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手をとって共に

「……まあ、さっきエリンハイドさんが言った通りだよね。この街には領主も衛兵もいないから、王国の法令も有名無実――つまりさ、この子の身分や、所有権の帰属を法的に決めることはできないし、意味がないのよ。はめると持ち主にしか外せなくて意思を奪われる、なんて効果を持つ『隷属の首輪』みたいなものはお話に出てくるだけだし――そうでしょ、ニーナさん?」


 ポーリンが少女の鎖骨のあたりを指でなぞりながらそう言った。もちろん、彼女の首の周りは少し垢じみてはいるが、これと言って魔法的な装飾品など見受けられない。


「うーん、聞いたことないわね……性質の悪い奴隷商人だと、習慣性のある薬に依存させたりするらしいけど……この子はただ、気絶してるだけだわ」

 ニーナは肩に羽織っていたショールを、ぐったりしたままの少女にかけてやっていた。


「というわけで提案! この子、あたしたちで保護しとくのが一番よくない?」


 真顔で言いながら、ポーリンは僕たちの顔を見回した。つまりそれって、すずらん亭に連れて帰るってことになるのではなかろうか。はて、それにしても――


「ニーナ……ちょっとその明かりを、もう少し彼女の顔の近くに置いてくれない?」


「どうしたの?」


 不思議そうな顔をしながら、ニーナは手に持った小さな棒を少女の顔に近づけた。月長石をはめ込まれたそれは、彼女の手元から穏やかな光を放っている。

 ニーナの手が移動するにつれて、皆の顔をくまどる影が形を変えていって――そして。


 その少女の顔がはっきり見えた瞬間、僕は心臓が凍り付くような気がした。そこにいたのは、アナスタシアの侍女だった、あの娘。


「アーニス……アーニス・カミルだ!! なぜ彼女がここに!?」 


 僕の声がきっかけになったのか、彼女は唐突に目を覚ました。ひっ、と息をのんで怯えたしぐさで自分の肩を抱きすくめ、あたりを見回す。


「こ……ここは? さっきの大男たちはどこへ……」


「僕が分かるか? アーニス。テオドールだ、テオドール・シュヴァリエ」


「て、テオドール様……? なぜこんなところに……ああ、もしやあなた様も私と同じように?」


 会話がそこで滞り、ニーナが横から僕たち二人の肩をつついた。


「ちょっと。お互いに質問したんじゃ話が進まないわ……えっと、この子があなたの話に出てきた、アナスタシア嬢の侍女のアーニス?」


「う、うん……」


 さすがに平静を失いかけていた気がする。この少女に親切にしたのがきっかけで、僕はこんな――いや、よそう。彼女に責任はないのだ。

 むしろ、僕が下手に添え木などしたせいで、アナスタシアが付け込む隙を作ってしまったと考えるべきか。


「アーニス。僕は自分の意志でこの街に来たんだ……その、アナスタシア様との婚約はふいになっちゃってね。足はもう、いいのかい?」


「あ、はい。おかげさまでだいぶ……でも私、あの後すぐお嬢様からお暇を出されてしまいまして。ニーガスまで帰るのには馬車を出していただけたのですけど」


 ニーガスという地名には聞き覚えがある。ハンブロール子爵領の北東に隣接する富裕な農村だったはずだ。


「それでどうして、この街に?」


「家に帰ったその夜に、村が山賊団の襲撃を受けたんです」


 その後に続いたのはだいぶひどい話だった。四十人くらいの武装した山賊が彼女の村を襲い、家を焼き財貨を奪って年頃の娘を連れ去った、というのだ。彼女たちは個別に奴隷商人に売り渡され、アーニスはこの街まで運ばれた。


(まさか、アナスタシアが手を回したわけじゃないだろうな……そこまでするとは、さすがに考えたくないけど)


「あの変なお面の人が私を買って、そして、あの大男たちに与える、と。いくら物を知らない私でも、女が奴隷に落とされて、複数の男に『与えられる』というのがどういうことかくらいは分かります。もうだめだ、と思ったところを、見とがめたその神官様が割って入ってくださって――続いて、テオドール様たちが」


「そうか……エリンハイドさん結構無茶するなあ。でも、無事でよかったよ」


 改めてアーニスを見る。身長はニーナより頭二つくらい低くて、ほっそりした体つき。わずかに褐色を帯びた黒髪は肩にかかる程度の長さ、小ぶりな顔に比して目が大きく繊細な造りの顔立ちだ。


 アナスタシアの侍女だったころの、こざっぱりとした姿がそれに重なる。ありていに言って、可愛い――すごく可愛い。保護する、というポーリンの提案がとても魅力的に感じられた。


