脅威、迫る
依頼されていた本業をこなすため、『凶手』は用意したワンボックスカーの中で楽な姿勢を保っていた。
愛用のコンバットナイフは足元だ。
ケースから出した剥きだしのままだが、まったく構わない。
どうせ、マンションの住人が気づくことはない。
「それにしてもまた駐車場かよ」
前との違いは、屋外のものかマンションの地下に掘られたものかと、月極かマンションの住人用かぐらいのものだ。
七割ほどが埋まっており、潜むためのいいカモフラージュにはなっている。
海外では広い駐車場というのは凶悪犯罪の温床になっているのだが、都合のいいことに日本ではまだそういう認識に至っていない。
極端な下がりのスロープになっている入り口を見やる。
そこには、でんと構えている防犯カメラがあった。
「意味がないな、アレは」
赤いランプが点いてはいるが、実際にはハリボテの玩具でしかないのが明らかだった。
このマンションの売りは『防犯設備完備』なので、あたり構わずああいったカメラが仕掛けられており、回線が管理人室につながっているはずなのだが、それが虚偽であることを『凶手』は見抜いていた。
確かに、『防犯設備』はあるのだが、居住部や共用ロビーなどのある地上部に限られ、地下の駐車場やそこにいたるエレベーターなどには、見た目だけのダミーカメラが仕掛けられているだけなのだと。
おそらくは、施行会社の手抜きだろうが、オーナーの指示である可能性もある。
結局、どちらが真実であったとしても『防犯設備完備』ではない。
それに、地下の駐車場には引っ越していった元の居住者の捨てていった車が放置されていたり、見回りもほとんど皆無といった管理会社の杜撰な仕事振りもわかっている。
当初、『凶手』はいつも通りの押し込みで仕事をしようと思っていたが、ちょっとした調査の結果、むしろ駐車場内の成功率の方が高いと判断し、襲撃場所を変えることにしたのだ。
殺し屋というのは冷静で論理的で、確率の計算がうまい奴がなるべきだと言うのが彼の持論だった。
入り口にライトが差し込んでくる。
本日、何台目かの車の帰還だった。
用心して見つからないように顔を上げる。
ビンゴ!
目標のBMWが来た。
『凶手』ははしゃいだ。
BMWは駐車場の中央で、車の向きを変えるコンベアーの上に止まった。
運転席の目標が降りてきて、入り口付近の機械に鍵を刺し、それからボタンを二つ同時に押すと、コンベアーが90°回転していき、目標が契約している駐車スペースにその尻が向けられる。
目標は再び乗車する。
同乗している他の人間はいない。
情報によると、夜の女をとっかえひっかえ連れ込む歯止めの利かない女好きな性質らしいが、今日はたまたま一人であるようだ。
まあ、『凶手』にとっては一人や二人増えたとしてもささいな問題でしかないのだが。
仕事を手早く片付けるために一人のほうが手っ取り早いが、面倒くさいとさえ思わなければどうということはないのだ。
BMWと運転手が駐車のための作業を行っている間に、『凶手』はさっとワンボックスカーから降りたった。
完全に無音で慎重な割りに、野生のサルの様に素早く、機械のように緻密な動きだ。
車と車の陰に潜り、見えにくいコンクリート柱を盾として、淡々と目標に向かって進む。
目標の顔はすでに視認してあった。
本人であることに間違いない。
目標は高木という名の、いわゆるグレーゾーンに位置する男だ。
グレーゾーンとは、暴力団員でもなくカタギでもない者達を指す言葉で、昔から存在していた階層ではある。組を破門されたヤクザや不法外国人などもここに組み入れられる。
代紋にある程度縛られるヤクザとは異なり、好き勝手に振る舞えることから、最近ではこの階層の凶悪化が進み、一般市民にとってもっとも危険な連中といっても過言ではない。
高木は、関西にある広域暴力団を破門された元ヤクザである。
現在は六本木のクラブの経営に携わっているが、ホステスの大部分が地元で借金を作った東欧あたりの外国人女性で、月に数人は行方不明になるといういわくつきの店である。
行方不明の女達は、劣悪なタコ部屋に性奴隷として送られて、大部分が二度と帰ってこない。
悪魔のような男と、女たちには恐れられている。
高木は、破門されたことを組の運営するHPで告知されているというほど、組に不義理を働いた経歴がある。
本来、こういう人物は系列の組織やその周囲に粛清されてしまうものなのだが、ある事情のため事実上放置されていた。
『凶手』の依頼者は、高木を破門した組の古株の組員たちであった。
高木をある意味で守っている事情が苦々しくて我慢ならず、フリーの彼をわざわざ雇ってまで始末をつけようとしているのである。
