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スキンゴレムズ  作者: 陸 理明
第四章 土人形の罹る病
15/22

中身の問題

      ※


 乱暴にガチャンと鍵が外され、ジェラルミンのケースが開封された。

 華奢な背中越しに覗き込んでみると、中には丁寧にしまいこまれた様々な種類のカップやソーサー、見覚えだけはあるガラス製品がぎっしりと詰めこまれている。

 チャコはそれを指差して、空二に滔々とどのような器材であるかの説明をした。

 それだけでは足りず、実演までもする。

 そんな情景がすでに二時間以上も続いているので、さすがにうんざりしてしまっていた。

 発端は極めて単純だった。

 夕食の席、自炊した鮭チャーハンを食べていると、ご相伴に預かりますとばかりにウォータが毎度のごとくミネラルウォーターをグビグビと呑み始める。

 普段から20メートル歩けばグイ、五分経過したかと思ったらグビ、と食べ続けていないと死んでしまうネズミのようにラッパ呑みを繰り返す姿に、空二はある疑問を持った。

 もう一人の居候は、さっきから居間でトランプを使った一人遊びをしているのだが、そっちが何かを口にしているシーンを見たことがなかったな、と。

「おい、チャコ」

「なにー?」

「おまえは水を飲んだりしないのか?」

「うんにゃ」

 背筋をそり返し、ブリッジ気味にこちらを向く金髪の美少女。その姿勢で首を横に振り、否定の意思表示。

 ヘイ、リンダ・ブレア。階段を逆さになって下りてこないでくれよ。

「……前に言ったと思うけど、あたしは『中身』が紅茶だからさ。水なんか呑んだら、拒否反応で即刻地獄行きだよ」

 よいしょっと起き上がると、膝からパラパラとカードが落ちていく。

 それを拾おうともしないのが、実に放埓な性格の彼女らしい。

 頭を掻きながらダイニングにやってきて、イスを一脚占領する姿は黒猫のようだ。

「ウォータ、さっき言ってたアニメが始まるよ」

「えっ、もう七時?」

 チャコが点けっぱなしのテレビに顎をしゃくると、弾き飛ばされたようにばたばたと居間に特攻していくウォータ。

 テーブルには二人だけが残った。

「……なあ、少し気になったんだが」

「なにさ」

「紅茶って水を沸かして作るよな。……だったら、別に紅茶の代わりに水を飲んだって平気なんじゃないのか、と思うんだが」

「それは駄目なんだ。確かに科学的な成分という部分では、水も紅茶も被りまくりだから、オッケーなんだろうけど。それはあくまでも科学的な部分だ。あたしらは科学の力で生み出されたわけでもないし、そもそもまっとうな常識が通用する存在じゃあない。あたしらの元々の素性を考えてみなよ」

「……ゴーレムって奴か?」

「泥で作られた人形を動かす魔術、それがあたしらを動かす起源だ。わかるだろう? ゴーレムなんてものは科学的な技術で作られているわけじゃなく、むしろ遥かに魔術や妖術といった非常識な側の理論によっている代物さ。それでも非常識には非常識の、狂人には狂人のルールがある。あたしたちは非常識の仕組みに従わなければならない。そして、ゴーレムが従うべきルールは、『中身』と定められたもののが、人の血潮であり肉であるというルールなんだよ。だから、最初に創造したときの約束事がなによりも最も優先され、その時に紅茶を基礎にするとしたら、紅茶に分類されるものしか受け付けなくなるということさ」

 チャコにしては珍しい長広舌だった。

「まだ、疑問があるな。『中身』として設定されたのが、紅茶だとしても、その紅茶と他の液体の区別はどう考えるんだ。絶対に間違わないとは言い切れないだろうに」

「それは微妙だね。概念としての『紅茶』のカテゴリーに含まれれば、たぶんセーフなんだろう。兄弟姉妹の間でもよく争点になる話だけど、実際のところ、あたしは試したことがないから。それでも特定の茶葉を何杯も淹れ過ぎて薄くなってしまったもの、ミルクティーやレモンティー等の混ぜ物のあるもの、中国紅茶の一種のように紅くないものはどう影響するのか、色々と考えたりはするけどさ」

