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スキンゴレムズ  作者: 陸 理明
エピローグ
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エピローグ

 コンビニで待ち合わせたあとの記憶がぽっかりと抜けていた。

 気がつくと、見覚えのある洞藤家のソファーで横になっていたのだ。

 何度か招かれ、お茶をごちそうになったこともある居間で、蜂条夕卯子は毛布を被って寝ていた。

 気を失った女の子を自分のベッドに寝かすほどデリカシーがないわけではないようだ。

 起き上がると、ふわっと毛布が肩からずれて、足元にわだかまる。

 別のソファーで読書中だった空二が、彼女が眼を覚ましたことに気がつき、読みかけの本から顔を上げた。

 

「起きたのか、夕卯子」


 夕卯子は頭を動かすと、眼底の奥が針を刺したように痛んだが、それよりも気になることがあった。

 少年がはっきりとおかしかった。

 大き目のシャツとパンツという見慣れた私服姿だが、全身に湿布やガーゼが貼られていてかなり痛々しい。

 何より、ギブスをつけたように巻かれた左手の分厚い包帯は痛々しいを素通りし、不快なほどである。

 だが、問い詰めるよりも先に、夕卯子は親友の顔に浮かんだ笑顔に惹きつけられていた。

 それは彼女の知らない誰かだった。

 しかし、知り尽くした誰かでもあった。

 彼はついさっきコンビニで声を交わしたときとは別人の、あの違っていない頃の彼に戻っていたのだ。木曜日にバイト先で会った時以来、ご無沙汰だった彼がそこにいた。

「ふっふっふ」

 夕卯子は鼻で笑った。

 何かが現実に起き、獰猛な嵐のように過ぎ去ったようだが、それはもうどうでもいいことだ。

 洞藤空二が戻ってくれば、それでいい。

 彼女が深く知る必要などどこにもありはしない。

「何だよ、それ?」

 空二は読んでいた本をテーブルに置き、怪訝そうな顔でこっちを見る。

 そのくせ、眼ははっきりと和んでいる。

 これはポーズなのだ。親しいものだけがわかる、演技とか本音とかがうまく入り混じったアドリブの寸劇。

 彼女には似つかわしくないニタニタした笑いを浮かべていると、空二の置いた本のタイトルが目に飛び込んできた。

 それは『おいしい紅茶の淹れ方』という、少年には心底似合わないものだった。

 台所を見ると、用途が一つしか思いつかない器具が所狭しと並んでいる。

 夕卯子の中の女の勘がギリギリと音を立てる。

「……ねえ、あいつらはどうしたの?」

「……ん?」

 空二の顔が一気に強張る。この点に関しては深く知る必要が山のようにあるだろう。

 いや、あって当然なのだ。

「私、てっきりアンタが、あの連中と一緒に楽しそうに暮らしていたりする、少年漫画的展開でもしているのか期待していたんだけど、違うんだ?」

「いや、そんなことはないぞ」

「……声に勢いがないわ、洞藤くん、さ」

「……」

「さて、どこのどなたがいるのかしらね、この先に」

 洞藤家の奥、客間の方角に夕卯子は目をやる。

 よくよく気配を探ってみると、何かが怪しかった。

 空二の表情も、かなり動揺している。こんなに情感豊かな男だったのかと、呆れてしまうほどだ。

 誰かがいるが、彼女には紹介したくない「どこのどなた」なのだろう。

 そうなると該当人物は針に糸を通すように絞るまでもない。

 だが、今日の彼女は上機嫌だった。

 今日だけは許してやろう。

 もっとも釘を刺すことだけはしておくべきだろうと考えた。空二だって、男だから甘やかしたら癖になるかもしれない。

「まあ、いいわ。細かいことはまた今度聞くことにするから」

 夕卯子は立ち上がった。

 どういう訳か眩暈もするし、まだ頭がガンガンと痛い。

 だが、ぐっと堪えた。

 ここは夕卯子の怒りの強さを彼に印象付けるのが、彼女の立場的になによりも肝要だった。

「夕卯子……」

