路地裏の拾い物
――ぐふ……ぐふふ……
男たちはくぐもった笑い声を響かせながら、ゆっくりと距離を詰めてくる。特に防具も武器も持っていない簡素ないでたちだが、彼らは異様に肉厚な体をしていて、しかも動きに無駄がなかった。
「ジェイク……こいつらは」
「ああ。油断しない方がよかろうな。見たところ、奴隷を買うか盗むかして連れ帰る途中で、エリンハイドにそれを見とがめられたもののようだが――」
男たちを視野に収めていながら、彼の目は路地の奥の荷車の上にも注がれているらしかった。
「少しの間も待てずにこんな往来で凌辱三昧に及ぶとは、あの覆面、どうも部下には恵まれていないらしい……あるいは」
男たちがにわかに殺気立って、ジェイコブに向かってとびかかると見え――その呼吸に合わせるようにジェイコブも剣を抜いていた。
「そもそも、捨て駒として飼われているのかもしれんがな!!」
掴みかかる腕の、手首を狙って下段から斬りあげる。不格好な蟹のような物体が血しぶきとともに宙を舞い、僕の足元に転がってきた。
節くれだって分厚い肉のついた、男の右手だ。
普通の人間ならそこでひるみ、膝の一つもつこうかという傷。だが、そいつは斬られた手など意に介さずジェイコブの首を喉輪に掴み、横の壁に押し付けた。
「ぐは……」
「ジェイクッ!!」
男の足元に滑り込み、下から喉を剣で突き刺した。ぐげ、と一声うめいた男は、右足の前蹴りを繰り出す。僕はどうにかそれに対応し、蹴りの勢いに乗って後方へ跳んだ。剣が刺さったままでは拘束されてしまう。
首をつかんだ男の手が緩み、ジェイクが自由を取り戻す。咳き込んでいるが、幸い気管がつぶれるようなことはなかったらしい。彼も僕のところまで後退して体勢を整え直した。
「げほ、げほっ……気をつけろテオ、こいつら人間じゃなさそうだ」
「ええ!?」
それは事実だった。僕たちの目の前で彼らの体はさらに一回り大きく膨れ上がり、不健康そうな灰色を帯びた皮膚に変わっていく。下あごから鋭い牙の突き出た顔は、どことなくイノシシや豚を思わせた。
「見ろ、オークだ。してみるとあの覆面野郎、思った以上に性質の悪い輩だぞ」
「オーク……」
かつて北方に魔族が強大な帝国を構え、マンスフェル王国を脅かしたその時代。尖兵として用いられたのがオークだ。体が大きく膂力に優れ、凶暴でずる賢い亜人類種族。様々な亜種があるためにともするとイメージが一定しないが、目の前のやつはどうやら、特に厄介な部類と思われた。
喉を貫かれ、右手を切り飛ばされた先頭の一体は、地面に転がってもがいている。まもなく絶命するだろうが、その奥にはまだ四体が残っていた。無傷だ。
狭い路地だ、僕とジェイコブが横に並べば後ろにいるニーナたちにオークが殺到するのは防げる。だが、こちらとしては街中で防具をつけていないのがなんとも痛い。
「よし、テオ。合図したら三つ数える間目をつぶれ。奥の手を使う」
ジェイコブが小声でささやいた。何かやる気だ。
「分かった」
「よし。やるぞ……せーの!」
ジェイコブがオークたちに向かって何かを投げつけ、つぶった瞼の向こう側で膨大な光が発生したらしかった。血の色が透け真紅の色が目に焼き付く。
「いち……にぃ、さん!! 今だ!」
ジェイクの合図で目を開いた。オークたちは目をつむり損ねたらしく、前方の空間を腕でまさぐって呻いている。だが一体だけが、視界を閉ざされたままこっちへ肩口からの体当たりを狙って駆けてきていた。思い切りのいい奴だ!!
「う、うわあっ!?」
脇へよけることはできない。だがあの体躯とスピードでは剣を突きだして待ち受けようにも、止められるのかどうか――あわやの一瞬、後ろから朗々と響く単音節の詠唱。
――停止せよ!
