誘いの雨音
曇天の広がる空の下、固いアスファルトを踏みしめて少女は歩いていた。
歯を食いしばり、必死に何かを耐えているような、一言でいえば浮かない顔だった。
一言でいえば少女は飢えている。「愛情」というものに。
誰にも愛されないという孤独感、愛されたいという本能と衝動、愛されなくてもいいやという諦め。それが少女の思考回路をショート寸前まで追いつめていた。
少女には何もなかった。空っぽだった、ほとんどの人間が持っているだろう物が足りなかった。
それは「愛」という感情で、少女には与えることももらうこともできずに燻っている。
「誰でもいいのにな……」
そう、誰でもいいのだ。誰か愛してくれる人が欲しい、私を必要としてくれる人はいないだろうか。路頭に迷う少女に救いの手を伸ばしてくれる人間は――
今のところ誰一人として存在しない。
雨が降り始めた、灰色のアスファルトを黒く染めていく雨は少女の体を躊躇いなく濡らしていく。
「寒い……」
震える少女は雨宿りをするために暗い路地裏へと入って行った。じめじめとしていて暗いが何となく落ち着く場所だ。そんな場所に少女は身を縮めて座っていた。
「やあ、こんなところで何やってるの?」
男の声が聞こえた。顔を上げると男はにっこりと笑って少女を見た。
「あーあ、濡れてるじゃん、可哀想に」
男はしゃがみ込み少女に目線を近づけた。その目は妙に暗く、また変に輝いている。
「居場所がないんだろ?」
「え……」
「そんな目をしている。居場所がある人間がそんな暗い目をしているはずがない」
少女の前に手が差し伸べられる。不思議そうに見ていると男は言った。
「何を望んでいるんだ?」
「何も、ない」
「嘘ばっかり。本当のこと教えて」
しばらく考えてみる。少女が望むものを答えたところで何かが変わるわけでもない。
「……誰かに、愛されてみたい」
「へぇ……」
男は感心したように唸った。少し恥ずかしかった。
「それじゃあ、いい所があるよ」
男は少女の手を握り立ち上がらせた。男のその一言に少女は一縷の希望が見えたがすぐに思い直す、そんなに簡単にこの男を信じていいのか、どうせ嘘吐きだろう、そんなに簡単に手に入るはずがない。
「仮初めの愛だけど、それでもいい?」
「どんな場所なの?」
「んー、色んな男の人たちが女の人を買いに来るところかな」
仮初めの愛、本当に手に入るのならそれでも構わない。
「本当に手に入る?」
「もちろん、俺は嘘つかないよ」
しばらく男の顔を見つめ続ける、笑顔を浮かべ続ける胡散臭い男、それでも少女は男を信じてみることにした。それほどまでに少女は飢えていたのだ。
「じゃあ、連れてって」
「オッケー、じゃあ行こうか」
「どこに行くの?」
「まずは俺が君に愛をあげようかな」
男はそう言って少女の手を掴んだ。
「欲しい?」
もう少女に迷いなどなかった。
「欲しい、ちょうだい」
そうして少女は雨の中傘も差さずに男と二人並んで歩いた。誰かと並んで歩くことなど久しいことだった。
雨音が心地よく少女の耳を震わせた。目を閉じると音はより鮮明に聞こえる。
「どうしたの?」
「何でもない」
「そうか」
その日から少女は「仮初めの愛」を知った。