令嬢、厳しく叱責を受ける
さて、テオドール・シュヴァリエの物語をお楽しみの皆様。
申し訳ございませんが、少しだけお時間をいただいて、私のお話をお聞きくださいますでしょうか。いえ、そんなに長いものではございません。
皆様のお心はもうすっかりあの可愛らしい若様と、魅惑的な浮かれ女のおりなす冒険譚のとりこになっていらっしゃることでしょうけれども……テオドールを無情にも寄る辺ない世間へと放り出してしまった、あのアナスタシアお嬢様がいったいどのような日々を過ごしておられるのか?
皆様はそこにもきっと多大なご興味をお持ちなのではないかと思うのです。
ああ、自己紹介がまだでございましたわね。私はベアトリス・マケットカステンと申します。アナスタシア様と比べれば取るに足らない身分の生まれですが、ありがたくも王立学院に籍をおき、学友の一人としてお付き合いをさせていただいておりますの。そうしたわけもあって、これからお話しする顛末を、たまたま間近で目にし、耳にすることができた、という次第なのでございます。
お見知りおきとお許しをいただけましたら、早速始めるといたしましょう。どうぞ、ごゆるりと――
* * * * * * *
――アナスタシア!! アナスタシアはおらぬか!!
別荘に突如響き渡ったのはまぎれもなく、ハンブロール子爵その人の雷のごときお声。
あれはテオドール・シュバリエが学院を去っておよそ一週間、再び巡りきた『クロノステッドの安息日』の事でございました。
学院から少し距離のある、レミニスという景勝地に建てられた別荘で、アナスタシア様は私を伴って午後のお茶の時間を過ごしておいでだったのです。
廊下を渡ってくる足音に、アナスタシア様は小さくため息をついて、私におっしゃいました。
「ベアトリス様。大変申し訳ないですが、しばらく別室へ下がっていらしてくださいませんか。お父様がいらっしゃったようですの」
「承知いたしましたわ」
子爵様は玄関につながる南側の廊下をいらっしゃるようでしたので、私は席を立つと反対側の廊下へ出ました。
ところで、私にはちょっとした悪い癖がございます――それは、盗み聞き。
困ったことに、私という人間は。他人様の交わす会話、私の立ち入ることなどできないような近しい間柄の人々が交わす、親密な、或いは遠慮のない会話というものを、どうしても耳に盗み取らずにはいられないのです。
たぶん私も、浮き沈みの激しい貴族社会の末端で暮らしておりますうちに、他人というものを根本的に信じられない、そんな病気を患ってしまっているのかもしれません。
自分のいないところで何が話され、何が行われているか――知らないままで過ごすなんて、それはそれは恐ろしいことではありませんか。
テオドール・シュヴァリエをご存知の皆さんには、それがよくお分かりのはずですわね?
そのまま離れた別室へ去る、と見せつつ、私はすぐ隣の小部屋、メイドや侍女がお召しのあるまで待つ控えの間に、ドアがきしまないよう細心の注意を払って滑りこみました。そろそろ牧羊月に切り替わる季節、少々暑くて埃っぽかったのですけれども。
そうしておいて、先ほどまでいた部屋へに通じるドアに、耳を当てました。ここなら、お二人の会話がとてもよく聞こえることでしょう。
「今日は一体、どうなさったのですか、お父様。サイアムでの巡回裁判を取り仕切られたあと、本宅でお過ごしと思っておりましたのに」
「本宅へ立ち寄って事の次第を知ったからこそ、ここへ来たのだ、アナスタシア」
「事の次第……」
おやまあ。アナスタシア様のお声はわずかにかすれて、お言葉にも詰まっておられる様子です。それに子爵様のお声の何と重々しく聞こえますこと。
「テオドール・シュバリエとの婚約を、独断で破棄したそうだな……学院の学籍を抹消し、彼の家にも早馬で通告を出した」
「……」
「それも、私の名前で」
「……いけませんの?」
アナスタシア様のお声はむしろご自身がお父上をとがめるように、語尾が跳ね上がっておりました。口論の場で相手を威圧するために声を荒げる、あのやり方ですわね。
「それは――」
ハンブロール子爵様は、力なく黙り込んでしまわれました。そこへアナスタシア様が追撃をかけました。
「いけませんの? ご不在の間、それも学院でのことは、私がお父様の名代として取り仕切ることになっておりましたわよね」
でも、アナスタシア様の追撃は、かえって彼女自身を、窮地に追い込んでしまったのですわ。
「確かにそうだ……! だが、まさかこのような重大事をお前が独断で動かすことは考えていなかった……! なんということをしてくれたのだ、アナスタシア、お前は……!」
「私に到底釣り合わない、名ばかりの貴族――それも見境もなく侍女にふしだらな真似を仕掛けるような男を、お払い箱にしただけです。何か不都合でも?」
