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スキンゴレムズ  作者: 陸 理明
第一章 青い血液
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予期せぬ来訪者

 生徒会室の扉を開けようとしたら、いつのまにか自動ドアになっていたらしい。

 手を掛ける前に、扉が勝手に開いていく。

「あ、おはようございます、洞藤先輩」

 一年生の書記の女生徒が中から顔を出した。

 手を挙げて挨拶をする。

 そもそも彼は無口すぎる性質で、付き合いのない人間相手には会釈すらしない傾向があるが、高校に入学して以来、挨拶しようとする意思表示だけは欠かさず行うように心がけていた。

 どちらかというと努力目標に近かったのだが。

「会長なら、さっきからずっと先輩を待っていましたよ。洞藤先輩の手助けがいるんですって」

 女生徒は奥から死角になる位置で室内を指差したうえ、聞かれたくないのか、囁くような小声で言った。

「……そうか。もっと早く来るべきだったな」

「カンカンですよ、会長」

 怖い存在であるはずの会長と寡黙な年上の異性をからかうのが楽しいのか、書記は目一杯の笑顔を浮かべている。

 これは楽しんでいるな、と空二は判断する。

 俺はいつから、イジられキャラになったのか……。

 彼女は、空二と生徒会長の関係をおぼろげながら把握している。

 十代の女子のレベルでの把握だが、おおよそ間違ってはいないだろう。

 にたにたと笑いながら立ち去る後姿を見送り、肩をすくめて生徒会室に入ると、自分の席で見慣れたポニーテールがくつろいでいた。

 年代物のソファーに腰掛けてファイルを観ながら、あぐらを掻いて、大き目のファイルを腿の上に載せた姿は牢名主のようだった。

 確かに、ソファーには最上級生しか座ってはいけないという暗黙の了解がある以上、そこは牢名主の畳のようなものかもしれないが。

 ただ、あぐらを掻いていても、スカートの中は残念ながら見えなかった。

「おそかったわね、空二」

「ホームルームが長引いたんだ。おまえんとこと違って、優秀なリーダーが不在でね」

 主のいないイスに適当に腰を掛ける。

 少し温かい。

 さっきの書記の定位置であったことを思い出す。

 まだ、中学生のような少女の体温にはなんの感慨もわかないが、人によっては頬をこすりつけたりするものなのだろうか等とつまらないことを考えてしまう。

「浅く腰掛けても見えないわよ」

 不自然な沈黙が意外な方面の勘繰りを招いてしまった。

「……ショーツにそこまで興味はないぞ」

「パンツって言いなさいよ。男がショーツというのはやけにスケベっぽいわ」

 夕卯子の眼はファイルの文章を追っているが、頭には入ってきていないに違いない。

 その証拠に、空二の挙動はすべて見通されている。

「見れないパンツは穿いていないのと一緒だ」

 じろりと上目遣いで睨まれた。

「普段からパンツさらして生きる女がどの世界にいるっての。北沢拓也の小説にもいないわよ」

「北沢拓也は現実的な官能小説家だが、18禁のゲームならアリだろう。探せばきっと二次元にはいると思うぞ。俺にしたってリアルで出会ったことはないが」

「……あんたと官能の世界についてマヌケに語る気はないわね」

「俺も同感だな」

「……」

 彼の芸のない回答に呆れ果てたらしい夕卯子の関心が、今度こそファイルに移ったらしいのを確認すると、とたんにやることがなくなった。

 室内をまたも沈黙が支配する。

 通常教室の半分程度の広さの生徒会室は、三つの長テーブルと二つのパソコンラック、そのためのデスクトップのパソコンとノーパソが計三台あり、ボロボロのパイプイスが数脚置いてある。

