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神名シリーズ

セスタの森

作者: 左松直老

 前に投稿していたモノですが、アカウントを消してしまったので再UP。

 「神名シリーズ」の一話読み切り品。

 思いつきで増やすので完結という概念無しの為、単品扱い。


 天馬は闇を裂き、標たりて少女を導く――  ある農村に訪れた、魔法のお話。


 森の中には魔法使いが居る。

 魔法なんて学校でも教えてくれる。そんな世の中なのに、大人達は口を揃えて言うのだ。


「あの森に入っちゃいけないよ」


 普段からおうちのお手伝いをするのに、誰でも使うような小さな魔法も覚えた。

 お料理をするときに使う火の魔法、桶の少ない水でお皿を綺麗に洗う魔法。

 夜道だって指の先に火を灯せばこわくはない。

 学校では、同級生の中では一番魔法を使うのが上手だって先生に褒められたし、おうちでもあたしはすごい魔法使いだった。

 それでも大人達は言う。


「あの森に入っちゃいけないよ」


 それはこの村では、魔法よりも魔法の言葉。




 大きな川から引いた水路が村中を巡り、広い農耕地を潤す。

 その肥沃な土地は、領地の中では麦の生産量で五本の指には入るほどに恵まれた土地で、通年同じ気候であり続ける為、二期作、三期作は当たり前である。

 これらを逆に言うと単なる農村でしかない為、観光客など皆無で、村に金を落とすには全て農産物に頼っていた。

 希に気まぐれな放浪の徒が訪れることもあったが、皆口々に代わり映えのしない、ただの農村だと、旅路に必要な物資を揃えてはすぐに消え、二度寄る者は珍しい。

 そんな片田舎の村に、所々長さの違うぼさぼさの白髪に、見窄らしい灰色と茶色のボロ切れ団子のような装いの、四十代も終わりの頃か、壮年の男がふらりと訪れた。

「もし、この辺りに湖は無いか」

 男は麦畑の端で雑草取りに勤しむガタイの良い農夫に訊ねる。

「ん、このあたりに湖なんか無いぞ。大昔の治水工事でこの辺りは水路だらけで水たまりはあらんよ…… あー、でも溜め池はあるなぁ」

 腰を折り曲げて手作業で取り除いていた弊害故か、腰を後ろに反らして「うぅ~ん」と、ひと唸りする農夫。

「どこに」

 事務的で、この村には全く合わない男の語感。どう聞いても都会的で、この村の者が嫌悪するような喋り方。

「ダメダメ、よそのもんに大事な場所は教えらんないよ」

「そうか」

 ボロ切れ団子の男はその場を去り、その後ろ姿を濁った物を見るような目で農夫は見送った。

 村に季節はなくとも、日照りが続けば川の水量は減り、村中を巡る水路は蛙が干からびるほどには干上がる。その大きな川の水かさが減る時期に、溜め池は村の生命線となる。

 そんな村にとって重要な場所を、誰が知らぬ者に教えるのか。

 ふらりと現れた様な者に、村の生計がかかった貯水池を、どうしてあんな見窄らしい男に教えるのか。

 そもそも何故、農地にとって重要な水源を目指しているのか見当も付かない。

 いや、見当はその実、農夫にはある。

 そのどれもがこの村には芳しくない結果になるが。


「おい、おっさん」

 見つけた。代わり映えのないつまらない村に、面白そうな物を少年は見つけた。

「おっさん、よそもんだろ。どっから来た、なにしに来た」

 村に訪れてから出会った農夫とは違い、疑うと言うよりも単なる好奇心の為に目を輝かせて、ボロ切れ団子の男に詰め寄る少年。

「帝都だ」

 ただ一言、理由は述べない。

「帝都っ! この星じゃないんだよな、帝都ってっ!」

 国と言っても陸地に線を引いて分けた物ではない。

 星一つを領地とし、貴族や富豪達が皇帝の勅命によって納める。その皇帝が直接納める、帝都と呼ばれる場所はその実、街という程度の規模ではなく、星一つの大陸全てを指して帝都と呼ぶ。