「試そうとは思わなかったの?」

「思ったよ。ただ、最初に規定された中身以外を体内に取り込んだ奴が、目の前で死んじまったこともあるから、実は怖くて試せない。あたしたちは設定された『中身』以外を取り込むと毒を飲んだように活動が停止する。そういった仲間は、体内の『針金』が錆び付いた様に黒ずんで、そのあとでどんな治療を施しても二度と元には戻らない。だから、好奇心だけでの実験はしない。……人間だってそうだろ。取り込んだら死ぬって物を、好奇心だけで口にするなんてしないだろ?」

「それはそうだよな。……まあ、紅茶なんてその辺の自販機にもあるからな、適当にストレートティーを選んでしまえばいいか。面倒はないよな」

「……」

 どこかでぶつと音がする古典的な効果が発揮されたような気がした。

 わかり易く言うと、対面に座っていたチャコの顔が因縁をつけるヤンキーのように歪んだから、そんな気がしたのだろう。


(うわ、おまえの皮膚はほんと作り物のはずなのによく動くよな)


 自らの失策を棚に上げて、空二は投げやりな感想を抱いた。

「あんたは海辺のゴミね」

「はいっ?」

「自販機で売っているような大量生産品で、この世で最も品格の高い香りを醸し出す、比較対照物さえ存在しない究極の飲み物である紅茶を語るだと!けっ、反吐が出るわ、このワカメ巻きビニール袋!」

「……えっ」

「あんたには、魂の底に染み渡る比類なき風格を誇る真の紅茶の味を、充分に身にしみて思い知らせる必要があるわね」

 と、急に仁王立ちになり、空二に挑戦的な指さし宣言をすると、上陸したはずなのに海底に戻る大怪獣のごとく玄関に取って返し、下駄箱前にいつのまにか置いてあった銀色のジェラルミンのケースを抱えてきた。

