1、悪役令嬢リア・デール
いつも読みに来て下さってありがとうございまするv
また短篇にできなかったよ…
王太子殿下の婚約者になる為に生まれてきた。
そう言われ続け、そうあるべく育てられてきたわたくしにとって、その王太子殿下の御言葉は青天の霹靂そのものだった。
「勘違いさせても申し訳ないと思うので初めからお伝えしておきます。アルワース王国王太子としての私は、リア・デール嬢を私の婚約者として相応しくないと考えています。婚約者候補としてですら受け入れることを私は良しと致しません」
同い年。まだ10歳とは思えない言葉遣いできっぱりと、わたくしに向けて言い切ったランツ・アルワース殿下に、思わず怒りが抑えられず手にしていた紅茶をぶちまけた。
ばしゃり。
王太子殿下の胸元に紅茶の紅い染みが広がる。
頭から掛けなかっただけでもマシなのだろうか。いいや、不敬具合としてそんなことは誤差の範囲でしかないだろう。
王宮の王族専用サロンで行われる、王太子殿下と二人きりのお茶会。
それは婚約者として正式な打診をする前段階において重要なもの。
この後に他の令嬢とも同じような時間をとることになるとしても、一番最初の顔合わせ相手として選ばれた誉れある時間だった筈なのに。
簡単に防げたであろうそれを避ける素振りすらせず紅茶を被ってみせた王太子殿下に、してやられたのだと悟った。
しかし、今のわたくしにできることといえば謝罪をしてみせることしかない。悔しい。
「あの、わたくし……、申し訳ございません。大変な失礼を」
動揺を押し隠して謝罪を口にするわたくしに一瞥も与えないまま、近寄って退出を求める侍女を手で制した殿下が軽く手を振れば、その身頃を染めていた紅茶の雫が一滴残らず中空へと集まり、私の手にあったカップのすぐ傍まで浮いてくる。
そうして、手の中のカップまでが勝手に浮いてテーブルに置かれたままだったソーサーの上に収まったと思うと、そこへ紅茶の雫が戻された。
その美しく繊細な魔力の扱いに、傍に控えていた侍女や侍従たちから静かな感嘆が寄せられる。
火をつけたり物を手元に引き寄せるなどの単純な魔力の行使とはまったく別次元の繊細な魔力操作。それを事もなく行ってしまう殿下に、見惚れるよりも先に悔しく思う。
魔力量が多いとされる王族の中でもライツ王太子殿下の魔力量は過去例を見ない程多いと言われている。王族ならではの魔法の扱いに関する秘伝もあるに違いない。ずるい。
気がつけば、静かな表情で座ったままの殿下と、真っ青な顔をして不作法に立ち上がったわたくしがそこにいるだけだ。
カップに戻された紅茶からは湯気と香気が立ち昇っている。
粗相をされたのがわたくしならば、「最後の一滴まで飲みなさい」と相手の頭から掛けてやるくらいしただろう。しかし、わたくしの目の前に座っている殿下は、冷たい笑みを浮かべて黙ったままだ。
さきほど咄嗟に出た謝罪を口にしている最中ですら屈辱的であったのに、重ねて許しを請うなどできそうにない。侯爵令嬢としてのプライドが邪魔をする。
「………」
それにしても、侯爵家で意に染まぬ行いをした侍女や侍従に対してしてきた行いをココで揮ってしまった自身の堪え性のなさに眩暈がした。
きっとこれは何かの試験だったのだ。未来の王太子妃、つまりは未来の王妃たる器を量られていたのだろう。
悔しい。
こんな簡単な煽りに引っ掛かって試験に落ちたと知られたらお母様にどれだけ叱られ御父様にどれだけ失望されるだろう。
ぎりぎりと歯を食いしばる。今更殿下に向けて泣いた振りをしたところで誤魔化せるとも思わない。ここで大人がくればなんとかなったかもしれないけれどそれもなさそうだ。
今すぐここから逃げ出して有耶無耶にすることも頭の中でちらりと思いつくものの得策ではないと判断する。
殿下ご自身が席を立とうともしないのだ。わたくしが席を外した途端、侍女や侍従たちを抱き込んだ王太子殿下の報告が先に国王陛下や王妃陛下へと上げられてしまってからでは手の打ちようもなくなるからだ。
「ふふ。別にこれは試験などではないですよ。私の個人的見解でしかないので安心してくださいね」
侍女の手により新しくサーブされた紅茶を口元へと運びながら殿下が薄く笑う。
馬鹿にされたのだと、頬に更なる朱が奔る。
それでも。先ほどのように直情的な真似をしないよう目を閉じて暴力的衝動をなんとか堪えた。
「いつもの様に、誰かれ構わず罵倒しないのですか? さすがに正式な場で王族に対してそれは拙いということ位は分かるようですね」
少し見直しました、と口元だけの笑顔で告げられた言葉の裏側を懸命に考えた。
「裏も何もないです。そのまま受け取ってください。私はあなたを婚約者にはしない。候補としてですら拒否させて貰います、というだけの話です」
さらりと言われて、おもわず顔を上げた。
