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釈明さえも許されず

 当代きっての軍学者、ディデュワイユ先生を迎えての特別講義には何とか遅れずに滑り込めた。最後尾のベンチ席に体を放り込んで息を落ち着かせ、容赦なく投げかけられた質問にも堂々と答えを返す。



 ――はい。騎兵の運用において最も考慮すべき問題は、馬匹に与える飼料の輸送であると考えます――


 ――うむ、うむ、非常によろしい! 素人ほどはなばなしい戦闘とそれを左右する戦術に目を奪われがちだが、騎兵に限らず、軍隊が力を発揮するには補給が最大の課題になる! 諸君も知っての通り――



 先生は僕の答えに非常に気をよくした。糧秣の備蓄拠点を奇襲されて一敗地にまみれた、有名なモンフォール将軍の失策について、そのあと十分をかけて熱心に語ったものだ。


 だが、どうも教室の雰囲気がおかしい。ささやくような声とちらちらと僕の方を盗み見る視線が、そのあとも絶えずまとわりついてくる感じがする。第一、講堂の中がこんなにざわめいていては――



 ――静粛に! 静粛にしたまえ、諸君!! この高邁にして有意義な講義には、れっきとした王国の予算から対価が支払われておるのだぞ!!


 先生の特大の雷が落ちて講堂は静まり返ったが、視線の方は相変わらずだ。

 鐘の音とともに講義が終わると、僕は即座に手近な学生をつかまえ、皆のおかしな様子について問いただした。


「やあ、ジョルジュ。なんだかみんな僕のことを見ていたけど、何事かな?」


「テオ……お前まさか、知らないのか」


「何を?」


「参ったな、こりゃ本物だ……よし、お前はいい奴だから教えてやる。あのな、今すぐアナスタシア様のところに行って許しを請うんだ。詳しい話はそのあとだ。悪いことは言わない、急げ」


「アナスタシア様? いったい何があったっていうんだ……」


 許しを請う、というからには僕はなにか、彼女の怒りを買ったのだろうか?


 一昨日――週に一度の『クロノステッドの安息日』を前に彼女の別荘へ同行して、晩餐のお相伴にあずかった後その場を辞して以来、顔を合わせていなかったのだが。


 だがジョルジュの様子を見る限り、アナスタシアはよほど激昂しているらしい。これはまずい。


「分かった、ありがとう。急いで行ってみる」


 今日の午前中は、女子の部の講義が入っていない。こんな時、アナスタシアは取り巻きの令嬢たちとともに、学園の中庭にあるあずまやでお茶を楽しんでいるはずだ。


 普段なら邪魔をすればどんな叱責を受けるかわかったものではないが、多分今起きている事態はそれどころではない、と思われた。


(今日は朝から走ってばかりだ……)


 中庭の舗石を踏み鳴らして駆けよれば、あずまやの涼しげな陰の中に、アナスタシアのかわいらしい横顔と、そこから続く豊かな胸元のシルエットが見える。


 入念に調えられた縦ロールのつややかな金髪。白く明るい額の下には、少し濃いめの色をした眉とまつげに飾られた、アイスブルーの瞳。いつも心躍り、慰められるその姿――だが、彼女は僕の接近を認めると、まなじりをつりあげて立ち上がった。


 周囲を固めた美少女たちが音もなくあとすざって道を開け、アナスタシアは怒りの表情で、化粧瓦で葺かれた小さな屋根の外へと進み出る。



「ア、アナスタシア様――」


 お怒りと聞き及びました。されど何をもってご不興を買ったのか、この愚かなテオドールには計りかねております――


 そんな口上を頭の中で組み立てる――いや、これではだめだ、怒りの炎に油を注ぎ、彼女にほしいままな攻撃を許してしまうだろう。



「テオドール! よくもまあおめおめとわたくしの前に顔を出せたものね、この恥知らずの野良犬が!」


 僕の迷いの隙をついて、すでに炎と雷は放たれていた。僕は石畳に膝をついてその嵐に耐えようとした――だけど!


「の、野良犬……!! お待ちください、確かに僕は、あなたに比べれば取るに足りない弱小貴族で、それも三男に過ぎません。それでもあなたにふさわしい者となるために身を慎んで日々勉学に励み、お出かけの折りには影のように侍ってお守りしてきたつもりです……いったい何の罪咎あって、そのような侮蔑を受けなければならないのですか!?」


 あまりのことに、僕の膝は曲がったままでいることを拒絶した。立ち上がった僕は一歩踏み出してアナスタシアに詰め寄り、この二年近くの間で初めて、声を張り上げて彼女に言い返した。


 アナスタシアは一瞬だけひるんだ様子を見せた。美しい顔が一瞬青ざめ、続いて頬にわずかな赤みがさす――だが、彼女はぷいと顔を背けると、とんでもないことを言い出した。


「聞きましたよ……一昨日の午後遅く、別荘の裏庭でアーニスの前に膝をつき、舐めんばかりの様子で彼女の脚をまさぐっていた、と」


 きゃあ! と周囲から悲鳴が上がった。


 ――お聞きになりまして? なんて破廉恥な。


 ――アナスタシア様にあのようなことまで言わせるとは!



「! あれは……いや、いったい誰がそんなことを!?」


 一瞬口を滑らせかけた。


 アーニスとは、アナスタシアの侍女、アーニス・カミルのことだ。確かにその夕方、僕は彼女の脚に触れた。だがそれはアナスタシアが言うようなことではない。


 裏庭でつまづいて転び、足をくじいて涙を浮かべていた彼女を見かねて、脱臼を整復(なお)し添え木を当ててやっただけなのだ――とはいえ、今はたとえ事実であろうとも、少しでも不利なことは口に出すべきではあるまい。


 そう、思ったのだが。


「……アーニスから直接聞きました。あの子に証言の訂正や撤回を求めようとしても無駄です。もう親元へ送り返しましたから」


 怒りのためかほかの要因か、彼女の声はかすかに震えているようだ。


「お父様からあなたにこれまで与えてきたものをすべて返せとは言いません。でも、このように軽はずみに不貞をはたらいておいて、私の未来の夫としてその地位に安住を許されるなどとは思わないことね。この婚約は破棄します」


「そ……そんなバカな……」


 目の前が暗くなった。何が何だかわからない。どうやら僕はあらぬ疑いをかけられ、抗弁の機会も与えられないままお払い箱にされるらしい。

 尻もちをついてへたり込んだ僕を残し、アナスタシアは令嬢たちとともに中庭を出ていった。それが彼女の姿を目におさめた最後だった。


 

 そのあと起きたことはあわただしすぎて、今でもその全部は思い出せない。


 学院の院長室に呼び出され、直々に学籍を抹消すると伝えられたことは覚えている。それと、寄宿舎の部屋を引き払って荷物を旅行かばんにまとめたところで、実家に帰る路銀も足もないことに気づいて途方に暮れたこと。


 そして何よりも鮮明に思い出せるのは、学院を去る最後の瞬間、ロドニー・エバーグリント卿がそばにいてくれたことだ。


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