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その日の早朝、私は旧校舎の前に倒れているところを登校してきた教師に発見されたらしい。気が付くと既に病院のベッドで寝ていて、そばにいた母親に泣かれ、父親に酷く怒られた。私の身体は疲労以外にこれといって問題はなく、栄養剤を点滴され一応一晩検査入院した後は、家に帰って一日安静にして、けれど次の日からすぐ学校へ行った。
登校すると学校中の生徒達がざわついていた。私達が旧校舎に忍び込んだ話が広まったのだ。揚羽達の姿はやはりなかった。私は今日1日は授業を受けなくて良いからと、すぐに校長室に来るように言われた。
校長室で、私は教師達に説教されるのだと思った。正直、停学処分も覚悟した。入って、豪華なソファに座るように促され、まず聞いたのは揚羽達のこと…。皆、命に別状はなかったけれど、全身に酷い怪我を負い、後遺症の心配もあるので回復を待ってそれぞれ見合ったところに転校するということだった。驚いたのは先に一人で逃げたとばかり思っていた遠藤のことで、何故か旧校舎の3階の窓から転落したらしく、私と同じく倒れていたところを発見されたが、打ち所が悪かったせいでかなりの重傷だと聞かされた。
そして案の定、御手洗君は端から一緒に行っていない事になっていた。
私だけが無傷で旧校舎の外で見付かり、すぐに話を聞ける状態だったので、私が揚羽達と一緒に中に入ったのかどうかの確認と、入ったならば彼女らの身に起こったことを何か見ているか、教師達は当然それを知りたがった。
私は「覚えていない」と答えた。揚羽に誘われ渋々旧校舎に行ったけれど中に入る段階でやっぱりイヤだと、外で待つと言った。けれど、待っても待っても揚羽達は帰ってこなくて、そこから倒れるまでに何があったのか、まったく覚えていないと涙を浮かべて訴えた。
…見たことを正直に話しても良かったのだけど、どうせ信じて貰えないか、頭がどうかしてしまったと思われるのがオチだろう。
私は頑張って涙を流した甲斐もあって、友達が大変な目に遭って悲しんでいる可哀想な被害者として早々に解放された。目元を腫らして教室に戻ると、それを見たクラスメイト達も皆同情的に接してくれ、優しい言葉を掛けにわざわざ私の近くまで来てくれる人達さえいた。
…その中には同情するフリをして、興味本位で私から旧校舎での話を聞き出そうとしている人がいるのもわかっていた。揚羽達を密かに良く思っていなかった層が、彼女らの悲惨な話を聞きたがっていることも。
話題が移り変わるのは一瞬だから、そうやってチヤホヤされるのも、どうせ一時の事だとわかっていたけど、それでも、これまで輪の中心にいたことのない私にはそれはとても新鮮な体験だった。それだけでも、身を犠牲にしてこの状況を作ってくれた揚羽達には、少しだけ感謝してやろうと思った。
だけど、すぐに終わると思っていたその状態は、しばらく経っても続いていた。そればかりか驚くべきことに、次第に私の周りに、私を中心としたコミュニティーが出来つつあった。
「春名さんてキレイになったね」
不意にそう言われるようになって最初は戸惑ったが、次第にそれが珍しくなくなった。褒められることに慣れると、それが自信になって更に私をキレイにしてくれる気がした。
私は元々がそう悪い顔じゃない。地味なだけでむしろ造りは良い方だ。今まではより美人な揚羽達の影で、比較されてきたから本来より悪く思われていただけ。それに、精神的に押さえ付けられ不の感情に歪んだ私と自信に満ちた彼女らとでは、輝きが違って当然だった。
…だけど、
私の髪は、瞳は、元からこんなに色素が薄かったっけ。髪質も、こんなに細くて真っ直ぐで、以前は癖っ毛でストレートパーマを掛けていたのに今はそれが必要ない。スタイルも、心なしが手足が伸びて、ダイエットもしていないのにウエストが締まって、逆に胸はどんどん大きくなってきている。
キレイになって、ずっと鬱陶しかった揚羽達からも解放されて、代わりに今の私の周りには、私をチヤホヤと甘い言葉で喜ばせてくれる人達がいる。これ以上ない程嬉しい状況のはずなのに何故だか心の底から喜べない。この、胸に重く蟠っている一抹の不安は何なのだろう…。
「どう?春名さん、今の気分は」
「…御手洗君」
いつの間にか彼が隣に立っていたことに、やっぱり声を掛けられるまで気が付かなかった。
…あの一件以来、私は御手洗君を意識的に避けていた。あんなことがあったのに以前と変わらずクラスに溶け込んで、まるで存在を感じさせない彼が、何か、普通の人間とは思えなくて、関わりを持ちたくなかったからだ。
だけど、その時の私は恵まれた状況に酔って少し気が大きくなっていた。だからつい、彼との会話を続けてしまった。
「なんだか、こうしている今となってはあの夜のことが嘘みたいよ」
「……」
「揚羽達があんな酷い目に遭ったのに、私は何事もなく無事だった。今まで彼女達に散々踏み躙られてきた可哀想な私を、もしかしたら神様が助けてくれたのかも」
神様なんてもちろん信じているわけじゃない。ただの比喩、何となく言ってみただけ。
ふふっ、と軽く御手洗君に笑い掛けて、その時になってやっと彼の、私を見る無機質で冷たい眼差しに気が付いて、体がまるでその場に縫い付けられたように硬直した。
「春名さん、僕が言ったこと、覚えている?」
「…え?」
「“彼ら”が欲しいのは『失いたくない』と執着する心、だって」
確かに、御手洗君は言っていた。旧校舎に居るのは『キワコさん』なんていう名前の幽霊なんかではなく、それよりもっと得体の知れない、彼にも正体のわからない“何か”だと…。
「あの夜の君には、ただそれが犠牲になった人達より、ほんの少し足りなかっただけ。…でも今はどう?今の君は、あの時と同じかな?」
「……」
問われて…考えるまでもなく思い当ってしまう。…今の私には、揚羽達が失いたくないと思っていたものが集約していると。
どうして今まで気付かなかったのか。…いや、本当は気付いていたけど、認めたくなかった。気のせいだと思いたかった。
だって、そんなの、おかし過ぎる。…どうして?何の為に?
