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スキンゴレムズ  作者: 陸 理明
第四章 土人形の罹る病
14/22

或るべきものがないもので

 そのビジネスホテルの一室は、狭く暗すぎた。

 一泊五千円、一週間のパックなら三万円という料金設定で、サービスは下の上程度。

 レジャー施設のような昨今のカプセルホテルよりもマシなのは、他の客に干渉されないことぐらいという薄汚れた場所だった。

 室内の様子を一瞥するだけで、通常の精神を持った女性客ならば宿泊を拒否するだろうし、潔癖でない男性であっても顔をしかめるに違いない。

 壁はニコチンで薄汚れ、カーペットも端々で変色していた。

 電灯でさえしけた薄暗い印象を与えるという、気分を明るくさせる要素が皆無な場所であった。

 四日前の夜からここにチェックインしている客は、掃除やシーツの交換といった立ち入りを必要としたサービスを一切断り(もちろん、ホテル側は面倒な仕事がなくて大喜び)、一週間分の前金を支払っている。

 件の客は数時間前に出かけたそうだ。

 金を渡してフロント係から聞き出したうえ、客が帰還したらすぐに内線で繋ぐようにも指示してある。

 もっとも、室内を物色中に例え見つかったとしても構やしないと考えているため、不意打ちを受ける確率を減らすための用心でしかない。

 この部屋の客と鉢合わせしてしまったとしても、彼にはたいした問題ではないからだ。

『凶手』と呼ばれていても、人間の範疇に含まれる相手だ。

 少なくとも数百年を生きてきた彼とは比べ物にならない。

 まあ、その油断のせいで腹をばっさりと両断されるという痛い目をみたわけだが……。

 数日前のことを思い出し、華さんは苦笑いを浮かべた。


(油断はいけないよね……)


 もう一度見渡すと、室内には客の生活感が漂っているのがわかる。

 ベッドの上に放り出されたスーツケースと、乱雑に脱ぎ散らかされた男物のシャツや靴下、テーブルに置いてある雑誌や古新聞。

 それらを漁っていると、ばらばらにされた馬券の下に、見覚えのある人物たちのスナップ写真が束になっているのに気づいた。

 十枚ぐらいが無造作に輪ゴムで留められている。

 一番上には、遠距離からの隠し撮りだろう、褐色の肌と金色の髪の少女が本屋で立ち読みをしているシーンが写されていた。

 次は長い黒髪を眉上で一直線に切った市松人形のような少女。黒いドレス姿だが、手にしている2リットルペットボトル二刀流が非常にシュールだ。

 残りは、県内を活動拠点にしている彼の兄弟姉妹たちのものだった。

 どれもこれも知った顔ばかり。

 彼自身の写真はなかったのが疑問だったが。

 それらの写真は没収することにして(これは別の場所で再利用されることを恐れてだ。もしチャンスがあったら、なんとかしてネガまで取り上げねばなるまい)、ジャケットのポケットに収めた。

