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心のいきついた底で

 ポーリンの傷はそのわずかな時間に、見違えるほど回復していた。茶色く変色してめくれあがっていた部分が消え失せ、新しいピンク色に肉が盛り上がっていき、瞬く間になめらかな皮膚が再生を遂げる。


「すごい……!」


 これほどの術士(アデプト)を派遣してくれるというのがどういうことか。想像すると背筋に震えが走った。おそらく、ジェイコブがもたらす情報と財物には、聖堂の神官たちも期待しているのだ。

 何となれば、あの手紙にもあったが――迷宮『梯子(ラダー)』は今日に至るまで、地上に新たな富をもたらす資源の宝庫なのだから。


「う、嘘みたい。こんなに綺麗に治るなんて……」


 ポーリンが傷口だったところを押さえて感嘆の声を上げた。


「額も、肩も、もう痛まない……ねえ、そのお皿の肉、貰える? はしたないけど、あたしなんだかとてもお腹がすいちゃったの」


 僕が持たされた皿に、彼女が物欲しそうな視線を注ぐ。だがエリンハイドはぶるぶると首を振った。


「これはだめです」


「私のをあげるわ、ちょっと待ってて」


 ニーナがそう言って階下へ降りていくのを見送って、僕はポーリンに向き直った。


「それで……話してもらってもいいかな。君は何者だ? ジェイコブ・ハリントンと一緒にここに来たのかい」


「そうだね。あたしはポーリン。聖堂での登録は『盗賊(シーフ)』よ。四日前……でいいのかな? ハリントンさんと一緒にここに来たんだ。他に戦士のカイルとゲドルフって二人組が一緒だったんだけど……」


 彼女の語る話は、胸の焼けつくような内容だった。戦士二人組はジェイコブが発見した階層を歩くうちに、そこで手に入る宝に目がくらんで、彼を謀殺しようとしたのだ。


「あいつら、行き止まりの玄室にハリントンさんを蹴りこんでさ。ドアをふさいじゃったんだよ。それも、機械仕掛けで外からしか開閉できないやつを……」


「なんてことを……!!」



「それで、そのお二人は?」


 エリンハイドが平然とした顔で先を促した。


「あなたは負傷してここまで戻ってきた。その二人はどうなったんです? まだ下の……その、宝物庫に?」


「あいつらね、私に協力しろって迫ったの。宝箱の鍵や、安置された台座の罠を外せって。ハリントンさんは死んだことにして、自分たちがここのお宝を持ち帰ろうって魂胆だったみたい。でも……その時あいつが現れたんだ」


――それが、『猫みたいな獣』だったってわけね?


 声に振りむくと、ニーナが部屋の入り口に戻ってきていた。手には自分の食べかけた尻尾ステーキの皿を持っている。


「持ってきたわ。私の食べかけでよかったらどうぞ。でも食べる前に答えてくれると嬉しいわ。そいつの毛皮は何色だった? 毛の先端が銀色に輝く黒? それとも縞のある赤茶色かしら?」


「多分……黒」


「確実なんでしょうね? とても大事なことだから、しっかり思い出して」


 ニーナの目がひどく真剣で、暗い輝きをおびていた。口元は笑っているが――多分これは、嘘をついたら命がないやつだ。そんな風に思えた。それはこの女盗賊にも伝わったらしい。


「ま、間違いないよ……あの二人、あっという間にやられちまった。あの猫野郎、尻尾が二本あってそこから稲妻を出すんだ」


「ありがとう。よくわかったわ、それはたぶん雷鳴巨猫(パーロウル)ね……」


「なんだい、それ……」


「聞いたことがあります。地獄になぞらえられる異次元世界から、たまにこちら側に現れる化け物ですよ。耐久力が高いうえに厄介な奴だとか」


 エリンハイドの声がわずかに震える。ニーナは唇を引きゆがめてそれに応じた。


砒石山猫アルセニック・リンクスよりはある意味ましだわ」


「『赤茶色』がそっち?」


「そう。雷鳴巨猫(パーロウル)より一回り小さくて力も弱いけどね、全身に猛毒を持ってるの」


 どちらにしても恐ろしい化け物を相手にしなければならないらしい。学院で教わった剣術はもっぱら人間相手のものばかりだが、通用するのだろうか?


 それにしても腹が立つのはその戦士二人組だ――僕はジェイコブをよく知ってる、彼は仲間を選ぶとき勢いやその場の雰囲気で軽々しく決めるようなことはしない。二人はジェイコブに信頼されながら、それをいともたやすく裏切ったのだ。


 ポーリンの話が事実なら、ジェイコブは迷宮の小部屋に閉じ込められ、飢えと渇き以外の危険から遠ざけられている。三日くらいなら何とか生きているだろうが、彼を助けるためには僕たちが行くしかない。


 ――ポーリンの案内で、だ。それが問題だ。


 ニーナが食べ残したステーキを、ためらいもせず口に運びはじめたこの女盗賊。彼女を信じるべきか? それとも疑ってかかるべきか?


「君は……どっちだ?」


「え?」


 うろたえた表情で、ポーリンはこちらを見上げる。彼女の唇の端についた茶色のソースが、ひどくだらしないものに見えた。


「僕はここしばらくの間で、人間には大きく分けて二種類あることを知った――他人とのかかわり方において、だ。ほんのわずかな関わりでもおろそかにせず、相手の身になって、相手のために自分自身の身をさらして行動する人間。そして、恩を受けた相手を、あるいは自分を信じてついてくる相手を、自分の都合のために利用し傷つけて放り出す人間だ」


「えっと、その――」


「僕はジェイコブを助けに行かなきゃならない。必要なら怪物と戦ってでも彼を助ける。君はどうだ?」


 少なくともその階層への入り口までは案内してほしい。だがそこで起きたことについてはいまのところ彼女の証言しかない。あるいは、雷鳴巨猫(パーロウル)よりもっと恐ろしいものがいるのかもしれないが――


「君はジェイコブの消息について責任を持ってくれるかい? どこまで僕たちについて来てくれる? どこまで君を信じていい?」


 ポーリンがひどく追い詰められた状況でここまでたどり着いたことは僕にもわかる。彼女にそれをいま問うのは酷かもしれない、ということも。がだそれでも――ふと気づけば、視界の隅でニーナが興味深そうにこちらを見ている。何となくやりづらいが、ここは妥協できなかった。


「行くよ。傷は治してもらったし、ハリントンさんを助け出すまで付き合うよ……信じてもらえなくても仕方ないけどさ……あの人、駆け出しのあたしを信頼して、なんでも任せてくれたし……優しかったんだから」


 ポーリンは震えながらもこちらをしっかりと見返してそういった。その瞳は僕を通り抜けてどこか彼女自身の頭の中にある暗い場所を見ているようにも感じられたが、僕にはうなずくしかなかった。


 フォッギィにステーキの代金を払うと僕たちは四人連れ立って宿を出た。次の階層――『宝物庫』への通り道はこのタイル張りの街の、奥まった一角にあるという。

 ポーリンを先頭に歩いていく途中、ニーナが僕のそばに来てそっと耳打ちした。


――つまり、私のことは信じてくれてるってわけね?


 くすくすと忍び笑う声が、吐息となって首筋をくすぐった。

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