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スキンゴレムズ  作者: 陸 理明
第一章 青い血液
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花びらの青年

 雑多なものに溢れた室内を、先ほどの空二と同様に眺める。

 そこには自分しかいないという事実を確認することだけが目的の、無為極まりない行為だった。

 テーブルの上には空二のカバンがある。

 おそらく、持ち主の手に今日中には戻ることはないだろう持ち物だった。

 夕卯子は無言でソファーから立ち上がり、窓の外を見た。

 高校の裏門が見渡せるが、登下校に裏門を使う生徒は稀なのでいつもの閑散とした光景があるだけだ。

 時折、隣接する一方通行の公道を車や自転車が通り去るぐらいのものだった。

 だが、退屈な景色は眼に入らない。

 それよりも複雑な感情のわだかまりを抑えるほうが大変だったからだ。

 上履きの底で壁を何度も蹴りつける。

 それなりに白い表面に一箇所だけ黒い部分があるのは、彼女が頻繁にストレスをぶつけている証だった。

 このことを知っているものはいない。

 空二なら見抜いているかもしれないが、わざわざ自分からカミングアウトする内容でもないだろう。

 ついさっき、昇降口で出会った人物たちのことが脳裏に浮かんだ。

 第一印象は「なんて綺麗な子」だったが、数秒後には「同じ天を戴けない敵」に変わった相手だった。

 正直、顔を見た瞬間に殴りつけたくなったが、学校という場所柄をわきまえると理性が敵意をかろうじて押さえつけた。

 決して友好的とはいえない会話の後、相手の身柄を事務室に押し付けて、夕卯子は自分のテリトリーに戻った。

 ミス・不倶戴天たちが何のためにここに訪問したのか、夕卯子には見当がついていた。

 だから、空二を事務室に向かわせたのだ。

 その結果がどのように転ぶのか、まるで見当がつかない。

 だが、自分自身の決断について、少なくない不満を抱いていることを、汚れた壁だけが傷みとともに知っていた。


     ※


「結構、驚き」


 先頭を歩くチャコが、振り返りもせずに言った。

 両手を後頭部で組んだ、妙に少年っぽい仕草が似合う。

 態度は昨日とは桁違いにフレンドリーになっていた。

 むしろ馴れ馴れしいぐらいだ。

「……何がだよ?」

「ガタガタ言われると思っていたんだよね。いきなりガッコに押しかけて、任意同行を求めたんだからさ」

「自分たちで連れ出しておいて、今更だな」

「普通の感覚の持ち主なら、ちょっとは抵抗するんじゃないかなと思っていたのに、あっさりオーケーされちゃってホントにびっくりだよ」

「おまえらの非常識さ加減には、俺の方がもっとびっくりだがな」

「何で?」

 疑問の声を上げたのは、空二のすぐ隣を並んで歩いていたウォータだった。

 ウォータの格好も、昨日に比べてキャミソールにフリルが増えたぐらいであまり変わっていない。

 事務室を連れ立って出て以来、特に目立った反応を何も示さなかったものだから、意外に感じた。

 どういうわけか、ウォータもチャコ同様に心底理解不能といった表情を浮かべている。

 口にするべきかしないべきか、ほんの数瞬だけ判断に迷ったが、これからのことを考えると釘を刺しておく必要性がある。

「昨日、俺は君らに乱暴をされた筈だが……」

「ほお」

 まるで初耳のような、「ほお」だった。

「無論、あのことを忘れたわけではないよな?」

「面白いストーリーだ。ユーの想像力に乾杯」

「……怒っていいところだよな、ここは」

「まあ、気にすんな。あたしだって、さっきあたしの美貌にバッグを叩きつけてきたゴリラ女を見逃してやったんだ、おアイコだ、おアイコ」

 何ら悪びれることもなく、昨日の悪行を笑い飛ばすチャコを空二は睨み付けた。

 もちろん、前を歩くチャコの後頭部を睨んだところで、その金髪が燃え上がったり、カリアゲになったりするはずもなく徒労に終わっただけであったが。

「そういや、あのゴリラ女、いやに素直にあんたに取り次いでくれたよな。三十分ぐらい待たされたけど。正直な話、もっと待たされるか、あいつのところで握りつぶされるだろうと思っていたのに」

