空間の支配者
ふぅ…緊張が一周まわってうまく解れてくれた。気持ちに少し余裕ができて、いつもと同じように前髪が邪魔で視野が狭いことに気づく。
俺は普段は自分に自信が無くて前髪を下ろしているけどここぞっていう時はいつも前髪をピンで留めている。そのためいつもポケットにはヘアピンが入っている。
よし…髪を留めて気合いを入れ直そう。俺は今、化け物の前にいるのだから。
そう俺が気合いを入れて巨大カマキリの攻撃を想像し身構えていると、巨大カマキリは不思議なことに何もしてこなかった。
もしかするといきなり戻ってきて助けに入った俺を怪訝に思っているのかもしれない。ならば今がチャンス。
「おいお前ら立てるか?」
「ッ後ろ!危ない!」
神咲の取り乱したような声で俺は間抜けにも敵を前にしてこいつらの方に振り向いてしまったことに気づく。
くそっミスったッ!
慌てて巨大カマキリの方に顔を戻した瞬間、俺の腕が切り裂かれた。
「痛ッッッッッッ!!」
致命傷にはならないが決して無視できない傷を負わされてしまった。
しかしここで俺は違和感に気づく。この化け物なら俺の腕を切り落とせたはずなのに、、、
もしかして様子見のつもりで攻撃してきた…?なんて考えるのも束の間。
「〜〜〜〜〜〜ッッッッッ」
声にならない叫びが出かかったがどうにか喉で留める。いったい何が起こったのか全く分からない。俺が考え事をしていたホンの一瞬で全身を切り裂かれたとでも言うのかよ!?
「グギャギャギャ!!」
俺が何も反撃してこない、というより反応できてないことに気がついた巨大カマキリはまるでこちらをバカにしてくるような声をあげながら鎌を振り上げ
シュッ
「いってぇぇぇぇ!!」
俺に致命傷を与えずに攻撃して遊んでいるようだ。…さっきまでこの巨大カマキリの警戒心を上手く使って逃げ出せないかと考えていたというのに…。
唯一と言ってもいい希望の光が潰えてしまった。くそっどうすればいいんだよっ…!
痛てぇ…くそ痛てぇ…。もう無理だろ…。こんな化け物から逃げ切るなんて…。
俺がこんな無駄な弱音を吐いている間も巨大カマキリはじわじわと俺を甚振って遊んでいる。
どのくらいたったのだろうか。人間の体は思ったよりもじょうぶらしく、切り裂かれまくりながらもなんとか意識を保っていた。
しかし、俺の心は体が切り裂かれていくたびに同じように傷ついていった。最初は強い心を持って助けに来たはずなのに今では色々な感情がごちゃまぜになっている。
なんで助けになんて来たんだろう…。俺なんかが来ても無駄だったのに。
これではただの犬死ではないか…。
なんでお前ら腰抜かしてんだよ…。今のうちに逃げろよ…。
これじゃ本当に俺が来たのが無駄になるだろ…。
痛い…痛い…痛い…痛い…痛い…痛い…痛い…
…もうすぐ死ぬなこれ……
無様な人生だったな…家にいれば妹からは罵詈雑言の嵐。学校にいれば陰キャだアニオタだとクラスのやつらから笑われ、いじめられ…挙句の果てにはその俺をいじめてたやつの内の2人を助けるために死にかけていて、しかもその2人は腰を抜かして動けず俺は犬死に。
なんでこんなに辛い思いをしなくちゃいけないんだよ…。
くそっ!!力が欲しい…力が欲しい!!
この状況を覆せるような力を、全てを助けられるような力を、他を圧倒するような力を…!
俺は力を求めた。いくら夢物語だと分かっていても諦めきれなかった…。
「力が…欲しい…」
無意識にそう呟いた。
ドクンッ!
その瞬間心臓を殴られたような感覚に襲われた。
「ぅぁぁぁぁあ!!!」
痛すぎて意識がトんで痛みで意識が戻った。それを数回繰り返す。
なんだコレ…切り裂かれた痛みじゃねぇ…胸の内側が痛てぇ…。もう駄目だわ…。
意識が朦朧とする。もうどうにもならないことを悟り、今度こそ諦めて瞼を落と……せなかった。なぜなら驚愕で目が見開かれていたからだ。
「このタイミングで職業が手に入るとは…」
そう、俺は自分が職業を取得したことを感じた。そしてその職業はーー
「時空間魔法師?」
聞いた事ない職業だ。でも使い方が分かる!これがあればこの状況をひっくり返せる!
俺は焦る気持ちを落ち着かせるように息を吐き、また大きく息を吸い込み、力強く解き放った。
技の名はーー
「次元消滅」
俺がそう呟くと巨大カマキリの頭部がキレイに削り取れた。まるでそこだけ最初から無かったかのように。
バタッ
断末魔を上げることすら許さない即死だった。
俺の職業『時空間魔法師』は自分の領域内を自在に把握したり、領域内のものを消滅させたり移動させたりできるようだ。
つまるところ俺は空間の支配者になったということだ。
正直とても嬉しいが喜んでいる場合ではない。まだここはダンジョンの中で俺はもう限界だ。
あぁ、もう手足に力が…やばい倒れる。
「っ大丈夫!?時任くん!」
すんでのとこで神咲に支えられた。なんだよもう動けるじゃねぇか…。
「ありがとう…そしてごめんなさい…ぐすっ」
「うちらあんたに酷いことしてたのに…ひっくっ」
ちっ…調子狂うな…。
「とりあえずそれは後だ。まずはこのダンジョンを出よう。」
「「うんっ」」
◇◆◇
あの後、俺たちはひやっとする場面こそあったが、運良く敵に見つからずににダンジョンを抜けきることに成功した。
「ふぅ…疲れたな。」
なんて言いつつ、俺はようやく取得した職業でいろいろ実験したくてウズウズしていた。そんな時ーー
「「今までごめんなさい!!」」
胡桃沢と神咲から謝られた。正直言ってもう許している。ダンジョンの外に出るまでに散々謝られたし、いろいろ事情も知った。
胡桃沢はただ流されやすくて周りと同じように俺をいじめていたわけだが話せば根は悪いやつじゃないことを知った。神咲に至っては佐久間からお前の妹が時任に純情を弄ばれているなんてことを聞いて俺を敵視していたようだ。
「いや、もういいんだ。それより早く家に帰りたい。」
そう言って、俺はあいつらの方を振り向くことなく歩き出した。
なるべく取り繕ったつもりだがもう爆発しそうだ。
やっと手にした力!これで少しは自信がついた!今日から変わろう、まずはこの前髪からだな!この力を使って俺も物語の主人公みたいな英雄に…そして俺は……ハーレム王になるんだぁぁぁぁ!!!
そう、俺はとても興奮していた。この力があれば夢物語が夢ではないからだ!
今にも走り出しそうになって気づいた。自分が満身創痍だということに。
頭が気づいたら次は体が気づき始めた。さっきまではアドレナリンで誤魔化されていた痛みがどんどん溢れだしてくる。
あれ…これ、やばくね?
そこで、俺の意識は途切れてしまったーー