終章 ~大樹の下に~(2)
園から続く、日よけの木立に挟まれた小径。ここを抜けると、あの品評会が行われた広場に出るという。大樹はその先。シモーヌを先頭に、三人は静々と小径を進む。
大樹を見る。無論それは、二人にとって初めから予定通りのこと。
だが、シモーヌに案内されるというのは想定外。彼女と婆ァには一目会い、挨拶を済ませばそれでよかった。後はオーリィの案内で二人だけで、と思っていたのだ。
テツジには、何ら不満はない。いや彼だけの気持ちで言うなら、シモーヌという人物に彼は深い興味を抱いていた。むしろもっと話がしてみたい、好都合だ。しかし。
オーリィはと言えばどうだろう。先ほど集会室でシモーヌと同席してからというもの、彼女はめっきり口を聞かなくなっていた。そしてそれをテツジも、さもありなんと思っていた。園に来る前の、オーリィすなわちクロエのあの狼狽。「姉」の存在を、シモーヌの実の娘との名前の一致を彼女に知られたくないという不安。
(そしてそうだ。俺はこのシモーヌという人の過去を、オーリィさんから聞いてしまっている……娘に対するあの仕打ち、挙句その娘に殺され、そしてケイミーを殺しかけた……)
話に聞いたあの品評会の日、シモーヌは自ら覚悟して彼女の過去を公然のものにした。だからベンもあの晩餐の夜、オーリィがテツジにそれを語っても陰口にはならないと言ったのだ。すでに知れ渡ったこと、そしてシモーヌは村の名士。変に間違って後から噂でテツジの耳に入るより、事情を一番よく知るオーリィから聞かせた方がシモーヌにとっても良い。思慮深いベンはそう考えたに違いない。
だがオーリィあるいはクロエにしてみれば。やはりそれを「陰口」と後ろめたく思うのだろう。シモーヌの辛く、また見ようによってはひどく不名誉なあの過去。
(確かに、誰も好んで知られたくはない話だ。それを村に後から現れた俺にペラペラしゃべってしまった。オーリィさん、あなたはそう悔やんでいる。俺にしゃべったことを、この人に知られたくないと思っている……)
シモーヌの前で、自分はシラを切るべきだろうか?
オーリィの気持ちを思えば、無論そうすべきだ。彼がそう心に決めようとした、まさにその時。
案内のため前に立って先に歩いていたシモーヌが、急に立ち止まってテツジに向き直ると、首元から何かを取り出した。服の下に隠されていたそれ。細い皮紐のネックレスで下げられた、四角い黒い木札。
「テツジさん。これが何だかご存じですか?」
「……!!」
あまりにも見事な、その不意打ち。テツジは息を呑み、返す言葉を失った。アクセサリーと呼ぶにはあまりに粗末、あまりに武骨、あまりに異様なそれ。わざわざ首にかけておく、その意味は一つしかない。
(咎人の首枷!そのレプリカ……この人はそれを自分に……?)
「どうやら、あなたはこの黒い木札の意味をご存じのようですね。違いますか?」
オーリィがよくする「会話の先回り」。それをシモーヌも造作なくやってのける。もう隠せない。テツジは自分の顔に動揺の色がはっきりと浮かんでしまったのを自覚していた。
(こんなところまで似ているとは……!)
振り返れば、真っ青な顔になって震えているオーリィの姿。守らなければならない。
「それは……いや、シモーヌさん、聞いてくれ、それは!」
「よいのです。私は咎めているわけではありません。テツジさん、あなたには、知っておいていただいた方がいい。それを確かめたかったのです。ですが」
狼狽しながら必死の表情で弁明しようとしたテツジを、シモーヌは静かな口調で、硬い無表情で素早く制した。そして一呼吸。物悲しいため息を吐くと。
「申し訳ありませんテツジさん。許してオーリィさん。どうして私はこうなのでしょうね、どうして……人を追い詰めてしまうのでしょうね。
私は、変われない。姿は蝙蝠に変わっても、心は昔のまま……わたしがいた世界では、蝙蝠は嘘つきの動物だと言われてきました。古いおとぎ話で。変われないのならせめて、蝙蝠のように外側だけでも、言葉だけでも取り繕えればいいのでしょうに。私にはそれも出来ない。皮肉なことですね。
……もうすぐ大樹が見えてきます。行きましょうか」
シモーヌは先を振り返り、再び歩みを進めていく。テツジは立ちすくんでしまったオーリィの手を取って、その後を追う。
(そうか。この人は、何か俺たちに言いたいことがあるのかも知れない……)
目の前の景色が開けた。広場に着いて木立が途切れたのだ。
(あれが……!)