「その、よかったら僕のところにしばらく―― 「ダメに決まってるでしょ」


 発しかけた言葉を横合いからニーナにぶった切られる。げんこつの形に固めた彼女の手が、僕の頭の上にこつん、と載せられた。


「すずらん亭に間借りする身だってことを忘れないでね? 彼女はもう奴隷じゃないし、あなたにそういうつもりがなくても、メイスンさんは男女間の節度については厳しいわよ」


 ……はい、知ってます。


「あなたの部屋に住まわせるつもりなら結婚ということにして、実際に彼女に対して全責任を持たないとね」


「わ、私はそれでもかまいませんけど……!」

 

 アーニスがまさかの捨て身アタック。待ってちょっと待ってなんでいきなりそこまで。


「ふむ、私がここに居合わせたのも何かの縁でしょう。略式になりますが地母神(ゲルタ)の聖堂でよろしければ私が立ち合いを務め――」


 エリンハイドさーん!?


「あ、いや、うん……さすがに僕の部屋で同居するのはまずいよね。かといって結婚を考えるにはまだ僕は気持ちに整理がつかなすぎる。確か部屋はもう一杯だし……女性陣でだれか引き受けられる人いたら頼めるかな。ニーナは?」


「……ごめんなさい。ダメ出しした手前言いづらいけど、私の部屋には他人を入れたくないの。危ないものもたくさんあるから」


「ええー……」


 そこでかわされるとは。情けない顔になってうつむいた僕に、助け船を出してくれたのはポーリンだった。


「あたしの部屋でよかったら、とりあえず今夜はいいわよ。あの部屋まだベッドが一つあるだけだし。あとのことは明日にでも考えましょ」


「お願いできるなら、助かるよ」


「そういうことなら、ポーリンに任せるわ。お風呂で体を洗って、あとは食事もさせてあげないとね。まずはすずらん亭に戻ってメイスンさんに――ところでこのオークの死体、どうしましょう」


「む」


 忘れそうになっていたが、視線を向ければそこにある。偽装が解けたまま血まみれで転がる、持て余さんばかりに大きな五つの死体。


「こうしましょう」


 エリンハイドが懐から乾燥した何かの葉を三枚取り出して、地面に置いた。


 ――葉擦れあるところ、そは森なれば。斃れし獣に苔と腐葉土の安らぎ、蠅と死出虫に滴る糧物(かてもの)を。かくて清浄は保たれ生命は循環にもどるべし――


腐食の庭師スカヴェンジ・ガーデナー


 結句とともに、どこからともなく現れたふかふかした腐葉土が死体を覆い、その中を人の腕程もの太さのあるツタがぐねぐねと動き回る。僕たちが見守るその前で、ものの数分もすると死体はひと山の土に変化し、そしてやがて一切が消滅した。


「うわあ……」


「これは、便利な魔法だな」


 ジェイクが感じ入ったようにうなずく。確かにそりゃあ、迷宮で倒した怪物の死体をこういう風に処理できればいろいろと役に立つかもしれないけど。


「人間の死体に使えないのと、自然の森からあまり離れたところ、例えば迷宮の中では使えないのが難点ですがね」


「ああ、だから雷鳴巨猫(パーロウル)の死体はそのままにしてきたのか」


「ええ、残念ながら」


 人間に使えない、と聞いて少しほっとする。死んで間もないものであれば、神殿や寺院で高度な儀式を行えば復活できる場合もあるのだ。それをこうも手っ取り早く消す方法があるとなると、何かあった時のことを考えて空恐ろしくなる。


 アーニスを囲んで守りながら、すずらん亭へ向けて歩き出した、まさにその時。エリンハイドが黙って僕たちの後ろについた。


「私も一緒に、あなた方の宿まで向かいましょう。私の宿は別のところにありますが、場所を知っておくに越したことはない」


「え?」


「……実はその、あの後色々考えましてね。友人のところを訪れたのも、それと関係があるんです。あの方は探索者や冒険者の心得に詳しいので。武具の類も少し借りられるかと思います」


「それって……もしかして?」


「はい。助祭様にも許可をもらってきました……私もこれからは毎回、あなた方に同行しましょう」


「エリンハイドさん……!」


「あなた方は何か、大きなことを成し遂げるような予感があるのです。であれば、その手助けをするのが今後しばらくの私の使命なのではないか、と」


 エリンハイドが青白い手を差し出してくる。


「いやはや、根拠が薄弱でいかにも坊主の世迷い事とは思われるでしょうが……受け入れていただければ」


 僕はためらわずに彼の手をとった。


 ふつうの人間と変わらず、温かだった。

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