 それが少年の知るよその世界。この村なんてこの国の大きさに比べれば塵芥、この世界を統べる五大国に比べてしまえば塵よりも価値のない物である。

 この星の領主でさえこの村に訪れるのは数年に一度、下手をすれば十数年に一度という程に外界からの期待は薄い。

 少年はそもそも生まれて十四年、領主すら見たことがなかった。

「なあなあ、何しに来たんだ? なあ、教えてくれよ」

「……」

 外界からの異物。それも聞き及ぶ程度では推し量れないような帝都からの来訪者。

 ボロ切れ団子の男は全くそれに答えず、ただ質問を返す。

「この辺りに湖はないのか」

「湖? そんなもん無いよ。なんで湖なんか探してんの?」

「止まった水が欲しいんでな」

「は?」

 意味がわからない。水なんてそこらの水路から汲み上げればいい。

 麻袋に砂や砂利を詰めてそこに川の水を入れれば小さな砂や虫なんかは取れるし、広大な農地を維持出来るほどに水質は良い。

「溜め池があるそうだが」

 疑問ではなく確信をもった羅列。問いかけるのではなく、続く言葉を求めるだけ。

 水を使う分には水路の水か、川の水で十分である少年には、わざわざ溜め池の、底見えぬ程の暗い水を求める意味がわからなかった。

「森に。あの黒い森の丘に」

 少年が指し示す日の落ちる方角の先、裾は平原だが何故か中腹より上だけが鬱蒼と茂る黒い森の丘。丘と呼ぶには少し大きい気がするが。

 確かに、高い丘から村中に水を引くというのには好立地だが、その肝心の水路は丘の辺り、何処を眺めても見あたらない。

「今は閉じてるけど、日照りが続いたら森の門を開けて裾の洞から水を流すんだ」

 丘の上の方には確かに溜め池があるらしい。

 日照りで水が減れば溜め池の門を開け、溜め池の下部にある洞穴から裾の洞穴まで恵みの水を通す。

 だが、少年の話だとここ数年干ばつの被害など皆無で、少年が一度体験した干ばつも三期作が二期作に減った程度で、村自体の経済活動にそれほどの痛手は被らず、単純に村の蓄えを少々かじる程度でしかなかったと。

 その話を聞きながらボロ切れ団子は身なりに相応しくない、えらく小綺麗な革靴を進め、黒い森へ向かった。




 鬱蒼と茂る森。カラスの鳴き声は村にいるときよりも凶悪で、ガァーガァーと侵入者をまくし立てる。

『出て行け』『ここは俺たちの森だ』『よそ者は出て行け』

 村の大人達と同じだ。

 表面上は愛想良く、村の唯一の生産物をニコニコと買って貰い、その癖裏ではやれ安く買いたたかれた、見下した態度で腹立たしいだの、罵詈雑言を子供の前でも隠さなくなる。

 少しでも、そう言う村から離れたかったのかも知れない。

 少女はおつかいを頼まれた。頼まれたと言うよりも、自ら、率先してというのが正しい。

 頼んだのはお母さんではなくお父さん。

 先日、水車小屋で麦を粉にしている折、小さな弟の粗相からお父さんは左足を折ってしまった。

 そのお父さんの代わりに、少女は森に入った。

「あの森に入っちゃいけないよ」

 誰かが言ったが、覚えてはいない。

 誰かというのは村の大人達の誰かだが、少女はそれよりも父の言葉を信じている。

「あの森にはね、おじいさんが住んで居るんだ。とてもぶっきらぼうで優しい魔法使いが」

 暗い。鬱蒼と茂る森は村から見ても黒く深く、とても日当たりの良い丘にあるとは思えないほどだ。

 間伐して整備された森ではないし、道だって人の道か、獣の道か判別は着かないが、森を歩く為の、父が言っていた道しるべは確かにあった。


 木の根が眠っているような猫に見えるとか。でもあたしにはタヌキに見える。

 木に三つの鳥の巣が、恐ろしい顔みたいに並んでるとか。あたしはカワイイと思うけど?

