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あたらしくうつくしいことば  作者: 石川博品
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第5章 うつくしいいさかい


 三宅に抱きつかれているところを下級生に見られたせいで、うわさが学校中にひろまってしまった。


「あんたのこと、バド部の後輩によくきかれるようになったよ。『どんな人なんですか』って」


 梓のことばにわたしは顔をしかめた。


「は? どういうこと?」


「何かいけそうな感じするんじゃない? そういうのアリなんだって」


「アリじゃないよ。そんなのわたしじゃなく三宅にいけよ」


「三宅はほら、ガチじゃん。いきなりガチはちょっとね。だからお試しで紗雪にいってみるんでしょ」


「人を入門編みたいにいうのやめてもらえる?」


 廊下を歩いていると視線を感じる。わたしに視線をよこす者たちのどれだけがいける(・・・)と感じているのだろう。


 学食に行っても視線は絶えなかった。むしろもっとひどい。


 ち~様軍団がそろってわたしを凝視している。いける(・・・)ではなく殺す(・・)の目だ。


「木之瀬さん、ちょっとふたりで話さない?」


 泉千尋がそういってわたしを手招く。


 梓がいけ(・・)という目で見てくる。それを無視してわたしは食堂の隅を指差した。


「たいへんだったね、三宅のこと」


 泉さんは軍団員に背を向け、その陰で小さくことばを結ぶ。


「まあね」


 わたしは肩をすくめた。


「うわさがひろまってる。中にはすごいのも」


すごいの(・・・・)の説明はいらないからね」


 わたしがいうと泉さんはほほえんだ。


「三宅は人のふところに入りこむのがうまい。わたしのときもそうだった。中等部から入ってきて、手話がまったくできなかったから、教えてほしいと頼まれたんだ。教えているうちに親しくなっていって、最後にはおかしなことになった」


できなかった(・・・・・)って、統合手話が?」


「そうだよ。彼女の統合手話はいまでもあまりうまくない。ネイティブじゃないとわからないだろうけど。目的を果たしたからそれ以上は必要がなかったんだろうね」


 ことばを学べる環境にあるのにそれを学ばず、下手なままの状態に甘んじるなんて、わたしには理解できない。


「あなたのときもそうだったでしょ?」


「……うん」


 国語手話と北村恵美。結局はわたしが目的(・・)