伝承の大樹。広場を挟んで、しかしその威容は遠くからでもわかる。
天に向かってそびえるその樹体は、大きく四方に枝を広げ、そして目の覚めるように鮮やかな緑の葉を身に纏って風に揺れている。まるで、彼らを招いて大きく手を広げているかのように。そしていつの間にか。三人の足は小走りになっていた。大樹の下へ、その腕に抱かれることを願うかのように。
そして今。テツジは大樹の目の前にいる。足元を見下ろせば、大地を巨大な手で掴むようにたくましく広がる根。きらめく木漏れ日の先にあるはずの樹の梢は、見上げてもあまりに遥かな高さ、テツジの目では捉えられない。そして視線を真っ直ぐ前に写すと、太い幹から漂うその生命力。テツジはその幹に手を添える。お前の力を試してみろ、そう言われているような気がする。
(いや、あんたには勝てないな……フフ、これが伝承の大樹、か……)
柄にもない詩的な感慨を胸に抱いたことに、テツジは軽く含み笑い。だが彼は思う。自分のような武骨な人間にも伝わるこの気高さは本物だと。彼は幾度も梢を見上げ、そしてまた根に首を垂れる。
「凄いものだ……」
思わずこぼれたその一言に、シモーヌが問う。
「おわかりになりますか?」
「この樹は、以前は枯れ木同然だったと聞いていました。まるでそんな気がしない。このままずっと、百年でも千年でも生き続けるように見える。逞しい、強い!
そうですね、俺も。こういう男になりたい。ここで、この村で……!
あ、いや、申し訳ありません、生意気なことを言いました」
「あなたは嘘のつけない方ですね。そして立派な志をお持ちになっている。先ほど婆ァ様も、あなたの事をたいそう感心していらっしゃいました。あの方のお眼鏡に間違いはございません。あなたはこれからこの貧しい村で、皆の暮らしを支える大事な柱になられる。そういう方。わたしも、あなたにお会い出来てうれしかった」
ただの世辞ではない。テツジはシモーヌの言葉をそう感じていた。
だがシモーヌの言葉はそこで止まる。その唇は次の言葉を探している。もしくは、何かをためらっている……何を?
しばし黙考した後、テツジはこう返事を返した。
「何もかも、オーリィさんのおかげです。命を救ってもらいました。ここでの暮らし方を色々教えてもらった。それに!ここに来たばかりの俺は、心のいじけたひねくれ者でしたよ。『大事な柱』ですか?俺は自分ではそんな大層な男だとも思ってません。自分の出来ることをやるだけです。ですがもし、今の俺がそんな見どころのある男だとしたら。俺がそうなれたのは、ここにいるオーリィさんのおかげです。
彼女を!オーリィさんをほめてあげて下さい。あなたがお望みなのはそれだ!
……『違いますか?』」
シモーヌの言葉尻を真似て、テツジはそう決めつけた、ただし優しく穏やかな声で。いかつい大顎のテツジには、笑顔が難しい。彼は目と眉で精一杯の笑みを作ると、さっと一、二歩脇に退く。彼の背後に張り付くように隠れていたオーリィを、シモーヌの視線の前に出すために。そして慌ててテツジの顔を見るオーリィに、同じ笑顔のままその手でシモーヌを指し示して促した。
「オーリィさん。この人の目を見てわかりました。この人はさっきからずっと、俺の体を透かしてあなたを見ている。そんな目つきだ。
この人は『あなたと』話がしたいんですよ。本音で、嘘偽りのない真心で。ここに居る俺があなた達の事情を知っているなら、俺に余計な気遣いをしなくて済む、遠慮なしに話せる。さっきはそれを確かめたかったんだ。そうですねシモーヌさん?
