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スキンゴレムズ  作者: 陸 理明
第三章 人と偽人の肖像
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少女たち

「あたし、あんたが怖いんだ」


 父親がいなくなってから、半年もの間、中を覗こうとさえしなかった書斎を調べていた時、不意に誰かかぽつりともらした。

 口調からすぐに誰の言葉かわかる。

 聞き捨てならない台詞だった。

 彼女たちのような人外の存在に恐れられるような筋合いは、空二にはないのだから。

 ほとんど使用していない客間を調べていたはずのチャコが、いつのまにか部屋の柱に寄りかかりながらこちらを見つめている。 

 腕を背後で組み、柱に片膝を直角に立てているので、幼児が拗ねているようにも見えるが、瞳には一切の余裕もない真剣な光が溢れていた。

 この時になって初めて、チャコが以前とは違う、フリルつきのブラウスと健康的なショートデニムに着替えていることに気がついた。

 考えてみれば、ゴーレムといえど見た目は女の子なのだ。毎日、服を替えていても当然である。

 そんなことに何故今まで気がつかなかったのか?

 それは、無意識に距離を置こうとしていたことの顕れではないのか。

 色眼鏡で見るばかりで、彼女らと正面から向き合っていなかったのではないかという罪悪感が、胸中に湧き上がった。

 空二は捜索の手を休める。

 自分に対して嫌気がさしつつも、努めて平静を保とうとして、冷静に聞き返した。

「……怖いって、何だよ? 俺はおまえたちを怖がらせるような真似はしていないぞ。むしろ、俺の方が色々とされているはずだが」

「……特に、何かされたって訳じゃないよ。あんたっていうか、別にあんたがなにかをしたってんじゃなくて、これはあたし個人の問題なんだ」

「どういうことだ?」

「……あたしはね。あんたら、人間って奴をすごく怖いものだと思ってるってだけのことさ」

「意味がわからん。正直、俺にとっては、お前達の方が腕力あったりけっこう不死身だったりで、よほど怖い存在のような気がするんだが……」

 つい先ほど、ゴーレムと人間の違いをわからせるという名目で、チャコが樫のテーブルを軽々と持ち上げてみせるというパフォーマンスを見せつけられていた。

 ウォータにいたっては、さらに凄いことにそれを片手でやってのけている。

『エル・ポエップ・ダエッド』において、ゴーレムたちは最低でもオリンピックのメダリスト級の身体能力を有し、単純な数値で測れば、だいたい人の二倍ほどが目安になると教えられていた。

 まさしく人並み外れた能力である。

 もっとも、疑う余地のない証拠をはっきりと見せ付けられた形の空二であったが、このゴーレムという連中についてそれほどまで恐ろしい存在とは思うことはやはりできなかった。

 ゴーレムたちが人懐っこい人格の持ち主であったというだけでなく、自身の左手と右腕が、彼ら同様にゴーレムのものであったらしいということが、同胞意識を持たせたのかもしれない。

 ここまで明らかな異質を目の当たりにしてさえも、驚きぐらいしか覚えないし、それ以上の嫌悪や畏怖を微塵も感じない。

 このあたり、自分の情緒にかなりの異常があるらしいことは『エル・ポエップ・ダエッド』で強く実感させられていた。

 以上の経緯からすると、ゴーレムであるチャコが、人間を恐れるということはなかなか理解できるものではない。

「あたしらはそもそもマイノリティだしね。どんなに力があったって、大多数には及ばない」

「それはそうだ」

「まあ、それとは別に、あたし自身があんたを怖いと感じているんだ」

 話を続けやすいように、空二も対面の壁に寄りかかる 

 これで正面から会話をすることができる。

「……あんたってさ、昨日コンビニで見かけたとき、ほんとに普通の人間だった。なんとなく暗そうではあったけど。どこにでもいる、普通の人間。別に悪いことじゃないけどさ。ところが、今日、ガッコに迎えに行ったら何か変わってた。初めは別人かと思った」

 聞き覚えのある内容だった。

 そういえば、同じ感想を数時間前に、誰かに言われたことがあったな。

 脳裏に浮かんだ親しい顔のイメージを、チャコの話に集中するために頭を振って追い出した。

「そして、さっき店で話をしたあとで帰ってくるとき、また変わってた。あんたは誰だよって騒ぎそうになった」

 沈黙が場を支配する。

 チャコがあまり弁が立つタイプではないことは、数時間程度の付き合いでもすぐにわかる。

 外見は意外と淑やかな感じだが、どうも本能や筋肉で語ることを好むらしく、自分の心を述べようとしても訥々といった感じでうまくはない。

 それでもチャコは懸命に説明をしようとする。

 彼女にとってそれほど大切な話なのだろう。

 だからこそ、空二はせかすことなく辛抱強く続きを待った。

 チャコの本音を聞き取れるかもしれないのだから。

「人間って奴はすぐに変わる。小さな頃は可愛がっていた子供を、何年もたったら包丁で刺し殺す母親なんてざらじゃない。そんな不安定な情動を持った生き物なんて、とても怖いじゃないか」

