旧友からの誘い
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親愛なる郷里の友、テオドール・ドゥ・シュヴァリエへ
一別以来になる。すっかりご無沙汰してしまったが、君は変わりなく健勝だろうか?
長らく手紙の一通も送らず申し訳ない。僕の方はいろいろあったが、流れ流れて今はユーレジエン州の古い都、エスティナにいる。こう言えば、あるいは君にも今の僕がどういう境遇にあるか、理解してもらえるかもしれない――いや、もったいぶるのは止そう。
小耳にはさんだことくらいはあるだろう。ここエスティナには、発見されて三百年以上になる、『梯子』と呼ばれる名高い地下迷宮がある。
僕は日々、何人かの仲間と連れ立って『梯子』に降り、中で見つかる財宝や魔法の力を帯びた武具を持ち帰っては金に換えているのだ。冒険者とか、迷宮探索者とか呼ばれている生業だ。
身を持ち崩した、などと嘆かないでほしい。自分の命を元手にしたあまり分の良くない賭けだが、慎重にやっていれば日々の食い物にはまず困らない。
運さえよければ、田舎暮らしでは夢にも見なかったような贅沢や享楽を味わえることすらある。もちろん、王侯貴族の楽しみに比べればお粗末なまがい物に過ぎないがね。
もともと僕の家には相続するほどの財産もなく、身を立てようと思えば戦争にでも期待するしかなかった。だが王国と近隣諸国の関係は残念なことに今のところ実に良好だ。もちろんそれ自体は素晴らしいことだが――僕のような貧乏貴族にとって、人生とはどん詰まりの袋小路へ向かう、平坦なだけが取り柄の裏通りというわけだ。
だがここエスティナには、『梯子』にはチャンスがある。
実は先日、僕は偶然にも、これまで知られていない迷宮の新しい階層に通じる隠れた通路を発見した――そう信じるに足る状況だ。
少し足を踏み入れただけでも、これまでに見たことのないような収穫があった。ここで十分な財貨を稼げれば、王室に献納して新たな貴族位や官職を手に入れられるだろう。もしかしたら、世間に披露して恥かしくないくらいの妻を迎えることさえできるかもしれない。
なあテオドール。文武両道に優れ品行正しい君のことだから、すでに良い縁談を受けて婿入りの準備をしているかもしれない。そうであればこの手紙のことは忘れてくれればいい。
だが、もしも未だ将来の展望がひらけず、身の内にたぎるものを抱えてくすぶっている――そんな状況であるならば。
ぜひ一度、エスティナの僕の宿を訪ねてきてほしい。今の僕には何よりも、腕が確かで才気のある、信頼のおける相棒が必要なのだ。
生来の不器用ものでひどい出来だが、自筆の地図を同封しておく――
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「ああ……そういえば、ジェイコブには僕の縁談のことは知らせていなかったなあ」
ため息が漏れた。
別に彼に対して僕が不義理をしたというわけではない。およそ二年と少し前、『自分の運を試してくる』とだけ言い残して、彼は僕の前から姿を消してしまったのだ。自分のことを知らせようにも、手紙の宛先もわからなかった。
「ハーディー、この手紙が届いたのはいつだい?」
「ちょうど三日前でございます」
「じゃあ彼がこれを書いたのはつい最近なんだな」
今になって急にこんな手紙を送ってくるということは、自分の掴んだ幸運によほど確信があるらしい。
エスティナの迷宮と言えば僕も聞いたことぐらいはあるが、それにしても何というタイミングだったことか!