 道の途中、木の根が階段のようになって昇りやすくなるとか。引っかかって転んだけど。

 そうやってお父さんの教え通りに丘の森を進むと、広く開けた場所に出る。

 真っ平らの黒いものは水だ。村で見る川の水や、水路の水とは色が違う。桶に貯めた水の色と同じ、だけどもっと澄んでいて、深くて重たそうな黒。

 初めて見る村の溜め池。そのすぐ側に、お父さんの目的の場所がある。

 あたしの背丈と同じくらいの石垣の上に、小さな木のおうち。

「ご、ごめんください……」

 石畳の一角、丁寧に作られた六段の階段を上り、戸口で問いかける。

「どうぞ」

 声はすぐに返された。しわがれた重たい声。

 村にいるおじいさん達よりも、ずっとずっと重たい声。

 木の扉を開ける。

 扉には鍵はなく、勝手に空かないようにする留め具の類も付いていない。

 外は暗い森。溜め池よりも暗い森に近い小屋なのに、中は明るく暖かだった。

「あの――」

「ミラフの娘か」

 びくっとなる。声は聞こえるのに、この狭い小屋のどこに居るのか一瞬解らなかった。

 ギィと木が鳴り暖炉の側の、本棚の前に揺り椅子がある事に気づいた。

 揺り椅子の上には、所々長さの違う長い白髪頭で、椅子と同じ色のローブを着たおじいさんが居た。

「は、はい。ミラフはあたしのお父さんの名前です」

 このおじいさん、後ろから見たらおばあさんと間違えるかもなどと、ちょっと失礼な事を考えたりする。

「名前は」

「イアです、イアと申します」

「それで、イア嬢はどのようなご用件で」

 お父さんの言うとおりすごくぶっきらぼうな話し方で、余計なことを言うとげんこつされそうだ。

「こ、これをお届けに……」

 お父さんに頼まれた物。大きなバスケットに保存のきく大きなパン二つ、瓶に入った葡萄酒三本。それと塩味の効いたまんまるチーズが二つ。あたしはこのチーズが嫌いだけど。

「いらんというのに」

 むすっとしているのは最初見た時と一緒。だからたぶん怒ってない。

 おじいさんのそばにある小さなテーブルによいしょと持ち上げる。

「暗くなる前に早く帰った方が良い」

「もう暗いですよ」

 この小屋の窓から外を見ても夕暮れは過ぎて、星明かりが見える。

「まだそんなに暗くはなっていない。本当に暗くなる前に早く帰りなさい」

「えっと?」

 あたしはテーブルの近くにいて、おじいさんの近くにも居た。だから手が届いた。

 わっしわしと頭をなで回された。お父さんの手よりも大きくて、でもお父さんの手より冷たい手。

 びっくりしてそのままだったけど、わしわしし終わったらあたしの頭も、おじいさんの頭みたいにぼさぼさになった。

「気をつけておかえりなさい、小さな魔法使いさん」

 ちょっと驚いたけど、たぶんお父さんがおじいさんに自慢したんだろう。

 うちにも魔法の上手な娘がいるって。




「は? 住むって本当に?」

「もちろん。ここに住む」

 たどり着いた溜め池を一瞥の後、ボロ切れ団子は堂々と「ここに住む」と言い出した。

 もちろんその後は大変だった。元々よそ者に対して良い感情を持っていない村人との折り合いは悪く、ボロ切れ団子は勝手に溜め池のそばに住む為の小屋をいつの間にか建て、堂々と居座った。

 もちろん、大切な村の生命線によそ者が居座ることを誰も良しとしない。

 領主に談判してボロ切れ団子を追い出そうとしたのだが、領主が直々にボロ切れ団子に対面するや、領主の方が逃げ帰るという事態になる。

 何者かよく解らないが領主直々に放っておけとのお達しが出、一年、二年と長くいても別段何の害もないと解るや、皆は好き好きに噂をし始める。

『帝都では高名な魔法使いであったが、皇帝に背いて流された』

『戦時の折、脱走した兵が流れ着いた』

 そういった噂は尽きずボロ切れ団子の、村人を遙かに上回る魔力を出しに、いつしか森にはあやしい魔法使いが住むとだけ言われるようになり、話の種になろうとも飯の種にはならぬので、いつしか誰も気にとめなくなった。


