05
「この人は『モニカ・スプリングヒル』嬢ではありません!」
王宮外苑で開かれているパーティーの受付近くの案内所で私は、困惑した職人たちに囲まれて詰め寄られている。
受付近くであるので、パーティーに参加する貴族たちが遠巻きにこちらの方を見ている。
チラチラ投げかけられる視線を、顔を半分隠すように開いた扇子で遮りながら事態の進展を待っている。
下手に何かしゃべってボロが出ても困るという打算的な理由もある。
そう、私はローガン卿の名前を使って、職人たちに「モニカ嬢のドレスの直しが急に必要になったので、会場で行って欲しい。」と依頼したのだ。人を雇ってローガン卿の使者の振りをさせて…だけど。
だって、相手が私の知らないところで私の名前を騙ったのなら、私が相手の名前を騙っても良いわよね?依頼料や人を雇った代金は持ち出しだけど、婚約破棄の為の経費だと思えばまあ仕方ない。
そうしていると周囲のささやき声が増した。
チラリと扇子の脇からその小さなざわめきの方へ目を向けると
「軍務官殿、こちらです。」
近衛軍の王宮警備騎士たちがこちらに向かってやってきた。
「オホン!ご令嬢、および君たち、状況を確認しても良いかね?」
駆け付けた騎士たちの中で肩に一番立派な飾りを付けている騎士が声をかけてきた。
もっと慇懃無礼に問い詰められるかと思っていたので、気の良いおじさんのような問いかけですっかり緊張がほぐれた。
「つまり君たちは、雇い主のマッドリー伯爵子息ローガン卿の依頼で、彼の婚約者であるモニカ・スプリングヒル男爵令嬢のドレスや装飾品の直しのため、やってきたと」
「はい、パーティーで目立つといけないから、開場からしばらくたったタイミングでやって来て欲しいと。案内所近くには控え室があるので、そちらで調整するようにと。」
「ですが、やってきたら、モニカ嬢ではない全く別人の方が!」
「…というと君たちはモニカ嬢との面識が?」
「はい、ローガン様と共に何度も私共の店にいらっしゃっいましたので。」
警備の騎士たちが私の方に視線を向けるが、そんなことは気にせず、扇子で顔を半分隠し目を伏せる。騎士の一人がおじさん…多分上官であろうおじさん騎士に何かを話しかけている。
「ふむ。」
おじさん騎士は顎に手をやりつつ、私に向かって話しかけた。
「ご令嬢、すまないが招待状と徽章(貴族の身分証の一種)を確認させてもらえるかの?」
そういうと、女性の騎士がすっと前に立って私に一礼した。つまり彼女が担当するという事なのかな?
私は扇子越しにうなずいた。王宮の警備…騎士様ってローガン卿が目指しているだけあってもっと傲慢な人達なのかと思ったら、意外と丁寧で物腰柔らかだなあと思って、女性騎士の後ろをついていこうとした時だった。
「お前たち、こんなところで何をやっているんだ!」
鏡から散々聞こえた耳なじみのある声が辺りに響き渡った。
「あっ。ローガン様、モニカ様!」
職人たちがホッとした表情で、その声の持ち主に向かっていった。騎士たちだけでなく周囲を取り巻いている人たちもその様子をじっと見つめている。その視線の先には、ローガン卿とペールラベンダー色の髪を緩く結い上げた妖精の様に華奢な女性が寄り添っていた。
「ここはパーティー会場だぞ。どうしてこんなところにいる?」
「そんな、ローガン様がお呼びになったのではありませんか。そちらの『モニカ・スプリングヒル』嬢のドレスの直しを至急で行ってくれと。」
「当店には『モニカ・スプリングヒル』嬢のパリュールの金具を急ぎで修繕してほしいと。今朝がたマッドリー伯爵家の使いの者が金貨10枚を添えて報酬の先払いだ、と。」
「ああ、こっちにも金貨を何枚も添えて『モニカ・スプリングヒル』嬢のドレスのレースのほつれを繕ってくれと。」
懇願するようにローガン卿へ話し出す職人たちの会話を聞き逃すようなものはここにはいない。由緒あるマッドリー伯爵家の醜聞を最後まで見聞きできるとんでもない機会なのだから。もっとも不正の予感を感じ取っている騎士たちは白い目で彼らを見ている。
