評価や一言で勇気付けられる著者もいるのです。読者の皆様、今一度お考え下さい。
感想や一言のコメントにより勇気付けられる著者達はたくさんいます。
私は心という形無き虚ろな画用紙に、言葉という色を塗り、詩や物語を描いていく。
この作品を芸術と呼ぶ者もいるが、芸術であるかどうかは定かでは無い。
しかし、この生み出した作品達は作者、著者の一部、分身、子供達である。この生み出された作品達に失敗作はあるかも知れないが、無駄だと言われる物は一つとして無いと思う。いや、そう信じたいというのが、率直な意見かもしれない。
この生み出された作品達は、自分自身だけの優越感の為に生み出されたのでは無い。多くの人の目に触れ、見て頂く為に生み出されたのだ。
この『なろう』というサイトの中には、感想やポイント評価、メッセージ送信といったコミュニティー機能が搭載されている。
この機能は、ただ付いているだけの物なのか?私は違うと思う。作品達を見た読者という観覧者から感想や一言、ポイント評価を貰い、小さかった作品に足跡を残す機能だと思う。
一部の読者は読む事に執着し、感想やポイントを蔑ろにする。これでは、アクセス数だけを足跡の頼りとする他になく、潰れてしまう著者も存在するであろう。
自虐や負の感情を唄った詩も多い。これらの著者に言葉という手を差し出してあげる事が出来るのは、読者でしかないのだ。
人は目と目を合わせて話をする時、言葉に偽りを混ぜ込んで話をする事が多い。これは、自我防衛機能の一部で、相手に不快な思いをさせない代わりに、自分の見せたく無い部分を隠す為に行われる。
しかし、文字という言葉の上に心を乗せる際、それを行わないという傾向が強い。これは、目を見ない為、心を悟られないという防衛機能の緩みから生じる為と推察される。
この偽りの無い心を乗せた、または偽りであっても、頭の中で試行錯誤のうえ考え付いた物語達をただ読むだけでポイ捨てしていいのか。それは良心のある方々なら分かるであろう。答えは否である。
面倒かもしれない。すぐに違う物を読みたいかもしれない。しれないが、暫し時間を割いて頂き、たった一言でも著者、作品の作成者達に送ってやれないだろうか?
また、どれだけ面白くなくても、つまらなくても、1ポイントだけでも評価してやれないだろうか?一人が1ポイントしか入れなくても、50人入れれば50ポイントになる。100人入れれば100ポイントになる。そうする事により、足跡は残り、小心者の著者達は新たな気持ちで希望を胸に、次なる作品、子供達、芸術品を作成していけるのではないかと思う。
文才のある者だけが、文章を書くのではない。文才の有無に関わらず、書きたい者が、文章を書くのです。
文才のある者だけを評価しないで下さい。たぶんダイヤの原石はそこらに転がっています。読者の皆様、あなた方が拾い上げ磨いてやらないとダイヤの原石は、ただの石のままです。今一度、胸に手を当てて考えてみて下さい。
どんな駄文にも想いがあり、どんな駄作にも心が込められているのです。ゴミ箱に捨ててしまう前に少し磨いてみませんか?もしかしたら、ダイヤの原石かもしれませんよ。
最後に
この文章に不快な思いをされた方には深くお詫び申し上げます。また、自分は無駄な一言など要らないという著者様もおられるでしょう。その方々にも深くお詫び申し上げます。
不快な思いをされた方には深くお詫び申し上げます。