「ほう、やっ! どぉぉぉっ!」

「……結婚したばかりだというのに、仕事は良いのか?」

「今日は暇なんだよ、やることなくて」

 溜め池のほとり、石垣の小屋のそばでミラフは苦手な魔法の練習をしていた。

 それを眺めやる、噂ではあやしい魔法使いらしい男。

 先ほどからかなりのオーバーアクションで、指先から楊枝一本分のひょろひょろな火を出しては喜ぶミラフ。

「そんな駄火で喜ぶな」

「いやぁ、だって。俺、魔法苦手だし」

 家事全般は妻に押しつけている為、家事で必要とする魔法は全て妻頼りらしい駄目夫。

 しっかり者で面倒見の良い幼なじみの娘がいなければ今頃死んでいるのではと、村人からも心配されるくらいには駄目っぷりを発揮しているミラフ。

「逃げられても文句は言えんな、ミラフ」

「……もしかして、帰って家事の手伝いした方が良い? 俺」

「いわずもがな」

 世間一般の己に対する評と、この暇人の評をして己の危うさを理解する。

「か、帰るわ」

「さっさと帰れ、気をつけろ」

「お、おう」

 正直気持ち悪い。気をつけろなど、このため池に通うようになってから一度も言われたことがなかった。

 

 夜半。村中は明日の収穫に備え、寝静まった頃合いだった。

 ごうんと家が鳴る。違った、地面が震えた。

 地震か、とも一瞬考えたが、一瞬揺れただけで特に何もない。

 しかし、数分後。

 窓から見える村長の家が赤々と燃えていた。

 火事。それだけなら何倍も良かった。火事の中に家よりも一回り小さな肉が踊らねば。

 轟々と煙る中、赤熱に艶る肌は人外。

 勢いは猛牛のそれで、力はその何倍もの強さだろうか。

 魔力は世界に流れる。人の身にも流れるならば、獣にも流れ得る。

 人もあまりに親和性が高ければそれは知力と理性で統べ、帝都に招かれる程の魔法使いになる。

 獣が魔力に親和性を求めるならば、それは理性よりもその欲求が上回る。

 人の村を襲う理由。食欲に尽きる。

 年を越える為に、他の必需品を手に入れる為の手段として利用するのに、村は蓄えをする。

 その獣は知ってか知らずか、人の集落を襲った。

 それは既に災害と同じで、村人の魔力などそれを止めるどころか、戦う知恵のない者達では下手に挑発して、悪化させるのがせいぜいだった。

「生きているならそれで良い」

 家の外に出て、唖然と村長宅を眺めて立ちつくすミラフに、しわがれた声がかかる。

 たった四年で一気に老け込んだ、あやしい魔法使い。

「なんだよ、あれ……」

 立ち上る煙の中、轟々と振るう暴力の全て。

 それを指してミラフは愕然の徒となる他ない。

 そのミラフの背にしがみついているのは、ボロ切れ団子が聞き及ぶミラフの妻だろう。

「小物だ。そう大した輩ではない」

 この世には理不尽と呼ばうものがある。

 嵐や、山火事、地震、死すらも。村長の家近くのアレもそうであった。

 だが理不尽というものは上塗りが可能である。理不尽によって。

 