「バカな、ウチがそんな大金出すわけがないだろう!」
「しかし、『モニカ・スプリングヒル』嬢のご実家から提供されていらっしゃるとおっしゃっていたではありませんか?」
ローガン卿の怒声に、あっけにとられたような…何を言っているのか判らないと言った顔で答える職人たち。周囲の貴婦人たちは扇子で口元を防ぐどころか目元まで隠して…でも視線はしっかりとこちらに釘付けなのが何となくだけど判る。耳も研ぎ澄まされていることだろう。
「そ、それは…」
顔を赤くし、しどろもどろになったローガン卿におじさん騎士が語り掛けた。
「ローガン卿だったね?少し事情を聴きたいのだが。」
「あ、あの軍務官殿…どうしてここに…」
「話はあちらできこう、この場でこれ以上騒ぎ立てたくはないのでね。」
おじさん騎士がローガン卿たちを連れて行こうとすると
「私、私っ知らないし、関係ないわっ、」
そういったかと思うとローガン卿の腕に絡めていた手をほどき、ペールラベンダー色の髪の女性はこの場から逃げ出そうとした。
が、しかし、騎士たちがそれを見逃すはずもなく…先ほどまで私の傍にいた女性騎士が彼女の肩を抱え、他にも何人かの騎士が彼女を通さないように自らの体で壁を作っていた。
「ちょっと、ひどい…私なにもしてないのに…」
「それは控室で伺いましょう、他の者たちも良いですね?」
おじさん騎士はそういうと騎士たちに彼らを連れ行く様に指示を行った。
私はその間にというかその隙に招待状を徽章(身分証)の確認を終えていたが…
「ご令嬢、手間をかけるが念のため貴女にも話を聞かせて貰って良いだろうか?」
その場で無罪放免…とはならなかったが(一応話は聞きたいらしい)、彼らと違って特に拘束されるわけでもなく、ゆっくりとその場から去ることを許された。
興味津々でこちらに視線を送る貴族たちに、顔を伏せ、ハンカチで目元を抑えながら、弱弱しく…けれどはっきりと話した
「ああ、モニカ・スプリングヒルという令嬢が私以外にもいらっしゃったのですね…!しかもローガン卿が愛するモニカ・スプリングヒルとはあの方だったとは…。確かに私はローガン卿からドレスやアクセサリーの贈り物なんて一度も頂いたことありませんでしたもの!」
ハンカチをドレスの内ポケットにしまい、扇子も貴重品もそこにある…やはりたっぷりのギャザーでふわっと広がった体のラインがあまりはっきりと出ないタイプのドレスは楽でいい。
「では、邪魔者の私がこんな騒ぎを起こしてしまって申し訳ございません。皆様ごきげんよう!」
彼らが連れていかれた後、まだざわめきの残る周囲に向かって深々とカーテシーを行う。広がったドレスのふくらみはプルプル震えている足をしっかりと隠してくれる。耐えろ!私の足と念じながらカーテシーを丁寧に仰々しくゆっくりと行い、そして立ち上がった時にふらりと体を崩して見せようとしたが、プルプルと震えていた足は予想以上によろめいてしまい、周囲にあっという息をのむ音が聞こえ、同時におじさん騎士が腕を差し出してくれた。
「ご令嬢、つかまりなさるが良い。」
流石にここで転んだりしたら台無しだと思って、控えめながらもしっかりと腕につかまり、そろーりそろーりと慎重に歩く姿が周囲にはとても弱弱しく…けれど気丈に耐えているように見えていた…らしい。しかし私の頭の中はこの思いでいっぱいである。
(よし!これで婚約は無くなった…はず!!)
その後私は控え室に案内されると、特に何かを聴取されることも無く、逆に飲み物やケーキをもてなされ、体調は大丈夫か?とか医者を呼ぼうか?と係官たちから気を遣われるも丁重に断り、少し時間がたってから人目の少ない順路を通って我が家の馬車迄案内をされた。
恐らく先触れがあったのだろう、御者はすでに準備を済ませており、騎士たちにエスコートされて馬車に乗り込むとそのまま我が邸への帰路につく。
そして邸に帰り着いて部屋に戻ると、鏡はもう何も映さなくなっていた。