第3章 ふたりのことば
あの何気ないしぐさ、ありふれた一瞬一瞬をどう表現すればよいのだろう。
すべては忘却のかなたに去り、わたしたちのことばは刹那、空中に意味を結んで消えていく。
日本語は消えさるものを文字に留めておくことならできるが、消えさることそれ自体を描くことは、たぶんできない。
わたしたちのことばは学校を支配できなかった。
支配したのは泉千尋の周囲で自然発生した通称ち~様語だ。
泉さんは軟式テニス部に入った。テニスコートは昇降口と校門をつなぐ通路の脇にある。下校のときには練習している軟テの連中を横目に見ながら歩くことになる。
するとその中でひときわ背が高く、王子様のように凛々しい泉さんの姿がおのずと目に留まる。長い手足をぐっと伸ばしてサーブを打つ、あるいはラインぎりぎりのボールを追いかけてシングルハンドで打ちかえす彼女の雄姿に思わず足を止めてしまう。コートを囲むフェンスに近づいてもっと彼女をよく見たいと思う。そうした者たちが次第に集まってくる。たまに手なんか振ったりして、向こうも振ってくれると大騒ぎになる。
休憩時間、思いきってはなしかけてみようとする者が出てくる。だが相手は統合手話しかはなせないのでうまく伝わらない。そこで彼女と同じ倉木女子出身でやはり泉さんファンの子にきいて統合手話をおぼえようとする。おぼえた統合手話で「がんばってください」なんていうと、「ありがとう」なんて返ってきて、いわれた方はぽうっとのぼせあがる。
そのうちに泉さん・通称ち~様にあこがれる者たちの間でその結束を確かなものとするため、統合手話をベースとするあたらしいことばが使用されるようになる。そうしたち~様軍団がそれぞれのクラスにもどり、ち~様語をさらに広める――というわけで、ゴールデンウィーク明けには学校中でち~様語がはなされるようになっていた。
「しっかしクソみたいなことばだよね」
そういってわたしは手をテーブルの上に投げだした。
「そんなにクソか?」
向かいの席で三宅が頬杖を突く。
ち~様語は主語の省略も起きるし、語順もバラバラだし、「クソ」とか「やばい」とかいっておけば通じるしで、ことばとしてめちゃくちゃだ。「ことばの乱れ」なんて年寄りがいいそうなことが思わず手を衝いて出そうになる。
「WHYなぜにこんなクソが流行ってんのかね」
わたしがいうと三宅は笑った。
「でもわたしたち、ことば通じるようになったじゃん」
結局、わたしたちはよこしまだったのだ。ことばは人とつながるため、こころをかよわせるためにある。何かを支配するため、なんていうのはよこしまなことばの使い道だ。わたしたちはよこしまで、あのち~様軍団の、泉さんにはなしかけたい、はなしかけられたい、抜けがけして自分だけ彼女と仲良くなりたい、こっそりふたりきりになりたい、あわよくば暗がりでキスなんかしちゃいたい、という清くうつくしい目的意識の前には膝を屈するしかなかった。
わたしと三宅はち~様語ではなしている。
はなしてみると、三宅はお姫様でも何でもなかった。髪はあいかわらずきれいで顔もかわいいけれど、中身はサバサバしているというか、ガラッパチというか、要するにわたしと気が合うタイプだ。
「あ~、腹減った~」
三宅が両腕をひろげて伸びをする。彼女のキャラ崩壊は急激すぎてついていけない――勝手にこちらが思っていたお姫様キャラだが。
「じゃあ駅前で何か食べてくか」
わたしたちは連れだって図書室を出た。
校門に向かう途中、人だかりが見えた。例のち~様軍団だ。テニスコートでは薄汚れた球がせわしなく行きかっている。
三宅の目がそちらに向く。その表情はすこし悲しげに見えた。
わたしは彼女の肩を叩いた。
「ねえ、北村恵美はどうなった?」
「それがねえ――」
三宅はこちらを向いて含み笑いを浮かべた。「今度いっしょに買い物行くことになった」
「よかったじゃん」
校門を抜け、駅への道をたどる。歩道は狭く、三宅がわたしの前をうしろ歩きした。
