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スキンゴレムズ  作者: 陸 理明
第二章 ゴーレムたち
6/22

ゴーレム

 空二が連れてこられたのは隣の市にある繁華街だった。

 自転車では三十分程かかる地理の関係上、移動手段が限られる高校生の彼にとっては、数えるほどしか訪れたことがなく、ましてや繁華街の裏通りなどまったく初めての場所だった。

 目的の店はその片隅に存在していた。

『エル・ポエップ・ダエッド』という、ラテン語風の店名を書いた小さな看板があるだけで、商売をしようという意欲を欠片も感じさせない寂れた店構えだった。

 入り口には、ちょっと非常識なくらいの大きさで『会員制クラブ』という看板が吊るされているので、構わずに来店しようとする客は、決して多くはないだろう。

 排他的な印象を押し付けるためだけに、わざわざしつらえた品のようだった。

 店内の造りは、従業員の居るバックヤードを除いて、十五畳ほどの広さで、カウンターに五脚のスツール、四脚のイスつきの丸テーブルが三つ、そして三人がけのソファーが備えてある。

 それらすべてが北欧製の輸入品であった。

 全体的に黒い布地と燻した銀のデコレーションを施した地味な装飾だが、華美よりも渋めといった風情だ。

 カウンターの奥には、意外に多くの種類の海外高級酒が数を揃え、これまた高価なグラスがずらりと並べられている。

 調度の取り揃えだけなら、銀座あたりの高級クラブにもひけをとらない趣味の良さであろう。

 その一番奥にあるテーブルで、空二は先ほどまでウォータとグラスに注がれた水を飲んでいた。

 最初はウーロン茶が用意されたのだが、グラスが空になると、同席していたウォータがボストンバッグの中に入っていたミネラルウォーターを取り出し、無言のままコップに注ぎ込んできた。

 空二が水を飲み干すと、再びウォータがおかわりをどうぞと言わんばかりにドバドバと注ぎ込む。

 それがやはり空になると、またもや同じ量が満たされる。

 まるでわんこソバだ。

 さすがに断ろうとすると、どういうわけかひたむきに自分を見つめてくる瞳に無碍に断りきれない何かを感じてしまい、そちらを断念する羽目になっていた。

 さりげなくボストンバッグを覗き込むと、二リットルのペットボトルが三本も詰まっていた。しかもそれがすべてミネラルウォーター。

 バッグはそのまま給水用の袋となっているようだった。

 なぜ、そんなにミネラルウォーターばかり飲むのか訊くのは憚られたので、彼は色々と諦めて素直に水だけを飲むことにした。

 何の嫌がらせかと憤慨もしたが(昨日の出会いを考えれば友好的になるとはありえない!)、当のウォータ自身がグビグビと手酌でミネラルウォーターを飲み続けているので、その線は捨てざるをえなかった。

 とにかくこの少女は水が大好きなのだろうと無理やりに結論付ける。

 しかし、この店に来てからすでに二時間になるが、ウォータの飲水量は尋常なレベルではなく、もう4リットル程が消費されてしまっている。

 それなのにトイレに一切行かないというのはどういうことだろう。

 また、ひっきりなしに彼女の肌から沸き続ける汗はどういうからくりなのだろうか。

 まるで飲んだ量がすべて汗腺を通して漏れ続けているかのようだった。

 もしや、水ばかり飲んでいるからウォータという名前なのか?