 それは見るも無惨だった。

 一点に集まった魔力はこぶし大の玉になった。

 獣はそれを感じ取ったのか、視線をこちらに、あやしい魔法使いの手のひらの上に注いだ気がする。

 こちらを一瞬見やった獣は為す術無く散った。

 ただの魔力塊を一身に受けて、骨身が原型をとどめない程に。

 魔法でも何でもなかった。本当の暴力、理不尽はこうあると主張するだけのモノ。

 村長の家に降り注いだ血肉の量は火事を消すには十分で、何故か降り注いだ肉の脂で燃えることもなかった。

 ミラフは、不謹慎ながらこの惨状を見てなお、このあやしい魔法使いはこの村の英雄として迎えられるものだと思ってしまう。

 だが、そうはならなかった。

 ボロ切れ団子の魔法使いと一度として話したことのない村人が言った。

「ほら見ろ。ヤツが来てから災厄は起こった。あの噂だってきっと本当のことだ。戦争に用いる魔物を作って野に放ち、俺たちを実験台にしているんだっ」

 ボロ切れ団子は一言として発さなかった。否定も、肯定も。

 村に降りてきたのだって初めて来たとき以来でしかない。

 誰も、魔法使いを見ようとしなかった。




「おじいさんっ、おじいさんっ! もう一度、もう一度っ!」

 きらきらと相応に輝く目の底には、老爺が映る。

 次に映るのは炎の馬だった。

 轟々と猛る炎はその実、熱量というものとは無縁だった。

 燃やすこともない、赤々と輝くそれは嘶く馬の形を取る。

 そして馬にはいつしか羽が生え、狭い小屋の中を駆け回る。


「すごいっ! すごいっ!」

 学校の先生が見せてくれたのはせいぜいが大きな炎だった。

 手の上から離れることもなかったし、形なんて小さくなるか大きくなるかのどちらかだけ。

 学校で褒められるくらいに魔法が上手なんて、おじいさんには絶対に言えない。

 じゃないと、あたしが恥ずかしいから。

 そうして小屋の中を二周したくらいで天馬は窓ガラスに向かい、それを何事もなかったかのように通り抜け、星空へ去っていった。

「あ……」

 今、気が付いた。もうすっかり暗い。きっとお母さんとお父さんは心配している……

 わしわしとあたしの頭を撫でておじいさんは言う。

「暗くなる前に早く帰りなさい」

「おじいさん、もうすっかり暗いですよ。おしえてくれるのなら――」

「まだ大丈夫だ。そんなに暗くはない」

 あの日以来、学校が終わってからおうちのお手伝いをした後、おじいさんのところで魔法の練習をする。

 きょ、今日はちょっとおじいさんの魔法を見ていただけで、いつもはちゃんとおじいさんに魔法をみてもらっている。

 いつもそうだが、おじいさんはかえる前に言うのだ。まだ暗くないと。

 でも外は月明かりで足下を見るか、魔法で明かりを灯さないと危ないくらいには暗い。

 おじいさんは目がすごく良いのだろうか。

「また来ますね。さようなら、おじいさん」

「ん」

 お父さんの言うぶっきらぼうの魔法使いさんは本当にぶっきらぼうだ。

 何度もこの小屋に訪れているが、一度もさようならとも、こんにちはとも言われたことがない。そう言えば、こんばんはも言われたこと無いっ!

 ぷんすかしながら森を抜けて村の方へ歩いていくと、村のおばさんに会った。

「こんばんは」

「……イアちゃん。こんばんは」

 村に帰ってきた気がする。ただ挨拶しただけなんだけれど。

「イアちゃん、あの魔法使いの所に行ってたのかい?」

「うん、そうだけど?」

 それがどうしたの、と言いたい。

 みんなが言うほどこわい人じゃあないし、悪い人でも無いとあたしは思う。

 なにかおばさんが言いたそうにしていたけれど。

「お~い、イアっ! 遅いぞっ!」

 松葉杖をついてお父さんがあぜ道を来る。麦畑だらけの村で危ないから、大きい道だけ通ってと、あれほど言ってもお父さんは聞いてくれない。

 にこにこしながら右手を振って、あたしを呼び寄せる。

 おばさんが見てるから、お父さん、そういうの恥ずかしいから止めてっ!

