思わぬ再会
生クリームをたっぷり盛ってシャーベットを添えたパンケーキをデザートに、濃く煮出したミルクティーでしめくくり。僕たちはキッシェンベルク邸を出て、再びエスティナの市中に出た。
休憩は十分にとったが、腹がくちくなりすぎたのかまだ少し頭がぼうっとしている。夜風に当たりつつ、皆の後方を守るつもりで少し遅れて歩いていると、ニーナがこちらへ振り向いて手招きするようだった。
「テオドール! あまり離れない方がいいわ、何かあっても守れないから」
「何を。子供じゃあるまいし……逆だよ。僕が守るさ」
歩調を速めながらそういうと、ニーナがどこか明後日の方向を指さした。
「あれを見ても、そう言える?」
思いがけない厳しい口調に、僕も緊張を取り戻してその方向を凝視した。彼女の見識には敬意を払う価値がある。そのことはもう十分過ぎるほどわかっていた。
(……あれは?)
彼女が指さした方向には、三人ほどの人影が月明りの下をこちらへ歩いてきていた。見た感じべつに奇異なところはない――いや、待て?
次の瞬間、僕は肝をつぶした。
その人影の服装は、ジェイコブやニーナ、ポーリンと全く変わらなかった。ただし――彼らの目があるべき位置には、されこうべの眼窩のように、黒々とした孔、どこか得体のしれない闇の底へつながるかのような黒い孔が、ぽっかりと口を開いていたのだ。
凝視する僕に気づいたのか、その人影三つは一様に虚無的な笑みを口元に浮かべ――ああ、その生気のない肌の、腐ったバターのような黄色さと言ったら!
彼らは不意に方向を変えて脇の路地へと消え、その後ろからもう一つの影がやってくるのが見えた。
そいつは、僕と同じ姿をしていた。目元はやはり黒い孔のようで、そこには枯れかけた薔薇が一輪、花瓶にするように挿してあった。人影はやおら剣を抜くと、顔の前に立てた――刀礼。戦闘の相手に敬意を示す作法だ。
(襲ってくるつもりか……!?)
全身に走る戦慄。こちらも剣の柄に手をかけて身構える。
だがその人影は次の瞬間、胸をそらせて声のない哄笑をあげると、そのまま他の影を追って路地へ消えていった。
本当に驚かされたのはその直後だった。僕たちそっくりの格好をした四つの影が消えていった路地は、瞬きの後にはただの壁になっていたのだ。
思わず駆け寄ってみたが、そこには本当に、何の変哲もない建物の壁があるばかりだ。少し離れた窓には、たった今の怪異が幻だったかのように、暖かそうな色の灯がともっている。
「なんてこった……なんなんだ、今のは!?」
「分からないわ。似たようなものは何度も見たけど、だれも明確な説明はできないの。悪意に満ちた亡霊かもしれないし、人間に擬態する魔法的な生物かもしれない。待ち受ける危難を予言する精霊かもしれないわ……ああいう得体のしれないものにさらわれてどこかへ消える人もたまにいるから、気を付けないと」
「うわあ、ぞっとしないなあ」
ポーリンも今の一部始終を見たようで、カチカチと歯をならしながらちゃっかりジェイコブの腕にすがりついている。
その様子を見て一瞬苦笑いを浮かべながらニーナが言った。
「ただ一つ確かなのは、ここがエスティナで、迷宮の及ぼす影響は地上にもはっきり表れる、ということね」
「ニーナさんのいう通りだ。それにな、この三百年、数多くの魔術師が迷宮の各階層の位置関係を特定しようとしたが、その試みはいずれも失敗してるそうだ」
「そう。雷鳴巨猫は別の次元から来てる、って言ったけど――正確にはあの階層そのものがこの世界とは別の場所である可能性がある」
「ふむう……考えようによってはこの街も、迷宮の一つの階層だと考えた方がいいかもしれんな。」
「ってことはさ」
ポーリンが気味悪そうに空を見上げた。
「この街の上にも、もしかしたら迷宮の――『梯子』の別の階層があるかも、ってこと?」
「あるかもね」
あまり意味のある問答とは思えなかったが、一方でなにやら冷え冷えとした気持ちに襲われる。
ある日どこか僕たちの知らない世界から、知らない種族の一団が階段を下りてきて、僕たちを虐殺しては財貨をさらっていく――そんなこともあり得るのだろうか?
と、その疑問に呼応するかのように、宵闇の中で異音が響いた。
押し殺したような女の悲鳴。男の怒号。何かものの割れ、壊れる音――先ほど怪しい影が消えたのと反対側、僕たちの進行方向左側からだ。
――やめ……なさい。たとえ奴れ……であろうと……そのような……
男のかすれた声。その声音に聞き覚えがある気がして、僕は背筋に粟立つものを感じた。次の瞬間、野卑な掛け声ともに、路地の入口から吐き出されるように人影が現れ、石畳の上に倒れこんだ。
「……そこの路地かっ!!」
駆けだす。ぽかんと口を開けたポーリンの顔がちらっと視界をかすめた。
――ちょっと! よしなさいよ、むやみに他所のごたごたに首を突っ込んだら……!
背後にニーナの声。
だけど、そのときにはもう僕は完全に頭の中が真っ白になっていた。なぜなら――路地から出てきた人物は耳が長く、尖っていて、顔が幽鬼のように青白かったのだ。
それは、聖堂の前で別れたはずの術士エリンハイドだった。
剣を抜くと同時に路地に踏み込んだ。眼の前には片方の車輪が壊れて片膝をついた荷車と、その周りにたむろする、いかにも性質の悪そうな男たち。それに、顔を鳥のくちばしのようなマスクで覆い、黒いマントをつけた長身の人物がいた。
「何をしている!!」
精一杯声をはげまして怒鳴りつけるが、まだ十七歳の僕には何とも青臭い、子供じみた声しか出すことができていなかった。それでも、彼らを放置するわけにはいかなかった。
エリンハイドは短い間とはいえ冒険を共にした大切な仲間だったし――荷車の上では粗末な衣服をつけた少女が、今まさにそのみすぼらしい着衣すらも剥ぎ取られ、おぞましい仕打ちを受けようとするところだったのだから。
――おやおや、正義の少年騎士のお出ましだ。
――どこのお坊ちゃんだか知ったことじゃないが、今日はよくよく邪魔が入るなあ。
勝手なことをいいあってげたげたと笑うその一団に、くちばしマスクの人物がよく通る声でしかりつけた。
「バカものどもめ。だからこんなところで騒がず、さっさと安全なところへ引き払おうと言ったのだ……まあ、たまには目先の変わった愉しみもよかろう。私は先に帰っている。あとの掃除はちゃんとしておけよ」
――へいへい。
肩をいからせながら男たちが近づいてくる。くちばしマスクは慌てる風もなく悠然と路地の奥の闇の中へ歩き去ろうとしていた。
僕の後ろで、ざりっと砂粒を噛んだ靴音がした。
「やれやれ……お前は昔から、義憤に駆られると後先わきまえなくなって困る。加勢するぞ、テオドール」
そう言いながら、ジェイコブ・ハリントンは僕のわきを通って男たちの正面に立ちはだかった。




