令嬢、大いに恋路を往く(その一)
さて、しばらくぶりでございますね、皆様。
もしかするともうお忘れになっておいででしょうか? ベアトリス・マケットカステンでございます。
テオドール・シュヴァリエが無事に迷宮から幼馴染みを連れ帰り、少々の財貨も得たいきさつを、皆様もわがことのように胸を躍らせ喜んでいただけたことかと存じます。本当に、どなたさまもこの上なく優しく慈愛に満ちたお方でいらっしゃいますものね。
そのお優しい皆様にアナスタシア様の、蹉跌や転落と言った紆余曲折をお聞かせすることは、まことに心苦しいのですけれども。
ともあれあの後、アナスタシア様が学院とその周辺でどのような日々を過ごしておられたのか……早速始めるといたしましょう。どうぞ、ごゆるりと――
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牧羊月に入り、気候は日々ますます暑くなっておりました。
またもめぐってきた『クロノステッドの安息日』のその日、アナスタシア様は数人のお友達を伴って、アド湖のほとりまで野遊びに出られたのです。かたじけないことに私も同道させていただいておりました。
私のほかにはモノグラム家のマチルダお嬢様、ウイングナット家のエリノアお嬢様と妹君のルシアお嬢様――そして特筆すべきはこの日初めて、アナスタシア様の新しい想い人として、あの裕福なエッシーの若様、クロード・ル・ベル様がご一緒だったことです。
アナスタシア様は十七歳、クロード様は一六歳と、お年は一つ年下ですが、クロード様はたいそう如才なく余裕たっぷり、一座の中の誰とでも気さくに言葉を交わし、自信満々な様子でした。そうして、もちろんのことその微笑みは、もっぱらアナスタシア様に向けられておりました。
現地までの移動に使うのは、通学用のものとは別にあつらえられた、それは大きな四頭立ての四輪馬車でございます。
内部は広々ゆったり。私たちはアナスタシア様を囲んでそれは楽しく語らい、アド湖の素晴らしい景観が目の前に姿を現すまでは、窓の外を見る暇もないほどでした。
湖畔には子爵家と懇意にしている近隣の豪農が、水浴び小屋を建てておりました。
小屋、と言ってもそれはもうほとんど別荘と言っていいほどの立派なものなのですが、ただ夜に眠るための寝室だけはありません。これはあくまでも日帰りの行楽のために作られたものなのでした。
アナスタシア様をはじめ良家のご令嬢の皆様は、その建物のなかで惜しげもなくブラウスもスカートも脱ぎ捨て、生まれたままの姿になってから思い思いの水着にお着替えになったのです。
マチルダ様は伸縮性のある生地でできた、膝と肘までを覆う体にぴったりした襦袢――淡いバラ色であることも相まって、大変に刺激的なものです。その、大丈夫なのでしょうかこれは。
エリノア様は同じような形式ながら腰回りと胸の下に大きく派手なフリルをあしらった、まるでサルスベリの花を着ているような濃いピンクのもの。ルシア様は色違いの黄色の水着をつけておいででした。
そして、アナスタシア様はと言えば、腰回りに花模様の布を巻き付けて膝上まで覆い、胸には同じ布で大きく三角形に作ったものを当ててそれぞれ左肩と腋の下を通して背中で結ぶという、ついぞ見たこともないいでたちだったのです。
「きゃあ!! アナスタシア様、なんて大胆な」
「ふふ、あなたほどではありませんわ、マチルダ様」
大胆ツートップのお二人は、互いの姿をまじまじと見ながら笑い合っておられます。
ああ、ずっと離れたところで馬車の番をしているあの御者が見たら、きっとマチルダ様に軍配を上げたことでしょうね。遠目には、見たいとおりの姿に見えるでしょうから。
でも、近くにおりますとやはり、素肌の見える面積の大きさからいってもアナスタシア様の方が目に毒だったかと存じます――私が殿方であったならば、ですけれども。
「……ふふ、都で評判の仕立屋に命じて作らせてありましたの。これからの最新流行になるはずですわ」
「さすがはアナスタシア様……!」
この間、私だけは学院の制服をつけたまま、クッションのない木製の椅子に腰を掛けて、皆様の可憐なお姿を見守っておりました。
「ベアトリス様はお着替えになりませんの?」
ルシア様が屈託のない様子でそうお尋ねになります。
「ああ、私は遠慮しておきます。その、泳げませんし日差しの強いところはどうも苦手で……お気になさらず、私は皆様に危険がないように、周りを見廻っておりますから」
「まあ……そうですね、ベアトリス様は学院の女子では一番の剣士ですもの。頼もしいことですわ」
納得して瞳を輝かせるルシア様ですが、実のところこれは買いかぶりすぎというものです。そもそも、学院で剣を学ぶ女子そのものが大変少ないのですから。そして実は私、水泳は得意でございます。
ではなぜ、と?
簡単なことですわ。お嬢さま方と一緒に水遊びに興じていては、仲間の輪をはなれ人目につかないところで交わされる、刺激的この上ない秘密の会話を、こっそり聞くことができないではないですか!
着替えが済むと、私たちは連れ立って湖の岸辺へ出ました。別室で着替えたクロード様は腰から下、膝までを覆うだけの厚手のタイツを身に着け、足元を革製の古代風なサンダルで固めておられました。
エッシーの若様は小麦色に日焼けした麗しい金髪の美少年です。のびのびとした長い手足には、ここ数か月の学院での教練で次第にしっかりとした筋肉が付き始めていて、思わず抱きしめたくなるような若武者ぶりでした。
「いや、これは、これは! 皆様なんとお美しい!! この緑きらめく初夏の湖畔に、花咲く春が舞い戻ったような眺めですよ」
「あら、いけませんわよクロード様。アナスタシア様だけをしっかり見ておられなくては!」
「いいのですよ、クロード様……この手綱の伸びる長さまでなら、どこへ行こうとご自由に! でも私の手からは逃がしはしませんから」
笑顔を浮かべながらそれらしくすごんで見せるアナスタシア様にも、クロード様はどこ吹く風と笑い返しました。
「先に私が水に入って、皆さんが冷たい思いをなさらないかどうか確かめてまいります。そのあとは道中のお約束通り、ルシア様に泳ぎの基本をお教えしましょう」
「わあい、クロード様大好き!」
「ちょっと、もう、ルシアったら!」
無邪気すぎるルシア様をエリノア様がたしなめるのをしり目に、クロード様はおどけた様子で波打ち際まで走っていくと、わざと腹ばいに突っ伏すような不格好な姿で水に入られました。
「うっはあーーっ!! これは冷たい! 皆さん、あまり長く水に浸かっていると風邪をひきそうですよ!」
私は、日傘をさしてその様子を眺めておりました。
思うに、あの若様は決して悪い方ではないのでしょう。ただとても無邪気で、なんでも自分の思い通りになり、欲したものは手に入るということが当たり前になりすぎていたのではないか、と思うのです。
だから自分が座ろうとしているその席に予約があることも気が付かず、気が付いたとしても意に介さない。
そんな風ですから、最初にあの方からアナスタシア様へ花束を言伝られたマチルダお嬢様も、さぞ驚きあきれられたことでしょう。悪びれぬ態度というものは、ときに人を圧倒し判断を狂わせるものです。
是非はともかく、花束は届けておこう――マチルダ様がそう思ったとしても、不思議はありませんよね。