「委員会のあとで恵美ちゃんが『三宅さん、服どこで買ってるんですか? わたし全然いいの持ってなくて』っていうから『今度いっしょに買いに行こうよ』っていったら『行きましょう』って」
「デートだね」
「デート? デート……デートなのかなあ」
彼女は照れてからだをくねくねさせる。
北村恵美はかわいかった。
背が低くて髪がみじかくて、高2だけど中学生みたいに見える。目が真ん丸で、いつもすこし困ったような顔をしていて、人にはなしかけるときわたしなら「おい」という感じで肩を叩くけど、彼女はくいくいっと袖を軽くひっぱる、その仕草もかわいい。
以前なら「かわいい」で済んだのに、三宅が彼女を意識していると知ってからは、こっちも何だか彼女を特別な目で見てしまい、廊下で見かけたりするとちょっとドキドキしてしまっていた。
「恵美ちゃんマジやば~い。押したおしてキスした~い」
三宅が大きな手振りでいう。駅北口の広場を行く人たちがこちらに目を向ける。
「みんな見てる前でそんなこというな」
もちろんまわりの聴者は意味なんてわかっていないだろう。それでもわたしたちの明け透けで遠慮会釈ない会話の内の何かは彼らに伝わっているような気がした。
駅を抜けて南口へ行く。わりあいに活気のある商店街が駅前から南へと伸びている。
すこし歩くと、東南女子の運動部員が行きつけにしているラーメン屋・辰見家がある。
「ここにしよう」
店の前でわたしは足を止めた。三宅は小汚い店構えと、中からただよってくる豚骨スープのケダモノ臭に若干引いている様子だった。
「ラーメン嫌い?」
「嫌いじゃないけど……」
「ここマジうまいよ」
わたしは食券機にお金を入れた。「何にする?」
ラーメン並とライスのボタンを押す。三宅はラーメン小を選んだ。
夕方なので店内は空いていた。カウンターに就き、食券を置く。立ててある注意書きを手に取り、厨房に向けて「硬め・濃いめ・多め」を指ししめす。
「三宅はどうする?」
「何が?」
「麺の硬さ・味の濃さ・油の量を選べるんだよ。はじめてなら全部ふつうがいいかな」
「じゃあ全部ふつうで」
三宅はきょろきょろと物珍しげに店内を見まわす。
「ラーメン屋来たことないの?」
「うん。いや……親と来たことある」
そういいながら三宅は不思議な顔つきをした。ち~様語にはない、統合手話の表情だ。前にも一度見たことがあるように思ったけれど、いつどこでだったかは思いだせなかった。
厨房で動きがあって、わたしはそちらに目をやった。黒ポロシャツの店員が黒いお茶碗を掲げている。わたしがうなずくと、ご飯が盛られてカウンターの上段に置かれた。
それを取り、きゅうりの漬物を乗せて一気に掻きこむ。家ではあまり漬物を食べないが、こういうところで食べるとなぜかおいしく感じられる。
三宅がわたしの顔をのぞきこんでくる。
「ラーメンの前にご飯食べるの?」
「ここライスおかわり無料だから」
「そういう問題じゃなく……おなかいっぱいになるじゃん」
「平気平気。ラーメンは別腹だから」
三宅は「意味がわからない」というふうに頭を振った。
いまのわたしにも意味がわからない。
お茶椀が空になる頃、ラーメンができあがってきた。わたしはカウンター上段にお茶椀を置き、指差しておかわりを要求しておいてからラーメンのどんぶりを下におろした。
三宅も自分のを取って、湯気が立つのをのぞきこむ。
「うまそう」
「絶対うまい」
どろりと濁った醤油スープの下に麺が仄見える。トッピングはチャーシュー・ほうれん草・海苔の黄金トリオ。
れんげでどろりとした中に浮いた油の澄んだところをすくいとり、すする。豚骨と鶏ガラの香りがガツンと来て熱々だ。
ご飯のおかわりが来たのでどんぶりの右側に据える。箸を取って戦闘開始だ。
中太のストレート麺、塗り箸で滑って逃げていきそうなのを逆にこちらから迎えに行ってすすりこむ。もちもちして嚙むとふんわり小麦の香りがする。