「あの…、それはどうして、でしょうか。わたくしはデール侯爵家の娘です。教育についても物心ついてからずっと王太子殿下の横に立つに相応しい令嬢たれと言われて努力をして参りましたし、なにより回復魔法の使い手として聖女たり得る資格も有しております!」
そう。このアルワース王国の王妃は神殿より聖女の認定を受けた者である必要がある。
聖女の認定を受けるのはひとりではないし、神殿にて洗礼を受け回復魔法の使い手として認定されればそれでいいのだ。
わたしは5歳の時に、庭先でお茶をしていた母が蜂に鼻の頭を刺され真っ赤に腫れあがり呼吸困難に陥っているのを見て回復魔法に目覚めた。毒を中和することができたのだ。
その実績が認められて神殿で聖女として認められた。
つまり、回復魔法といっても怪我や病気を治すことが出来る訳ではない。ちょっと地味だと自分でも思う。
とはいっても、今のこの国における回復魔法とは、ほとんどが切り傷を塞ぐことが出来るとか腫れや青あざを治すことが出来るという程度のものでしかない。
遠い国には骨折を治したり部位欠損を元通りにできるという正に奇跡のごとき回復魔法を使える聖女もいるそうだが我が国にはもう何十年もそれほどの使い手は出てきていないのだ。
そもそも回復魔法に目覚める少女はこの魔法大国であるアルワース王国においてもほんの一握りでしかないし、それが貴族位にある令嬢となると更に人数は限られる。
現在、王太子殿下の婚約者として相応しい同年代の令嬢となると私を含めて3名ほどしかいない。
その中でもっとも爵位が高く美しいのが、このわたくしリア・デール侯爵令嬢である。その自信がわたくしにはあった。
艶やかな黒い髪も、翡翠のような深い瞳の色も。誰もが一瞬でわたくしに心酔した陶然とした表情になり、その奇跡のような造形美を褒めたたえる。
そんなわたくしが、誰かを褒めるのは難しい。わたくしより美しい存在など、正直この国では王族の方々しかいない気がする。
神々の血を引くと言われているこの国の王の一族。その直系の証である金髪金眼と完璧な彫像のような美しい貌は、まさに神そのもののごとき美しさを誇る。
いま目の前に座って薄く笑ったような表情を崩そうともしないでいるランツ殿下も、その幼さとは裏腹の完璧なる美しさを体現している。
だからこそわたくしは王族の一員になるべく望まれたのだと信じていた。
この美しいわたくしだからこそ、王太子妃として望まれるのだと。
それなのに。
「しかし、私の横に立つに相応しい令嬢ではない。王太子の婚約者として不適格だと私が判断しました」
私の訴えに被せるように告げられた言葉に、つい直情的に言い返した。
「わたくしの、どこが、どう不適格だというのですか」
ヒステリックに喚きたくなるのを抑えるのがいっぱいいっぱいのわたくしを前にして、王太子殿下は優雅な所作でもうひと口紅茶を口に含むと、ゆっくりとした動作で薄くて繊細な茶器を音もなくそっとテーブルに戻した。
「とりあえず、“人を傷つける為の言葉をいつも探しているところ”、かな」
他にもあるけどね、と澄ました様子で告げられて言葉に詰まった。
「っ。……そんなことは」
「では聞くけれど、今日誰かを褒めた?」
じっと見つめられて、背筋にじわりと冷たいものを感じた。
褒める? わたくし以外の、誰の事を?
「………そうですわ! お母様の新しいドレスを」
「それは物であって人ではないよね。それに女性が新しいドレスを褒め合うのは会話を始めるお約束のようなものでしょう?」
本心からの誉め言葉ですらないよね、と断じられて思わず視線を逸らした。
「では、昨日は? ……一週間の間では? ひと月なら?」
期間を伸ばされても、いくら考えてみても、駄目だった。
殿下のいわれた通りだった。わたくしの中に、誰かを褒める言葉など全く記憶になかった。
今朝、髪を結う際にわたくしの髪を引っ掛けて抜いた侍女を1人と御父様から戴いたばかりのイヤリングを耳に付け損ねて落としそうになった1人を扇で打擲して「アナタ方はクビよ」と言い渡したことや、朝、起こしに来た侍女が持ってきた紅茶が熱すぎたので「こんなに熱い紅茶を朝から飲めると思うの?!」と侍女の顔に掛けた際に跳ね返ってきた紅茶の雫が熱いとその侍女を下女に堕とすことに決めたことしか思い浮かばない。
モーニングティーといえば、昨日は紅茶のミルクが多すぎて朝から胃もたれを起こさせるつもりかと怒って、一昨日はミルクが少なくて紅茶が薄く感じたので貧乏人の紅茶を出された気がして憤慨して、紅茶を淹れた侍女の頭から掛けたような気もがする。