その事情とは、高木は前組長の異母妹の息子であるというものだ。
前組長と確かな血のつながりがあるからこそ、どれほどふざけた振る舞いをしようと、盃を交わした仲ではそう簡単に手を出せない。
高木はその事情に甘えきって、周囲の神経を逆なでする態度を長い間とりつづけていたらしい。
腹に据えかねた連中が、わざわざ高い金を支払ってレアな殺し屋という人種を雇うぐらいに。
もっとも、そんな事情など『凶手』には意味がない。
所詮、仕事なのだ。
経験的に身につけたスニーキングを駆使し、短時間ですぐにでもナイフを振るえる距離に達した。
高木はバックで駐車するのに夢中で、たとえにじり寄る『凶手』が視界に入ったとしてもおかしいとは感じなかったろう。
BMWから降りると、すぐ脇のパネルにキーを差込み、登録をして車の下に引っ掛けがせりあがるのを確認する。
それから助手席のセカンドバッグを取り出した。
車の盗難防止のために考えられたシステムだが、それならなぜカメラをダミーなどにしているのか。
『凶手』としては首を捻りたくなるところだ。
万事不徹底なのは細かすぎる性質の彼にはがまんならない。怒りさえ沸いてくる。
そんな手抜きをしているから、
こんな風に殺されてしまうのだ。
突然、わきを抉った熱い感触に高木が驚く前に、その意識は彼岸へと向かっていた。
ただ一撃。
あばらとあばらの間にナイフを差し込み、軽く捻るだけの簡単極まりない手妻で関西の広域暴力団を悩ましていた腫瘍は除去された。
糸が切れた人形のように崩れ落ちる高木。
その姿は滑稽ではあったが、『凶手』のライフワークと比べたら楽しくもなければ高揚もしない程度のものだ。
なんといっても、穢れた運がほとんど放出されない。
かすかに身が軽くなったような気もするが、快感にはほど遠いただの放尿だ。
『凶手』にとって、高木の殺害はただの生活費稼ぎのルーティンワークにしかすぎず、死人にとっては最悪なことに、夕飯に一品加えるかどうかの決断よりも軽かった。
「つまんねぇな、これは」
引き抜いたナイフを見る。ほとんど血がついていない。人間一人の命が奪われたとは思えない濡れてなさだ。
高木の大して血も流れない死体に、数時間前から用意していたブルーシートをかぶせる。
たったこれだけの作業で、死体の発見は大幅に遅れてしまうものなのだ。
わざわざ怪しいブルーシートを捲ってまで中を確認する酔狂な人間は少ないということである。
特にこのマンションのように中途半端にセレブぶっている場所では。
もっとも、その効果は数分かそこらで、十分はもたないとわかってはいたが、それでも、それだけ稼げれば御の字だ。
『凶手』はワンボックスカーに戻り、エンジンを始動させ、クラッチを踏みギアをローにして、アクセルを軽く踏み走り出す。
刺殺死体を隠すブルーシートはすぐに見えなくなった。
だが、まもなく見つかるだろう。
今までの経験からすると、彼が仕事中に誰かが邪魔をしてくれることはなかった。
何十という死体を製造してきたが、実際に真最中を目撃されたことは皆無だった。
ライフワークに手を染め出してからは特に。
そのかわり、彼が現場を離れるとすぐに誰かがそれを発見してしまうことが多い。
これは仕方ない、発見者の悪運の強さが原因なのだから。
だが、彼の行動を遮る者はいない。
彼はそれを自分の運が輝いているせいだと、確信していた。
それは何故か。
人間はすべて等しい運を体内に蓄えている。
しかしそれでも、同時に不運という、運を汚してしまうものも自然と蓄えてしまう。
これは避けられない自然の流れなのだ。
食事をすれば排泄しなくてはならないのと同じ。
何かを維持するには、まめな努力が必須なのだ。
そのため、折を見て、穢れた不運を放出してしまわなければならない。
トイレに行くように。
そうすると、個人の運はまた最初の純粋な幸運に戻り、主人をその力で幸福にするのである。
ただ、放出の方法は個人個人によって異なり、自らがそれを開拓していくしかない。
『凶手』はだいぶ昔に放出のための方法論を確立していた。
それを常に意識し、チャンスとあれば実践しているため、彼の運はいつも純粋なまま保たれている。
だから、仕事中に余計な邪魔が入らない。輝く運が彼を守ってくれるから。
それだけではない。
彼は、冷静で論理的で、確率の計算がうまい職人的殺し屋なのだ。
それってはっきり言って無敵さ、ブラボー。
『凶手』はアクセルを躊躇わずに踏み切った。
ワンボックスカーは国道246号を神奈川方面へミサイルのように加速していく。
ライブ会場のボーカリストのように高らかに『凶手』は声を張り上げた。
さて、今日もおれはラッキーなまま、もうちょいハイになっても大丈夫だぜ、素晴らしいぞ、わが人生!
