パソコン室の幽霊 1
おりがみさんと陽炎は、隣の小学校へと歩いていた。…いや、正確には、歩いているのは陽炎で、おりがみさんは、半ば引きずられるように陽炎について行っていた。
「嫌です嫌です嫌です嫌です嫌です嫌です…!!考え直しませんかぁ!?」
「あれ?おりがみさんも半ば怪談なのに、怪談無理なタイプ?」
「詳しく知りもしない怪異の神域に凸りに行くのが無理なタイプですよぉ!?」
神にも、怪異、妖怪など呼ばれるものにも、神域と呼ばれるものが存在する。怪異なのに神域とは、どうにもたいそれた物を持っているように聞こえるが、そもそも、怪異と神の明確な違いなど無いのだ。
神域は、もとは鳥居の内側を指す言葉であり、その怪異や神の住処を表す。住処は、その怪異や神が、最も慣れ親しんだ場所、とも言えるだろう。最も慣れ親しんだ場所で1番力が発揮できるということは、言うまでも無い。
ちなみに、「自分がいる所を神域にする」なんていう、とんでも神や怪異もいたりするのだが、一生のうちに会えるか会えないかなので、気にする事は無い。
そもそも、と、おりがみさんが声を荒げる。幸いにも、畑を眺める田舎道なため、通行人はいなかった。
「神域は、その怪異や神の家みたいなもんですよぉ!?アポ無しで知らん怪異の所になんて、行きたくないですし、来て欲しくないです!!それと!!人間は神域に入れないでしょうが!!」
「大丈夫大丈夫。モーマンタイ!」
「モーマンタイじゃないですって!!」
そんな会話をしながら、おりがみさんは引きずられていく。嫌だ、と虫の鳴き声のように響かせながら。…その声も、菜の花やたんぽぽに吸い込まれ、春の畑に消えていった。
隣の小学校といっても、田舎な為もあり、中々に遠い。しりとりでもしようか、と笑う陽炎に、リグニン、とおりがみさんは返した。
「…おりがみさん、ノリ悪いねぇ…」
「考え直してくれるなら、乗りますよ…。…そもそも、あんたどうやって神域に入るつもりですかぁ?」
「どうもこうも、普通に?」
人間は神域に入れない、という言葉を、おりがみさんの頭の中で訂正しておく。正確には、普通の人間は神域に入れない、だ。 頭のおかしい神殺し様は、神域に入るなんてへでもないらしい。
そうこうしているうちに、小学校が見えてきた。
――――――――――
小学校には、放課後という事もあり、あまり人がいなかった。そのため、すんなりと潜入できたのだった。おりがみさんにとっては、嬉しくない誤算だ。
「たしかパソコン室は、2階の音楽室の前〜っと」
てくてく歩く陽炎に、諦めたおりがみさんもてくてくついて行く。てくてくついては行くが、顔はうつむき、何度もため息をついている。
気が重そうなおりがみさんに、陽炎は振り返ると、「大丈夫」と声をかけた。
「私は神殺しの次代当主だよ?おりがみさんが心配するような事は起きない。おりがみさんは、私が守るってね」
「…わぁ―頼りになりますねぇ―(棒)」
おりがみさんは、先程も言ったが、諦めた目をしていた。それに気づいてか気づかずか、陽炎はニコリと笑うと、階段を駆け上がった。
パソコン室は、思いの外、玄関から近かった。階段を登ると、音楽室が目の端に写る。
「…ここが、例の部屋ね」
パソコン室を前に、陽炎は仁王立ちした。
その部屋ははたから見ると普通で、何の変哲もなくて、噂なんて所詮噂だと思わざるを得ない見てくれをしていた。
…そう。何も無さそうな見てくれだった。だが、おりがみさんの背筋は凍った。
…いる。何かが、確かに。
「…いるね。やっぱりか」
「…あの噂レベルなら、大した奴じゃないと思いましたけど…。これは中々…」
中々な、怪異が、いる。
「…やっぱり帰りましょう。神殺しであるあんたに怪異は関係無い相手ですし、私は正直関わりたくない」
陽炎の制服の裾を掴むおりがみさんの手が、微かに震える。その手を包み込むように、陽炎はおりがみさんと手を繋いだ。
そして、もう一つの空いている手で、思いっきり扉を開いた…!!!
「…へぇ?」
「行くよ、おりがみさん」
「ちょっ…ちょい待ちですぅ!?」
思いっきり開いた扉に、何の躊躇もなく飛び込んでいく。両足で跳ねるように飛び込むと、そこにパソコン室の床はなく、何処までも落ちていく謎の空間が広がっていた。
不思議だったんだ、なんて話しはじめる陽炎を、おりがみさんは両手でしっかり掴んで離さない。
「…話を聞いたときから、気になってた」
やけに真剣な顔をした陽炎が、制服の袖口から何かを取り出して投げた。シュルシュルとその何かからワイヤーが伸びて、落下のスピードがゆっくりになった。ワイヤーが出る何かを、入ってきた扉か何処かに貼り付けて、そのワイヤーを手にでもくくりつけているのだろう。
しっかり掴まるおりがみさんを片手で抱え、片手で器用にワイヤーを操りながら、2人は謎の空間を降りていく。
「…パソコン室は基本、冷房が付いているか何かして、冷やされているはずだ。パソコンが壊れちゃうからね。なのに、あの話では、怪談を調べていた少年は暑さで死んでいる」
「…冷房が効かないくらい暑かったとか、冷房が壊れてたとかではぁ…?」
「なら、もう一つの疑問点。なんで先生は鍵をかけてしまったのか?…答えは簡単。少年は、パソコン室にいなかったから」
「…少年は、パソコン室に入ろうとして、この神域に迷い込んでいた、と?…確かに、この神域はかなり古くから根付いています。綻びが生じて、人一人迷い込む事もあるでしょうが…」
そんな事ありますぅ…?と、 おりがみさんは半信半疑だ。
「まぁ、実際ここに神域があって、人が迷い込むくらい古いものだった、っていう事実はある訳だからね」
「…疑問なんですが、貴方は、何をするつもりでこんな所に来たんですかぁ?神殺しは、こんな怪異には道端の石程の興味も無さそうなのに。」
落ちるのに慣れてきたのだろう。幾分か普段の様子を取り戻したおりがみさんがたずねる。両手で陽炎を掴んでいた手も片方外し、眼鏡の位置を整えている。
「神殺しの仕事は、神を殺す事だけじゃなくてね。仕事内容はいくつかあるけど、その中に、「普通の人が迷い込む様な神域を閉じる」っていうのが有るんだよ。平たく言えば、「怪異退治も仕事の内」って訳」
「まるで祓い屋ですねぇ」
「たまに彼らと共同戦線も張るよ」
クックックと、いたずらっ子の様な笑いを浮かべる陽炎。つまるところおりがみさんは、陽炎の仕事に巻き込まれているのだ。面白くない、と、頬を膨らませるおりがみさん。そんな2人を乗せて、ワイヤーはシュルシュルと降りていく。