……聞いてあげて下さいオーリィさん、この人の言葉を!」
そう言われて。おずおずと伏し目がちにシモーヌに向き直ったオーリィ。
シモーヌはその姿を見つめ、静かに語り出した。
「オーリィさん。私は、『お隣さん』の仕事を受けたことがないのです。今までに何度も長老様からお話をいただいたのですけれど、その度にお断りしてきました。
大樹の伝承を受け継がなかったのと、理由は同じです。
私は、何かを、誰かを『癒し育てる』自信が無かった。資格が無いと思っているの。だって私は前の世界で、あんな取り返しのつかない失敗をしてしまった、罪を犯してしまったのですもの。ケイミーさんとのことも。長老様はお目こぼし下さったけれど、私は自分が許せない。私には、この黒の木札がふさわしいのです。
でもオーリィさん。あなたは違う。あなたは『お隣さん』をやり遂げた……!
オーリィさん。この村で『お隣さん』の仕事を無事に勤め上げることはね、特別な意味があるのです。
あの山の上で。生まれかえった私達は、『お隣さん』のもとに預けられて、そして命を救われる。お隣さんはいわば『命の親』、新入りさんはその『子供』。そしてお隣さんは山から授かった『子供』を、この村で一人で生きていける人間に『育てる』。そしてその新入りさんがやがて新たにお隣さんの務めを受ける……
お隣さんに選ばれて、その務めを果たすことは。子供の生まれないこの村の、『成人の儀式』。あなたはそれをやり遂げた。こちらのテツジさん、この方をこんなに立派な方に『育て上げた』。
オーリィさん。あなたはこの村で『大人』になったのですよ。
だから私は……私は!
あなたに……おめでとう、と言ってあげたかったのです。
私はその言葉を、クロエには、一度も言ってあげられなかったから……」
シモーヌの頬を伝う涙。過去への後悔と懴悔、胸の中にしまい続けてきた娘への思いが、この世界の中に解き放たれた証。
オーリィはその姿を、その涙をまじまじと見つめて、唇を震わせる。
そして。
「ありがとうございます、【お母様】……あっ!」
オーリィは思わず知らずそう口走る。たちまち自分の間違いにきづき、
「……申し訳ありません、わたし、なんてことを……」
慌てて謝罪しようとしたその時、シモーヌはそれを素早く遮った。
「謝らないで!!」
オーリィを、自分の胸の中に抱きしめて。
「いいですか?あなたが先に間違えたのです。お返しですよ、いいですね?
立派になりましたね……クロエ……!!」
「ああ!あなたは……お母様、あなたという方は、いつもそう……負けず嫌いで、意地っ張りで、そうやってわたしに言い返せないようにする……昔からそう……
ああ……お母様!!」
オーリィもまた。シモーヌの背を抱き、胸に顔を埋める。否、あるいはその時。
彼女はクロエであったかも知れない。
いつかきっと、と。あの品評会で交わされた約束の成就。
大樹の枝の間をすり抜ける風が、今、二人の恩讐を遠く吹き攫っていく。
テツジは大樹の下で一人、それを見つめていた。
風香り 木漏れ日きらめく
集いましょう 集いましょう
あの大きな樹に
繁る葉陰に 今日の憩いを
白い花に 明日の実りを
求めましょう 願いましょう
あの大きな樹の下に
あの大きな樹の下に
(完)
※作中歌「大樹の下に」
YouTubeで … https://youtu.be/Sw4P2kDdwgo
ニコニコ動画で … https://www.nicovideo.jp/watch/sm40230896




