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でんぱ   作者: 88
3/4

<3>


 「…な、何っ!どうして明かりが消えたのっ?!」


 珍しく取り乱した様子の揚羽の声が、闇の中の少し前方から聞こえる。


 「あ、揚羽…大丈夫か?!…くそ、ちょっと待ってろ」


 それからすぐに佐武の慌てた声が聞こえ、カチカチ、カチカチ、と何かの音が忙しなく鳴る。ぱっ、と突然一つの眩しい光が現れたのに驚き、しばしばする目をこらえてそちらを見ると、光の中に佐武の顔があって、そうしてそれが彼の懐中電灯の明かりだと知る。


 「よし、点いた!揚羽、大丈夫か!ほら、こっちに来い!!」


 明かりが点いたことでホッとした表情を浮かべて揚羽の元へ手を差し伸べる佐竹。けれど揚羽は、


 「…いやっ…来ないで、あっちへ行って!!」


 と、取り乱した様子で、その手を払い除けて後ずさる。


 「…揚羽?」

 「揚羽?ねえ、どうしたの?」


 佐奈と美々が、揚羽の異常さに怪訝そうな声を出す。


 「揚羽、何だよ、どうしたんだよ…。なあ、危ないからこっち来いって!」


 焦れた佐竹が、強引に揚羽の手を掴んで自分のところへ引き寄せたが、


 「───っ!!…いやっ、離してッ!!!!!」


 興奮して大声で叫んだ揚羽はその佐竹の手を振り解き、彼の胸辺りを思い切り押して突き飛ばす。そして、その勢いで後ろに下がった佐竹の足元にどこからか、さっき誰かが飲んだ缶が転がってきて、それを踏んでよろけた彼は、後ろの姿見に頭から突っ込んでいった。



 それは一瞬の出来事だった。もの凄い音を立てて鏡が割れ、そしてそのいくつもの破片が、まるで一つ一つが意思を持っているかのように、前に立つ揚羽の元にほとんど垂直に飛んでいった。

 揚羽の顔に、身体に、無数の光る刃がざくざくと、イヤな音を立てて突き刺さる。


 「ぎゃ───────ッ!!!!」

 「きゃあ──────っ!!!」

 「いやっ!きゃああああっ!!!」


 …混乱の中で、痛いほどに鼓膜を震わす複数の悲鳴が誰のものか、もうわからない。自分の唇が声を発しているのかさえ。転がる懐中電灯の明かりの中で、私達は一斉に走り出した。後ろに、逃げ場を求めて。

 誰も揚羽を助けない。佐竹は、振り返る前にちらりと見たけど、割れた鏡にもたれ掛かってぐったりしているように見えた。…その頭部がどうなっているのかまではわからなかった。


 「───どけっ!!」

 「…えっ、───きゃっ!!」


 後ろで遠藤の鋭い声が聞こえたかと思うと、どしん!と何かか倒れるような音がして、振り向くと佐奈が、階段を降りきったところで尻餅を付いて座っていた。私の横をすり抜け、遠藤が一人もの凄い速さで走って行く。…あいつ、目の前にいた佐奈を突き飛ばしたんだ。どこまでもサイテーな奴。遠ざかっていく遠藤の背中を見ながらそう思っていると、後ろからまた佐奈の悲鳴が聞こえた。


 「…えっ、何っ?!…いや、誰…っ、…助けて…いや、離して、いやあっ!!!」


 その尋常じゃない声に驚き、思わず足を止めて振り向いて、私は…いや、私の少し後ろに立っていた美々も一緒に、何か、…正直言ってよくわからないものをそこに見た。


 「…ねえ、あれ、なに?何なの??」

 「…私にも何がなんだか…」


 佐奈の長い黒髪を、何かが掴んで引っ張っている。それは手のように見えるけれど影のように不安定に揺らいで、まるで実体がないようにも思える。黒く、大きく、細長い。そんな、おそらく“手”が佐奈の髪を根元近くからまとめて鷲掴みにして、ぐいぐいと上へ引っ張る。


