10年後、20年後、30年後、40年後……でも作家になる夢は捨てない。
ここ、なろうで言えば、評価(ポイントや感想)なんて、ほとんどの人間に入りません。
公募についても評価なんて、ほとんどの人間に入りません。
それでも……を続ける人間が最期に掴むんです。
それからも、それが続くんです。
10年後、20年後、30年後、40年後……でも作家になる夢は捨てない。
そう、最期に死んだ時にああ……良かったと呟き、「灯りを消してくれ」と死ぬまで。
どんな状況になっても、考える頭さえあれば、頭でさえ、小説が書ける。
だから、続けよう、今の文章力でできることを。
だから、続けよう、今の構成能力で。
その果てに、今の自分が驚愕する力が在るはずだ。
どんなに見果てぬ土地でも、一歩ずつ、歩いていけば良い。
さし当たって、あらゆる知識は入門書と速読によるトライ&エラーで対処する。何度も読み込めば、自然と知識として入ってくる。
決して、逃がさない。
周囲の音については、どうせ、違う人間だ。そんな人間に反論した処で時間の無駄だ。本を読みなさい。何でも良いから、文字と戯れよう。寝ても、覚めても、文字を。
文法について、一つだけの文法に頼らずに、物語の感触で多彩に変える。難しい文法理論を捏ねている前に書きなさい、読みなさい。
止まっても歩めばいい。
私は病気で約4年以上、書けなかった、読めなかった。それでも、また、そこから歩けばいい。病気は治らない心の病なのだから、ならば、そんなの知ったことではありません。
そう、合い言葉、そんなの知ったことではありません。私は歩き続けます。
才能?
そんなの知ったことではありません。
結果を指加えて、見つめていても、何の腹の足しにはならない。
過程という名の食材を喰らい尽くせ。
99%の人間が、あなたの小説なんて、知ったことはありません。
ならば、99%の人間なんて、私も知ったことはありません。
1%の人間に目を向けて、書けば良い。
最期には99%の人間もついてくるでしょう。
それは10年後、20年後、30年後、40年後、でも良い。
この人生で駄目ならば、来世に持ち越せば良い。
エッセイを書きたくなったから書いてみました。
人の目なんて気にせず、小説を楽しく書きましょう。