オークは体をびくりと痙攣させて動きを止めた。ジェイコブがそこへ袈裟懸けに斬りつけ、オークは左肩から右わき腹にかけて深々と斬りこまれて倒れた。
「今のは!?」
振り向くと、エリンハイドがニーナたちに助けられて半身を起こし、こちらへ向かって腕を突きだしていた。彼が神聖魔法を使ったのだ。
* * * * * * *
「疾ッッ!!」
「フンッ!」
ジェイコブの剣がオークの左太腿を斬りおとし、僕がその脇腹に深々と剣を突きさす――それで決着。目が見えなくなった残り三体のオークを、僕たちはどうにか剣に物を言わせて片付けた。
あとには片付けに困る大きな死体が五つ、それに荷車の上に押し倒されて気絶したままの少女が残されていた。
「怪我はないか、テオ」
「大丈夫……ジェイクこそ、喉は?」
「あいつの踏み込みがもう一歩深かったらヤバかったな。だが、何とか大丈夫だ」
エリンハイドはようやく打撃から立ち直り、衣服の汚れを払って立ち上がっていた。
「面目ない。お見苦しいところをお見せしました……打ち身などあれば私にお任せを」
オークが振り回した腕を防いで、僕の左腕は半ばしびれていた。触るとズキズキするその部分に、ダークエルフの神官は丁寧に治療呪文を施してくれた。
「エリンハイドさん……戦闘中の魔法も使えるんじゃないですか」
「ああ……言われてみれば。実は初めて使ったのです、何せ必死だったので」
振り返ってみれば幸運だった。あそこでエリンハイドの助勢がなければ、僕たちは路上になぎ倒され、下手すれば剣を折られていただろう。その場合、後ろの女性二人もどうなったことか。
「ハリントンさんの判断も悪くなかったわ。あそこで『閃光壜』使ってなかったら、二人のうちどちらかは死んでたかも」
「閃光壜って、何だい?」
「その名前の通り、『閃光』の魔法と同じ効果を発揮する壜よ。錬金術師に頼んで作ってもらわなきゃならないけど……ハリントンさんに頼まれて、何本か仕入れて渡してあったの。一週間くらい前かな」
「なるほどね。君には助けられてばっかりだなあ」
「巡りあわせがよかったってことよ……それにしても、いったい何があったの? エリンハイドさん」
ニーナが促すように問いを発した。それは僕自身も明らかにしておきたい事だった。
聖堂は街の北西にあり、ここはだいたい南東に位置する区画。別れた後の時間を考えれば無理のないものだが、神官が聖堂からそんなに離れた場所を日没後に歩き回る、というのはいささか不自然に思えたのだ。
「実はその……この界隈近くに友人が住んでいましてね。そこを訪ねた帰りだったのですが……あの者たちが――オークだったわけですが――女の子を引きずって歩く様子が、あまりにも乱暴だったので。奴隷というのは用途が何であれ高価なものですから、普通は丁寧に扱うものなのですよ」
「待って、そもそもマンスフェル王国では奴隷売買はご法度ですよ?」
「ええ。しかしこの街では、その法令は機能していません。なにせ執行者たる領主もいなければ衛兵もいないのですから、法など実質的にないも同然です」
「なるほど……」
それで、奴隷の扱いをとがめたところを路地に引き込まれて暴行を受けた、というわけか。
「……で、どうするんだこの娘」
僕たちは話しながら荷車のところまで近づいていた。ニーナとポーリンが少女の様子を確かめているところだ。聞こえてくる会話から察するに、命には別条ないしまだ凌辱を受けたりもしていなかったらしい。
「でも、ここに来るまでもひどい扱いを受けていたみたいね。打撲の跡が何か所かあるし、血色が悪いわ。体は洗ってるみたいだけど……」
「買ったものだとしたらあの覆面野郎のものなんだろうが、届けてやろうという気にはならんな。かといって商人のところに届けてやってもこの様子だとろくなことになるまい……」
さてどうする。僕たちは互いに顔を見合わせて黙り込んだ。




