06
翌日、あの場に居合わせた人やそうでない人も含めさまざまな人たちから、昨日の騒動についての問い合わせやお茶会の誘いがひっきりなしに来た。社交術に長けた人たちを前にしたらうっかり何か余計な事を話してしまいそうだし、両親が商談の旅に出ていて当分は帰って来ない。
その間にあまり関係を持ったことのない人たちからの誘いに応じるなんてとても怖い。そもそも我が家は新興貴族なので派閥などという物がなく関わり合いのあるような家と言えば、数十年前に我が家を叙爵した王家という事になるが流石にそれは不敬が過ぎるだろう…なので招きや尋ね合わせのについては全員に
「先日の騒ぎについて、皆様にとてもご迷惑をおかけしましたので、自主的に謹慎いたしております。」
とだけ返した。
とは言っても近衛軍の騎士たちからの捜査質問の為の訪問は受け入れたが、例外はそれくらいで、どんな誘いにも「申し訳ございません。自主謹慎しています。」で乗り切った。
騎士たちからの捜査質問は、簡単なものでローガン卿…まだ今の所は…からの贈答品の内容についてや彼が利用していた商店を利用したことがあるかなどだった。
執事が記録を持ってきてくれて、婚約初期に花束やリボンを数回貰っただけであとは誕生日のメッセージカードすらなかったのだ。これには騎士たちも唖然と「流石にそれは…ないだろ…」とこぼしていた。
私は把握していなかったが、いつも私のドレスを作ってくれている男爵家御用達の仕立て屋には私のトルソーがあり私のサイズの記録が数年分にわたって保管されてあるため、それもよい証拠…あの自称モニカと名乗った女性とは全く別人であるという…つまりは貴族令嬢なりすましの強固な証拠の一つだそうだ。
そして自主謹慎といって引きこもってた結果、あの騒動を見かけた人たちが私にとても同情的なのだそう。
新興貴族で知り合いも少ないからと交流を遠慮するいい口実にしていたのだが、それがかえって「貴族令嬢として理想的な慎ましさ、特に下位で新興の貴族であるというのになんと立派な」として受け止められたらしい。そんなつもりは少しも無いのだけど訂正する機会も無い。
対してローガン卿の実家は社交で根回しをしようとしたものの失敗し、ローガン卿がなりすましを主導したことと、テッサ嬢と私の体形や印象のあまりの違いに言い訳が裏目に出てしまい、白い目で見られたり距離を置かれたりしていると。
未だに頻繁に来るお誘いの手紙から察するに、世間ではそのように人々の口をにぎわせているようだけど、その噂話の渦中に飛び込む気なんてさらさらない。
◇◇◇◇◇◇◇◇
外苑パーティーの日からつまりは自主謹慎を始めて一ヶ月近く経ったある日、近衛軍の軍務官殿が訪問したいとの先触れがあった。
「もっと早くからいろいろ細かく尋ねられるのかと思っていたけど、これから詰問?尋問?をされてしまうのかも…!」
執事が彼らの到着を伝えに来たので身支度を整え、恐る恐る応接室の扉を開けるとパーティー当日に応対してくれたおじさん騎士と女性騎士で逆に驚いてしまった。ただのおじさん騎士だと思っていたら軍務官という割と上位の役職に就いている人だとの事で、何か失礼な事をしていなかっただろうかと、少し心配してしまった。
「やあご令嬢、お邪魔させていただくよ。」
おじさん騎士と女性騎士は一旦立ち上がって私に礼をした。こういう場合は挨拶を返してもう一度座ってもらうように案内すればいいはず…!
「お待たせいたしました。スプリングヒル男爵令嬢モニカと申します。お二人ともお掛けになってください。」
使用人がティーセットと茶請けとして焼き菓子をそれぞれの前に並べ、退室していく。
「どうぞ、ささやかですが我が家お気に入りの品々です。」
「それでは遠慮なく頂戴いたしましょう。」
騎士たちがそれぞれお茶を飲んで一息ついた位に、おもむろにおじさん騎士が話し出した・
「さて、今回の…先月の外苑パーティーでのローガン氏による騒動の顛末について、貴女は知る権利があると思いお伝えしにやって参りました。」
「な、なるほど…?」
「まずは…貴女の名前を使った詐欺ですな、ローガン氏が自分の名前…名義で其々注文を行っていればまあ…法的にはさほど問題はなかったんですが、婚約者とはいえ…しかも別の女性に婚約者になりすまさせていたもんですから、二重の詐欺になるんですな。」
「またその女性…テッサという名前に覚えは?」
「いいえ?全然。」
次に女性騎士が尋ねてきたので、相槌代わりに首を横に振る。鏡越しに見たけれどそれは言えない。
「まあそうでしょうな、そのテッサという女性も貴族令嬢のなりすましを行っていた当事者ですんで詐欺容疑でとらえております。」
「士官学校の研究会…その、専門分野の勉強会といったような集まりですな…これは特に有用で重要な研究内容だと学校側からの支援も大変に厚く、その研究資金の横領ですな。」
「おおお…」
おじさん騎士は淡々と説明してくれた。鏡で見た拝借していたお金が思っていた以上に重要な資金だった事がわかりうっかり声が漏れてしまう。そんなお金を着服しようなんてよく思えたな…違う、私が返すからそれでいいと思ったのだ。もしそうなっていたらと、思わず身体が震えてしまう。