 資料用の棚と二つのロッカーがそれぞれ隅に、その脇に周囲を睥睨するようにソファーがおいてあるという布陣だ。

 室内を見渡し、もっとも興味をそそった漫画雑誌を手にする。

 昨日、夕卯子が彼のバイト先で購入していった野郎くさい漫画雑誌だ。

 ペラペラとめくっていたら、巻頭のカラーページがないことに気づいた。

 よく見ると、カッターか何かで丁寧に切り取られた跡が残っていた。

 裏の目次を見ると、夕卯子のお気に入りのヤンキー漫画が巻頭カラーに配置されていた。

 そうなると、犯人は一人しか想像できない。

 暇なので読みはじめたら、今度は目の前のテーブルが激しい音を立てた。

 夕卯子が読んでいたファイルを空二の方に投げ捨てたのだ。

 体育会系優等生風の見た目のわりに、身内の前はおろか誰の前でも全般的に粗暴なのが彼女のデフォなのだが、生徒会室の備品を投げ捨てるのはとても珍しい。

 鬼の霍乱といった按配か。

 雑紙の中では、黄色い服の生徒会長(実は生徒会将という武官だったらしい)が、ついに逆襲のための木刀を握るというクライマックスだったのだが、それよりも目の前のポニーテールの闘将を無視する方が遥かに恐ろしい。

 空二は顔を上げて彼女の様子を窺う。

 案の定、夕卯子の眼は据わりきっていた。

「昨日、来なかったよね」

「怒ってるのか」

「朝に言ったじゃない。わざわざ、バイト先まで行って」

 わざわざのところが妙に語調が強い。

「……あの時は色々あったから、つい忘れてたんだ」

「嘘ね。空二の心の優先順位では、わたしがトップか二位を確実に占めているはずよ。例え頭が忘れても、魂が忘れるはずがないわ。そういう付き合いをしてきたはずよ。それなのに、わたしとの約束を無視した。……あんたにとって昨日の件がそれほど重大なものになっていたということよ。優先順位が緊急に入れ替わるほどに」

 魂って何さ。

「だから、昨日は来なかった。そのくせ、今日は来ている」

「……」

「その意味が理解できない、わたしじゃないわ」

「俺にはわからないな」

「あなた、気づいているの?昨日とはまるっきり別人よ」

「どういうことだ?」

 何かが空二の背中を撫でた。

 今までに感じたことのない怖気とも思えたが、実はまったく違うものである可能性が高い。

 恐怖と歓喜は紙一重なのだ。

 黙秘する犯人を落としにかかるベテラン刑事のように重々しい沈黙を作為的に作り上げ、夕卯子は空二に緊張を強いた。

「そこで、黙るってことは自分でも多少の自覚はあるってこと?違っていることについて。……でもね、あんたは別に人が変わった訳じゃないわ。わたしに言わせれば、あんたは化けた訳でも、位階があがった訳でもない。誇らしげに語れるものじゃなく、ただ、『違った』だけよ」

 無論のこと、空二には言われている意味が微塵もわからない。

 違う、違わない。

 一体、何が?

 さっぱりわからない。

 夕卯子が語っているのは、定型文のコメントも浮かばない類の抽象的な指摘でしかなかった。

「理解できないって顔ね。そう、あんたは初めてあった頃から、そういった部分はまるっきり出来てなかった。それはそれは同情したくなるぐらい。でも、最近のあんたはよくこなせていたわ。花丸をあげても良しって感じで」

「……」

「でも、今のあんたはまるで駄目。まあ、理由はわかっているわ。芸能人相手のクイズ番組でも回答率が高くなるほどヒントが出まくりの容易い問題だからね。欠伸が出るほど難易度低いわ。あえて正解を言うけど、それだってアホらしいってなものよ。……昨日の黒猿女どものことでしょ」

「……ああ」

 努めてクールに振舞う努力をしようとしたが、でてきたのは芸のない相づちだけだった。

 くだらない隠し事はお互いの為にならない。

「あんたは、ついに自分の左手の正体について知る機会ができた。子供の頃から、わたしといなくなったお医者さん以外には内緒だった秘密の鍵を得た、もしくは得たような気がしている。だから、今まで自分が無くしていたものを取り戻せるかもしれないみたいなことを考えているんでしょ。それが、自然と態度に出ている」

「……俺はまっとうな人間になりたいんだ。昔、話したと思うけど、俺はカラッポなんだ。カラッポな部分に何かを埋めて塞ぐことができるのなら、まっとうな人間になれるかもしれない。その何かってのが、多分、この気味の悪い左手の謎なんだと思う。そう考えている」

「こっちだって前に言ったと思うけど、あんたってバカよね。カラッポだとか、何もないだとか。そんな全然面白くもない比喩を使って自分を表現して、楽しいの? ちゃんちゃらおかしくって、涙がジャーよ」 

