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美食と癒し

「私はここに来るたびに、これが楽しみでしてね」


 エリンハイドが嬉しそうにナイフを操り、肉を頬張った。


「……へえ。エルフって肉も食べるんだね」


「食いますとも! エルフが菜食主義だというのは迷信です。人間社会と接触した初期のころに、あの垂れ耳の俗悪な森エルフたちが、探検家連中に迎合して広めた誤謬ですよ」

 憤慨したような物言いと裏腹に、エリンハイドの表情はいかにも幸福そうに緩んでいる。


 旅の間ずっと持ち歩いていた食事用のナイフを取り出して、僕も自分の皿にとりかかる。肉の見かけはちょうど、牛の尻尾の煮込みを思い出させた。タランツァでは何年かに一度、老牛をつぶした時にしかお目にかかれなかったものだ。まずは骨の横の赤身――


「こりゃ絶品だ……」


 しっかりした歯ごたえの肉にしみ込んだ、バターとニンニクの濃厚な味わい。ワインの酸味と甘み、わずかな渋みがそれをきりっと引き締め、舌の上にくどさを残さない。

 椎骨をはさんで両側の、櫛のようになった骨の周りには、ふるふるとしたゼラチンをまとった柔らかい肉片が並んでいる。それを何とかうまくフォークに載せて口に運ぶと、頬っぺたの内側にそのまま溶け込んでいくようだった。塩茹でにした野菜の温かさとほのかな甘みが、こってりとした後味を洗い流す。


 再び沸き起こる食欲。肉をもう一口――


 ニーナもそのソースの味を気に入ったようだった。

「よくできてるわね、このソース。どこのワインかしら……そのまま飲んでみたいけど」


「あー、こりゃあ大したものじゃない。ベルポック地方の安いやつだ。甘すぎてそのまま飲むにはあんまりよくないんだが、こうやって料理に使うと肉の味を引き立てるんだよ」

「なるほどねえ。でも、とりあえず少しもらえる?」


 店主は「調理用なんだ、一杯だけだぞ」と言いながら、小さなグラスに入れた深い赤紫色の液体をニーナの前に置いた。


 彼女はそれを一口味わうと、「確かに、甘すぎるわね」と言いながらまんざらでもなさそうに微笑んだ。



「ところで、フォッギィさん。さっきの話――」


 そう。尻尾ステーキを堪能しても、僕はまだそもそもの目的を忘れるほどには気を抜いていなかった。フォッギィは機嫌がいいのか、ずいぶん舌の滑りがよくなっているようだ。切りこむなら今のうちだ。


「二階にいるお客って、どういう人です? 具合が悪いように聞こえましたが」


「ああ……あんた方と同じ、地上の人だ。ポーリンって女なんだが、昨日ここにたどり着いたときにはずたぼろな有様でな。包帯をして寝せてあるんだが」


「それって……」


 僕は思わずニーナと顔を見合わせた。


「うむ。あんたがたの話を聞いて、ジェイコブの旦那と関わりがあるのかもしれんと思ってな」


「……先に食事をしておいてよかったわ。その話を聞いたらテオドールがじっとしてるわけがないもの」


 ニーナはそういうと、まだ半分ほど残った皿を脇にどけて立ち上がった。


「会わせてもらえるわね?」


 フォッギィはうなずくと、「ついてこい」と促すように階段の方へ向かう。僕は残りの肉を口に押し込むと、ナプキンで口元を押さえ、よだれで襟を汚さないように気を付けながらニーナの後に続いた。後ろから、皿を持ったままエリンハイドがついてくる――僕も人のことは言えないが、えらく行儀の悪いエルフだ。


 

「お店はいいの? フォッギィ」


 二階に上がった僕たちを出迎えたのは、種族のよくわからない女性だった。たくましく腰が張って手足の長い体、フォッギィと同じく灰色の皮膚だから、彼女も半トロールかもしれない。口元の牙を別にすれば、人間の基準で見ても整った顔立ち。ただ、惜しいことに胸が少々寂しい。


「まあ『ニュート』の連中は入ってこないし、ちょっとの間は大丈夫だろう。鍋も火からおろしてある。このお客さんたちがな、ポーリンさんに会いたいんだと」


「そうなの……今ね、ちょうど起きたとこよ」


 客室の入り口をくぐると、木枠に綱を張ったうえにマットレスを乗せた、簡素なベッドの上に、小柄な女が半身を起こしていた。肩口や額に巻かれたあまり清潔でない包帯が、絶望的なまでに痛々しい。何より本人の眼が死んでいた。


「な、何なのあんたたち……」


 おびえたような口調に、時折苦しそうな咳が混じる。包帯の下にはひどい傷がありそうだ。


「その様子では何かお尋ねするのも酷ですね……ちょっと、見せていただけますか?」


 エリンハイドが進み出た。皿はまだ手に持ったままで、肉も少し残っている。


「あ、あんたは確か『梯子(ラダー)』入り口にいた……なによ、皿なんか持って?」


「ああ、失敬」


 そういうとエルフ神官は皿を僕に手渡してきた。

「持っててください……食べちゃだめですよ」


 場違いなセリフを残して、彼はベッドの上の女に近づき、血糊でへばりついた包帯の上から手を触れた。


「出血は止まっているようだ。一度剥ぎ取りましょう」

 傷を開かないようにしているのだろう。ゆっくりした動作で慎重に包帯を取り除いていく。女――ポーリンは苦しそうに抗議した。


「やめて……何をするの、殺す気?」

 

 エリンハイドは意に介さず、包帯を取り除いて傷を空気にさらした。肩から胸にかけて、鋭いもので掻き裂かれた傷が三すじついている。


「ひどい傷だ。何にやられました?」


「大きな……猫みたいな獣……」


「なるほど……うん、処置は悪くない。傷口に服や防具の破片も残ってないし、化膿の兆候もないようだ」


「そりゃあ、あたしが洗って縫ったからね」

 ミスティとか言ったか、先ほどの大女が誇らしげにうなずいた。次の瞬間。


 ――手折られた枝を樹皮が覆い、枯れた花々が再び芽吹くごとく。傷ついたこの肉体をあるべき姿に――



 前触れもなく、エリンハイドが詠唱を始めた。彼の指先にかすかなバラ色の光が集まり、それがポーリンの体に流れ込んでいく。


「これって、神聖魔法……!? バカな、あなたは下級神官だと、助祭が……」


 初めて見る奇蹟に戸惑う僕の肩に、ニーナの手がぽんと置かれた。


「下級神官というのはね、テオドール。あくまでもあの地母神(ゲルタ)の教団の、組織の上での位階を現す呼び名よ。でも、彼は最初術士(アデプト)と名乗ったわ」


「どういうこと?」


「『術士(アデプト)』は組織上の地位ではなく、彼の神官としての職分、権能を現すもの。彼が癒しの術を使える、というのは、単に薬草や包帯を施すという意味ではなくて……本物の神聖魔法を操る、ということ」


「大したことはありません。戦闘中にはせいぜい『苦悶の軽減』程度しか使えませんからね」


 詠唱を終えたエリンハイドがこちらを振り向いて二ッと笑った。


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