※
「昨日の朝、チャコから報告を受けた僕らはすぐに君のことを調査することにした。幸いなことに、チャコがコンビニの名札に書かれた名前を覚えていたので、地元の探偵社を動員してすぐに表向きの情報は集まった」
A4で十枚ほどの印字されたレポートが机に広げられた。
タイトルは『洞藤空二の身辺について』とある。これが一日程度の時間で作成されたとは驚きだった。
「それで、少なくとも君の周囲には、僕らからすればかなり怪しい人物が数多く存在することが判明したのさ。ここから先は君のプライベートに関わる部分もあるが、できたら気を悪くしないで聞いて欲しい」
気を取り直すために、空二は茶をすすった。
華さんの前には何も用意されていない。彼の説明が正しければ、華さんは飲食の類はしないのだから、当然なのだろう。
視線で話の続きを促す。
「……まず、君の母親である洞藤鮎。戸籍には実母とされているが、実はこの女性、二十年以上前、高校生の時、交通事故で死亡している」
「母さんが?」
産褥で亡くなったという実母について、自分がまったくといっていいほど知らないことに、初めて気がついた。
確かに幼少期の彼は、自分の左手の秘密についてかかりっきりで、他のことに想いを割く余裕がなかったとはいえ、ここまで無関心でいられたと言うことは想像外だった。
まるで、母について考えることがタブーだったかのように。
華さんの説明はまだ続く。
「……僕たちが雇った探偵の一人が、昨日の内にお母さんの実家で確認を取っている。警察の報告書の写しも手に入れた。それによると誰かが彼女の名前を騙り、君を出産したことにしたというのは間違いない。ちなみに父の宗一氏は認知後に君を引き取っているが、役所に提出された出産記録はすべて偽造されたものだと確認できている。加えて、婚姻届の方も偽造である疑いが強い」
「……俺のツテで当時の役所の人間に当たってもらっているが、いくらなんでも念が入りすぎなやり方で、役所の中に内通者でもいないと難しすぎるということだ。それほどに高度な工作がなされているようだな」
マスターがコップを入念に磨きながら口を挟んだ。
このひげの人物も、どうやらこの集団の中では上位に位置するらしいことがわかる。
言われてみれば威厳がある。
「次に父親の宗一氏。半年前に、いずこへともなく失踪しているのだが、この人物の戸籍も偽造されたものだと判明している。すでに何十年もたっているので、その手口は不明だが、お母さんのときと違って誰かの戸籍を流用したものでなく、最初から創られたものであるらしい。ド田舎の村役場ならさておき、ある程度発展した東京に近い街でここまで完璧な偽造が行われている以上、マスターの意見もあながちはずれじゃないだろうね」
脳裏に父の温和な顔が浮かぶ。
まだ短い人生ではあるが、その中でも最低限の話しかしなかった気がする。
物心ついたときにはいなかった母親と違い、多少は身近に接してきたからさほど違和感は感じなかったが、それでも世間一般のレベルで考えると、彼についてもほとんど何も知らない。
「……怪しいといえばもっとも怪しいのは、君の父上だな。こちらが軽く調べた結果だけでも、かなり謎が多い人物にも関わらず、それを隠そうとするそぶりがない。その最たるものは、君の名前だよ」
「俺の名前?」
名前に何の謎があるのか?
