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儀式は完了せり

 赤い長衣(ローブ)の男が、驚いた様子で口を開いた。


「オークどもは何をしていた? この至聖所まで部外者の侵入を許すとは……」


「ふぅ……所詮オーク、ということですよ、導師。何度も申し上げたではないですか、奴らには単純戦力として以外の使い道はないと」


 くちばしマスクがやれやれと言わんばかりに肩をすくめる。

 導師と呼ばれた長衣の男は、自分の足元を見下ろすような仕草で深々とため息をついた。


「まあよかろう。儀式はすでに完了した……我々の計画は晴れて次の段階へ移行するのだ。コルヴァン、お前は手勢を引き連れて先に行っておれ。私はこいつらを始末してからゆっくり行かせてもらうとしよう」


「かしこまりました……まあ、あまりお楽しみが過ぎませんように」


 胸に手を当てて一礼すると、くちばしマスク――コルヴァンと呼ばれたその男は、僕たちなどいないかのように悠然とした足取りで、ホールの入り口、つまり僕たちが立っているその場所へと歩いてきた。


 僕は我に返って、コルヴァンの前に立ちはだかると彼の襟元をつかんで締め上げた。


「何をした」


 こみ上げる不快感と怒り。だがその一方で、僕はその時かすかな安堵を覚えていた。コルヴァンの背格好も、マスクで覆われていない部分に見える骨格も、ロドニー・エバーグリントとは似ても似つかないものだったからだ。


「……ニーナに、何をした!!」


 その問いに対する答えは、コルヴァンではなく「導師」から発せられた。


「安心するがいい。べつに殺してはおらん。その娘の霊的身体に組みあげられている『経路』――俗な言いかたをすれば『魔力回路』を、複写させてもらった」


 何だって……!?


「そんなことが……可能なのか」


「できるとも。魔術の体系は深遠で広大なのだよ……『経路』は普通なら十年から二十年かけてようやく完成するものだが、この儀式を行えば三十(マイヌ)もあれば複写を取り、完成された魔術師を簡単に作りだすことができる――」


 ――うぅ……


 ベッドの上で、ニーナが身じろぎとともに呻きを漏らしたのが分かった。頭がわずかに持ち上げられ、彼女がこちらを見た。


 ――テオ……?


「ニーナ!!」


 叫ぶとともに、僕はコルヴァンの襟をつかむ手を緩めていた。くちばしマスクがすかさず拘束を逃れて僕から距離を取る。だがこちらはもう矢も楯もたまらず彼女に向かって駆けだしていた。


 ベッドまであと数歩のところで、後ろから僕の背中に向かって「導師」の嘲笑が浴びせられた。


「――ただし、原本の方は破壊されてしまうのだがな!」


「なっ!?」

 思わず足を止め、導師の方へ振り返る――それがまずかった。


紅炎針弾(ファイアー・ニードル)!」


 準備の詠唱は全く聞こえなかった――室内にともされたかがり火の薪が爆ぜ、周囲に散った赤い火の粉から無数の輝く直線が僕の方へ延びる。鎧にあたったものはそこで止まったが、皮や布はその光によって灼かれ貫かれた。焼け火箸を突き刺されたかのような激痛が襲い掛かる。


「テオーーーッ!!」


 ジェイコブが吼えた。みんながこっちへ向かって駆けだすのがわかる。

 いや、だめだ――コルヴァンから目を離すな。僕の直感は頭の片隅でそう告げていたが、体は痛みを凌駕する怒りに衝き動かされて導師へと突進していた。


「フハハハハ! 見上げたものだ、それを食らって動けるとはな……! その意志力に敬意を払うぞ。どうやって彼女の経路を複写したか教えてやろう……」


 導師は今度は結句すらなしに熱線を僕に見舞った。僕はどうにかそれを、盾で防いだ。一発目でその軌道が直線であることは見抜くことができていたからだ。


「悪魔や邪神に捧げる生贄が処女であることと、理屈は同じだよ。制御された条件下、正確に設置された魔法円の中で、儀式的性交を行ったのだ!!」


 多分、この瞬間僕は完全に「導師」の術中にはまっていたのだろう。もはや彼を殺すこと、ニーナの無念を晴らすこと以外は頭から吹き飛ばされていた。

 ニーナの魔力回路――ああ、思えばエスティナの夜の闇の中で見たあの幽鬼たちの無言劇は、このことを伝えていたのか。


「貴様!! よくも!! よくもニーナを!!」


 体当たりとともに剣での刺突。思いがけないほどあっさりと、僕の剣は導師の体を貫いていた。背中から突き出した切っ先、よく見慣れたそれが、汚らわしい血の色に染まって相手の肩越しに目の前にあった。


