6 ~蛇の踊り子と羊の賢者~(4)
「なあるほど……こいつはひでぇ……!」
伝承の大樹の前に立った時、最初にいきなりゾルグがそう言った。そしてほぼ同時に鯨が潮を吹くようなため息をつくベン。穏やかだった眉間に厳しい皺を寄せて。
驚きに顔を見合わせるオーリィとケイミー。何十年、もしかしたら数百年以上にも及ぶ長い年月、誰にもわからなかった大樹の病の秘密。それをこの二人は、たった一目で何かをつかんだらしいではないか。頼りに思って連れて来たとはいえ、いくら何でも霊験あらたか過ぎる。
「あの!何かお分かりになりましたの?!」
またもや急き込むオーリィに、ゾルグも首をひねって答える。
「いや、何か?てぇかよ?逆に聞くけどな、今まで誰も【これ】がわからなかったてのはホントかいオーリィちゃん?ちょいと信じられねぇよ。だがまぁ……これなら!対策は大先生のベンにまかせるとしてだ、原因だけならヘッポコ弟子のオレにも一目でわかるぜ。いいか二人とも、コイツはな……」
どうやらこれなら自分たちが役に立ってやれそうだと、ゾルグの口調は得意げ。機嫌よく話し始めたその時。
「オーリィさん!」シモーヌだった。
「お待ちなさい、その方々は?あなたは、あなた方は何をするつもりなのですか?」
大樹とよだか婆ァを心配するあまり、とはいえ。説明次第によってはと、現れたシモーヌの声はいきなりの険しい詰問調であった。彼女の登場に話の腰を折られ、かつ、露骨に不審な者を見る目を向けられたゾルグは面白くなくなったらしい。いささか小癪な顔つきでオーリィに問うた。
「オーリィちゃん、誰だいこの人ァ?りんご園の園長代行?ふぅん……代行ねぇ。りんご園の園長はよだかのガミガミ婆ァさんだったよな?あの婆さんはどうしたい?
……代理が要る程モウロクしたってか?」
「よだか婆ァ様なら!まもなくこちらにいらっしゃるはずです!あなた、先に何をしに来たか説明なさい!」
シモーヌにとって、神のごとき存在の婆ァに対して耄碌老人呼ばわりは許しがたい侮辱、口調はいよいよ厳しくなる。ゾルグはそれを鼻で一つ笑うと、
「そうかい、だったら、説明は婆さんが来てからにしようや。二度手間はメンドクセェ……目ん玉節穴二人並べてからの方が話が早ぇしな」
売り言葉に買い言葉、険悪な雰囲気になるのを見て、ベンがゾルグの袖を引いた。それぐらいにしておけ、の意。ゾルグはそれに手を軽く上げて答えると、シモーヌを斜めににらんで皮肉に笑い、今度は一転だんまりを決め込んだ。
「……!」婆ァが来る前に事を収めるつもりのシモーヌだったが、ゾルグは一向に応じる気配が無い。そしてもう一人の男も奇妙な諦め顔でこれまた押し黙っている……ベンの言葉が不自由で、説明はゾルグに任せる外はない、それはシモーヌには知る由もなく、彼女の不審はつのる。そして一方。
(……どうして……この人はいつもこうなの?!)
オーリィもすでに満面のいら立ちと憤りを隠せない。彼らこそ稀有な大樹の救い手なりと、やっとの思いで見つけた二人に対してのシモーヌのぶしつけな態度。侮辱というならそれはこちらの台詞、オーリィの眼はそう言わんがばかり。
「あの……えと……シモーヌさん実は……」
かくなる上はと口を切ったものの、ケイミーはそこから先が続かない。彼女にしてもシモーヌは当然気づまりな相手。シモーヌが自分を殺しかけたこと、それはむしろケイミーには負い目なのだ。
そして傍らには、今にも感情を爆発させそうなオーリィの存在。あの嵐の去った朝、オーリィから一時的に消えたシモーヌへの本能的な敵意、だがそれが完全に消え去ったのではないことをケイミーは知っている。
「お母様にもしものことがあったとしたら、人殺しになっていたのは自分の方だ」。
あの恐ろしい言葉は、ケイミーの耳の奥から消えない。今自分が下手な説明をして、シモーヌがそれに納得しないそぶりを見せた時、自分はともかく娘がどうなってしまうか?それを思えば、ケイミーの舌は強張るばかり。
そしてそもそもケイミーには、シモーヌは何故か目を合わせない。敢えて視線を外しているのがありありとわかる、それもひどく気まずそうな顔色で。
何事にも鋭いシモーヌのこと、自分の切り出し方が拙かったのにすでに気付いているのではないか?だがプライドも高い彼女は自分からは頭を下げられないのでは?
