっていいんだぞ。それだけのことをリアはしてきた」


 メル以外にも、リアの毒舌の餌食となり外出がままならなくなった令嬢や子息は沢山いるのだ。

 彼女や彼等には、リア・デールを一生許さないという選択肢だってあっていいのだ。

 その時、メルが簡単に許したとあっては比較対象とされる彼らに良くない影響がでるだろう。


「だから、今すぐには許さないでやって欲しい。ただその気があるなら、リアの矯正に協力をして欲しい」

 その為の笛で、デール侯爵家では使用人達までに配ってありすでに使わせているのだと笑うランツに、メルの胸が高鳴った。


「だ、だめぇぇ! ランツお兄様はわたくしのものなのです! メル様は好きになっちゃダメ!!」


  ピッ!「きゃん」 ピッ!「きゃん」ピッ!「きゃん!」ピッ!「きゃん」 ピッ!「きゃん」 ピッ!「きゃん!!」


 繰り返されるハンマー音と、叩かれ抗議の声をあげる令嬢という、なんとも不可解なアンサンブルが響く。


「痛いですわ! さすがにその赤いハンマーでもそう何度も叩かれては痛いですっ。それに御髪がぐちゃぐちゃになってしまったではありませんか」

 せっかくメル様にお会いするために綺麗にして貰いましたのに、と泣きべそをかいたリアの頭を、ランツが笑いながらぐりぐりと撫でた。


「あはは。それはすまなかった。私の婚約者には正しい心根の持ち主しか据えないとあれだけ言っておいたにも拘わらず馬鹿なことをいうものだから、空っぽなのだと思ってしまったよ。痛みを感じる脳が入っていたのだな」

 両手で自分の頭を抑えるリアとそれを物ともせずに上からぐりぐりと撫でまわす二人のやり取りに、メルが吹き出す。


「王太子殿下とリア様の仲がよろしいとは存じませんでした」


 くすくすと笑いながら告げられたメルの言葉に、リアは頬を染めて嬉しそうに「そうなの! わたくし達は仲がとてもいいのよ」と嬉しそうに笑い、ランツは嫌そうな顔で「先ほどの私の言葉を、メル嬢も理解できなかったというのかな」と怖い笑顔を浮かべている。


 しかし、その様子すらメルには微笑ましかった。


「そうでしたわ。ランツ殿下の婚約者として相応しい令嬢になれるよう、リア様共々精進していかねばなりませんね」


 メルがそういうと、リアだけでなくランツもどこか慌てた様子になるから、いっそメルは楽しい気分になったのだった。





 その後、王都ではそこかしこで「ピイィィィ!」という笛の音が響き、それに続いて「ごめんなさい。気を付けます! 反省してますわ」という少女の憔悴した声が響きわたり続けたという。









「誰も傷つかない優しい世界」にどうして遠いんだろうと考えて

リアに傷つけられた彼女たちへの救済がないからだと気が付きました。

ちょっとホッとしました。


お付き合いありがとうございましたv

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― 新着の感想 ―
[良い点] なんかほのぼのしていていい感じ。 犬の躾みたいですね。
2020/12/16 20:53 退会済み
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