 ことばは手段。ことばは道具。その先にあるわたしのことばは空っぽなのに。


「泉さん――」


 わたしは背の高い彼女をまっすぐに見あげた。「あなたは三宅のこと、本気で好きだった?」


 彼女は視線を宙にさまよわせる。


「うん。そして彼女もそうだと信じてた。あなたがあらわれるまではね」


「え……?」


 三宅のしていた話とちがう。彼女の方が泉さんにふられたはずだ。


 泉さんの話が本当ならば、彼女が三宅にふられたのはわたしのせいだ。そうかんがえると急に気まずくなってきた。いままでは同志みたいな感じで話していたのに。


「別にあなたを責めてるわけじゃないけど」


「いや、何かごめん……」


 気まぐれな愛を信じさせるために三宅はどれほどのことばをついやしたのだろう。それは空っぽなのではないのか。わたしの書かれぬ小説と何がちがうというのか。


「三宅のことはもう気にしない方がいいよ。あの子もどうせまた次のターゲットを見つけるだろうし」


「うん。ありがと」


 傷ついているはずなのに逆に気遣ってもらって、わたしは申し訳ない気持ちになった。


 泉さんが手を差しだしてくる。


「わたしたち、三宅の被害者どうしだね」


「被害者の会でも作る?」


 わたしがその手を取ると、彼女は笑った。握力が強い。ぐっとひっぱられてバランスを崩し、彼女の胸に頭を預けるようなかっこうになる。


 彼女は食堂の中央に顔を向け、わたしの手の甲に口づけた。


 軍団員たちが手を顔の前でばたつかせ、悲鳴をあげる。聴者である調理のおばさんたちが何事かと厨房からカウンター越しに身を乗りだしてくる。


「な、な、な、何を――」


 手を引きぬいたが強張ってうまく動かない。


 泉さんは前髪を掻きあげ、ふだん隠している目を見せた。


「いまのはあの子たちへのファンサービス」


 大騒ぎしている軍団員たちのもとへもどる彼女の背中を見つめながらわたしは「あの人もなあ……」とお尻のうしろでつぶやいた。


 梓のところへ帰ると、腹を抱えて笑っている。


「やっぱあんた入門編だよ。門のところに隙がある。ちょっと押せば入れそうだもん」


「やかましい」


 わたしは彼女のことばを払いのけた。




 軍団員たちの冷ややかな視線を浴びながら食べるカレーライスは味がよくわからなかった。


 食堂を出てようやく人心地つく。人心地ついたついでにさっき買ったカップのバニラアイスを食べる。


「最近悩みが多くて食欲もさっぱり湧かないよホント」


 木のスプーンを振りながらいうと、それを見た梓があきれたような顔をした。


 廊下の向こうから下級生たちがやってくる。その中に見知った顔があって、わたしはアイスをすくう手を止めた。


 北村恵美もこちらに気づいたようだった。一瞬足が止まる。


 無視してすれちがおうとしたが、小さなからだで進路を塞がれた。


 恵美は歯を食いしばり、わたしをにらみつけていた。


「この泥棒猫!」


 乱暴な手振りでいい、走りさる。


 梓がふりかえって恵美の去っていった方を見、それからわたしを見た。


「泥棒猫だって。怖いニャン♪」


「ホントだニャン♪ ニャンニャンニャン……ってバカ!」


 わたしは梓にネコパンチをお見舞いした。梓もニャンニャンと左右のネコパンチを放ってくる。


 それをすばやくかわしながらわたしは、三宅被害者の会に北村恵美が加入を希望しても断固拒否しようとこころに決めた。




 三宅も図書室も、あれ以来避けていた。


 休み時間、窓側の席に座る三宅の方をなるべく見ないようにする。


 放課後はまっすぐ帰る。図書室には寄らない。


 三宅にあんなことをいわれて、本を読む気にもなれなかった。だから早く帰宅しても時間が余る。フットサル部にもどれないだろうか、なんていまさらながら思ったりもする。


 その日もわたしは部活に行くため着替える梓とおしゃべりして時間を潰し、三宅と下校時間が重ならないようにした。


 体育館に向かう梓と別れて下駄箱の前に立ったところで肩を叩かれた。


「木之瀬先輩――」


 見知らぬ下級生がわたしを見つめている。


「……何?」


「三宅先輩に伝言を頼まれました。『はなしがあるから図書室まで来てくれ』って」


「三宅が?」


 わたしはすこしかんがえて、脱ぎかけていた上履きをまた履いた。「わかった。行ってみる。ありがとね」


 下級生はほっとしたような顔をして去っていった。


 わたしは携帯を開いて見た。三宅からメールは来ていない。


 どうしてわざわざ伝言などというまわりくどい手段を取ったのだろう。


 だがそもそも三宅のやることはよくわからない。何らかの効果を狙ったものなのかもしれない。めんどくさいはなしだが。


 わたしは携帯をスカートのポケットに押しこみ、歩きだした。


 図書室のカウンターには3年生の図書委員がいた。


 わたしが会釈すると彼女は意味ありげな視線を部屋の奥にやった。それを見てわたしは三宅がもうすでに来ているのだと悟った。


 閲覧用のテーブルは端から端まで無人だった。となると、三宅が待っているのはあの場所しかない。


 気は進まなかったが歩いていく。ここで引きかえすのは逃げるようで嫌だ。わたしが悪いわけではないのだから。


 書架のあいだの通路がわたしの視界の端に開かれては閉じていく。ほん十進じっしん分類法ぶんるいほうの数字がすこしずつ増えていく。


 900番、日本文学の棚に三宅はいた。書架に寄りかかっていた彼女は、わたしをみとめるとからだを起こした。


「本に寄りかかるな」


 わたしはいった。


「うるさい」


 彼女がいいかえしてくる。


 わたしはこの機会に先日の仕返しをしてやろうと思った。あのときは最後、一方的に攻撃されるだけだったので、今度はこちらからしかける。


「このあいだのことだけどさ、もしわたしが同性愛者であったとしても、あなたのことは好きにならないよ。あなたはすぐ人を好きになって、そうなったら前に好きだった人のことをあっさり捨てて、人を好きになったふりまでする。そんな人のことを信用できると思う? 男が好き女が好きとかいう以前の問題だよ」


 三宅が距離を詰めてくる。


「あなただって同じでしょ。小説のネタ、新しいの思いついたっていって前のをあっさり捨てて。本当に書きたいこととかないの? そんな人が小説家になれると思う?」


「わたしはあなたとはちがう」


「ことばは同じになったのにね」


 いってから三宅は手をおろし、掌を見つめる。


 目を逸らされてしまうと、わたしたちの会話はとぎれてしまう。わたしのたかぶっていた気持ちもとぎれて、あとが続かなくなってしまった。


「それで、あなたのはなしっていうのは何?」


 彼女の胸元にことばを押しつける。


「……え?」


 彼女が首をかしげる。


「え?」


 わたしも首をかしげる。「はなしがあるんじゃないの?」


「あなたの方こそはなしがあるんじゃないの? わたしはそういわれてここに来たんだけど」


「誰にいわれたの?」


「下級生の子。知らない顔だった」


 何だか嫌な予感がする。わたしは書架のあいだの通路を見渡した。次に本の天と棚板の隙間に目を凝らす。まわりには誰もいない。


 三宅が何かいうが、それにはを貸さず、わたしは書架のあいだから飛びだした。


 図書室入口の引き戸がいきおいよく開き、いきおいの余り、跳ねかえって半ば閉じた。そこに体をこじいれるようにしてあらわれた者があった。


 小柄な女子――北村恵美だ。


 まるではじめて来たみたいに図書室の中を眺めわたす彼女の手には、ソフトボール部のものだろうか、金属バットが握られていた。


 カウンターの図書委員がそれをとがめて何かいった。恵美は何もいわずにバットをフルスイングした。カウンターの上に置かれていた今日の日付と本の返却期限を示す液晶ボードが割れて吹きとんだ。