 「いやあ、痛いっ!やめて、やめてええっ!!!」


 強引に持ち上げられた自慢の黒髪がぶちぶちと音を立てて抜けていき、佐奈は痛みと恐怖にキレイな顔をぐしゃぐしゃに歪めて泣き叫んで、じたばたと手足を激しく動かし抵抗する。それに焦れたのか“手”はいきなり、佐奈の髪を掴んだままぐわっと空中の高いところまで移動して、いくらモデルをやっていてスレンダーな女性とはいえ、人ひとりをいとも簡単に、爪先さえ着かない高みまで持ち上げてしまったことに驚いている間に、“手”は今度は急降下して、それと一緒に佐奈の体がまるで人形のように、びたん!と奇妙な音を鳴らして床に強く叩きつけられた。

 佐奈は無情にも顔から床に激突し、声を発することもなくうつ伏せに倒れて、ぴくぴくと小刻みに震えている。それを“手”は階段の上を目指してずるずると無慈悲に引き摺っていき、段差のたびに彼女の顔がゴンゴンと当たる音に耐えられず、私達はがたがた震えて視線を逸らした。



 「あうう…もういやぁ…なんなのよう~」


 ぐすぐすと泣きながら、けれど美々は逃げ場を求めて走り出し、私も、恐怖に固まり縺れそうになる足をなんとか動かしその場を去った。





 美々はどこかで懐中電灯を落としてきてしまったらしく、私達は私の持つ一本の明かりを頼りに前へと進んだ。


 はあっ、はあっ、……。


 懐中電灯の細い光の届かぬ先は、どこまで続くか終わりの見えない深い闇。その中に二人の吐息がこだまして消えていき、私は、先程から感じている言い知れぬ不安に冷や汗をかいた。

 …多分もう、美々も気付いているだろう。今まさに私達を襲っている、この異常事態に。私達はもうずいぶん長く走った。ここまで止まらずに走り続けた。…なのに何故、入って来た時に使った扉に未だに辿り着かないのだろう。

 そんなに遠い場所じゃなかった。そもそもこの旧校舎自体が、そんなに広くなかったはず。なのにどうしていつまでも代わり映えしない景色が続いて、私達は長い長い廊下を、ひたすらに走り続けているのだろう。


 私は焦っていた。…多分美々も。だからきっと注意力が散漫になっていたのだろう。


 「……きゃっ」


 短い悲鳴が聞こえたかと思うと、次の瞬間、隣を走っていたはずの美々の姿が突然消えた。私は驚き、足を止めて後方に光を向ける。するとそこには、胸の半分から下を床にめり込ませた不思議な状態の美々がいた。


 「…何、どうなってるの」

 「床に穴が…助けて…っ!」


 言われてとっさに手を差し伸べかけて、私は美々の後ろの闇の向こうに、“それ”が居るのに気付いた。固まり、凝視する私の視線の先に目を向け、美々も気が付いてしまったようで、じたばたと慌てて穴から何とか抜け出そうとする。


 「~ッ、おい春名、ぼーっとしてないで早く助けろよ!!」


 いきなり口調が変わった美々に驚き、私は彼女をじっと見下ろす。…やっぱり普段の天然小悪魔キャラは演技だったのだ。ずっと疑っていたことにわかり易く答えが出て、私はこんな状況だというのに胸のつかえが下りてスッとしていた。


 「おい、早くしろグズ!…てめえ後で覚えてろよ!!」

 「……」


 早く逃げなければと思った。いつまでもここにいては危険だ。…どうせ美々は、もし立場が逆だったら私のことを助けない。私は美々を一瞥して、一人走り出した。


 「―――なっ!春名ッ!!……ごめん恭子ちゃん、嘘だから。美々が悪かったからお願いだから助けてっ!!!」


 口汚く罵っていた同じ口で媚を売って、それで誰が助けてくれるというのか。…置いてきた美々の背後からじわじわと闇が迫る。その中にいる“それ”は、姿は見えないけれど確実に何かがいると何故だかわかる、重く不気味な“気配”の塊。美々はもう後ろを向く勇気がないのか前を向いたまま固まって、お人形のような愛らしい顔を、恐怖で見たこともないほど不細工に歪ませた。