 ラリー車のラジエーターですらそんなに水を必要とはしないだろうし、水だって飲み過ぎれば水中毒になり死に至ることもあるというのに。

 もう一人の褐色の少女チャコは、デイバッグから小型のペットボトルを取り出した。

 またミネラルウォーターかと思ったら、こちらはストレートの紅茶だった。紅いパッケージが有名な品だ。

 一度封が開けられている様子なので、どうやら空いたボトルに詰め替えて再利用しているようだった。

 けちっぽいといえばケチくさい。

 しかし、知り合いの店らしいとはいえ、持ち込みとは珍しい。

 どうしても気になったので空二は訊ねてみた。 

「おまえは水を飲まないの?」

「あとで説明するけど、あたしは水は飲めないの」

「そうなのか」

「チャコはね、紅茶だけしか飲めないの」 

 ウォータからのフォローが入った。

 チャコがそれ以上の追求を拒む雰囲気を出し始めたので、聞かれたくないことだと察して口を閉じる。

 ここまで来て、へそを曲げられたら大変だ。

 会話はそれ以上広がらなかったが、どうやら地雷は踏まなかったらしい。

 しばらくして、バックヤードからマスターと華さん、そしてドクターと呼ばれていた長身の女性が出てきた。

 ついさっき暴漢に腹を刺されて中身をぶちまけたにしては、やけに陽気な笑顔を浮かべた華さんが、空二たちの座るテーブルにやって来た。 

「君の番だよ、洞藤くん。こっちに来てよ」

「……俺の番って。何をするんですか」

「さっきも言ったでしょう。こちらで用意したドクターの診察を受けてもらうって。それが済んだら、僕が言えることとはすべて話すよ。多分、それで君の持っている疑問のあらかたは氷解するんじゃないかな。当然、君にはそれを拒む権利があるけどね」 

 剽げた調子で話す美青年だったが、空二にとっては深刻極まりない内容だ。

 言葉の端に刺が宿る。 

「全部とは言わないんですね」

「まあね。こっちにも都合があるし。つーか、語りきれない。それに僕らが知らないこともあるし、親心で知らないほうがいいと思ってしまうこともあったりする。むしろ損することもあるからね。だいたい、人生では全部他人が説明してくれるはずがないでしょ。自分で学ぶことは大切だよ」

「確かに正論ですね。じゃあ、それでいいです」

「……納得しちゃうんだ」

 拍子抜けしたように肩をすくめる。

 空二と接した人がよく浮かべる表情だった。だから、こういう反応には慣れっこだった。 

「わざわざ他人の言葉に抗うのって大変じゃないですか。そういうことに余計なエネルギーは使いたくないんです」

「最近の高校生は大人すぎてつまんないなー。もっと、こう、反抗的でしゃらくさい会話を期待していたのに」

「じゃあ、ドクターさん、お願いします」 

 華さんの言葉を遮るように空二は立ち上がると、あごをしゃくる指示に従いドクターに続いてバックヤードに入る。

 残念そうな華さんには目もくれない。 

「チャコ、花を買ってきてくれないか、五千円ぐらいでいいから」

「さっき買ったのでは足りないの?」

「ああ、少しぶちまけすぎたかな」 

 会話の内容が薄々見当がつくので、かなり不気味な内容といえた。

 ちらりと振り向くと、チャコが外へ買い出しに出かける後姿が見えた。

 バックヤードは想像していたよりも狭く、三畳ほどの広さで、裸電球がぶら下がっている。

 奥に扉があり、倉庫になっているようだ。小さなテーブルと書類入れを流用したようなプラスチックケース、所々に貼られたメモなどがバイト先のコンビニを彷彿とさせる。

 あそこに戻ることはもうないかもしれない。

 気になったのは、やたらと大きなホチキスとガムテープの存在だった。

 どちらもついさっき使ったばかりのように、すぐ手の届く場所に置いてある。

 マスターが木のイスを勧めてくれた。

 このマスターは、小太りのひげの男性で、ここに集っている客達と同様に日本人ではない。

 薄くなった髪とひげの対比が印象的だが、茶色がかった鋭い眼は、知的な思索をするタイプであることを思わせ、年季の入った交渉人のようだと感じさせた。

 年齢は五十歳に届くほどで、比較的若い年齢層ばかりの店内のメンバーの中では上の世代のようだった。

 彼に若干遅れてドクターが入ってきた。

 ドクターはハリウッド映画の女優のようなブルネットの美女だった。

 ただし、時代的にはヘップバーンの頃のと条件がつくかもしれない。

 最近の映画向けのタイプではない、魅力的だがちょっと古いかなといわれそうな厚い唇と骨相をした容姿だった。

 しかし、間近で顔をあわせればひどく緊張してしまうほどの美女ではある。

「まず左手を見せて」 

 気だるいけれど、詰問調の声だった。

 頬にはほんのりと赤みがさしている。表面上はともかく、非常に興奮して上ずっているのは明らかだった。

 彼女を興奮させているそれが何かはわからないまま、言われた通り忌避していた自分の左手を差し出した……。

 

       ※

 