そもそもいったい何者に、そんな有り得ないことが出来るって言うの……?
「それに、残念だけど、このままではお話に少しインパクトが足りないから」
「え…、それって」
どういう意味?、と聞こうとして、私の言葉が、不意にあがった甲高い悲鳴に飲み込まれる。反射的にそちらへ向いて、まるで連鎖するように次々とあがる悲鳴が、どんどんこちらへ近付いていることに不気味なものを感じて胸がざわざわと騒ぐけれど、足が竦んだ様に動かなくて、その場から一歩も逃げることが出来ない。
───そして、終わりの始まりが訪れるその刹那、私は頭上に振りかざされた光る刃に反射的に目を向けて、そこに写った自分の美しい貌にうっとりと見惚れた。
「返せ、返せ、目も髪もその細くて長い指も、全部お前のじゃないだろう!!」
一瞬の暗転の後、見上げた視界の中で私の体に馬乗りになっていたのは、頭も顔も、全身を包帯でぐるぐる巻きにした醜い姿。呪詛を吐くようなしわがれ声に病衣をまとった身体はガリガリに痩せて、男か女かもわからない。ただ、むせ返るような薬品の臭いに混じって、微かに覚えのある香水の匂いがした気がした。
そいつは私に、何度も何度も刃を突き刺す。血と脂で汚れて切れ味が悪くなるとそれを無造作に放り出し、服の隙間から新しい得物を出してまた突き刺す。その繰り返し。
…狂っていると思った。私を見下ろす双眸は薬のせいか黄色く濁った白目が熔け落ちそうにどろりとしていて、それがかつての知り合いの誰かのものだなんて、到底信じられなかった。
右目が、頬が、太腿が、体中のあちこちが熱くて痛い。けれどもう私はそれを言葉にして口にすることが出来ず、指先さえも動かせない。
多分私は死ぬだろう。だけど、感覚が薄い。あまり何も感じない。人は“もうダメだ”と悟ったら、こうなるものなのだろうか。それとも、手始めにと頭に突き刺された鋭い何かが、早々に私の中のどこかマズい回路を傷付けてしまったのかもしれない。
私はたくさんの生徒達と、御手洗君が見ている前でいくつもの肉片に切り分けられていく。悲鳴を上げ、目を逸らし、誰かの助けを望みながら、けれど恐ろしくて自分では何も出来ない生徒達の、たくさんの怯えた目が私をぐるりと取り囲む。…そしてその、どの瞳の奥にも等しく潜んでいる好奇の色を、今の私は冷静に見ることが出来た。
そうか、と私は納得する。皆はこれを心のどこかで求めているんだ。振りかざされる残酷で無慈悲な行為と、でも決して自分ではない“犠牲者”の姿を。けれど実際の事件・事故で楽しんでしまったら、周りから人格と精神を疑われるから、代わりに元から本当かどうか眉唾な怪談話で、お手軽に人の不幸を楽しめばいい。
もし、そのために怪談話があるのだとしたら。…なら、御手洗君のような語り部を必要としているのは、本当は……
私達を遠巻きに取り囲む人達の隙間から、その後ろに立つ彼の姿がぼんやり見える。私を見ているだろう彼の瞳が今どんな色をしているのか、気になって目を凝らそうとしたけど、血に濁って赤い景色しか見せない私の眼球では残念ながらもうそれは叶わないようだ。
これから彼の語るお話の中で、“私”がどのような役割を果たすのかとても興味があったけれど、ここで舞台から降りる私に当然それを知るすべはない。
目の前がふっと完全に暗くなり、視覚から何も認識出来るものがなくなって、耳からも、音が次第に遠ざかっていく。いよいよ死を色濃く意識して、確かに今の私には、手放すには惜しいものがたくさんあったけど、でも最期に一番知りたかったことを知れたような気がして、どこか晴れやかな気持ちでもあった。
私自身が見ることの出来る世界はこれで終わってしまうけれど、そんな私の存在も、きっと数ある胡散臭い怪談話の一部となって、ここから、世間に無秩序に用意された娯楽の中で脚色と想像を加えられ、様々にカタチを変えて伝播していく。
そうしてそれは、また新たなお話の犠牲者を、惨劇へと誘うだろう。
世界に星の数ほどいる観客が、恐怖と死に彩られた物語を望む限り───
完.
最後までお読み戴き有難う御座いました。
この作品は何年か前のホラー小説募集の企画に投稿しようと書き始めたけれど、結局書き上がらなかったものを掘り起こし、この度完結させて投稿させて戴きました。
御手洗君は、実は、昔私がゲームでプレイヤーの名前を登録する時によく使っておりました。これはそこから思い付いた設定でありました。
それでは、後書きにまでお付き合い戴き有難う御座いました。
いつか再びお目に掛かれれば幸いです。