「結局ローガン氏は士官学校を除籍処分になる事が決定した所ですな。」
「また、ご実家のマッドリー伯爵家は各補償金を嫡男夫人の実家が支払いを代行することになり、清算後に当主交代が行われ現伯爵夫妻は領地の離れで蟄居されると。」
「それに伴い、ローガン氏は伯爵家の継承権を返上し、ご両親の蟄居に随従することになっており、恐らくですがテッサという女性もそれに同伴することになるでしょうな。」
「ああいった貴族令嬢へのなりすましを悪びれず行える女性を放置しておくわけにはいかないでしょうから、伯爵家なりの誠意でしょう。」
おじさん騎士は私にかまわず平然と彼の処遇についての話を続け、女性騎士が最後にテッサ嬢への対応の意味について補足してくれる。
「蟄居…?」
聞きなれない言葉につい首をかしげると、おじさん騎士は説明を追加してくれた。
「幽閉…つまり指定の住居から一歩も出てはならぬという刑罰みたいなものです、万が一その場所から抜け出すような事があれば、まあその、なんと言いますかな、法で守られなくなると言いますかな。」
「ゴホン、まあ難しい事はこの辺りで置いておきましょう。」
が、より一層判らない顔をしてしまったに違いない。
「と、ともかく、そういった経緯でマッドリー伯爵家は長子である嫡男が当主の座に就かれることになりました。」
女性騎士が慌てて話をまとめて?くれる。
「顛末については大体お伝えしましたかな?それでは、我々は失礼させていただきましょう。ご令嬢もお気をつけて。」
「そうそう、ご両親…スプリングヒル男爵夫妻の事ですけれど、近隣国への合同演習に出ている分隊と遭遇なさったそうで、分隊の帰還に同伴し近々お戻りになられるようですよ。」
「本当ですか!」
帰ってきたら二人から怒られるだろうか、泣かれるだろうか、もっと早く相談をしなさいと言われるかもしれないけれど、鏡が教えてくれたのは一月半ほど前だし、相談何てする暇が無かったのよねえ。ローガン卿…もうローガン氏と呼んだ方が良いのかしら、彼は既に貴族籍でも士官学校生でもなくなったから婚約は解消されたといってもいいだろう、そしてそれをどんなふうに両親に伝えればいいかしら…。
帰宮の途に就く騎士たちを馬車寄せまで案内しながら、両親が帰ってきたらこの顛末の説明をどうしようかと思い悩む。そんな悩みなど気付く訳もないおじさん騎士たちは、用が済んだからかニコニコと馬車に乗り込み、車内から軽く一礼をすると馬車を走らせて帰って行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
馬車の中ではおじさん騎士こと軍務官が同席している部下に向かって語り掛ける。
「あのご令嬢が、仮に仕立て屋に婚約者の名前で直しを依頼したとして、それは罪になると…何らかの罪に問えるものだと思うかね?」
「直しの依頼はよく行う事ですし、その…普通は贈り主が婚約者への贈り物の代金を持ちますから、それの直しに費用がかかる場合は贈り主側に代金を持ってもらうのが然程おかしくないと言いますか、むしろ当たり前ではないかと。」
「ただ、贈られてから年月が経っている場合や、男性が見栄を張って女性からの贈り物の直しの費用を自分で持つことはたまに聞きますが…。」
と女性騎士は続けて答えた。それに納得するかのように頷き軍務官は語った。
「あのご令嬢はただただ不幸にも、いや不幸な結婚を回避できたのだから幸運とも言えるか、そんな事故に遭遇してしまったというだけでしかなかろう。」
「それに、そのおかげで不正や横領をするような、しかも厄介な血筋を持つ奴が近衛軍に、ましてや騎士になる事態を回避出来て良かったと言えるな。」
「マッドリー伯爵家は公爵家とつながりの深い分家の一つですしね。そんな者が不正を隠したまま入隊していれば…。」
「終わった事だ。スプリングヒル男爵夫妻には帰国次第、監察部から説明があるだろう。」
「分隊には感謝しかありませんね、どこよりも早く夫妻を保護できたのですから。」
軍務官は満足げにあごひげを撫でる。
馬車は穏やかに進み男爵邸はもうかなりの後方に見える。そして令嬢から茶請けの余りだからと渡された焼き菓子が詰め込まれたバスケットをみて、部下たちの取り合いになるかもなと軍務官は軽く笑った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
おじさん騎士たちの乗った馬車が男爵邸の門を通り過ぎたことを見届けると、邸の片隅の廊下の突き当りに向かった。
そこにはまで一ヶ月ほど前に自分の部屋に設置させていたおばあ様の鏡があった。以前同様に鈍くくすんでいる。
元の場所に設置しなおしてから何度も丁寧にしっかりと手入れをしているけれど、鏡は何も映さず相変わらず曇ったままだ。
けれど私はホッとしている。
「鏡さん、助けてくれてありがとう、でも当分は結婚や婚約なんて考えられないけどね!」
いずれまた誰かと婚約することになっても、この鏡の世話になる事が無いようにと願いを込めながら磨き上げられた鏡の表面を優しく撫でた。
End