 滂沱の涙がこぼれでるジェスチャー。

 茶化す風なうえ、訥々と振り絞った言葉を全力否定されたにしては、空二の心は傷つかなかった。

 しかし、言われっぱなしは癪なので精一杯の反抗を試みてみる。

「おまえみたいに、芯がはっきりしている奴ばかりじゃないんだ」

「世間一般で言う中身や芯って、何よ? どのぐらいの質量で、どの程度の硬度があるのかしら? きちんと計る方法を提示してから口にして」

「夕卯子」

「……ま、わたしの言い方はきついから、これ以上、口論する気はないけど。でもね、これだけは言わせてもらうけど、あんたちょっと考えるのをやめなさい。はっきり言って無駄だから」

 嘲笑とともに、唐突に会話が打ち切られる。

 もう話す意味がないといいたげに、手をヒラヒラと振る。

 再度、反論しようとしたが、その手の動きに勢いをそがれ、結局言葉は口から出ない。

 それでもよかったと思えた。

 はっきりとした嘲りに、つい感情的になり、言うべきでないことまでも言おうとしてしまっていたことを意識してしまっていたからだ。

 他の人になら何を言われてもへこむ程度で我慢できるが、夕卯子と仲たがいをしてしまったら、自殺したくなるほどの自己嫌悪に襲われることは間違いない。

 だから、夕卯子が一方的にこっちを嬲っておきながら、突然矛を収めたやりかたについてある意味では感謝していた。

 だからといって、湧き上がった憤懣はすぐには収まってはくれないが。

「俺の手助けがいるって、のは何だ」

「手助け?」

「さっき言われた」

 書記の一年生の名前を挙げる。

「ああ、あれ」

「そのあれだ」

「……たいした話じゃないのよ。事務室まで言って、話を聞いてきてくれればいいの」

 つまらなそうな言い草だったが、夕卯子の真意は読み込めた。

 なんでもない用事を口実にして、彼と話がしたかっただけなのだろう。

 普段、こういう公私混同をしない夕卯子のことだから、書記の彼女は生徒会のただの仕事だと解釈したに違いない。

 その気遣いを大切にしよう。

「……で、何の話を聞いてくればいいんだ?」

「行けばわかるわ」

 夕卯子は自分で放り捨てたファイルを取るため、身体を前に伸ばす。

 無理な姿勢のため、前のめりになった頭頂部しか見えず、表情は読み取れない。

 だから、もしかして照れているのではないかと邪推してしまう。

 立ち上がって、ファイルを彼女の手の届く場所に置く。

 直接、手渡ししてやらないのは、空二のちょっとした意趣返しだった。

「了解。すぐ戻るから」

「ふん。下校時刻までに戻りゃあいいわよ」

「はいはい」

 空二は夕卯子に倣い、ひらひらと手を振ってから生徒会室を後にした。

 夕卯子がこっちを一瞥もしないだろうことは容易に想像できた。

 自分が発することに決めた以上の情報を他者に読み取られることをひどく嫌う女なのだ。

 当然、言動は彼女なりに計算されたものになる。

 生徒会室を退室し、廊下を降りて校舎を反対方向へ歩くと、生徒たちの下駄箱がある昇降口に接する受付がみえる。

 事務室と受付は扉一枚隔ててつながっており、来客はまずここを通らなければならない仕組みだ。

 昨今の社会事情を鑑み、県立高校といえど防犯対策はしっかりと行われなければならず、受付の発行した名札をつけていない来客は認められない規則になっていた。

 そのため、部活や委員会あての宅配便や郵便は、受付で引き渡され、事務室で保管し、連絡によって該当団体が受け取りに来るという形になる。

 夕卯子に頼まれた用事もそういった生徒会宛の荷物の受け取りだろうと、空二は思っていた。 

「失礼します」

 挨拶もそこそこに事務室の中を見渡すと、来客用のチェアーに信じられないものがふんぞり返っていた。

 片手を挙げて挨拶しているらしい、淡い褐色の肌の金髪と、じーとこちらを凝視するだけの黒い市松人形のような二人の少女。


 ……チャコとウォータだった。

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