「あ、一つ訊くけど、私の貞操は無事なんでしょうね」

「……え?」

 どうやら気絶した十代の未婚少女を家に連れ込んでおきながら、そこまで気が回らなかったらしい。

 万事、そつのない洞藤空二にしては抜けている。

 いや、今日だけは特別にというべきだろうか。

 つまりは大丈夫なのだろうと、夕卯子は結論付けた。

「じゃあ、明日学校でね」

「まだ学校に行くのは……」

「黙れ、私に指図するな」

「……ああ、わかったよ」


 よし、しつけは覚えているな。


「じゃあね」

 夕卯子はもう返事を聞く気もみせず、さっさと玄関に向かった。

 襖一枚隔てて、不倶戴天の敵がいるのはわかっている。

 ならば、宣戦布告はするべきだろう。

 夕卯子は家の柱に手を当てて、強すぎず弱すぎず加減をして殴りつけた。

 中の気配が微妙に変わる。

 どうやら目的は遂げられたようだった。

 それだけを確認すると、彼女は満足げに振り向き、驚いている空二に向けて言い放った。

「蚊よ、蚊!」

 そして、綺麗に揃えて並べられたローファーに足を突っ込みながら、

「……すぐ潰しちゃわないと、ね」

 と、裏があるように微笑んでみせた。

 襖の奥の気配が暴れているらしいのが、ホントに滑稽である。

 いずれは処置しなくてはならないだろうが、今日だけは勘弁してやるつもりだった。

 まだまだ人生は長く、深く、広がっている。

 その中にこれから詰まっていくものもあるだろうし、溜まっていくものもあるのは確かだ。

 そう、空っぽなままのものなどは、何処にだってありはしないのだから。


     ※


「大丈夫だ、空二君。ウォータの水を飲ませてやってくれ」

「華さん…」

 玄関口に立つ長身の輪郭が諭すように言った。

 かなり急いでいたのかスーツの襟元が乱れている。

 不思議なことにトレードマークの片目にかかる髪だけは揺れていない。

「ただし、だ。良く聞いてくれよ。水を飲ませる前に、空二君、君の左手から零れる青い血を一滴でもいいから、与えてからにしてくれ。理由はこれを見てくれればわかる」

「えっ。それってどういうことです?」

 華さんが、プリントアウトしたメールを懐から出して広げてくれた。

 それを見た瞬間、空二の脳の一部が沸騰した。

 最初、何が記されているかよくわからなかったが、何かが脳に流れ込んできた。

 それが彼らの創造主がゴーレムたちに与えるという記憶なのだと、瞬時に理解した。

 そして、メールに書かれた呪文のような文字が、それを脳の最深部から引きずりだすためのキーワードであるということも。

 空二はやるべきことを完全に把握した。

 左手をチャコにかざし、鉄筋に突き刺した傷を保護していたテープの一部を外して青い血を、その口内に吸い込ませる。

 すでに意識を失いかけていたチャコは首筋を軽く上げても、嚥下しようとはしない。

 空二は思い切り呼吸する。

 華奢な左肩を抱きかかえ、その赤い唇に自分のそれを重ねた。そして、わななく唇内に息を吹きいれた。

 チャコの咽喉が動き、嚥下は完了する。

 同時に停止しかけていたチャコの呼吸がわずかではあっても回復していく。

 それから、ウォータのミネラルウォーターを少しずつ少しずつ大切なものを磨くように飲ませると、すでに失われていた血色が徐々に明るくなっていくのがわかった。

 しぼんでいた肌が次第に瑞々しさを取り戻していく光景こそ、チャコが活動停止という死を免れた証なのだろう。

 ようやく空二は安堵の吐息を洩らした。

 眼には熱い水滴が浮かんでいた。


「つまりは、君の青い血は、ゴーレムたちが最初に定められた『中身』以外を摂取するときの中和剤だったみたいだね」


 いつのまにか側に来ていた華さんが呟いた。

 そのことは、記憶が戻った瞬間にわかっていた。

 洞藤空二も結局はゴーレムたちの一員であり、その身に他の同胞同様に必要な記憶を入手する仕掛けが詰められていたのだった。

 そして、その記憶には彼がたった今必要とするためのものはすべて含まれていた。

