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スキンゴレムズ  作者: 陸 理明
プロローグ
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プロローグ

 俺の左手の血の色は、『青い』んだ

 

 中学二年のとき、洞藤空二(どうとうくうじ)はできたばかりの知人にそう打ち明けた。相手は俯きながら彼の傷の手当てをしていたため、どんな表情を浮かべていたのかはわからない。

 ただ、その反応を知ることが怖かった。

 彼が自分の肉体の奇異さに気がついたのは、小学校に入ってすぐのことだった。

 放課後の掃除中、産まれて初めてともいえる深い傷を負った彼は、突然のことで酷いパニックに陥った。

 人が傷つけば赤い血を流すということを、常識としては知ってはいた。

 もしも自分が傷ついて血が溢れ出す事態になったら、最悪の場合、そのまま死んでしまうだろうということもわかっていた。

 怪我をしたらものすごく痛いので絶対に注意を怠ってはいけない、と父親がいつも繰り返していたことから、まだ素直な子供だった当時の彼は、七歳になるまで傷というものを負ったことがなかった。

 そして、その時がくるまで、遊びに夢中になった挙句、転んで膝小僧をすりむくといった誰にでも起こりうるトラブルさえも経験したことがなかった。

 逆を言えば、怪我をするイコール『痛い』であり、想像上の痛みという恐怖に怯えきっていたともいえる。

 それなのに、彼はうっかりして怪我をしてしまった。

 原因となったのは、ゴミとして出されていた雑誌の堅い表紙であった。

 担任の教師に指示されて、ゴミ捨て場に持っていこうとしたときに、運悪く指の先端を切ってしまったのだ。

 そして、流れてきたのは美しいといえるほどに青い液体だった。

 初めて負った傷ということだけでなく、自らの肉体から青い液体がドクドクと流れ出てくるという異状に、幼い子供の心はかつて味わったことのない恐怖に見舞われた。

 傷から青い血が流れ出てきたなどということを、父親に打ち明けることも躊躇われた。

 怪我をするなと口が酸っぱくなるほどに何度も繰り返していた父の言いつけを破ってしまったからだ。

 父に嫌われてしまうかもしれない。

 ずいぶん昔に母親もいなくなってしまっていたのに、ただ一人残った身内の父親にまで嫌われてしまったら、これからの空二の人生はどんなに辛いものになってしまうのだろうか。

 それだけではない。

 父親だけでなく、小学校の友達にだって青い血の変な奴として絶交されるかもしれない。

 学校の先生だってもう話しかけてくれないかもしれない。

 そんなことを考えるだけで、怖くて怖くてたまらなくなり、どうしようもなかった。

 しかし、青い液体はまったく止まる様子も見せず、このまま血が止まらないなら、自分は死んでしまうかもしれないとも感じた。

 ……怪我を治すためにはお医者さんのところに行くべきだろう。

 だが、お医者さんだってこんな血のことを知ったら、変なバケモノだって騒いで、動物園の動物みたいに彼を檻の中に閉じ込めようとするかもしれない。

 大好きなアニメのお話で、いつだったかそういうお話があったことを思い出してしまった。

 決して長くない時間に、彼は幼い頭で考え付くかぎりの最悪の想像をどんどんと積み重ねた。

 湧き上がる妄想はどれもこれも彼にとっては考えたくない未来だった。

 だが、まったく血が止まらない以上、近所の病院にでかけるしか選択肢はなかった。

 しかし、そんなことは何も起きやしなかった。

 空二の杞憂は意外なほどにあっけなくかたづいたのだ。

 彼を看た医者は面倒くさがりながらも、至極気楽に治療をしてくれた。

 そして、彼の心の苦悩をまったく問題にさえしなかった。

 なぜなら、二人の秘密として終わらせてしまったのだ。

 だから、(こんなこと)、まったくたいしたことじゃないと笑い飛ばしてくれた医者のことを、空二は恩人として尊敬することになった。

 勤めていた病院がつぶれ、その医者が彼に別れの挨拶をすることもなくいなくなってからも、空二の懐いた尊敬の念は変わることがなかった。

 また、もう一つだけ、変わらないものが彼にはあった。

 それは、十代の空二が常に胸の奥底に抱くことになる、沈殿した汚泥にも似た鬱屈だった。

 人の胸には風が吹き抜ける筒のように何もない隙間が空いていて、彼以外の他人は必死になってそれを埋めていくのに、自分だけはどんなにがんばっても埋められないのではないか、という恐れだった。

 人は人に胸襟を開き、互いに心を晒しあい、それによって自己を鏡として人の中身を組み立てる。

 人が群生の生物であるのなら、誰かと共生する宿命にあるのなら、それが自分の中身を埋める手段ではないかと彼は確信していた。

 みな、そうやって生きていくべきなのだ、と。

 それなのに、空二は左手の秘密を―――いつまでも秘匿していくしか他にない。

 自分の秘密を隠すために周りに向かって壁を作るのなら、水を掬うザルと一緒で彼の空いた筒にはなにも溜まらないはずであった。

 彼の壁の中には秘密という決して物質的でないものがあるだけ、意味がないものがあるだけ、ただのガランドウな一軒の空き家があるだけ。

 そんなつまらないものを隠すためのみに生きて、大切なものは何もないような気がしていた。

 

 ところが、ある時、その諦念は一変する。

 空二は秘密を晒してしまうことになる。

 

 俺の左手の血の色は、『青い』んだ

 

 と……。

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