次に右手のお茶椀からご飯をすくいとり、口に運ぶ。すかさずれんげでスープとねぎを一切れすくい、すする。熱々の米粒の隙間にもっと熱々の汁が入りこみ、熱々の二乗となって攻めてくる。
チャーシューに食いつく。ほろほろほぐれていい感じだ。麺を一口すすり、海苔をスープにずっぷりと漬ける。ご飯をぱくりとやり、海苔がぐしゃぐしゃにならないようれんげで慎重にすくいあげてするっと口に滑りこませる。海苔にしみこみ凝縮されたスープがご飯と絡んでうまい。ラーメンに海苔は必要ないという人もいるが、わたしにいわせればあれはライスをおいしく食べるためのシートだ。
鼻水が出るのでカウンターの下からティッシュを取る。三宅が箸を止めてわたしを見ていた。
「すごい……食べ方に無駄がない」
「まあね。ラーメン食べるのに自分のスタイル持ってない奴は何やらしても駄目だと思ってる」
このかんがえはいまでもかわらない。
食べるいきおいは最後までおとろえず、味変さえせずにわたしはラーメンとライスを完食した。部活をやっていた頃ならもう1杯ライスを食べていたところだが、いまは自重する。
三宅もちょうど食べおわったので、カウンター上段にどんぶりを返し、「ごちそうさま」の意味で手を挙げてわたしたちは店の外に出た。
「あー、うまかったー」
「でしょ?」
わたしたちは並んで商店街を歩く。空の青が一日晒されてすっかり薄くなっている。
三宅が腹をさする。
「おなかいっぱいだとさ、無敵って感じするよね」
「そうだねえ。無敵」
道路のど真ん中をわたしたちは行った。うしろから来た車がクラクションを鳴らしたって無敵のわたしたちには関係ない。
「小説書いてる?」
西日を背にする三宅の手は黒いセーラー服に紛れてすこし見辛い。
「あたらしいの思いついたんだ。今度はホラー。うちの母方の伯母さんが見える人でさ――」
決して書かれることのない小説のはなしをしているときもまた無敵な気がする。
駅に着いて、わたしたちは向かいあい、またはなしだす。
あの頃、わたしたちは別れるのが下手だった。明け透けで遠慮会釈もなかったのに、自分から「じゃあね」と切りだすことを恐れていたのだ。
三宅とわたしは反対方向の電車に乗るので、いつもこの駅を別れの場所にしていた。
「今度うちに泊まりに来ない?」
わたしがいうと、三宅はぱっと表情をかがやかせた。
「いいの?」
「うん。うちの家族はそういうの大歓迎だから」
次の約束をしてからならば、すんなりと別れることができる。
わたしたちは別れのことばではなく、別れてふたたび出会えないことを恐れていたのかもしれない。
でもそれならば、ふたりでいるときにもっと何かいうべきことがあったのではないかと思う。
翌週の土曜日、三宅がうちにやってきた。
夕方、最寄り駅まで迎えに行くと、水色のワンピースを着た三宅が改札口に立っていた。あいかわらずきれいな黒髪で、旅行かばんと紙袋を手に提げていて、まるで高原の別荘にやってきたお嬢様という感じだ。
「わたし、ひどいかっこだな……」
Tシャツに部活用ジャージという服装のわたしは彼女と並ぶのがすこし恥ずかしかった。古文の「恥づかし」ってこういうことだよな、と実感する。
「いいじゃん。地元なんだから」
三宅がいう。
わたしもそれなりにいい服を着てこようと思ったのだが、地元の駅に友達を迎えに行くという状況でキメキメなのもおかしいのではないかと思い、ちからの抜けたファッションに切りかえたのだ。でもさすがにこれは抜きすぎだったろうか。
「荷物持とっか?」
そういってわたしは彼女のかばんに手を伸ばした。
「ううん。だいじょうぶ」
彼女はそっと身を引く。わたしは手をひっこめて頭を掻いた。
駅前の通りには雑居ビルが建ちならんでいて、カフェやら居酒屋やらよくわからない夜のお店やらが看板を突きだしている。道路は色分けされて歩行者と自動車の領域をはっきり区別しているが、駅を利用する人や買い物客はお構いなしにひろがって歩く。軽自動車がやってきて、渋々道を空ける歩行者へのいらだちに身を震わせる。