 空二は、そもそも最初から、人間の肉体とゴーレムの部品を融合したときの反応を見るために用意された半人半像とでもいうべき存在だったのだ。

 産まれたばかりの赤子に、今までの研究成果のすべてを凝縮した腕を移植する。

 これは完全に人造の腕であり、生来の人の組織など全く使われていない、まさに神以外が創りたもうた品だった。

 宿主である人間の成長に合わせ、共に成長し、共に老い、最後まで付き合う、真なる完成品。

 創造主にとって800年の研鑽の集大成でもある。

 これが成功した暁には、他のパーツの制作にも着手する計画であった。

 が、当初用意されていたものとは別の『中身』を取り入れると、たちまちショック死するというゴーレムの基本的欠落が災いし、やはり完成品たる「腕」も人体に対しても拒絶反応を示したのである。

 行き詰った創造主は解決策として、右腕と同様の物を移植する予定だった赤子の左手に、ゴーレムの他の内容物への拒絶反応を中和する青い聖水を製造・備蓄する機能を持ったパーツを後付けすることを採用した。

 これにより、血管を通して人体への青い聖水の定期的投与が行われ、人造の腕との兼ね合いという問題も決着することになった

 青い血液は、ここ数百年の創造主の研鑽のうち、もう一つの画期的成果とも呼べるものであり、いずれ別の機会に試す予定だったが、創造主はあえてこの実験体の赤子に用いる決断をした。

 その理由が、実験体と呼ばれた赤子への形容しがたい愛着であったということを空二は記憶から読み取っていた。

 創造主の正体はわからない。

 そして、実験中に彼乃至彼女の自愛に満ちた眼差しがあったことを忘れることはできなかった。

 赤子には、生まれながらにして、片腕と片手が存在しなかった。

 危険な薬物の被害による奇形児であることは明白で、本来なら不自由極まりない人生を送っていた可能性は計算せずとも高い。

 実験体として彼が選ばれた理由はわからないが、不具の赤子に不自由ない腕を与えようとしてくれた精神は美しいものではないか。

 そして、最後にチャコを救ったプリントに目を落とす。

 彼宛のメールに記されたハンドルネームは、家のパソコンで何度も確認した父親のものであった。

 父が何を考えていたとしても、それでチャコが救えたのなら、もうどうでもいい。

 この左手のおかげで夕卯子にも出会えた。

 この腕があったおかげで、俺の人生は恵まれていたのかもしれない。

 からっぽであるはずがないのだ。

 そして、この左手の聖水を研究することで、これからゴーレムたちは以前よりは自由になれることだろう。

 まず、ウォータやチャコに水と紅茶以外のものを飲ませてみよう。

 それが気に入ってもらえればいい。 

 彼女らの役に立てるのなら、こんな嬉しいことはない。

「……生きていると、色々なことがあるんだな」

「そうだね、人の身とゴーレムが融合した君が生まれているように、僕たちもいつか人になれるかも知れない。例え、人になれなくても、生きていればもっと色々な経験を積めて楽しくすごせるかもしれない。ま、長生きをしてみるもんだね」

「……長生きしてみるのも捨てたものじゃないのかな?」

「そうとも、五百年生きた僕が保証するよ」

 空二は華さんの顔を見つめた。

 のんきそうな顔だったが、辛そうではなかった。


(あるかどうかもわからない中身に拘るのは、なによりもバカらしいことか……)


 しばらくしてから、二階に放置していた少女のことを思い出し、タイムリミットの前になんとかするために歩き出した。

 彼女が目覚める前に助け出さなければ、どういうことになるか。

 嫌な想像が戦慄を走らせる。

 それを思うと、気が遠くなるような長いマラソンを始めていた気がしてきてならなかった……。 


                           完

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