 「…いやあぁぁ。……この、この胸っ!!無駄に大きくて邪魔なんだよッ!!!」


 逃げるのに専念するつもりでいたのに、後ろから聞こえた美々の奇妙なセリフが気になって、私は走りながらついまた振り返ってしまう。そうして見た彼女の最後は、涙をぼろぼろとこぼしながら鬼のような形相を浮かべ、迫り来る未知の“気配”に耐え切れず錯乱してしまったのか、床の穴につかえた自慢の胸を、両手で思い切り殴り続けている滑稽な姿だった。






 とうとう独りきりになってしまったけれど、私はどこか清々していた。もっと早くこうしていれば良かったと思った。そうすれば、私は今、こんなところにいなくて済んだのに…。

 せっかくこんな開放された気持ちになれたのに、ここで死ぬなんて絶対イヤだと強く思った。…いや揚羽達が死んだとはまだ決まっていないけど、それでも得体の知れない何かに捕まって、彼女達のようにはなりたくない。


 私は走って走って、出口はおろか曲がり角さえないおかしな廊下をそれでもひたすらに走り続けた。けれどそのうちさすがに疲れが足にきて、息もあがってきてしまい、このままではいつか倒れてしまいそうだった。私は後ろから何も付いて来ていなさそうなのを確認してから、意を決して足を止める。そして、廊下とずっと平行して無数に並んでいる教室の一つに、なるべく音を立てないよう気を付けながら忍び込んだ。


 教室の中も廊下と同じく、真っ暗でしんと静まり返っていて、さほど広くないそこを懐中電灯で照らして探ると壊れた机と椅子がいくつか放置されているのが目に入ったが、ざっと見て、残念だけれど私が隠れられそうな場所はなさそうだった。

 けれど、少なくとも今のところ室内には特に嫌な感じもしないので、私はそこで暫しの休息をすると決め、懐中電灯の明かりを、消してしまって何も見えなくなるのは怖いから、最小に絞りながら今しがた入ってきた扉にもたれて、あがった息を整えようと深呼吸した。


 足がもう限界で、少し力を抜いただけで背中を扉にあずけたまま体がずるずると崩れていって、その場にぺたりとへたり込んでしまう。…でも、ちょうどいい。きっとこの方が、廊下のどこかにいる“何か”から、少しは隠れることが出来るはず。私はそう思い、ホッと安堵の息を吐いて目をつむり、…眠ったつもりはなかったのに、その人物が間近に来るまで、まったく何の気配も感じることが出来なかった。




 「春名さん」


 突然闇の中から名を呼ばれ、私はびくりと跳ね起き身構えた。


 「…だ、誰……?」

 「僕だよ、御手洗」


 教室の隅の暗い場所から音もなく現れたのは、紛れもない御手洗君のいつも通りの姿。私はそれにほっとして、けれど同時に、どうして彼が同じ教室内にいることに今まで気付かなかったのか怪訝に思った。


 「大丈夫だった?御手洗君…どうしてここに?」

 「僕は君より先に、ずっとここに隠れていたんだ」


 御手洗君はそう言いながら、私のそばまで来てキレイな動作でスッと屈み、小声でも良く聞こえるようにか整ったその顔を私の顔に間近に寄せてきたのにドキリとした。

 小さく絞った懐中電灯の明かりの中で、彼の長い睫毛が瞬きに揺れる様につい見とれてしまう。…あれ、でも確かここに入った時に、一応中は隈なく照らして確認したはず。それじゃあ御手洗君はいったい何処に隠れていたのだろう。それに、考えてみれば私はここで彼を見るまで、その存在をきれいさっぱり忘れていた。

 …そこまで彼は、存在感がなかっただろうか。わけのわからない事態に次から次へと遭遇して混乱していたとはいえ、ちょっと申し訳なかったと思った。しかも私は、旧校舎に来てすぐに懐中電灯を一緒に使おうと自分から誘ったのではなかったか。…これはもう、謝って済む問題だろうか。