「じゃあ、なんで俺の護衛なんて引き受けたんだ。断ればよかっただろう」

「……どうすれば、あんたみたいに変われるのか、それを知りたかったんだ」

 永遠不滅の存在だからこそ、変化に憧れるのか。

 ようやくチャコの、いや多くのゴーレムたちの抱える不安がわかったような気がした。ただ、それにどのように応えるべきなのかまではわからない。

「変わるお前たちが怖い」と言うのはどういう意味をもつのか。

 おおよその想像はつく。

 ゴーレムたちは、自分達の在り方というものが特殊すぎて、人間ならば他人の意見やら著作やらを取り入れることで解決できる小さな疑問というものを端的に処理できないのだろう。

 だから、変化や心変わりがすんなりとできず、人間のようにすぐに在り方が揺れることがない。

 それは、他人との距離間に腐心し続ける人間達には、ある種の羨望を感じざるをえない精神だと思うが、人間を目指す彼らには不完全でできそこないの心に思えるのだろうか。

 チャコは見た目のままにまっすぐな性質を有している。

 そのため必要以上に、コロコロ変わる人の精神が恐ろしく感じられるのだろう。

 空二にとっては不思議でしかないのだが。

 彼は自分が揺るがない人間だと思っていた。

 信じきっていたとも言える。

 無論、一個の健全たる信念がある上でのことではなく、「空っぽな自分」は芯が揺らぐほどの大切なものがないからこそ、決して揺らぐはずがないという逆説的なものであったが。 

 だが、そんな彼もゴーレムからすればただの人間でしかないというのだ。

 新鮮だった。

 ともすれば、悪い意味で特別だと嘆いていた自我が刷新されかねないほどの。

 しかし、そんなことはなかった。

 遥か遠くから聞き慣れた声が、こう繰り返すからだ。


『図に乗るな。あんたは別に特別じゃない』


 繰り返し、繰り返し、忠告され続けた遠い罵倒。

 ゴーレムたちの悩みが自分のものとシンクロすることで、短時間で彼らの考えを慮るまでに達している彼の中で、そんな言葉が浮かんでくる。

 この事態を見越したものではなかったが、何故か、今の状況に相応しい言葉。

 ここでチャコに告げるべきは、あの信頼する友の言葉なのであろうか。

「クウジー、ちょっと来てー」

 居間の方からウォータに呼ばれた。

「あ、ああ、すぐに行くよ」

 慌てて向き直ると、チャコが照れくさそうに顔を背けた。

 今のウォータの言葉で素に戻ってしまったようだった。

 室内に漂っていた深刻さに水が差され、若干の間ができてしまったことで、話すべきタイミングを逸してしまった。

「いいよ。ウォータの面倒見てあげて。あいつ、さっきから退屈しているだろうし」

「悪いな」

 居間に向かうと、ウォータが退屈そうに横座りしていた。

 彼女の座っている部分だけ、畳が濡れて黒い染みのように見える。

 ウォータは水を『中身』とするゴーレムだそうだ。

 だから、常にカバンに積められるだけのミネラルウォーターを持ち歩き、頻繁に補給しているとのことだった。

 ただ、他の液体を中身とするゴーレムたちが自然蒸発などの形では失わないのに比べて、ウォータの場合、人間が汗をかくようにすぐ外皮から滲みだしてしまう。

 結果として、ウォータの肌はいつもぐっしょり濡れているということになる。

 ただし、汗とは異なり、冷たい水を入れたコップが結露するように、老廃物が含まれていないため、ベトベトした濡れ方ではない。

 初めて、コンビニで出会ったときは、たまたま手持ちの水が無くなりかけていて、しかたなく購入するためだったという。

 ちなみに普段は出来る限りミネラルウォーターを買うが、どうしょうもないときは水道水で代用するらしい。

 金がかかるだろうに。

 貧乏性なうえ、少なくない生活費を自分で稼いでいる苦学生には信じられない贅沢だった。

「どうした」

「テレビが観たい。じっとしているのはもうイヤなの」

 ウォータはその体質のため、手の先も湿っているどころか常時濡れそぼっているので、洞藤家の家宅捜索に参加しないようにチャコに厳命され、仕方なく居間でじっとしていたのである。 