 他に何か重要な物件がないか、スーツケースの中を乱暴にベッドにぶちまける。

 持ち上げたとき意外に軽い気がしたのだが、実際のところ、スペースの三分の一ほどしか詰まっていない状態であった。

 奇妙なことに着替えらしい着替えがほとんど入っていない。

 どうでもいい安いライターなどが入っているだけで、『凶手』の手がかりとなるような品は欠片も見当らない。

「デイバッグとかに詰め替えてから、出て行ったのかな?」

 しかし、そんな行動はまったく意味を有しない。

 例えば何らかの陽動だとしても、目的がはっきりしなければ行為に意味が発生しない。それはただの動きだ。

 華さんは、リラックスするためイスに深く腰掛けた。

 考えをまとめる時間が欲しかった。

 そもそも、この部屋の主は『凶手』と呼ばれる現代日本では屈指の殺し屋である。

 最悪なのは、依頼とは関係なく自分達ゴーレムを付け狙う、彼らにとっての無差別殺人鬼であるという点であった。

 通常なら警察に庇護を依頼すればいい話だが、基本的な人権どころか、存在すら世間的に隠匿されている彼らにとってそれは不可能な相談だ。

 人間の殺し屋としてだけで警察に告発する手もあったが、万が一、ゴーレムについての情報を洩らされたりしたらやぶ蛇ではすまない。

 彼らの存在は、世界でもごくわずかな領域でしか知られていないのである。

 だからこそ、彼らだけで対処しなければならない問題なのだが、残念なことに生死の概念が薄い彼らは『凶手』の存在を知っても積極的な行動は起こすことはなかった。


 ゴーレムたちは死をあまり恐れない。


 一つしかない大切な生命を、軽視してしまうという擬似生命体特有の避けがたい宿命なのかもしれない。

『凶手』の行動が、ある意味で単なるゴーレムの殺害にあり、彼らの存在を世間に公表しようとか言うものでなかったことも、マイナスに作用した。

 ゴーレムたちには「人間に殺される奴が悪い」という風潮がまかり通っており、『組織』のごく一部の慎重派が『凶手』について調べ上げ、仲間内に手配書を配布したという程度で終わってしまった。

 十年間に七体も兄弟姉妹が殺害されたのに、誰も『凶手』の排除に乗り出さなかったということだけで証明できる。

 かくいう彼自身も、『凶手』の存在について軽んじていた部分がある。

 ただし腹を割られてからは、その考えは改めたつもりだったが、それでもまだ足りないようだ。

 仲間達も、今回の『凶手』のターゲットに彼らの希望となるかもしれない洞藤空二が含まれているかもしれないという事態を目の当たりにして、ようやく重い腰を上げたというのが現実だった。

 洞藤空二の死あるいは消失は、彼らの悲願の達成について著しい遅延をもたらすに違いないからだ。

 会ったばかりの少年の無感動な顔を思い出す。

 はっきり言って、かの少年はよく理解できない相手ではあった。

 まず、彼らゴーレムの存在というものをまったく疑わず、そしてすぐに実際に在る物として呑みこんでしまう精神というものに違和感を覚えずにいられないのだ。

 長い長い活動時間において、彼は人間というものの融通の利かなさを骨身にしみて理解していた。

 たまたま彼らの正体を知ると同時に、悪魔と罵って躊躇なく銃を撃つ人間など珍しくなく、むしろほとんどが排斥の態度をとるのが常だ。

 共通の利害関係を有することから、太く繋がっている闇の社会の魔術師達でさえも、それを露骨に態度に出す。

 真実を打ち明けられてすぐに納得する者など、まずいないのが哀しい現実だった。

 粘り強い友情の確認を続けてようやく、そらぞらしくとも有益な関係を結べるというのが人間との付き合いの限界といっていい。

 それなのに、かの少年はそのプロセスもなく、空気を吸うかのように彼らの存在を認めてしまい、チャコやウォータに限って言えば友情に近い感覚を持ってしまったらしい。

 正気の沙汰ではないというのが、彼の真の見解だった。

 だが、反対に空二に期待してしまう自分がいるのも事実だった。

 普通の人間との間の、ごく普通の友誼を望む夢を捨てずに持ち続けたゴーレムたちの願いが満たされるかもしれない。

 想いは複雑だが、そのためにも彼の身に迫る危険は排除しなければならない。

 不仲の家族を持つサラリーマンのように疲れた溜息をついてから室内を見渡す。

 一人の男が数日の間、寝起きしていただけの雑然さだけがやはり目に付く。

 そのとき、おかしなことに気がついた。

 人が暮らしていたのなら、きっとあるはずのものがないのだ。

 ゴミ箱を覗き込んでみる。

 確かにゴミは幾つか入っていたが、それは見当たらなかった。

 室内清掃はキャンセルされているはずだから、片付けるとしたら『凶手』自身がやるしかない。

 だが、そんなことをわざわざやるような几帳面な男とは思えない。この室内の様相からそんなことは明らかだった。

 備え付けの冷蔵庫を開けてみた。

 無料サービスのドリンクにも手をつけた形跡はない。

 ユニットバスももう一度だけ、自分の想像を否定する証拠を探してみたが、どこにもそれは見つからない。 

 華さんは自分の見込みが誤まっていたことを素直に認めることにした。

 すぐに携帯を手に取る。

 そして登録されている番号をコールした。


「……もしもし、チャコか?」


 電話先の相手が、それを否定した。

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