 図書委員はあたふたとカウンターを乗りこえて廊下に逃げていった。


「おおっ!?」


 わたしは思わず声を出してしまった。


 すばやく棚の陰に身を隠し、三宅を呼びよせる。


「北村恵美がバット持って殴りこんできた。わたしたちをここに誘いだしたのはあいつだ」


「ええっ!?」


 三宅は恵美の方をちらりとのぞき、口を両手で覆った。


 わたしは周囲を見渡した。


「この部屋、出口あそこだけなんだよね。窓から逃げようにもここ3階だし」


「奥にドアあるよ」


「あれは図書準備室のドア。その向こうは行きどまり」


 わたしは長いため息をついた。「仕方ない。たたかうか」


「無理でしょ。相手バット持ってるよ」


「2人で挟み撃ちすれば何とかなる」


「それよりはなしあいで解決しようよ」


「はなしてわかるくらいならそもそもあなた恨まれてないでしょ」


「そう、たぶん恵美ちゃんのターゲットはわたし。だからわたしが説得する」


「いや、わたしもターゲットだよ。ここに呼びだされちゃってるし」


 わたしのことばをかいくぐるようにして三宅が書架のあいだから出ていった。


「あっ、ちょっと!」


 追いかけようとしたが、怖いので思いとどまる。わたしは棚の端から顔を半分だけのぞかせて三宅の行方を見守った。


 三宅が北村恵美の前に立つ。小さな恵美が三宅に隠れて見えなくなる。


 背中の向こうで三宅が発することばは陰になってわたしからは見えなかった。ただ、彼女の肩のあたりにちらつくことばの端々から、彼女が恵美に切々と語りかけていることは想像できた。


 彼女の向こうに金属バットがアンテナのように立って、彼女の背よりも高くなった。それが振りおろされ、彼女が前のめりに倒れた。


 脚を押さえてうずくまる彼女をまたぎ、恵美がこちらにやってくる。目を見開き、歯を剝きだしにして、まるで悪魔のような表情だ。


「おおおっマジかッ!」


 隠れようとしたが、ばっちり目が合ってしまった。仕方なく彼女の前に出て、にらみあう。


 相手は武器を持っているが、負けるわけにはいかない。この図書室はわたしにとってホームグラウンドだ。ここで勝てぬというのならどこで勝てというのか。


 それに、相手はわたしの友達を傷つけた。絶対に許せない。


「かかってこい、わっぱ!」


 わたしが挑発すると、恵美は根が素直なのか、まっすぐにつっこんできて本当にバットで殴りかかってきた。


「どわっ!」


 頭に食らいそうになる。わたしは倒れこんでかわした。


 三宅のときは脚を狙ったのに、わたしは頭だ。確実に殺しにきている。二股をかけていたのは三宅の方なのに。


 わたしは書架のあいだに逃げこんだ。恵美が追ってくる。


 足を止め、ふりかえって逆に間合いを詰めた。恵美がバットを振りかぶり、面打ちを放ってくる。


 予想どおりだ。


「ふんっ!」


 わたしは振りおろされたバットを右手1本で受けとめた。


 この狭い通路に誘いこめば、打撃のコースは限定され、守る側としては予想がしやすくなる。相手のスペースを消すのはディフェンスの基本だ。


 恵美が目を丸くしている。そのちからが緩んだのを感じとったわたしは、バットをもぎとり、相手に飛び蹴りを見舞った。


「オラアッ!」


 かつてデフ・ロナウジーニョを自称していたわたしの右足がクリーンヒットして、恵美は吹きとんだ。閲覧用の椅子にぶちあたって倒れこむ。


 わたしはそこにバットを投げつけ、さらに尻を2、3度蹴とばした。


「フットサルなめんなオラアッ!」


 誓っていうが、フットサルとはこんなるか殺られるかというスポーツではない。


 わたしは倒れている三宅のもとへと走った。


 彼女はなみだを流していた。わたしに気づくと、脚に当てていた手をはずす。


「紗雪……痛くて立てない」


 脛の中央部が青黒くれている。


「いま救急車呼ぶ」


 わたしはどうやって119番するのかもかんがえず、スカートのポケットに手をつっこんだ。


「あああ!? ダーッ!」


 突然痛みに襲われ、引きぬいてしまう。わたしの右手にもう一度バットで殴られたみたいな激痛が走った。


 見ると、掌が倍くらいに腫れあがっている。


「ええ……何これ……」


 全身がすうっと冷たくなる。足に力が入らなくなってわたしはその場にへたりこんだ。


 視界から色が消え、真っ白になっていく。それはまるで氷でできた太陽を正面から浴びているかのようだった。まぶしいのに冷たい。平衡へいこう感覚がうしなわれ、前方に崩れおちる。


 床の冷たさを頬に感じる。そこでわたしの記憶はとぎれた。

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