何にも負けず
小学生の時、先生は宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を絶賛していた。当時の私は訳がわからなかった。なので、大人になった自分的にどうなりたいかを書きたいだけ書いてみました。
いや~自分はあんなくっそつまらん人間にはなりたくないな~と思ったものですが、意外と言ってることは似るので、他の人の作品も見たいです。キーワードは「雨ニモマケズ」で!!
負けないとは何か。屈しないということ。諦めないということ。相手が生命体でなければ、耐えることができるということ。勝つことではない。
宮沢賢治は「雨ニモマケズ」を病床の内に書き遺したが、彼が勝つでは無く負けないことを詩にしたのは気まぐれではないように思う。きっと勝つことは誰かを負かすことと同義であると直感していたからだ。
だから私も詠おう。負けないでいたいと。
月一に来る絶望気分の波に負けず、杞憂と不満は一過性だと笑う
手足の冷えに負けず、温まるまで動く
食欲の波に飲まれず、必要な分だけを食べる
情報収集という名の現実逃避願望に負けず、そっと充電する
放置してもいい家事という概念に負けず、なさねばならぬと自覚する
論文を書くのは後回しでもいいと妥協の心に負けず、毎日少しでも手を付ける。
自己中心的な欲望に負けず、ひと呼吸おいてから他人のために尽くせるようにする
少しの間違いを訂正する手間に、面倒とだと負けず、5秒で出来ると手を付ける。
嫌いな人はいるに決まっているとあきらめの心に負けず、理解の道を模索する。
過去を悔やみ、未来を憂うという逃避を辞め、体が面倒だと告げても少しだけ頑張り、365日上機嫌でいて、育てることを好み、癒すことを生きがいとし、不用意な噂に流されず、真実と虚構を見極め、迂闊なことを喋らず、真摯であり、正しくあり、正しさを押し付けようとせず、ダメな人間を許し理解し、欲に飲まれず、気分に飲まれず、背筋を伸ばして生きていく。
いかに無理難題と思えても、道を冷静に分析する。そして自分を知る。目標と自分との距離を正確に認識し、自分をダメだというのではなく、下を見てはここまで頑張ったんだと過度に甘やかさず、日進月歩で進んでいく。そして誰かを守れるように備える。
世のカーストは能力でできている。飛び出た能力は評価される。評価されないということは、必要とされる能力が足りない、ということだが、これを正当化してはならない。評価される能力は、他人に対する優しさという尺度は多くの場合優先順位は低い。よって多くのカーストは、弱者を正当な力で押しつぶせる正当な論理的構造を持つ。だからカーストの中から弱者を守りたい。そして救い上げるための手段を持ちたい。逃げることは大切だが、悪い環境から逃げるよりも、環境自体を変えていきたい。
辛くとも、何度負けようと屈せず、理想を笑わず追い続け、自分のために生き、他人のために生き、分不相応と諦めず、正直かつ素直で、
そういう人間に私はなりたい。