「思い知ったか……この、外道め」


「馬鹿め……無駄だ……」


 それだけ言い残すと、導師はこと切れた。視界の隅でコルヴァンがこそこそと回廊へ逃れ出るのが分かった。

 腕の中でぐったりと重さを増した男の体を床に放り出し、僕はにわかに沸き起こってきた後悔と恐怖に震えた。

 もしや、この男を殺してしまったのは間違いなのでは。ニーナを元に戻すには、この男に複写された経路が必要だったのではないか――目頭からぼろぼろと涙があふれだした。

 アナスタシアに捨てられた時でさえ、僕は泣かなかった。それなのに。


 熱線で灼かれた手足がじくじくと痛み、焼き固められた肉の表面を破って血が噴き出す。だが僕は構わずに、ニーナまでの数歩を半ば這いながら埋めた。


 ベッドを支えに立ち上がり、ニーナの枕元に上半身を預ける。くそ、だから祭壇ではなくてベッドか――ずいぶんと肌触りのいいシーツを掛けてある。そんなことにひどく腹が立つ。


「ニーナ……済まないニーナ、僕たちがもう少し早く踏み込んでいれば……こんな事には」


「……来てくれたのね、テオドール。いいえ、私こそ謝らなくては」


 謝る、とニーナが口にしたことが、僕の感情に火をつけた。


「そんなっ……いっそひどいじゃないか、今更謝るなんて! 僕たちを保険に温存しておくくらいなら、どうして怪しい商談がかかった時に知らせてくれなかったんだ」


「……ごめんなさい。私、まだあなたたちを巻き込む勇気とか何かそういうものが、なかったみたい。話が来たのは一昨日の夜、ロドリクスに挑む前で、みんなに余計な心配を掛けたくなかった」


「余計じゃないよ……! 僕たちにとっては――僕にとっては、君のことはロドリクスより大事だよ! 当り前じゃないか!!」


「私だって……それでも、自分が危ないかもしれないとなると保険を掛けたくなる……どっちつかずで卑怯ね、自己嫌悪になるわ。一人で生きてるってほんと厄介」


「なあ。僕は年下だし、頼りないけどさ……努力するよ。頼ってくれてよかったんだよ、もっと」


「そうね」


 力なく微笑むニーナに、また涙がこぼれた。


「お二人とも、いったんそこまで。傷の治療をしましょう」


 エリンハイドが僕のそばにかがみこんで、手足の傷に「苦痛の軽減」をかけてくれた。傷を完全にふさぐ術はあとで傷口を丁寧に処置してから。手の届かない体内の傷にはもっと高度な神聖魔法が必要になる。


「どうするんだ、これから……魔法が使えなくなったら、君は――」


「大丈夫」


「え?」


 まだ敗けていない。ニーナの微笑みはそう告げていた。


「私もえらそうなことは言えないけど、彼らはもっと素人よ。『経路』を複写、転写する術式は私も一応知ってるけど、古いものだから魔導書によってはあちこちに欠落があるのよね……『経路』の原本を破壊してしまうのは、術式が未熟で乱暴だから。彼らはそれを知らなかった。大丈夫、一時的に乱されて働かないだけで、私の『経路』はまだちゃんとここにあるわ」


 体の中心線に視線を走らせ、右手でそこをなぞろうとするが、彼女の手は革ベルトと鎖でベッドにつながれていて果たせなかった。

 目くばせされて僕がベルトを切ってやると、ニーナはようやく解放されて自分の肩を腕で抱いた。


「……私が処女だったらほんとうに破壊されていたでしょうね。純潔な処女の中に形成される経路は強力だけど、純粋な分壊れやすいのよ。でも私の職業はご存知の通りだから。それもあって、何とか自分の『経路』を消されないように対抗することだけはできたわ」


「良かった……」


「……残念ながら、まだ良くはないわね」


 彼女は僕の肩越しにホールの四隅に視線を巡らしていた。ばたん、という音とともに、それまでなかった扉が開き、オークたちが踏み込んでくる。隠し扉が仕掛けてあったのだ!

 ベッドから少し離れたところで警戒していたポーリンとジェイコブが武器を構える。だが、明らかに多勢に無勢だった。


 ニーナが顎をしゃくって、導師の死体を指し示した。長衣(ローブ)の男の傍らには、彼の杖が放り出されていた。


「テオドール。あいつの杖をこっちへよこして」


「え、でも君は今――」


「あの『導師』はね、魔術師でもなんでもない、ハッタリだけの役者。この魔法円を用意したのも、私を犯したのもあのくちばしマスクの男――コルヴァンよ」


 なんと!? では先ほどの「紅炎針弾(ファイアーニードル)」とかいう呪文は――


「あの杖には、まだ呪文が何回分か込めてあるはず。それで切り抜けましょう」


 心細いけど、ないよりまし。ニーナはそう言って、一糸まとわぬ姿のままベッドの上に立ち上がった。

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