「活気があっていいね」
三宅が道の端に寄りながらいう。
「そう?」
わたしは肩をすくめた。
ふだん何気なく通りすぎていたこの街がなぜかいつもより騒がしくいかがわしく映る。わたしは三宅に恥ずかしい部分を見られてしまったように感じた。
駅から徒歩10分、わたしの家は古いマンションの一室で、オートロックなんかなく、三宅を連れてどんどん入ってあがりこみ、居間の電気をパチパチやった。「ただいま」の合図だ。
夕食の支度をしていた父と母がキッチンから出てきた。
「はじめまして」
三宅は丁寧にお辞儀して、手に提げていた紙袋を差しだした。「これ、どうぞ」
日本語だとここで「つまらないものですが」なんていうところだが、手話だと本当につまらないものだと思われてしまうので、そんないい方はしない。
「どうもありがとう」
母が濡れた手をエプロンで拭い、受けとる。
わたしは以前梓の家に泊まりにいったとき、手土産どころかゲームボーイアドバンスとパンツしか持っていかなかったことを思いだし、三宅との差を痛感した。
父が頭に巻いていたバンダナをジーンズのポケットに押しこんだ。統合手話で三宅にはなしかける。昨日「学生時代にちょっと習ったんだ」といっていた。
三宅が口に手を当てて笑い、何事かを答えた。父はわたしの方を見て誇らしげにほほえむ。
わたしは口を尖らせ、うなずく。父には悪いが、うちの学校ではことばの壁なんてあっさりぶっこわされてしまったので、そんなのはたいした自慢にもならない。
肩を叩かれてふりかえると、兄が立っていた。
「どうしたの?」
「帰ってきた音がしたから」
彼は三宅に統合手話で挨拶する。どうも父より流暢なようだった。
「こうして見るとさ――」
三宅とわたしとを交互に見て兄がいう。「おまえ中学生みたいだな」
「うるさい」
わたしは叩くふりをした。
「ジャージは大人っぽくておしゃれなんだけどな~」
「いや、ここが一番の弱点でしょ」
兄はいつもこんな調子だ。まともに相手をしていたら疲れてしまう。
「もうわたしの部屋行こ」
わたしはため息をつき、三宅を自室にひっぱっていった。
部屋に入ってかばんを置くと、彼女もため息をついた。すこし緊張していたようだ。
「ねえ、ひょっとしてお兄さん、コーダ?」
「そうだよ」
CODAとはa Child Of Deaf Adultの頭文字からなることばで、ろう者の親を持つ聴者を指す。彼らはおさない頃から手話に触れているため、多くの場合、手話と日本語のバイリンガルに育つ。うちは両親ともにろう者だから、兄が家族で唯一の聴者だ。
「お兄さん、統合手話上手だったね」
「大学のボランティアサークルでやってるみたい」
「背が高くてかっこいいし、うちの学校来たらモテそう」
「あの人、歴代の彼女がみんなろう者なんだよね」
「きっとろう者に優しいんだよ」
「いや、何か変なフェチがありそうで怖いんだけど」
わたしたちは大笑いした。きっと兄にも聞こえていたことだろう。
世の中にはいろいろなフェチがあるから、ろう者フェチがあってもおかしくはない。
「フェチでもいいじゃん。好きになっちゃえばいっしょだよ」
三宅が笑いながらいう。
「そうかね。わたしは嫌だな」
それは人を愛することを知らないわたしと知る三宅との差だったのだろうか。
夕食は餃子だった。両親が皮から作る、我が家の名物料理だ。
うちで餃子というと、ご飯とかおかずとかそんなの関係なく、もう餃子しか食べない。ホットプレートに焼餃子、鍋に水餃子、せいろに蒸餃子、スープ餃子なんてのもある。それを1人当たり数十個、ひたすらに食べる。
三宅も「おいしいおいしい」といって食べていた。
食卓に5人就いたため長方形の短辺に追いやられ、かえって主賓みたいになった兄に肩を叩かれた。
「三宅さんを見てみろ」