「ウォータ、ずっと外を見張ってたよ。こいつが帰っちゃわないように」

「あんたの苦労は水の泡になったってわけだ」

「ウォータの泡?」

「……夕卯子は物理的に不可能でさえなければ、だいたいの約束は守る。たとえ、相手と揉めたことがあったとしても」

「ふーん」

「受けた恨みも忘れないけどな」

 空二は、夕卯子が自分を事務室に向かわせた理由を悟っていた。

 最初は話をするためのただの口実かと思っていたが、それこそが間違いで、実際は昇降口に来ていた二人に引き合わすためだったようだ。

 どうして夕卯子が二人の対応をする羽目になったかというと、外人然とした来客に対して一般生徒たちが揃って怖気づいてしまい、たまたま通りがかった生徒会長を担ぎ出したということらしい。

 確かに、夕卯子は英会話がわりと達者で、外国人程度に怯むような胆の小ささはない。そのあたり、適材適所といえる。

 とはいえ、周りは知らないだろうが、チャコと夕卯子は平和的でない邂逅をした仲だ。

 当然、穏やかではない再会を迎えるはずだったのだが、夕卯子は「洞藤くんに用なの?」と聞き、それから事務室に案内したうえで、「呼んでくるからちょっと待ってなさい」と大人の対応をしたらしい。

 俄然戦闘モードに突入しそうだったチャコは面食らった。

 男を守るためとはいえ、殺害上等な攻撃をかましてきた相手なのだ。

 肩透かしを二、三回食らったように拍子抜けしてしまった。

 さっきの感想も、ある意味ではトラブルを起こし損ねたという歪んだ願望が含まれたものだった。

 大人の態度はまやかしであり、彼女たちを放置して、さっさと目的の人物を逃がそうとしているに違いないと信じることで、盛り上がった敵対心を維持できると考えていたというのに。