手紙にはそのあとも、こまごまとした迷宮での心覚えや手に入れた財宝の解説、印象に残った出来事などがとりとめもなく書き綴られていた。ジェイコブの人柄と重なって、それは僕を心地よく和ませてくれた。
「坊ちゃまがお楽しそうな様子で爺めも嬉しゅうございます。どのようなことが書いてあるか、うかがっても?」
「いいとも」
僕は手紙を最初から、声に出してゆっくりと読み上げた。ハーディーはときどき深くうなずきながら、興味深げに耳を傾けていた。
そこへ、料理人がオムレツと焼き冷ましのパン二切れ、それに弱いワインを一壜運んできた。僕はきりのいいところで朗読を終え、ハーディーの給仕で食事を始めた。
「……はは、タランツァのチーズは相変わらず変なにおいがするなあ……だがこのオムレツは美味い。最高だ」
「坊ちゃま――いえ、テオドール様」
不意に、ハーディーがいつになく真剣な声で僕の名を呼んだ。ナイフを動かす手を止めて、僕は彼の顔を見上げた。
「……エスティナの『梯子』と申せば、今の王朝を開かれた高祖ユージニー女王の、ご夫君が挑まれたといういわれがございます」
「うん。勇者シェイワースの逸話だね」
北方から押し寄せた魔族の軍勢を少数の手勢とともに打ち破り、王女の婿となった勇者。
いわゆる王配(※)の身でありながら、その功績を認められて身辺にあった女性六人をすべて妻として娶り、等しく愛したという。まったく、羨ましいんだか空恐ろしいんだかわからない。
出自も来歴も定かでない伝説上の人物だが、今この国を統べているのは紛れもなく彼の血を引く人々だ。
「はい。そして今でもまことしやかに語られております……シェイワースが勇者たる力を培ったのは、『梯子』においてである、と」
「勇者たる力、か。そんなものが手に入るとまでは到底思えないけど、確かにジェイコブの誘いには心惹かれるよ」
同時に一方でなにやら胸の中にわだかまってくる重苦しいものがある。羨望だ。自由気ままに暮らし、自分の運と才覚を頼りにそれを証立てながら進んでいるジェイコブのことが、僕は羨ましいのだ。
「爺は……賛成でございますぞ」
「そうか」
ハーディーの眼は節穴ではない。僕の心の深いところまで見透かされているらしい。
僕が今の境遇に陥ったのは結局のところ、家の格が低く、目につくほどの財産もなく、身を立てるのに良家との縁談ひとつをあてにし頼らねばならない、中途半端で情けない身の上だからだ。個人的な剣の腕や学問の成績、行いの潔白さなどは、この世を渡っていくうえで何の役にも立たないと思い知らされた。
だったら、命一つを元手に危険に身を投じ、安閑と暮らしていては手に入らない財貨をつかむ――そのチャンスに挑む。挑んでみたい。ジェイコブにできる事ならきっと、僕にだって。
「お父上は――旦那様は、今のところまだ迷っておられます。が、もしこのまま勘当、ということになれば、坊ちゃまの手には何も残らず、遠からずいずこかの野辺か路地裏で、斃れるに任せられるでしょう」
「嫌なことを言うなあ」
「しかし、今であれば。自分から出奔して名誉の挽回を目指し、お家にはこれ以上の負担を掛けぬ――そういうことになさるなら、なにがしかの品を持ち出すことも許されましょうし、些少なりとも路銀を下さることもございましょう。はばかりながらこの爺、旦那様のお人柄はよく存じ上げておりますゆえ……」
うん、悪くない。それならロッドの財布もこのまま身につけておいて、当座の資金の足しにできる。さすがにかばんの中の荷物はほとんどおいていくしかないだろうが。
「……わかった。父上にはハーディーから話してみてくれ。長く留守にすることになるが、父上と兄上をよろしく頼むよ」
それからあれこれと準備をして一週間。僕は再び乗合馬車に揺られて、遥か北方へと向かった。
ジェイコブの言うように、財産と伴侶を手に入れて、そこそこの暮らしを営めるようになれば上々。だが、可能であれば――僕をこんな境遇に陥れたアナスタシアに、そしてひいてはこの世の中に、胸のすくようなお返しをしてやりたいものだ。
(※)王配:「おうはい」と読む。女王の夫のこと。作中の王国では「王」ではないとみなされ、称号や尊称は固有のものとなる。