「さ、さようならおばさんっ」

「さようなら」

 にこにこしたおばさんに別れを告げてお父さんの所まで走っていく。

 ゆっくり歩いていったら大声で何を言われるかわからないもん。

「今日はどうだった?」

「あのね、火のお馬さんが空飛ぶんだよ。びゅーってすっごい速いのっ! それと水のねこさんも見せて貰ったの。触ったらぷるぷるしてたっ!」

「イ~ア~? それ勉強しに行ってるの? 遊びに行ってるの?」

「うっ」

 今日は見せて貰っただけで……

「き、昨日は風を使う練習したもんっ」

「一昨日は?」

「――っ! えっと……」

 葉っぱのお魚をみました。




 二年。おじいさんのところで魔法の修行をした。と言っても住み込みではないけれど。

 毎日学校が終わってからおじいさんのところで魔法を教えてもらっていた。

 正確には……

「はい、ばつ」

「えーっ!」

 返して、あたしの一時間……

「こことここ、計算ミス。それとここは公式使用のこと」

 一時間頑張って駄目出し三つっ!

 しかも一つ致命的っ! 昨日教えて貰った公式だぁ~っ!

 魔法使いになるのは簡単だ。あたしもまだ小学生だけど、学校で教えてくれる魔法なんて全部出来るようになってしまった。なんたって、魔法だけなら学校の先生よりも上手くなったと思う。

 でも、帝都や学府で学ぶのは魔法じゃなくて魔術。

 今、おじいさんに教えて貰っているのもその魔術。の、基礎の数学……

「あ~んっ! あたし数字嫌いっ!」

「自分で高等術を教えてくれと言ったろうに」

 言ったろうにと言われれば言いました。はい、あたし言いました。

 小学生なのに数学……学校の算数の時間、他の子達がうんうんとかけ算を暗記している横で、あたし一人で三角関数をしていました。ええ、先生に別の学校行きなさいとか言われたけれど、その……

 魔法と数学以外は、他の子とあんまり変わらないから……か、変わらないんだからっ!