 短時間の診断を終えて店内に戻ると、十人程の客が増えていた。

 何組もの視線が空二を貫くが、その大部分は彼の左手に注がれていた。

 ここに集う連中にとっては、彼の左手の謎がそれほどの関心事なのだろうか。

 空二は腔内の生つばを飲みこんだ。

 視線にこめられたものは多種多様だ。

 あまりにもぶしつけな疑念を持ったものもあれば、不思議な希望に満ちて輝いているものもある。

 だが、あえて誰一人口を開かないことだけは共通したお約束のようだった。

 増えた人数のうち半分ほどが日本人らしかったのが、現金なことに落ち着きを取り戻すきっかけとなった。

 一握りに過ぎないが、なにしろ見慣れた顔つきだからだ。

 なにしろ、さっきまで傍目には外人ばかりと接していたことから、その反動なのだろう。

 ウォータの待つテーブルに着くと、彼と入れ違いでマスターやドクターとひそひそ話をしていた華さんが戻ってきた。

 どうやら、空二への説明係は彼が受け持つことに決まったらしい。

 なにやら胸中では色々と考え込んでいるらしく、顔が真剣そのものだ。

 店内の全ての視線が集まる。

 マスターとドクターもカウンターの中から空二たちを凝視していた。

「……まず、そうだな。僕たちの正体について話しておこうか。ちょっとファンタジーがかった話だけど、疑わずに信じてくれるととても嬉しい」 

 そういうと、華さんは左目を覆い隠していた自分の前髪に触れた。

 そして、ゆっくりと前髪がかき上げられ、隠されていた左目が明らかになる。

 本来あるべきものがそこになかった。

 あるはずの左目はなく、そこには空っぽの空洞があるだけだった。

 黒い、深い孔がぽっかりと口を開いていた。

 だが、何よりも不気味だったのは、その空洞の中に一輪の黄色い小さな花が咲いていることだった。

 華さんは眼球が本来詰まっているはずの空洞に指を突っ込む。

 そして恭しい態度で、その花を取り出した。その際、さらに奥にも赤や桃色の花がつまっているのが見えた。

 まるで手品のようだったが、種も仕掛けもないだろう。

 黄色い花がテーブルにそっと置かれ、何事もなかったかのように前髪が元に戻った。 

「……僕の中身はこういう花で構成されている」 

 突然、空二のためにウーロン茶を運んできたマスターが自分の指を、アイスピックでぐっさりと貫いた。

 空二が止めるまでもなく、最初から用意していたのだろう、まったく躊躇いのない行為だった。

 慌ててハンカチを差し出そうとすると、手で制止された。 

「マスターっ!」

「大丈夫、痛覚はほとんどないから」 

 指を貫くアイスピックが抜けると、そこから白い泡と色の付いた液体が滴り落ちた。

 ただ、普通の血よりも妙にさらさらとしている。

 マスターは悠然と空二が差し出した白いハンカチを受け取り、血の色を見せ付けるようにゆっくりと拭う。

 そこには血液のドス黒さはなかった。

 もっとはっきりと薄い茶色はまるで……。 

「マスターの中身は『ビール』なんだよ」 

 テーブルに零れてしまった水滴をぬぐい、ハンカチが空二の手に帰ってきた。

 はっきりとしたアルコールの臭いがする。

 華さんが、ウォータを指差し、 

「ウォータはその名が示す通りに、中身は『水』でできている。彼女は、さっきから水ばかり飲んでいるだろう。それは、彼女が常に水を体内に流し込んでいないと、活動できなくなる肉体だからなんだ」 

 周囲が会話している最中も、グビグビと呑んでいたミネラルウォーターのグラスを、ウォータがダーッと声を上げてかざした。

 たぶん、これは自己主張の一種だろう。 

「さっきまでここに居たチャコは、『紅茶』が体内を巡っている」 

 チャコの持参したペットボトルを華さんが掲げた。 

「オレは砂鉄だぜ」 

 入り口のピンク電話のところに寄りかかっていた黒人の男性が声を発した。 

「私は綿よ」 

 その隣に居たメキシカンっぽいショートカットの女性。

「……ボクは蜘蛛の糸」 

 空二よりわずかに若いくらいの金髪の少年が、おずおずと手を上げた。

 それらに呼応してか、次々と他の客たちも口々に自分の中身を喋りだす。

 名前の自己紹介よりも自分の中身が何なのかを説明する方が、はるかに重大事だと言うがごとく。

 最初のうちは、ここにいるメンバーが集団で自分を騙そうとしているのか見極めようとしていたが、そのうちに面倒くさくなってしまった。

 語られた内容自体がそもそも荒唐無稽なものだし、人を騙そうとするにしてはくどくどとしつこすぎる。

 何より、誰かが空二を騙して得るメリットなど何も考えられない。

 ならば、とにかく説明を聞く方が早い。

 華さんの傷口の中から血ではなく花びらが舞ったところを、現実に目撃している以上、闇雲に疑うだけなのは問題にしかならないだろう。

 周りの暴露大会が収束し始めたのを確認してから、華さんは咳払いをした。

 それが会話の再開の合図だった。

 