 逃げられたら逃げられたで家に押しかけてもいいし、それを口実に昨日のリベンジをしかけたっていい。

 チャコの思考はこんなものだったが、彼女の思惑は見事に外され、目的の洞藤空二は普通にやってきた。

 しかも、その空二にも同行を求めたら二つ返事で承諾されてしまう。

 はっきり言って、チャコのこれまでの経験の裏をかかれるような展開にさすがに戸惑いを隠せなかったのだ。

「……ふーん、面白い奴」

 チャコはどういうわけだが、少し親しみがこもった呟きを漏らした。

 それを聞いて、空二はちょっとだけ嬉しくなり、二人の少女への警戒がやや薄れていくのを意識した。

 さっき生徒会室で交わした会話を思い出し、夕卯子の真意が欠片だけでもわかったような気がした。

 彼がチャコとウォータに再会する前に、長年付き合ってきた友として言うべきことを言おうとしたのだ。

 もちろん、真意を汲み取るのは空二の仕事だ。

 きちんとその仕事をこなせたかどうかは定かではないが、心遣いを全部無駄にしなかったという自信はある。

 正門を抜け、高校の前の住宅街の路地を行く。

 どこに向かっているのかを聞こうとしたら、40台程度が止まれる規模の月極駐車場が見えてきた。

 その中心に、一人の青年が立っていた。

 背が高く、均整の取れたモデルのような体格の青年で、髪の毛はやや茶色がかったブロンド。

 ただし、左目を隠すように前髪が覆っているので、にこりとした人好きのする笑顔でさえ微妙に胡散臭さが感じられる。

 もっとも、体格のみならず顔の造作もモデルじみているから、全体の印象としてはむしろプラスといえた。

 シャツをズボンに入れているあたり、見た目通りの外国人、おそらくは東欧系だろう。

 三人を見て手を上げたので、どうやらチャコ達の仲間か知人であることは容易に推測できた。

 ウォータが手を振ってそれに応える。

 この娘も子供みたいなものなのかな、とお父さんみたいな感想を抱いていると、ウォータの頭越しに、駐車場の反対側から中に入ってこようとする黒いピーコートの男が見えた。

 頭巾みたいな帽子をかぶっているため、顔はよく見えない。

 男は駐車場の料金支払い機を見た後、早足だった歩みを止め、普通程度の歩きの速度になった。


(はな)さん」


 チャコが青年に呼びかける。

 長年育んだ敬意が感じ取れる口調だった。

「華さんっ!」

 ウォータも同様に呼びかけたことからすると、青年の名前は華さんというらしい。

 華さんはスリムに見えて実は筋肉がついている体格だった。

 男らしい逞しい体格の持ち主とはいえない空二としては、ほんのわずかだが気後れをしてしまう。

 ふと視線を戻すと、黒い男は消えていた。

 目の届く範囲にはなぜか見当たらない。

 自分の車に乗ったのだろうか。

 ちくりと脳に何かがひっかかったが、意味のないノイズだと無視して切り替えようとした。

 男は駐車場の料金支払い機を見ただけなのだ。

 ……それなのに金を払っていない。

 車を運転できない未成年の彼だったが、この手の駐車場は、料金を自動販売機よろしく支払うことによって、車の下部をロックしていた金具が外れることぐらいは知っていた。

 金を払わなければ、車に乗り込んだとしても出発することはできない。

 彼は足を止め、もう一度だけ駐車場の周囲を見渡してみた。

 窓ガラスを黒フィルターで覆っている車もあるが、ざっと見たところ、人が乗り込んでいるものはない。

 では、あの男はどこにいる?

 どこに消えた?

 同行していた空二が足を止めたことに気づかず、前を歩いていたウォータのすぐ横に停めてあったスバルの青いインプレッサの陰で何かが蠢いた。


 空二の足には意思があった。

 空二の手には覚悟があった。


 (あるじ)の都合を一切考えずに、身体だけがノータイムで弾きだされたように動き出していた。

 黒い男は白いものを持っていた。

 いや白く見えたのは反射した光が一瞬だけ刃に留まっていたからだ。

 それは刃渡り三十センチほどの刃物だった。

 行き着く先はウォータの白い肌だろうか。

 ゴーゴー・トレイン、殺人行き。避けようのない、致死が確実な刺突。

 ウォータを後ろから突き飛ばす。

 右脇から迫る刃物の先端を無謀にも左手で弾いてしまう。

 切っ先が縦に立てられていたので、刃物の峰をたたいだけで済んだ。

 そのことに気づき、空二は愕然とした。

(どうして俺は左手で他人を庇っちまうのかなっ!)

 だが、突然の妨害者の登場にも黒い男は怯まない。

 すかさず、空二に対して姿勢を崩しながらも再度刃物を突きたてようとする。

 さらなる攻撃に戸惑ってしまったのはむしろ空二の方。

 誤算だった。

 てっきりウォータ狙いの変質者だと思ったが、その動きには微塵も迷いがなく、標的を彼に切り替えてきたからだ。

 敵と闘う(すべ)など空二は何も覚えていない。

 もちろん、伸ばされた刃物を避けることなどできない。

 やられたと確信したとき、

 ざくりという二度と聞きたくない音がして、


 ―――空二の視界は飛び舞う幾重もの花びらを映していた。


 それはどこから舞ったのか、飛び散ったのか、一瞬ではわからない。

 空二は走り去る黒い男と、自分の間に立つ長身の青年を見つめていた。

 彼が、その身を襲撃の間に割り入っれたことだけはわかった。

 そして、空二は見る。

 華さんの、シャツの下、ぽっかりと開いた長い裂傷。

 その中にぎっしりと詰め込まれた色とりどりの花びらの山を。

 見間違えなどありえない。

 本来、血の赤に装飾されたハラワタが収められているはずの人体の宝物庫にはあるべきものがなく、ないはずのものが込められていた。

 空二は我が眼を疑う。


 そこには…


 青年の内部には……


 百花繚乱するかのごとき、幾千もの花びらが詰まっていたのだ……。

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