 無理、かなーって……

「うぅ、数学のバカ……」

「天馬」

 しわがれたおじいさんの声は本日の授業終了のおしらせ。

 今日もお馬さんは数多のお星様の向こうへ帰って行くのだろう。

 ついでに数学も帰ってくれたらなぁーなんて……

「また来ますね、さようなら。おじいさん」

「ん」

 相変わらず。揺り椅子から動かずに手だけ振って小屋を後にするあたしを見送る。


 家路は慣れたものだった。

 今日やったことの復習にはちょうど良い。もちろん数学じゃなくて魔術の方。

 あたしも天馬を動かせるようにはなったけれど、到底おじいさんにはかなわない。

 大きさも、早さも、なめらかさも、魔力の量も、質も、どれもこれもあたしはおじいさんに勝てる所はない。




「あれ……?」

 小屋の扉が開かない。

 仕方ないので窓から中を見る。

 おじいさんが揺り椅子で気持ちよさそうに眠っているのが見える。

 いいなぁ、暇そうで。

 もう一度扉の前に戻って叩く。すると扉が開く。

 小屋の扉はおじいさんの魔力で施錠され、解錠もおじいさんの魔力。

「――っ」

「お昼寝ですか~」

「うむ」

 あたしは口元を押さえながらうふふと漏らし、おじいちゃんですからねーなんて言うと……

「平時上の相対式」

「あ、えっ」

「六日前に教えたはずだが」

「えっと……」

 解らない、すっかり忘れた。えっと、いーいこーるえむしーの……

「耄碌はしとらん――」

 一瞬、言葉が切れる。次には強い言葉が出る。

「帰れ。ミラフに、村の皆に高台へ避難するように伝えろ」

 あたしに一言も話す余地を許さない。

 言葉の端々に、全て必要だから一語一句逃すなと訴えかける。

「川の近くには、水路もだ。近づくんじゃない。急げ、じきに暗くなる」

 おじいさんの話の内容からすると……

「さようならっ!」

「……」

 答えた気がした。おじいさんが、さようならと。




 雲一つ無かった。

 高い山も近くにはないから、誰も気が付かない。

 高い山があるのはずっと川上で、標高は六千メートルって言っていたかも知れない。

 それでも山と村との距離は三百キロも離れていて、誰も気にするような距離ではなかった。

 おじいさんは言った、高いところに避難しろと。川には近づくなと。

 お父さんの子供の頃から、今まで殆ど干ばつが起きなかったのは川の水が減らなかったから。

 暑い日が続いても川の水が減らないって言うことは、どこかに水がたっぷり溜まっていて、そこから水が流れ出るからだ。

 そしてあたしは干ばつに遭ったことは一度もない。


 おじいさんに言われたとおり村のみんなを集めて高台に逃げた。

 村の人は何事かとあたしに説明を求めたけど、あたしは言うつもりはなかった。

 どうせ村の人はおじいさんの話を聞かない。きっと聞けば村の人は村に戻っておじいさんへの当て付けとしていつも通り過ごすのだろう。

 小高い丘にみんなを集めて少しすると、遠くから黒い山が迫ってきた。

 雲。

 それが雲だって気が付くまでにかなり時間がかかった。

 真っ黒で雲なのかどうかも疑わしい程に、禍々しいモノ。

 村の人たちは家に戻って補強するとか、中にいた方が安全だとか言い出してちょっと混乱した。

 でも、戻ればどうなるかくらい村の人たちも解っていた。

 それからは為す術がなかった。

 お父さんも見たことがあるらしい。どうにもならない事を。

 おそらく、村の全てが無くなる。

 山に大きな水瓶があって、それがあの黒い雲の雨で押し流されれば、畑どころか、村ごと全部……

 村を一望できる何もない丘に雨が降る。

 黒い大きな雲は速く、次第に強くなる雨の勢いは村人を容赦なく襲った。

 痛かった。すごく痛かった。バチバチと服の上からでも痛い。

 あたしは持てる魔力で、限界まで広げた風の傘でみんなを守る。

 おじいさんのところで勉強した成果。修行した成果。お父さんなんてかまどの火付けも出来ないくらい魔法が苦手だけれど、娘のあたしはお母さんに似て本当に良かったと思うっ!

「が、頑張れっ! イアちゃんっ!」

 村の人たちがあたしを応援してくれる。

 でも、全然嬉しくなかった。頑張っている人は、もう一人いたから。

 高台にみんなでたどり着いてから、たぶんあたしだけ気が付いた。村に何かあることに。

 見慣れたものだった。二年前のあの日から毎日、あたしだけが見ていたものだ。

 お父さんもたまにおじいさんの所に来ていたけれど、毎日通っていたのはあたしだけ……

 おじいさんが村にいて、なにかしていた。流れは見える。魔力の塊を村のあちこちに置いて移動しているのが、高台からはっきり見える。

 その点を追うと、それは今あたしのやっていることと同じだと解る。

 あたしが空に手をかざして風の傘を作ってみんなが濡れて冷えないようにしているのと同じ。

 村を守る傘を、川の水から守る傘を広げていた。

 村は広大だ。もの凄い早さで点が増えて行く様を見ると、おじいさんの魔法使いとしての、魔術師としてのすごさが改めて解る。移動の魔術も、傘の点の配置も。

 どれもが完璧なモノに見えた。

 どーんと言う音と共に、地面が揺れる。鉄砲水が地を這う威力は周辺を全て揺らした。

 間に合えっ!