 一億円のゲン生でも入っていそうなほどに厳重な鍵が二重・三重に仕掛けられている。

 チャコはゴーレム特有の怪力でなんなく運んでいるが、結構重たそうだった。

 ゴーレムたちの膂力についてはすでに目の前で証明されているので不思議ではない。

 バチンバチンガッキンと鍵たちが慣れた手つきで開けられていく。

 そして、次々と取り出される器具、器具、器具……。

 空二の鈍い脳でもおそらくは紅茶のための道具だと推測できたが、適当な自炊しかしない身にはどのようにして使用するものなのか想像もつかない。

 そうこうしているうちに、テーブルはケースから引っ張り出された大量の器具と、紅茶の葉が入った缶、高そうな白いカップなどに瞬く間に占領されてしまった。

「目にものを見せてあげるわ!」

 敵国に宣戦布告をする一国の宰相のようなチャコの演説と共に、紅茶の淹れ方の実演が始まった。

 ……そうして、空二はチャコ主催のお茶会に付き合わされる羽目になったのである。

 伝統あるゴールデンルールで淹れた紅茶を嗜むときの彼女は、クレオパトラのように気品があり、淑女のように礼儀正しかった。

 空二が驚きのあまりに眼を見張ったほどだ。

 とにかくクラッシュな日々の言動からはまったく想像出来ない貴婦人ぶりであった。

『中身』が紅茶と設定されているためか、紅茶慣例のうんちくがそれこそ山のように湧き出され、それをおとなしく拝聴しているだけで時間が光速で進んでいく。

 辛抱強い空二でも、さすがに辟易として逃げ出したくなってくる。

 そのとき、チャコの顔つきだけでなく、気配までが変わった。

 ウォータがいつのまにか、居間からいなくなっていたことに気づく。

 どうやら、ウォータがいないうちに別の話をするつもりなのだろう。

 彼女に聞かれたくない話なのか、と空二は推測した。

 紅茶の薀蓄とはまったく違う意味の深刻さだった。

「……ウォータがね、いつも水を飲んでいるのは意味があんのよ」

「意味?」

「ええ、あの娘があんた以前に確認された最後の姉妹だって話は聞いているでしょ? その時のことなんだけど、……あの娘の発見を知って、兄弟達は物凄く興奮したのよ」

「どういうこと?」

「あの娘の中身は『水』。最も初めに創造された『最古参』が塩・水・土を『中身』としたゴーレムだったんだけど、水ってのはそれ以降一度も中身として採用されていなかった。かなり普遍的な材料の割に、『中身』にはどういうわけか選ばれないっていう、あたしらにとっては物凄く希少で珍しいものになっていた。そのため、『水』のゴーレムがいないのは何故かというのは、長い間の議論の対象にもなっていたぐらい。だから、存命中の仲間達はみながあの娘に注目した。創造主が何かを意図して創ったに違いないって。800年目にして初めての先祖がえりだからね」

 本当に、今のチャコは珍しいぐらいにおしゃべりだ。

 空二の持つ印象を根底から変えかねないほどに。

「ところが、ウォータには同型の兄弟姉妹もいない。しかも、とうの昔に改良されていた液体形の『中身』のゴーレムが持つ、蒸発抑止の機能がオミットされていて常に皮膚から水が染み出すという決定的な欠陥が残っていた。そのため、発見されてすぐに、ウォータには今まで順調だった創造主にとって、久しぶりの失敗作に違いないという烙印が押されたのよ」

「……そうなのか」

 居間でアニメを観ていたウォータの後姿を、目蓋の裏に思い浮かべる。

 無邪気という印象しかなかったが、そのあり方ははるかに幼くあり、また辛すぎる何かがあったのかも知れない。

 一人で秘密を抱え込んでいたときの、自分が思い出される。

 今、チャコとウォータは、護衛と称して彼の家に居候している。

 見た目が少女といっても、空二は別に同棲をしているような気恥ずかしい気分にはなれなかった。

 むしろ、離れ離れだった家族と暮らすような、そんな気分だった。

 その気分を、空二は心地よいものと感じていた。


     ※


「ほう」


 昼食を摂りながら、メールのチェックをしていた男が、囁くように息を吐いた。

 懐かしいが思いも寄らない人物から年賀状を貰ったみたいな笑みが、口元にうっすらと漂っている。

 画面に表示されたメールは三行ほどの短いものであったが、その趣旨は十分なほどに伝わってきた。

 少しの間、沈思黙考をしてから、男は返答のメールを打つことにした。

 もう半年以上、会っていない息子にほんのわずかでだけ手助けをしてやってもいいかな、と思ったのだ。

 ただし、これを相手がどう対処するかはわからない。

 それも一興と嘯きながら、男はメールを送信した。


     ※


 日曜日。

 朝早くバイク便で送られてきた『エル・ポエップ・ダエッド』のマスターからの資料に眼を通しながら、空二たちはもう一度洞藤邸の捜索を続けていた。

 とはいっても、ウォータは触ると紙等が濡れてしまうし、捜索するにしても室内がべちゃべちゃになってしまうので、彼女だけは居間でのDVD鑑賞を続けている。

 ちなみに彼女が観ているソフトの山は、昨日の病院からの帰り道に買い捲ったアニメ作品ばかりである。

 総計で24本。

 苦学生の空二からすれば眼もくらむような額が支払われることになったのだが、代金はチャコがクレジットカードで出している。

 アメックスのブラックカードなんてものを、空二は初めて目撃した。

 どうやらゴーレムたちの活動資金は思ったよりも潤沢にあるようだ。

 ……午前中をすべて費やして、ようやくわかったことが一つある。

 空二の父親の過去を探るための手がかりとなりそうなものは、何一つとして見当たらないという事実だけが。

 今の会社に勤める前の経歴、卒業したはずの大学とそれ以前の学歴の関係書類、空二誕生以前の写真や手紙、アドレス、手をつけずに放っておいたパソコンのフォルダ類もほとんど確認したが、驚くほどに何もでてこない。

