僕はニーナに認められたい
手付に、と銀貨を一枚握らせると、男の口はもう少し滑りがよくなった。
「俺が迷宮で足をなくすちょっと前だ。いやまあ、この足はつまんねえドジでおいてくる羽目になったんだけどな。命があっただけめっけもんってことだぜ……ああ、馬車の話だよな。そう怖い顔しないでくれって、続けるから」
右足の、縛ったズボンの中に包まれた膝を撫でながら、男はしゃべり続けた。
「仲間が一人死んじまってな。近くの村に実家があるってんで、遺骨を届けてやったんだ。俺たちはそれまではうまく行ってた。だから、奴の親父とお袋には奴がため込んだ金貨をたんまりと届けてやれた。親としては悲しかったろうが、俺たちは手厚いもてなしを受けて、三日後にその村を離れたんだ。その帰り道でちょっと道を間違えてな、焦ったせいか草むらに隠れた段差に踏み込んで、馬が足をくじいちまった」
「ふむ、どうも足に降りかかる災難に縁があるようですね……良い祈祷師を紹介しましょうか? 私の同族ですが」
エリンハイドが心底同情した顔でそう提案した
「ありがてえが、今の暮らしでまさか、こっちの足までなくすようなことはねえだろう」
「いやいや、わかりませんよ?」
「……済まない、元の話を続けてくれ」
エリンハイドを軽くにらみつけて、男に先を促す。
「……馬はもう役に立たなかった。仕方なしに俺たち――三人パーティーだったがな、付近で助けてくれそうな家がないか、探したんだ」
「なるほど……?」
よくある話だ。タランツァの僕の家でも、似たような経緯で訪ねて来た旅人に、替えの馬を貸し出したことがある。
結局その馬は戻ってこなかったが、父は表面上は気にする風も見せず、彼らの旅の安全を祈っていたものだった。
「で、いくつかの木立を抜けると、低い丘の陰に鉄柵に囲まれた館があった。えらく古い様式だと連れの一人が気にしてたが、手入れは行き届いてるようだったな。そこに、見たこともねえような金ぴかの馬車があったんだ」
「そうか。ありがとう、よく話してくれた……そこの主人や使用人には会ったかい? どんな感じだった?」
「ああ……主人には会わなかったな。えらく大きななりをした男が何人もいて、情けない話だがちょっと気おされてな。馬の処分を頼んですぐに立ち去った……確か、エバーグリント伯爵家の別荘だって言ってたが」
待て、今なんと言った? 聞き覚えがあるどころではない名前に、頭にカッと血が昇るような気がした。
「エバーグリントだって?」
「ああ。俺でも知ってるぜ。資産家で有名な貴族だろ」
どうなってるんだ。学院で世話になったロドニーの家の名をこんなところで聞くなんて。
僕たちはその男から、エバーグリント別邸の場所と道順を何とか聞き出し、彼に金貨を一枚恵んでやった。そのうえで、非常に迷ったが一旦すずらん亭に戻ることにした。
今日のニーナの外出について、アーニスにもう一度詳しく聞く必要があった。
* * * * * * *
「それはおかしいです……ニーナ様は街中で人に会う、とおっしゃってました。キッシェンベルクさんの紹介だから大丈夫だ、と」
「指定された場所とかについては、何も聞いてない?」
「聞いてないですね……」
アーニスの話を聞くとさらに事態は深刻に思われた。キッシェンベルク氏の紹介なら、そもそも商談はあの屋敷でやればいいはずだ。そして、別の場所で会うのならそれをなぜアーニスに伝えていなかったか――
「しかも、エバーグリントか……」
「エバーグリントって確か、テオの学院での先輩だって話だったな?」
「うん。ロッドは次男だね……すごく有名な資産家だから、どこに別荘があっても不思議じゃないように思えるだろうけど」
ロッドの実家とその領地は、ここからは王都をはさんで南東に位置している。北部に飛び地があるとかそういう話を聞いたことはなかった。であれば、わざわざこの物騒な街の近くに別邸を置くだろうか?
やはり不自然だ。遠縁の親戚か何かがいる可能性もないではないが、それならそれで、旅行の際はそこの屋敷に逗留すれば済む。
「よし。決めた、やっぱりまっすぐその『エバーグリント邸』へ向かおう。もちろん、装備はしっかり準備してね」
金ぴかの馬車の主は、ニーナを最初から狙ったものだと考えよう。何故かはわからないが、とにかく。
キッシェンベルクは多分本当にニーナにその相手を紹介したのだろう。おそらく、そうと知らず利用されて――残念ながら、あの古美術商を今から訪ねる余裕はなさそうだ。
その商談の指定場所へ向かう時間も、もちろん――
(あっ)
そこまで考えたとき、僕はニーナが何を考えて行動していたかが、わかった気がした。
数分後、僕たちはエスティナの城壁に設けられた門から馬を走らせて飛び出した。門は夜も開けっ放しで、扉はとうに朽ちて崩れ落ちている。
普通なら野盗や狼が入り込むところだが、この街では『梯子』とそれが呼び寄せる怪異こそが何よりの防備。
勘の鋭い野生の獣はここに近づかないし、あえて日没後にこの門をくぐるような人間は、おおかたとっくに探索者になっている。
夜の街道筋を馬で駆けながら、僕は自分の考えをジェイコブたちに説明した。
キッシェンベルク氏からの紹介であれば、ニーナにとってはいつもの鑑定の仕事。ただし紹介された相手は新顔だ。
当然、彼女は相手方の情報を事前に手に入れようとするだろう。もしそれで成果が得られなかった場合、そこにはこの商談が、何か別の目的のための擬装であるという可能性も浮かび上がってきたはずだ。
現にニーナを拉致された結果としてそう言える、というだけかもしれないが、自分ではなかなかいい線いってると思えた。
「……おそらく! ニーナは最悪の事態を想定してっ……予防線を張ったんだ!」
揺れる馬の上で下を噛まないように大声でしゃべるのは骨が折れる。
「ああ? よくわからんな、もっと具体的に!!」
ジェイコブとくつわを並べて走る。少し遅れてエリンハイドとポーリンもついてくる。
僕は説明をつづけた。
商談が罠だった場合、僕たちもついていって一緒に罠に落ちれば、助け出すことのできる人間も、誰かに応援を頼める人間もいなくなる。
彼女一人で行くとしても、擬装かもしれない待ち合わせ場所をなまじ知っていると、いざというときに僕らはそっちを調べて時間を無駄にする可能性がある。
万が一の時のために僕らの手を自由にしておいたうえで、立ち寄る場所は限定させる――それがニーナの考えではあるまいか。
「くそっ……! 腹が立つのはっ……それだけ周到に心配しておいて、僕たちに事前に何も知らせなかったことだよ!」
そんなに頼りないのだろうか、僕は? それともまだ、まるで信用がないのだろうか?
それとも――僕が彼女の『お客』だからか。
(そりゃないよ、ニーナ……)
互いに命を預けて迷宮に挑んできたと思っていた。少なくとも迷宮の中では、僕は彼女の客以上の何かであるつもりだった。
よし、だったらこの関係をひっくり返してやろう。彼女に僕を認めさせてやろう。
この一か月、彼女のそばでその思考と行動の方法をつぶさに見て、学んできた。その成果を見せてやろうじゃないか。
やがて行く手に鉄柵に囲まれた件の屋敷が見えてきた。薄い紫色を帯びた月光の下に浮かび上がるその屋敷には、奥まった一角にだけ明かりがついているようだった。ニーナはきっとあそこにいる。