 おじいさんの頑張りを高台から、安全なところから見ているだけの自分が歯がゆい。

 おじいさんの側に行って、お手伝いしましょうかと言えば、きっと「うむ」ってぶっきらぼうに言うに違いない。絶対にそう。


 傘の完成が先か、濁流が先か。川は村に向けて堰を切った。




 暑い。たった一日でここまで違うのか……

 少女は汗だらだらで黒い森を歩く。

 昔、引っかかって転んだ木の根はそのトラウマを再起させるべく立ち塞がるし、顔の周りをぶんぶんと飛び回る虫のおかげで、不機嫌極まりなく、少女はぷんすかと丘を登る。

 ただ、今日は一人で上っているわけではない。父もいるし、村の人も居た。

 同じ道なのに、今日だけは心持ちが違う。

 だから少女は虫やトラウマを今日だけは多めに見て――

『ぷぃ~ん』

 多めに見―

『ぷぃ~ん』

 多め――

 村人の目の前で、先陣を切る少女がすっころんだ。


「~~っ!」

「……」

 父が娘を必死になだめ、おいえのはじにならないようになんとかごまかす。

 村人は殆どが溜め池の水門を開けに来た。

 昨日の大雨と鉄砲水で川の堤が壊され、村に水を引けなくなった為だ。

 村はおじいさんの魔術で無事。

 ちょっとだけ壊れた所もあったけれど、それはご愛敬かな。

 そして、こうなった時の為の重要な水源がおじいさんの所。


 その水源を実際に守っていたのはあの魔法使いだった。

 元々場所が場所で、誰も手入れなどしておらず、村人は男が来る前の荒れ果てた溜め池しか知らなかった。

 溜め池の周りは綺麗に整地され、歩道と花壇の境が誰にでもわかり、鬱蒼とした黒い森の中の溜め池の記憶とは遠くかけ離れた場所だった。

 少女はその過去を知らぬが故に普通に歩いて小屋に向かうが、村人達は、ここはどこの庭園かと、辺りを珍しそうに見回していた。




 少女が小屋の前にたどり着くと、窓から中の様子をうかがう。

 今日も今日とて、おじいさんは揺り椅子に座り、ゆらゆらと昼寝のご様子。

 少女はうししと扉の前に立ち、力強く扉を叩く。


 キィと、木の扉は開いた。


「……」


 開いてはならない扉なのに。開いた。


 ドンドンと叩いた音でおじいさんが起きて、おじいさんの魔法で開くはずだった。




 黒い森の丘を目指し、上る一団があった。

 その一団が村を通るとき、そして村の者にこの場所を問うとき、全ての村人は彼らに畏怖した。

 五、六人の男達が列を成して歩く。

 ガッガッガッ、音は一定、列を成して行軍する。

 そして森の開けた場所、村の生命線である溜め池にたどり着く。

 繁茂する色とりどりの草花には目もくれず、一行は小屋の前に横並ぶ。

 ただ一人、士官が扉を素手でノックする。

 

 カンカンカン、音から解る。

 ぶっきらぼうだ。


「はい、どなたでしょうか」

「失礼、帝都から参りました。アーダン・マルドーと申します」

 この小屋の扉くらいならばアーダンは苦もなく破壊できる。

 そう考えたのは職業柄で、個人の意思としては傷一つつけたくない、美しい扉だった。

「どのようなご用件で」

 小屋の主は抑揚無く、ぶっきらぼうに問いかけた。

「はっ、こちらに我が父の戦友。ゼノ・シュツェリエル殿がいらっしゃると伺いまして、推参した次第です」

「……どうぞ」

 招かれた小屋の中は狭く、暖炉と、本棚と、揺り椅子、水回りをぎゅっといっぺんに閉じこめたような空間だった。

 年若い娘が、揺り椅子に座って編み物をしていた。

「……貴女のモノとは違う魔力がありますね」

「おそらく、貴方の言う方の魔力だと思います」

 残滓。

 一般の人が死のうとも、数年は残り続けると言われる魔力の残り滓。

 それが優秀な術者の自宅ならば、その残量は途方もない。

「それというのも、あたしはあの人の名前を存じませんから」

「……」

 アーダンは彼女の瞳の中に天馬を見る。

 幾多の戦場を超え、夜空の塵芥をしるべに、ただひとつ、たどり着いた場所。

「水煙の標、と」

「……」

「ゼノ・シュツェリエル殿の通り名です。失礼」

 そう言ってアーダンは小屋を去る。

 小屋の外ではなにやら他の男達と多少言い合いをしていたようだが、その後何事もなく彼らは溜め池を後にした。


「ふぁ~、お昼寝しよ」


 森には美少女魔法使いが住んでいる……と言いふらすにも飽きた頃。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 美しい文章ですね。 [気になる点] あらすじを読まないと少し時間の流れが分かりにくいかなという印象を受けました。 [一言] あまり好みの話でないのにも関わらず、時間を忘れて最後まで一気に読…
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