ケイミーはそう思いを巡らすのだが……どうも違う。シモーヌが自分に対して持っている奇妙な隔たり、正体不明な感情のバリケード。とにかく取り付く島もない。
(どうしよう、これじゃ埒が明かないよ……)
ただ立ち尽くすばかりの一同のただ中で。焦るケイミーがいっそ園に婆を迎えに行こうと視線を移すと、ようやく。子供の様に小柄な婆ァが一人の女におぶさって連れて来られるのが見えて来た。
「婆ァ様!」
救いの神の到着を待ちかねて駆け寄るケイミー、婆ァも女の背から飛び降りて、何事かと噛み付くように問うた。聞く耳がいてこそ、話は出来る。ケイミーの顔には安堵の色があった。大樹の前に立ったままの三人の下に着くのを待たず、歩きながら実はかくかくと説明し始めた。
「木の病気に詳しい男を連れて来ただって……?その二人がかい、ええ??」
婆ァのけたたましいその言葉。十数歩の距離をもってしても、シモーヌの地獄耳を待つまでもない。大樹の前の一同全員にそれは響き渡る。
婆ァのその一言にギョッとした目でゾルグに振り返るシモーヌ。すかさずパチリと一つ、彼は皮肉なウインクを返して。
「ま、そういうこった。待たせちまったが……んじゃまぁ、お揃いになったし!
前座のオレがみんなにちょいと面白いものをみせてやるぜ。いいか、よく見てろよ、まずここだ…」
ゾルグは懐に手を入れると、小さな小刀を取り出した。そして大樹の幹の表面で軽く切っ先を動かすと、木の皮の一部が紙切れのようにハラリと落ちて、そこに。
指の太さ程の穴が、幹の中に深く通っている。
「もちろん、オレが掘った穴じゃねぇ。そんな暇も様子も無かっただろ?今オレがこじって取ったのはこの【巣穴】の蓋だ」
ゾルグはその【蓋】を拾い上げて掌にのせ、一同に差し出した。
「表側はこの通り、木の皮そっくり。だが裏返すと、な?蜘蛛の巣ってか繭ってか、そんな具合だ。つまり!
この穴にな、いるんだよ、虫が。その虫が、木の皮を噛砕いて口から糸を吐いて、つなぎ合わせてこれを作る。まぁ確かに、そうと知らなきゃコイツを見つけるのは難しい。よく出来てやがンだろ?しゃらくせぇが、虫けらのくせにいい腕してるのさ。オレもベンに教わってから、自分で見分けられるようになるまで随分かかったもんだ……んでもってここにだ、こいつを入れる、と!」
次にゾルグが取り出したのは小さな皮袋。大気の乾燥したこの世界、気温が然程でなくても体の水分は奪われがちなのだ。だから外出の際の水筒として、村民の多くが日頃から同じような物を持ち歩いている。中に入っているのは当然、水。
「正真正銘ただの水だよ。木には害はねぇから安心しな。この水をこの穴に入れるとだ……出てくるぜ……そら来た!!」
穴に流し込んだ水が、誰も何もしないのに勝手に溢れて穴からこぼれる。内部から何かに押し出されているのだ。やがて穴の入口にその何かの一部がうごめき現れると、ゾルグはそれをすばやく指でつまんで抜き取った。
芋虫。大人の指の太さと長さ。茶褐色の硬そうな頭と、乳白色のぶよついた太った胴体。掌でうごめいているそれを、ポイと地面に投げ捨てて。
「こいつがこの木の病気の元さ。『カクレカミキリ』。ベンはこの虫をそう呼んでる。木の表面と幹に喰らいついて穴をあけちまう、厄介な害虫だよ。
さてと、そこでだ……今な、この辺の中に」
ゾルグは大樹の幹の表面を指さして、軽く一抱え程度の円を描いた。
「どのくらいの数の巣穴があると思う?」
四人が駆け寄って目を近づけた。しかしどんなに目を皿のように見開いても、彼女達には樹皮には何の変哲も無いようにしか見えない。しかし一歩退いたところから。
「ざ、ざっと……12……いや13、だな……」
「そんなもんかな。お嬢さん方、ちょっと失礼!」
ベンの驚くべき呟きに目を見張る女達を後目に、ゾルグは小刀で木の表面に次々と穴を発見し、蓋を取り去っていく。
「ひの、ふの、み……14だ。惜しかったなベン、だが流石だぜ」
「この穴に……全部この虫が?だったら、この木に一体何匹……!!」
愕然としながら問うのはオーリィ。あとの三人はあまりのことに息を呑むばかり。
「さあてね、オーリィちゃん、そいつは考えたくもねぇや。多分おっそろしい数だぜ。嫌になるほど、ってのは間違いねぇ」
「知らん!!」
よだか婆ァがまたもけたたましく叫んだ。
「こんな虫が、こんな虫が!!このあたしが、こんな物、見たことが無い!!何十年も園のりんごの樹を見て来たこのあたしが!!」
「『園の』りんごの樹……婆ァ様?」ベンが静かな声で問いかけた。「園のりんごの樹には、本当にこの虫はいないんですか?今まで見たことが無い、と……?」