 「あの…ごめんね、独りにして」


 それでも謝らないわけにはいかないと思ってそう言ったのだが、


 「平気、慣れてるから」


 と返ってきて、それはいったいどういう意味だろう、と、私は探るように彼の顔をじっと見た。


 「…御手洗君はこういうの、もしかして今までにも経験あるの?」


 慣れているのは独りに?…それともこういった事態に?もし後者ならば、この現状を打開出来る術を知っているんじゃないのかと期待を持った。


 「うん、あるよ」


 ああ、やっぱり!彼はどこか普通と違うとずっと思っていた。


 「えっ、じゃあ御手洗君て、霊感強いとか。もしかしてお祓いとか除霊とか…出来たりする?」

 「ううん別に」


 あっさりと否定され、拍子抜けして思わず深い溜め息がもれた。…そりゃそうか、一般の男子高校生にそんな事が出来るはずもない。現状があまりにも現実離れしているせいで、少し勝手な夢を見過ぎてしまった。


 沈黙が訪れ、私は扉にもたれたまま、どこを見るでもなく上を向く。懐中電灯の明かりが低い天井の痛んだ凹凸に複雑な影を作り、それが何か不吉なもののように見えて私の心を掻き乱す。


 「…あれはやっぱり、キワコさんの仕業なのかな」


 それはつい口をついて出た言葉で、返事なんて特に期待していなかった。なのに御手洗君が


 「キワコなんていないよ」


 と、確信めいたはっきりとした口調で言うから、私は驚き、反射手に体を起こして、それはどういうことかと思わず彼に詰め寄っていた。



 「キワコなんて人はここにはいない。あるのは姿見の鏡と、それに巣食う“何か”だけ」

 「……」


 もしかして電波な人なのかとも思ったけれど、そうとも言い切れない妙な迫力が、御手洗君にはある気がした。

 それに、もう既に常識では測れない現象のただ中にいるのだから、彼がたとえ何を言ったとしても、それを否定することなど私には出来なかった。


 「…じゃあその“何か”が、キレイな顔を必要としているの?」


 奪ったのは既に顔だけじゃないけれど、キワコがもし本当にいないなら、じゃあ誰がそれを欲しているのか。


 「奴らが本当に欲しいのは美しい顔なんかじゃない、欲しいのは『失いたくない』と執着する心さ。それを無理矢理奪って壊すのが、奴らは何より好きなんだ」

 「…奴ら…って、それは何?幽霊?」

 「さあ…悪魔、妖怪、幽霊…そのどれかかもしれないし、どれでもないのかも。そんなの僕にもわからないよ」


 …御手洗君の話ははっきり言って要領を得ない。何かを知っているようなのに、わかるように説明する気がないとすら思える。私は混乱し、くらくらと回りそうな頭を片手で押さえて俯いた。



 「ねえ、春名さん。不思議に思ったことはない?怪談話の中には時々、登場人物が全員死んでしまうお話がある。じゃあ、どうしてその内容が怪談話として伝わっていくのか?体験した人達はみんな死んでしまったのに、誰がそれを世の中に広めたのか」


 「え…な、何?突然…」


 急に饒舌に語り出した御手洗君に、私は面食らう。けれど彼は淡々と、特に熱も籠っていない口調で尚も語る。


 「いったい誰が、話をしたのか。幽霊自ら誰かに語った?それともただの作り話?…まあ中には偽物もあるだろう。


 …けれどね、本当はもうひとりいるのさ。そこにいて、お話には登場しないもうひとりが。同じ体験をして、けれど内容にはかかわらず、認識もされない、語り部としてだけ存在する者が」


 「…御手洗…君?」


 「春名さん…僕はね、その、いないはずの“もうひとり”なのさ」




 「……」


 彼は何を言っているのだろうと思った。恐怖のあまり現実から逃げようとしている…?