先週きたヴァイオリンの女講師から試技を「全然ダメですね」とため息を吐かれ、音が悪いのは子供用の玩具の様なヴァイオリンのせいなのに、と講師が持ち込んできたヴァイオリンを使ってみた。けれど重くて大きくてやっぱり上手く弾けなかったのでイライラして床に叩きつけたらギャーギャー騒ぐので侍従に指示を出してその女講師は外に叩き出した。あれは本当に不愉快だった。最初からわたくしに難癖をつけて高い楽器を売りつけるつもりで侯爵家に入り込んできたに違いない。子供相手だと思ってあんな不出来な楽器を高く売りつけようとするとは。本当に許せない。だから近隣の貴族家に詐欺を働こうとした偽講師だと触れ回るよう指示を出しておいたのだった。あぁ、これは別にあの講師を傷つける為に探した言葉ではなかった。
いいえ、探さなくてはいけないのは私が誰かを褒めた言葉だ。
なんということだろう。わたくしの生活は不快なものに囲まれ過ぎていて褒める言葉など出なくて当然だったのだ。
回想に耽っていると、どんどん不快な記憶が溢れてきて本当にムカついてきた。
その事に気が付いて、わたくしは憮然とした。
「他人への誉め言葉は、思い出せなかったようだね?」
得意げにすら聞こえるその言葉に、どうしても視線が強くなる。
褒める言葉を思い出せないのはわたくしのせいではないのに。だって、わたくしの周りにいる人間はすべてがその価値がない者ばかりなのだから。仕方がないのに。
ぎりぎりと歯を食いしばって殿下を睨みつけないよう視線を外すこと位しかできない。それが悔しくてたまらない。
「『そんなみすぼらしいリボンの何が嬉しいのかしら』『乗馬って。たかがポニーでしょう』『練習曲が弾けるようになったと言われても、ねぇ?』これがひと月前の王妃開催のお茶会の席でのリア嬢の主な発言だね。それと、他のお茶会でもキミの口の悪さは大活躍のようだね。ご令嬢の髪の色や瞳の色について、赤毛と赤茶の瞳は『古びて欠けた煉瓦色』や『ボロボロに朽ちた赤錆のよう』で、やわらかな金髪は『しろっちゃけて貧乏臭い』、青み掛かった灰色の瞳は『溝鼠みたい』だそうだね。ちなみにどのご令嬢たちの髪の色も瞳の色も私は美しいと思ったよ」
そんなこと、言っただろうか。言った気がするけれど、それらは別に悪口ではない。単なる事実で、そんな程度の低いことで浮かれていては恥を掻くということを教えて差し上げただけだ。親切心からのものでしかない。
「事実を述べただけで悪口のつもりはありません。その程度の事でいい気になっては恥になると指摘して差し上げただけですわ」
「なるほどね。そのリア嬢の親切心からの指摘によって、心を傷つけられて部屋を出れなくなった令嬢や子息だらけで、いま王都は閑散としていると聞いている。自分の口にしている言葉は、誰かを傷つけるものだということすら自覚していないとは思わなかったな」
惰弱な神経なことだ。そんなことで貴族としてやっていける訳がない。
それが早めに判ってなによりではないのかしら。
「リア嬢、あなたはその言葉によって相手を押しのけ、自分の立場の方が上だと教えてやろうとしていたのではないのか? そんな気持ちがどこかになかったか? それすら無しにこんな言葉を選んでいるとすれば、あなたの心根は悪意の塊といえるものなのだろうね」
「失礼ですわ! 殿下といえども、言っていい事と悪い事がありましてよ?」
「そう? 私は親切心から、リア嬢の心根の醜さを指摘してあげただけなんだけどな」
にこにこと笑って言われた。
さきほど自分が言った言葉の意趣返しだと判るだけに、どう言い返せばいいのか判らない。
「どう? リア・デール侯爵令嬢、あなたには私の婚約者は無理だっていう理由が判った?」
断じられた言葉に、怖気づく心を奮い立たせ顔を上げた。
わたくしは、リア・デール侯爵令嬢。
王太子殿下の婚約者になる為に生まれてきた者だ。
「ちがいます。わたくしを取り巻く環境が、周囲を取り囲む人間どもの質が悪すぎて褒めるに値しないだけなのです」
そうだ。わたくしが、人を傷つける為に言葉を探しているのではない。
わたくしが褒めたくなるような存在が近くにいない、その事が問題なのだ。
けれど、わたくしの心からの訴えに、殿下は更にため息を吐いただけだった。
「第一王子である私の婚約者は、この国の未来の国母となる可能性が高い。国母とは次代の王となる王太子を産むだけじゃ駄目なんだ。誰かの未熟さを指摘して身の程を判らせてやろうと追い落とすのではなく、この国のすべて国民すべてに対し、愛をもってその成長を促し育むことができる大地の様な存在。それこそが国母だと思っている」
冷たい瞳を揺らすことなくわたくしの至らなさを断じる王太子殿下の言葉が頭の中でぐわんぐわんと反響する。
追い落とすのではなく、愛をもって成長を促し、育む?
そんなこと、自分はして貰っただろうか。
現王妃陛下だってできていないのではなくて?
それなのに、わたくしにそれを望むというの?
「だからリア嬢。あなたの様にすべてを敵と断じることしかできない女性を、未来の国母として私の横に迎える気はない」
それが最後通牒だったのかランツ殿下はその言葉を最後に、ふたりだけのお茶会の席を立った。