「あのね、僕たちは、実は人間じゃないんだ」

 

 それは考えうる限り、彼らにとって最大の衝撃をこめた告白だったのだろう。

 しかし、それはすでにわかっていたことだ。

 空二は店内のメンバーが人ではないということをもう確信していたからだ。

 あとは淡々と事実として認識するだけだった。 

「人間のものと良く似た皮を被って、中身を色々なもので埋めて構成された――古代ユダヤの伝承にある動く土塊の人形を祖とする―――人形に過ぎないんだよ」 

 音が再び絶えた。

 誰も一言も発さず、呼吸やわずかな衣擦れさえも聞こえない。それが店内に集う者たちの総意であり、華さんの話が揺るがない真実であることの覆せない裏づけであるように感じられた。

 ここに居るもの達は、どいつもこいつも人間ではない異形のものたちばかりということだ。

 人間以外のものに囲まれている恐怖というものを理解する努力を試みた。

 ……だが、特に何も感じない。

 それが空二の答えだった。

 長い間、自分の左手を意識し続けた挙句、空二の常識はどこかで麻痺し、狂ってしまっていたのかもしれない。

 あえていうなら、華さんやチャコたちは『バケモノ』である。

 そして、生物ですらなさそうだ。

 動物やペットに対して抱くような親近感さえも持てなくて当然かもしれない。

 しかし、空二にとっては「特に何も感じない」でしかない。

 自己を他者から隔離し続け、心を錆びつかせてきた結果として破裂してしまった狂気を宿したような若者にとって、生物でないことでさえ、突き詰めてしまえばまさしくどうでもいいことだった。

 むしろ、あの時。

 襲撃者によって、切り裂かれた華さんの体内から舞い散った無数の花々の渦を見て、

 

『美しい』

 

 と、想った心だけが「特別だった」のかも知れない。

 だから、華さんたちの告白をよくできたフィクションを聞くような身軽な自然さで、心に沈められるのである。

 華さんはどこに用意してあったのか、レポート用紙を取り出して一枚破る。

 そこに大雑把な人の形をしたイラストを描く。

 空二は気を取り直して話に集中することにした。 

「まず、僕たちの肉体の構造を説明するとだね、リカちゃんやバービーのような中身が空っぽの人形をイメージしてもらうといい。ほら、子供のときに遊んだだろう? ただ、僕らの場合は、皮に切れ目がなく、完全に繋がった袋のようになっているけどね。むしろ人間の形をしたゴム袋かな? とにかく、袋だ。そして、その中心には、僕らが『針金』と呼んでいる一本の真の銀製の骨が頭・胴体・四肢に向かって伸びている」 

 人型のイラストにマジックで線を書き込む。

 確かに、骨のように見える。 

「これが大体のオーソドックスな作りかな。兄弟姉妹によっては別の変わった仕組みがついてたりするものもいるけど、おおよそはこんなものさ」 

 それから、今度は別のマジックで人型の中に斜線を入れはじめる。 

「この書き込んだ斜線は本来なら空洞の部分なんだが、何もない状態というのは、逆に我々にとっては死んでしまった、二度と活動できない状態であるということを表す。無機物である僕たちが生物のように意思活動を継続していられるのは、何よりもこの斜線を埋める様々な素材が埋っているおかげなんだ。ただ、その素材に僕らの性質は左右されてしまう。その素材は、血液であり、肉であり、または魂の宿り木となって、僕らの肉体での寄る辺となる。例えば水や紅茶や花やビール、砂、鉄、髪、それぞれの固体によって、その中身を埋めるものは異なっていくが、生命維持のルールとしては常に普遍だ……」 

 ここで、空二が内容を咀嚼できたかを確認するための重々しい沈黙が落ちた。

 呼吸さえ苦しくなる、重力に異変が発生したかのような静寂。 

「……あなたたちは本当に人ではないんですね」 

 すでに理性も精神も受け入れてしまった結論を、まるで神の預言を再確認する神官のごとくに繰り返した。

 応じたのは神ではなく、人の形を採ったモノ。

 

「そう、僕たちはユダヤの民話に倣って、『ゴーレム』と呼ばれているんだ」

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