 『語り部』とか『お話には登場しない存在』だとか、俄かには信じ難い話だ。…けれど、確かに私は、この教室で再開するまで御手洗君のことをすっかり忘れてしまっていた。その不自然な事実も、彼の話が本当だとするなら説明がつく。

 そういえば彼を誘った揚羽でさえ、今夜一度も彼に話しかけるところを見ていなかったと思い出す。



 「お願い…ねえ御手洗君、助けて!それが本当だとしたら、あなたにならこの状況をどうにか出来るんじゃないの?!」


 そんな特別な存在なら、ここから逃げることだってきっと可能なはず!!

 私は藁にも縋る気持ちで彼に詰め寄った。けれど、


 「僕には何も出来ないよ、僕はただの人間だもの。ただ語り部として選ばれ、起こったことを近くで見て、それをごくありふれた“怪談話”の一つとして人に語り、世の中に伝播させるのが僕の役目」


 と、抑揚のない声で素っ気なく言われて愕然とする。




 「…選ばれた…って…何なの。誰に選ばれたって言うの?!」

 「さあ、そうして欲しい誰か、だろうね。僕は知らないし、知ったところで今のこの状況は変えられないよ」


 まるで他人事なその冷めた言い様に、私は憎しみにも似た苛立ちと怒りを感じた。…そうだ、彼が話の内容にはかかわらない傍観者なら、つまり、ここで危険なのはもう私だけなのだ。


 「もういい。…私はしばらく休んだらここから出て行く。悪いけど、あなたとは別行動する。私にもう構わないで」


 冷たく言い放つ私を見ても御手洗君の表情は少しも変わらず、別段何とも思っていないようだった。語り部だか何だかわからないが、それが本当でも虚言でも、もう彼とは一緒にいたくないと思った。

 彼には悪いけれど、こんな状況でとても信用出来そうにない。…彼の存在そのものが、もう今の私には不気味に思えて仕方なかった。




 まだ体力が回復せず、身体中がだるかったけれど、いつまでも座っていてはいざという時動けないと思い、少し大変だけれどここからは立った状態で休むことにした。腕を組んで目をつむり、一緒に来た人達の身に起こった悲劇や、いつまた襲ってくるかわからない未知の“何か”の恐怖を一瞬でも忘れたくて、私はぼんやり思考に耽る。


 …彼の話がもしすべて本当だとして、語り部を用意した“何者か”は、何故わざわざそんなことをしてまで怪談話を広めるのだろう。目的は一体何なのか…?

 そこまで考えて私ははたと気付く。そうだ、そもそもキワコさんの怪談話さえ聞かなければ、私達は深夜の旧校舎に忍び込むなんて馬鹿なマネをして、こんな恐ろしい目に遭うことはなかったのだ。



 すべてはあの怪談話があったせい。怪談話が、私達をこの状況に導いた。…だとしたら怪談話を広める理由は、もしかしてそれを聞いて好奇心に駆られてやって来る、私達のような獲物を誘うため…?そんな恐ろしい考えが脳裏を過ってぞくりとする。




 もしそうであったなら、語り部を用意した“何者か”とは、つまり…




 「春名さん」


 そんなことを考えていたから、突然名前を呼ばれて私はぎょっとし、体がびくりと恥ずかしいほど大きく跳ねた。顔を上げて見た、こちらをまっすぐ見つめる御手洗君の瞳の冷たさに、言い知れぬ不安を感じる。自分の背中が何にも着いていない事に心許無さを感じ、寄りかかる壁を求めて震える足で後退りした。


 「な、なに」


 私の問いかけに彼の薄い唇が動く。




 う し ろ



 何を言われたかを認識するより先に、私の背中が何か…壁とは違う感触のものにぶつかり、とっさに振り返ろうとした顔に、べちゃりと生暖かい何かが這う。その気味の悪い感触のおぞましさと、恐怖が全身を飲み込んでぎゅうぎゅうと締め付けてくるような感覚に呼吸さえままならくなった私の口はひゅうひゅうと意味を成さない空気を吐き出し…




 そうして目の前が真っ暗になり、その後の自分の身にいったい何が起こったのか、次に目覚めた時には全く覚えていなかった。








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