いわれて見ると、三宅は背筋をぴんと伸ばし、れんげの上の水餃子をふうふう吹いてから、するりとすする。その唇のかたちは図書室で泉さんとキスしていたときの光景を思いおこさせた。彼女の前の皿はきちんと整列していて、テーブルクロスも汚れていない。
一方のわたしはいつもの癖であぐらをかいて椅子の上に座り、皿の並びはぐちゃぐちゃで、テーブルクロスには醤油やラー油の染みを作り、餃子のお伴として欠かせないコーラのせいでげっぷが出そうで気持ち悪かった。
「やっぱり倉木女子に通っていただけあって、品があるわねえ」
母が目を細める。
「紗雪おまえ、三宅さんみたいな子を主人公にして小説書けよ」
兄が餃子をもぐもぐやりながらいう。「舞台はお嬢様学校でさ、下級生がお姉様にあこがれてたりするやつ」
「え? ああ……そうね」
わたしは肩をすくめた。いくら秘密のない家族でも、三宅の秘密を明かすわけにはいかない。
「東南女子はそんな雰囲気とは真逆だからなあ」
そういって父が缶からグラスにビールを注ぐ。
「でも女子校なんだから、本当はそういうのあるんじゃないの?」
兄にいわれて三宅は、まるで何かに酔ったように艶っぽいほほえみを浮かべた。
「秘密です」
わたしはそのとなりで苦笑いするだけだった。
食事が終わって部屋にもどったわたしたちはまたはなしはじめた。
「北村恵美とのデートどうだった?」
「暗くなってから並んで歩いてるとき手を握った」
「勝負早いな」
「それでわたしはこういった。『あなたともっと仲良くなりたいな』って。そしたら向こうは『わたしも三宅さんとはじめて会ったときから仲良くなりたいと思ってました』って」
「いけるな」
「いけるね」
わたしたちの秘密のはなしはドアを閉めておけばどこにも漏れる心配はなかった。
お風呂からあがり、ベッドに入ってもはなしは続く。
わたしたちは電気を消してしまうとことばが見えなくなるので、携帯のメールで会話する。
――三宅は進路決めた?
床に敷いた布団の上でわたしのことばがぼんやりと三宅の手元を照らしている。
明け透けで遠慮会釈のないわたしたちでも話題にできないことはあって、こうした暗い、相手の見えないところでならいうことができた。
――わたしはケンドール大に行くつもりなの
三宅のことばが青白い光の中に浮かびあがる。
――それってLAの? すごい!
ケンドール大学は学内の公用語がアメリカ手話(USSL)という、ろう者のための学校だ。学生も教員もスタッフもみなUSSLをはなし、授業はすべてUSSLでおこなわれる。
――紗雪ちゃんは?
――わたし? 大学は行きたいけどな~どうかな~
――紗雪ちゃんならきっと行けるわ
三宅の書くことばはなぜかお姫様っぽい。彼女のことをよく知る前、わたしの勝手に思っていた彼女が携帯の小さな画面の中にいる。
――でもさ、アメリカ行くなら北村恵美のことどうするの?
――どうしたらいいのかしらね
目が慣れてきて、わたしより低いところに横たわる三宅の姿が闇を透かして見えた。
横向きに寝る彼女のからだが山の稜線みたいなシルエットになっていた。肩が最高峰で、胸へとくだっていき、ウエストのところで急激に落ちこむ。骨盤の小さなピークがあってなだらかなお尻の山を越え、脚線を長々とくだっていけば平地にもどれる。からだにかけた毛布が携帯の光に照らされて、月明かりの下の樹林のように見える。
まるで自分の部屋に突然知らない土地ができてしまったようだった。
――きっと何とかなるよ。遠距離恋愛でもだいじょうぶ。彼女のこと好きなんでしょ?
――ええ、好きよ
しばらく携帯は黙りこくっていたが、やがてマナーモードでわたしの手を震わせた。
――本当に好き
わたしは床の三宅を見おろした。携帯を両手で顔の前に保持する彼女はまるでそれにすがり祈っているかのようだった。
見ていると何だか胸が詰まり、わたしは毛布をかぶった。山のように大きく見えた彼女は、いまとても小さい。小さくて弱い。
自分の手も見えない、息苦しい闇の中で、携帯はもう光らなかった。