 そのくせ、若い女性とのツーショット写真や意味深なメールのやりとりなど、ここ数年の女性関係はけっこう派手だったようで、ただ一人の息子はたびたび不快感を表明することになった。

「お盛んだな、クゥの父親」

 チャコが意味ありげに笑う。

 昨日のティータイムの淑やかさはどこにいってしまったのか。

「父親の女性遍歴なんぞ息子にとってはつまらんだけだ。……ところでさ、チャコ。おれのことをクゥと呼ぶのはもう確定事項なのか」

「クウジってのはウォータに取られたからな。だが、愛称で呼ぶってのは関係の親密さをあげるには効果的だぜ。まあ、もう二泊もしてんだ。普通の男女間ならとっくに乳繰り合っていい関係なんだから、親密かどうかってのは今更だけどな」

「俺は惚れた女としか寝ない主義だゾ」

 精一杯の虚勢を吐いた。

 これ以上、チャコに主導権を握られるのはまっぴらだったからだが、傍目にもうまくいったとは言えなかった。

「わかったよチェリーボーイ。そういう台詞は、タランティーノ世界でキーラ・ナイトレイあたりに向かって吐いてくれ。それとも、ダーリンとかご主人様ぁがお好みなのかよ、この女好きめ」

 意外に芸能関係や世情に詳しいゴーレムたちだった。

「……クゥでいいです」

「ありがとう。愛してるぜ」

 気を取り直すために、メール送信欄で比較的まともな内容を交換している相手をチェックする作業に戻った。

 そういった作業に没頭していると、気がついたら隣で黒いシャツの小柄な姿がちょこんと座っていた。

 脚を揃えた、いかにもな女の子座りが、秋葉原で売っている全身稼動の着せ替えドールのようだ。

 ただ全身が濡れているのが、玉に瑕ではある。

 ウォータはひたすら空二の手元を見つめていた。

「おもしろいのかい」

「ううん。どちらかというと詰まらない」

 ウォータは詰まらないといいながら、空二のやることなすことをいつも気にしているようだった。

 その理由まではわからないのだが。

「……じゃあ、アニメでも観てなよ」

「終わっちゃった。ウォータじゃDVD交換できない」

 両の掌をあけて見せる。いないいないバァをしているようだ。

 なるほど、ウォータの掌は水滴が流れるほど濡れていて、防水もしていない機械に触れられるような状態ではない。

 よくみると、彼女の座っているあたりも風呂場の床のように濡れている。

 今日の彼女はいつもよりもよく滴っている。

「じゃあ、替えてやるよ」

 空二は居間に戻ると、山のように積んであるアニメの盛り合わせから、何がいいかを訊ねた。

「続きが観たいの」

 空のまま置いてあるソフトのパッケージを確認し、その続きを引き出して、DVDプレーヤーに挿入する。しばらく待つと、映像が始まった。

 ウォータは自分の定位置に座り込むと、両足の間に手でバランスをとる姿勢で鑑賞モードに突入した。

 空二はポケットからハンカチを取り出すと、それをウォータに渡した。

「何、これ?」

「これを、こうやってリモコンに巻いて……」

「ん?」

「こう押せば、巻き戻しも簡単にできるよ」

 空二は、ウォータが気に入ったシーンをもう一度観ようとしても、濡れた手でリモコンに触れることを躊躇う挙句、我慢してしまうシーンを何度も目撃していた。

 洞藤家では手垢で汚れないようにリモコンにラップが巻いてあるので、濡れても構わないのだが、ハンカチを挟むことでウォータがもっと気軽に触れるならそのほうがいいと思ったのだ。


「ありがと……」


 ウォータはそっぽを向いて呟いた。

 それが照れ隠しで、実際には喜んでいるらしいことはなんとなくわかった。

 そんな彼女を見て、微笑ましいなと空二は思った。

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