「洞藤空二。……洞窟のドウに空っぽのクウだ。僕たち中身がガランドウなゴーレムを揶揄したとしか思えない率直なネーミングだと思わないかい? ……間違いなく、父上は君の秘密にからんでいるんだろうな。そんな名前をわざわざつけるなんて、彼らの行方を捜している僕らに疑ってくれ、見つけてくれといっているようなものだ」
また、衝撃だった。
自分の名前がただの記号、葬式の際に貼られる「なんとか家」と矢印の書かれた紙切れと同程度の意味をもったサインでしかないと認識されるのは、決して愉快といえる話ではない。
「あと、君の幼いときの主治医だった外科医も怪しい。五年ほど前に勤めていた病院が廃院になったのを機に引っ越したらしいが、その後の足取りがまったくつかめない。こちらの調査では医師免許が偽造されたものだとわかっている。他にも、小学校時代の三年から四年の担任教師。これも偽教師のようだ。……ここまででわかる通り、君の周囲には身分を詐称または偽造したものたちがやたらに多い。この中に創造主がいるのか、それとも創造主の集団説が正しく、彼らが君を監視や保護をしていたのか、判断がつきかねるところだけどね」
「……あのお医者さんまで」
空二にとって、あの外科医の先生は夕卯子と並ぶ恩人だった。
だが、それこそ空二の秘密を知った上での振る舞いだったとしたら……。
彼の人生に、たびたび現れる謎の人物達が、暗雲を運ぶ使者だったという疑惑が心中を暗くする。
それは妄想に近い不安。
ただ、蜂条夕卯子の名前が登場しないのが、救いといえば救いだ。
「現在、ドクターが君の青い血の成分を分析するため、研究室に戻っている。結果が出たら教えてくれるだろう。それで、君はこれからどうする?」
「どうするとは?」
「僕たちにとって、君は最重要なVIPとなってしまった。創造主を探すために君ほどの手がかりはないからだ。そのために、僕らは君を保護する必要が生まれている。そして、君がさっきのように襲われないと言う保障はない」
ついさっきの光景が思い出される。
「あの黒い男はなんだったんです?」
「僕もチャコもあいつに触れることができなかったので、はっきりと確信はできないんだが、おそらくは暗殺派だろうね」
「暗殺派?」
この質問に対して、華さんの白皙の顔に翳がさす。実際には口にしたくない話なのだろう。
だが、すぐに意を決っしたらしく強い口調で語りだした。
「僕らの目的は創造主を見つけて、人間にしてもらうことだ。だが、中には創造主を見つけるまでは同じでも、違う考えを抱くものたちもいる。最も過激なのは、創造主を殺したがっている連中だ。彼らは創造主という傲慢な神気取りの奴らに、自分たちのような化け物を産んだ責任を取らせようという主張をしている。それは特に奇妙な中身をもって創られたものたちに多い。……例えば火薬とか、蟲とかだな。見た目や気質的に反発を覚えやすいものを設定されれば、親とも言える存在に憎悪や殺意を抱くのは無理もないところだ。気持ちはわかるが、ある種裏返った愛憎みたいなものを背負ってしまったのだろう。そういったものたちは、独自に情報を集めて、創造主を狩り立てようとしている。君を襲ったのも、そういうグループの一員だったのだと思う」
「一人、物騒なのが日本に渡ってきていると聞いたことがあるな」
マスターがまた口を挟んだ。
「……だから、君を保護する必要があるのさ。」
カラン
扉が開いて鈴が鳴り、買い物を頼まれていた褐色の少女が戻ってきた。
両手一杯に抱えた極彩色の大きな花束がチャコの全身を覆い隠し、空二からは彼女の手と足しか見えない。
「マスター、行ってきたよ」
「おう、とりあえずソファーに置いときな」
「がってん」
カウンター奥のバックルームからマスターの指示が飛ぶ。
その指示に従い、チャコは大量の花束を意外に丁寧な仕草でソファーに横たえる。
これが夕卯子なら投げ捨ててもおかしくないな、と本人には決して言ってはならない感想を抱いた。
そのまま空二たちの座るテーブルに戻るが、露骨に眉をしかめていた。
ハの字型にしかめた眉の形がかわいらしかった。
「ねえ、華さん!」
「どうしたの、血相を変えて」
「あたしの見間違いじゃないと思うんだけど……」
「だから、何かな?」
「ついさっき、ここに入ろうとしていたら……」
「入ろうとしていたら?」
「『凶手』が……いた」