「愚か者めが……ッ。 お前は何も分かっておらん。ドゥ・シュヴァリエ家は確かに小身(※)で、表向きは取るに足りん家柄かもしれん。だが、開祖ローランド・シュヴァリエの武勲とその伝説は、今も王国の武門の間に語り継がれ、崇敬を集めておる。テオドールはまだ若いが、目から鼻に抜ける才気といい、未熟ながら天才的なひらめきを感じさせる剣の腕といい、ローランドの再来を期待させる若者だと、私は見ていた」
「買いかぶりすぎでは? 私が何を言っても口答えもできずにはいはいと付き従うだけ。犬のような男だわ」
「それは己の立場を必要以上にわきまえての処世であろう。もとより英傑の家柄なのだ……現当主イシドール・シュヴァリエとて、今日の不遇をかこってはいても、いざ家名に泥を塗られたとなれば、それをすすぐために果断な行動に出るだけの器はある」
隣室になにか紙包みを開くような、かさかさという音がこだまいたしました。
「今日、本宅にはイシドールからこの書状が届いておった。息子の不明を詫び、婚約解消のやむなきを肯んじ、これまでの処遇を謝す心根からの礼を尽くした言葉ではあるが……行間から立ち上る『二度と貴家のためには計らわぬ』という覚悟、並々ならぬものがあるぞ。読んでみろ」
ほとんど無言のまま数分が流れました。アナスタシア様はかすかな葉擦れのような音とともに、その書状の文面を追っておられるのでしょう。
「分かるか? お前の軽はずみな振る舞いで、エナメイル家はシュヴァリエを敵に回したのだ。本来ならば何があっても与してくれる、懐刀と恃むに足るはずの家をだ」
「そっ……その代わり、ル・ベル家の後援を得られますわ! エッシーの肥沃な土地も、私の子と、私のものになるのです。エナメイル家としては上々ではありませんか!」
「ああ、そうか。ル・ベル……なるほど、お前はそういう料簡で動いたのか」
その瞬間。ハンブロール子爵様のお怒りは頂点に達したかと思われました。
「バカめ!! それではこのエナメイルの家督は誰が継ぐというのだ! お前がル・ベルに嫁いで男子を生む保証があるか? 生んだとして、その子が成人するまで私には隠居も許されんわけか! 私はテオドールをこそ当主にと思っていたというのに……! お前は!」
「お、お父様……」
「アーニス・カミルも平民ながら、申し分のない侍女だった。彼女にも暇を出した、ということは……お前が何をしでかしたのか、おおよその想像がつく」
さすがにアナスタシア様にも、子爵様をなだめるすべはありませんでした。隣室にはそのまま、重苦しい沈黙が。
いやだわ、何も聞こえないのですもの。
子爵様のお言葉は、少々奇妙に感じられるかもしれません。王国は勇者の血を引く王家によって統治され、近年は周辺国との関係も良好で戦の気配もなし。ゆえにこそ、テオドールも、そしてジェイコブ・ハリントンも将来の出世に見込みを持てずに迷宮へ向かったのですから。
されど、人の世には予測のつかぬことがあるもの。信じた明日など砂糖菓子の城のようにあっけなく崩れてしまうものでございます。この時、子爵様の目にはきっと、血で血を洗う乱世の気配が見えておいでだったのでしょうね。
「もうよい。好きにせよ……お前が学院を出るまでは、これまで通り援助してやる。だが、そののちはせいぜいル・ベルを、侯爵家を頼るがいい。テオドールにしたような裏切りを、お前が受けることがなければよいな。では、私はこれで帰る……五十年生きてきて、これほど失望したことはない」
南側の廊下へ通じるドアが開けられ、子爵様は立ち去られる様子でした。廊下の方からはかすかに、こんな声が聞こえました。
――ああ……ローザ――ロザリンドと、彼女の娘が……エポニーヌがいてくれたなら、まだしもこんな馬鹿な事には。
「誰よ、それ……」
アナスタシア様の呆然とした声が聞こえます。
これは何とも奇妙なことを聞いた、と私も思いました。
そういえば、確かにアナスタシア様は、エナメイル家の『次女』という触れ込みなのでございました。ハンブロール子爵様の奥方が後添えだというまことしやかなうわさも、アナスタシア様のいらっしゃらないところで聞いたことがございます。
いったいその昔、子爵家に何があったのでございましょう?
ともあれ、私はその暑苦しい部屋を出て、アナスタシア様のもとへ戻ることにいたしました。あの方が意気消沈しておられたら、お慰めするのは私の役目でございますから。
それでは皆様、ごきげんよろしゅう。私からの続くお話は、またの機会にいたしましょう。
(※)小身:禄高が少ないこと。ここでは、シュヴァリエ家のような下級貴族において、所領が小さく収入が貴族としての体面、格式にふさわしくないものを指す。




