侍女と魔女
王冠はポーリンに。大剣はジェイコブに。結局戦利品は自分たちで使うことになり、今回はさほど懐は温かくならなかった。ともあれ骸骨剣士の遺した武具類を売り払って、ディアス銀貨三枚づつ程度の金を分け合う。これでも一日の収入としてはまあ十分――危険にさらすのが命でなければ、だが。
さすがにその夜は疲れ切って、早々に自室のベッドへもぐりこみ、僕は前後不覚に眠りに落ちた。
「まだお休みでしたか。お着替えをここに置いておきますね」
ドアがそっと開いて、アーニスの声がした。
彼女は結局すずらん亭の一階、メイスンさんの家にひと部屋を与えられ、日々僕たち四人の世話をしてくれているのだが、どうもメイスンさんの下働きという感じには収まっていなかった。
それもそのはず。アーニスの仕事はもともとアナスタシアの『侍女』であり、彼女の外出に同行したり宝飾品を管理し衣装や靴を選ぶと言ったことがその職分だったからだ。
つまり、アーニスには掃除や洗濯、料理と言ったことはおよそ畑違いのなのである。もともとが二ーガスの豪農の娘で、質素ながら使用人にかしずかれて何不自由ない生活をしていた娘だ。
今のところはむしろ、傍目にはアーニスがニーナの『侍女』としてそばに侍り、メイスンさんがその下でメイドとして家事全般を担当しているかのようにも見える。
でも、もちろんこのすずらん亭の主はメイスンさんなのだった。
「ああ、おはようアーニス。今ベッドから出るから、廊下に出ててくれ……」
「かしこまりました」
シャツにも胴着にもきれいにアイロンが当てられ、寸分の狂いもなく畳んでおいてある。僕はまだごくわずかな衣装しか持っていないが、こうして洗濯されたものが出て来るだけでも実にありがたいことだ。
一方、ニーナはただでさえ衣装持ちである。それがアーニスが来てからというもの、外出時の服装などが格段に洗練されたものになっていた。実際大したものだ。
「そういえば、ニーナは見かけた?」
いつもなら朝早くから、緩んだ床板の上を用心しいしい歩く、ぎしぎしという音が聞こえてくる。だが今日は彼女の部屋のあたりは静まり返っていた。
「ニーナ様はお出かけになりました。買い物と、鑑定の仕事があるとかで」
「あれ?」
ドアの向こうから帰ってきたアーニスの返事は意外なものだった。はたと気づいて窓から顔を出し、空を見上げる。
いつもどんよりと雲が垂れこめているエスティナの空だが、それでも太陽の位置だけは分かる――すでに、昼すぎだ。
「寝過ごしちゃったなあ……」
「お疲れのようでしたから……起こしてはならない、とニーナ様もお止めになりまして」
「そっか……」
これは情けない。警護の騎士よろしく、彼女の外出にはできるだけ付き添うようにしていたのに。
なにせ夕暮れに出歩けばお化けは出るわオークはいるわと物騒な街なのだ。決して彼女と一緒にいたいからとか、そういう動機だけではなく――
ああいや、正直になろう。
僕はニーナ・シェルテムショックにまいってしまっている。どのくらいまいっているかというと、彼女のいう『有料の慰め』に安易に手を出すことができないくらいに、だ。
僕はおそらく今でも彼女の客の一人として認められている。相応の代価を払えば彼女との一夜を贖うことは可能だろうし、彼女もそれを拒みはすまい。
むしろあのゴンドラでのやり取りを思えばこちらからの誘いを待っている節さえある――だが、それでも僕は、彼女とは金銭ずく抜きで親しくしたいと思ってしまっているのだった。まあ、なんにしても当人がいないのではエスコートのしようもないわけで。
着替えてこまごまとした装飾品を身に着け、剣帯を装着して廊下に出た。すずらん亭の二階は静まり返っていて、アーニスが立っていることさえ不思議に思えた。
「ジェイクもポーリンも、出かけちゃってるみたいだなあ」
「はい。聖堂前の露店にいくつか用事があるとかで」
「二人で?」
「そうみたいですね」
むう。なんだ、僕一人だけすずらん亭に取り残されて、だらしなく寝ていたというわけか。一人で『梯子』に潜るわけにもいかないし、今日は何をして過ごしたものか。
「お腹すいたな……今からメイスンさんに頼んでも、食事にありつけるのはだいぶ後になりそうだ。あの人いつも正午には食事済ませちゃうし……どこかで屋台でも冷やかすか」
人口が減って治安も悪いこの街でも、人が集まる通りはある。聖堂前もその一つ。ほかにも市中には数か所、こぎれいな大通りや広場に串焼き肉や揚げ物、安パン菓子にリンゴ酒といったものを出す屋台が並ぶのだ。安くはないし少し栄養が偏りそうだが、たまにはいいだろう。
「テオドール様、私も連れて行ってくださいませんか」
「えっ?」
唐突な申し出にぎょっとして、アーニスの顔をまじまじと見る。大きな目がキラキラと輝いてこっちを見ていた。
「その、もう食事は済ませたんですけど……あれから用心してずっとすずらん亭から出てなかったものですからちょっと、たまには外の景色が観たくて。メイスンさんとニーナ様から一昨日お小遣いをいただいてるんですけど、一人で出かけるのはさすがに怖いですし」
「ああ。そういえば僕たちはこのところ毎日迷宮に行ってたから、だれも付き添ってやれなかったよね」
「そうなんですよ」
そういうことなら僕だって大歓迎だ。ニーナへのあこがれは日々募るが、アーニスのほっそりした可愛らしい姿もそばにいてくれるならそれはなかなか心楽しいものではないか。
「よし。じゃあ決まりだ。メイスンさんには僕からも一言口添えしてあげよう。外歩きに支障のない服に着替えておいでよ」
「はい! あの、何かあった時は私もお役に立てます。先週からニーナ様に初歩の魔法を習ってますから!」
それは心強いや、と僕は明るく笑って彼女を階下まで送っていった。ニーナが教えるということは、アーニスにはそれなりに才能があるのだろう。しかし、魔法の専門家ではないと言っていた割に人に教える方もできるとは、どこまでも底のしれない女性だ。
麦刈月の午後の日差しは薄雲を通して街路に降り注ぎ、少し体が汗ばむのを感じる。小さな樽を荷車に載せたリンゴ酒売りの屋台を見つけ、僕はアーニスの手を取ってそちらへ歩いて行った。
「……ニーナ様って、不思議な人ですよね」
アーニスがさっきの僕の考えを読んだように、ぽろりとそんなことを言い出す。
「少し前に、同じことを考えてたよ」
「ああ……そうですね、魔法のこともそうですけど……私、なんだかあの方は、もともと身分の高いお生まれなんじゃないかと思うんですよ」
「へえ……うん、確かにあの博学っぷりはその辺の町娘なんかじゃない、と思うけど」
初めて会った日の不機嫌そうな寝起きの様子を思い出す。あの荒廃しきった仏頂面に化粧が効果を示したのも、彼女が持って生まれた本来の美質が下地に隠れているから――というわけだろうか。
「お着替えの手伝いをしているとわかります。あの方の立ち居振る舞いに、身のこなし――どこかアナスタシア様を思い出しますよ。恐ろしいことに、ニーナ様の方が一段も二段も優雅で洗練されてますけど」
多分母親の影響だろう、と思った。断片的に入ってくる話を総合すると、ニーナの母親というのは大変な実力を持つ魔術師であるだけでなく、とかく上流階級や高名な資産家との関わりが根強くうわさされる人物であったようなのだ。




