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手がかりを前に

店に入ると、ドアの上辺につるされた鈴がからからと小気味よい音を立てた。

食堂の中は湿り気もいくらか少なく、何よりストーブが置かれていて暖かだ。この辺りでは薪を乾燥させることなどできそうにないが、いったい何を燃やしているのだろうか。


「やあ、やあ! お客さんだ! 最近は地上からくる人が多くて、ありがたいね!! 『ニュート』の連中ときたら、肌が乾くのを嫌がって意地でも外で食おうとするんだ。せっかくのあったかい飯が冷えちまう」


 そういって奥から出てきたのは、頭をつるつるに剃り上げた、がっしりした体つきの男だった。血の気が感じられない灰色の肌に、唇から上むきに突き出た牙。

 外の両生類じみた者たちとは違うが、どうやら彼も普通の人間ではない。多分フォッギィというのは彼の名前なのだろう――たしかにその皮膚の色は、日没後の沼地に立ち込める濃霧(フォッグ)のようだ。


「『フォッギィの宿』へようこそ。食事は銅貨で二十枚、宿泊は一日銀貨一枚だ」


 彼は一瞬言葉を途切れさせ、僕とニーナを見比べた。


「……相部屋は銀貨二枚だよ」


 余計なお世話だと思う。正直僕にはまだそんな余裕はない――どっちの意味でも。



「とりあえずは食事だけだと思いますがね。フォッギィ、私には水竜の尻尾(サーペントテイル)ステーキを」


 エリンハイドが咳ばらいをしながらそういうと、フォッギィは相好を崩して――牙のせいでえらく恐ろしげな顔になった。 


「なんだ、エリンハイドじゃないか。あんたが自分でここまで降りてくるのは何日ぶりかな……そっちの二人は?」


「三十七日ぶりですね。この二人は、ハリントンさんを探しに来た地上のお友達ですよ――お二方、彼は半トロールのフォッギィ。腕のいい料理人です」


「探しに? ジェイコブの旦那を? ……ってことは、あのお人に何かあったのか」


 フォッギィはひどく驚いて目を見開いた。僕はカウンター越しに厨房のほうへ身を乗り出して、逆に質問した。


「四日前に同行者を三人連れてこの階層に来たはずなんです。でもそれ以来帰ってない……ここには寄らなかったんですか?」


「いや、来てないぞ……なんてこった! あのお人がここに寄らずに探索に行くなんて……」


 異形の料理人は両手で顔を覆い、ひどく傷ついた様子でおろおろと厨房の中を歩き回った。そして、「あっ」と一声もらすと何かに気が付いたように顔を上げた。


「もしかすると……!」


「何か心当たりでも?」


 ニーナが真剣な表情で一歩前に出た。だが、フォッギィはその途端、にんまりと笑って――牙のせいでまたしてもえらく恐ろしげな顔になった。


「ああ、ある。だが心当たり(そいつ)はどうせ逃げやせん。まず飯を食っていけ……あんたらも尻尾ステーキでいいか? いいよな」

 

(なあ、どういうことなんだ、これ?)


 ニーナの耳元でささやく。手がかりがあるなら時間をつぶしてはいられないんじゃないか。


(情報をすんなり渡すと、私たちが出て行ってしまう――つまりお客を逃がす、ってことでしょうね。慌てる必要はないわ、私たちもともと食事をするつもりだったんだし)


(そりゃそうだけど……でも)


(だいたいあなた、なんだか顔色がよくないじゃない。少しでも休んどきなさい、次にいつ休めるかわからないから)



 ひそひそ話を始めた僕たちをほっぽって、フォッギィは店の奥にある階段から上へ向かって呼び掛けた。


 ――おい、ミスティ! あのお客の容体はどうだ? 起きられそうか?


 すると、二階から女の声がした。


 ――まだ熱があるみたい。何だか知らないけど、無理はさせらんないわよぅ。


 「分かった」と大声で怒鳴ると、フォッギィは厨房へ戻ってきた。

 カウンターの下にあるらしい食糧庫から大きな鉢を取り出す。中身は赤黒い液体に付け込まれた骨付き肉の塊。

 芳醇な匂いが鼻をくすぐったので僕にもその液の正体が分かった――ワインだ。


「すぐできるからな、ちょっと待っててくれ」


 彼はそう言いながら人のすねほどの太さがある肉塊を、分厚い造りの包丁で、ダン! と音を立てて分厚く切り分けた。僕の親指の付け根から指先までぐらいの厚さだ。その断面に小ぶりなナイフで格子状に刻み目を入れ、かまどの上に置かれた大きな平たい鍋に載せる。

 じゅっ、と小気味よい音がして、ワインに混ぜ込まれた何かのハーブが香り、続いて肉の焼ける香ばしい匂いが立ちのぼった。

 僕のすきっ腹がぐぐ、と不平を漏らす。


「どうしてもこのゼラチンで鉄板が焦げ付くんで困りものだが、なあに、どうせそんなに客も来ねえ」


 愚痴っているのか自慢しているのかよくわからない口調で木べらを操り、フォッギィは肉を裏返しにした。そこへ何か白い塊が添えられる――バターだ。中心に太い骨、多分椎骨を抱えた肉塊は、ぷりぷりとした脂身をバターでさらにてからせながら、程よい焼きめのついたえも言われぬ色に変わっていった。


「ソースを作るからもう少し待ちな」


 フォッギィはソテーした肉をいったん皿に移すと、鍋に残った肉汁にみじん切りにした玉ねぎとニンニク、それにキノコらしきものを加え、バターをもうひとかけら落として炒め始めた。

 キノコに火が通ったのを見計らうと、そこへ別に取り分けてあった赤ワインとそれに砂糖と塩らしきものを適量加え、煮詰めていく。

 手早い作業だ。皿に移された肉はまだ湯気を立てていた。そこへ鍋の中のソースを小さな杓子でかけまわすと幸せの香りとしか言いようのない素晴らしいものが店の中に広がった。


「ほれ、尻尾ステーキ三人前!」


 僕たち三人の前にそれぞれ一つずつ、大きな皿に乗ったステーキが置かれた。パンが欲しい気がしたが、店の外のひどい湿気を思い出す――ここで小麦粉を貯蔵できるとは思えない。

 皿の横には作り置きらしいカブと白ニンジンの塩茹でが、小さな鉢に入れられてお供をしていた。 

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