 特に何もしていなくとも、丈の長い(普通サイズでもウォータが着るとそうなる)キャミソールはきわどく濡れていて、ある意味でとてもいやらしい。

 身体のラインがはっきりと浮かび上がるからだ。

 そのため、全体を見ないように意識し、ウォータの眼だけを見て会話をする努力をしなくてはならなかった。

「テレビ、観たいのー」

「どんな番組がいいんだ?」

「アニメ」

「……うちは通常の地上波だけしか映らないから、この時間帯にはアニメは観れないんだよ」

 時計はすでに次の日になっていた。

 最近は深夜アニメというものもあるようだが、ウォータの好みに合う作品がやっているかはわからない。

 しばし考えてから、

「『風の谷のナウシカ』なら、DVDがあるけど、どうだ?」

「ナウシカっ! 観る観る! ウォータが生まれたときに、華さんが見せてくれたんだよ、ナウシカ!」

 楽しそうにはしゃぐウォータがなんとも可愛らしく、つい微笑んでしまった。

 ウォータが怪訝な顔をする。

「どうしたの?」

「クウジ、何か面白いの? どうして笑っているの?」

「いや、嬉しいんだ。ウォータが喜んでいるから」

「……クウジ、ウォータたちが嫌いじゃないの? 昨日、クウジにひどいことしたのに。チャコちゃん、気にしてたよ」

「……」

 人外のものであることとそれを嫌悪することは、イコールになっていいものだろうか。

 空二にとって、答えは「ノー」だ。

 確かに、ウォータたちは人ではないが、笑えないことに空二だって一部のパーツは完全に人のものではない。

 つい昨日まで『青い血』に悩んでいた自分が、彼女達を嫌うなんておこがましい。

 なら、返答は一つだ。

 さっき、チャコにもはっきりとそう伝えてあげればよかったと、また後悔する。

「いいや、俺はウォータもチャコも好きだよ。華さんたちはまだわからないけど、多分、嫌いじゃない」

「そっかー」

 ウォータのために、本棚のスペースからDVDケースを出し、そしてお目当てのソフトを抜き出す。

 ウォータにパッケージを見せて、さらに喜ばせると、中のDVDをプレーヤーに入れて再生した。

 テレビ画面に物語が始まると、ウォータは夢中になって鑑賞を始める。

 頃合を見計らって、居間を抜け出した。

 まだ、家探しする場所が残っているからだ。

 華さんの推理が正しければ、空二の父親の宗一はゴーレムについて何かしら知っているはずなのだ。

 そのヒントを見つけるために。

 もしかしたら、半年前に失踪した父親の消息だって突き止められるかもしれない。

 そういった理由でチャコと組んで始めた家捜しだったが、さっき交わした会話で目的が少々変わってしまったかもしれない。

 空二は父親の顔を思い出そうとした。

 細かい部分はもう曖昧になっている。

 十何年も共に暮らしてきたはずなのに、たったの半年で顔を忘れてしまうような関係は親子と言えるのだろうか。

 他人との違いに捕縛され、ただ一人の家族のことさえ省みないのが自分の人生だったのではないか。

 自分の左手に囚われ、父親とさえ向き合ってこなかったのではないか。

 それは父親が失踪したのに、その理由もまともに考えようとしなかった自分への罰なのかもしれない。

 そんな自省の念にとらわれる。

 さっと抜け出た廊下には、チャコがいた。

 ウォータとの会話を聞いていたのだろう。

「……あいつの扱いがうまいね」

「そうか」

「今度、コツを教えてよ」

「お湯を入れて三分待って、さらにお湯を捨てることかな」

「それはコツじゃなくて作り方。コツってのは、かやくを麺の下に入れることの方」

「……すまん、悪かった」

 チャコが薄く微笑んだ。

 金髪がさらりと揺れる。

 目の前に、黒いマッチ箱が差し出された。

 反射的に受け取ってみるが、これといって特徴がある品なわけではない。

 掌で適当に玩んでみると、裏側に記された店名に気がついた。

「えっ」

 そこには『エル・ポエップ・ダエッド』という金箔で記された文字があった。その名が象徴する意味はそう多くはない。

「これって……」

「書斎の用具入れの中にあった」

「本当なのか?」

「間違いないよ。あんたの父親は、創造主様本人じゃなかったとしても、あたしたちについて確実に何かを知っている。これはそれを示すために、わざと置いていったとしか思えない」

「親父が……」

「もう少し、探してみようよ。もっと、決定的に重要な証拠が出て来るかもしれない」

 そう断言すると、それ以上は空二を気遣うこともなく、書斎に戻っていった。

 今の顔色を見られなくて幸いだったかもしれない。

 洞藤空二の顔色は人のものとは思えないものになっていたのだから。

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