「間違いない!見たこと無いだけじゃないよ、こんなやつらがいるなんて、先々代の長老様からも、一度も聞いたことが無かった!本当だよ!!」
「おかしい……そんなに長い間、りんご園でこの虫の存在を知られていないだって?この虫は厄介だが珍しい虫じゃない。山の森にならどこにでもいる。なぜだ……そうか!もしかしてこの樹はそのために……」
ベンが何かに考え及んだらしい。重々しい顔つきで大樹を見上げる。
そしてオーリィは、おや?と思う顔。すかさず彼女の耳にゾルグが囁いた。
「フフ、あのなオーリィちゃん、ベンはな、何かに夢中になるとその時だけ、どもりが治るんだよ。いよいよ大先生が本気になって来たってことさ」
ベンに弟分のその言葉が聞こえたのかは定かではなかった。しかしなるほど、最前までのたどだどしい口ぶりとは一転、深い思索が乗り移ったベンの言葉には大賢の威風が漂う。彼はゆっくりと大樹の枝ぶりを見回し、強い視線を込めて指を指した。
「ゾルグ、そこの枝はもう枯れている。一本折って食ってみてくれ」
「あん?この枝をか?何だかわからねぇが婆ァさん代行さん、聞いての通りだ、ちょいと枯れ枝を一本折らせてもらうぜ」
「枝を……『食べる』んですの?そうおっしゃいませんでした?」
「ハハハ!それがな、オレの十八番。オレの体に宿ってる獣は『シロアリ』なんだよ。オレは木が食えるのさ。だがそういや、りんごの樹は食ったことがねぇな?どれ一つ……おおぉ??」
硬いりんごの枝を、ゾルグの虫の大顎はやすやすと噛砕き、その奥にある彼の人間の口に器用に押し込んでいく。とはいえいかに砕いたとて木の枝の破片、普通なら不快極まりないはずのそれを、ゾルグは平然と咀嚼しているではないか。その様子に目を見張る女達だったが、次に驚いたのはゾルグ自身であった。
「なんだこりゃ!……甘ぇ!!こんな甘い木の枝なんてあんのかよ?それになんかこう、いい香りがするぜ……チョコをコートしたビスケットみてぇだ。
おいベン!このカミキリどもめ、やたらと口がおごってやがるぜ!!」
「そうか……これは俺の推論だが、」ゾルグの報告に耳を傾けながら大樹を見上げていたベンが、皆に振り返って語り始めた。
「りんご園から一本だけ、こんなに離れて植えられているこの樹。この場所は、森とりんご園を結んだ一直線上。そしてこの樹の【ばかげた】高さ。
婆ァ様、実は俺はこの樹の病が何であろうと、半分の高さに切ってしまえと提案するつもりでした。オーリィに話を聞いた時から思っていたのです。果樹は実を収穫するための樹、手の届かないような、簡単に登ることも出来ないような高さで花や実がついても意味が無い。俺は果樹栽培は詳しくないが、常識から言って樹高はあくまで低く抑えて栄養を低い場所に集中、その分で枝を横に広く伸ばすのが得策だし、常道のはず、どうです?」
ベンのもっともな意見。だがそれを聞いて婆ァもシモーヌもハッとした顔つきになった。「伝承の大樹」、その言い伝えがあまりに神聖犯されざるものだったために、その存在の不自然さからは目を晦まされていたのだ。そしてシモーヌにも次第にわかってきた。この小男は「本物」なのだと。
「でも、この目で見て気が変わりましたよ。それでは駄目だ。元も子もなくなる。この樹にはりんごの実を採るのとは別な、もっと大切な役割があるんだ。
「防壁」なんです。「盾」なんですよ。森から来るカミキリムシから、りんご園を守るために!特別なこの樹が、ここに植えられている。
そもそも。今のこの樹のひどい食害。こんなに食い荒らされたら普通の樹ではひとたまりもない。とっくに枯れて倒れているはずなんです。
……そうだろうゾルグ?つまりこの樹には耐性があるんだ、カミキリの食害に対して。そして樹皮の甘さと香りで虫を惹きつけ、美味いエサのあるここで、この樹で虫共を引き留める。そういうトラップなんだ。だからこうして高く大きく育てられた、盾なら大きい方がいい!」
「いや……そりゃそうかも知れねぇが?そんな都合よく?」
途中から急に話を振られたゾルグが思わず返したその言葉を、ベンは待ち構えていたかのように受けて、キッパリと言った。
「『先住者』。先住者のバイオテクノロジー、その遺物なんだ。俺たちの体を改造してこの村に集めている彼らの技術ならおそらく、出来ない事じゃない……」
その場の誰もが息を呑む。
『先住者』。同じく推測上の存在とはいえ、この村においてはその存在を疑う者はいないが、彼らについて語ることは一種のタブー。忌まわしい存在なのだ。よほど特別な時でない限り、村民がその呼び名を口にすることはない。敢えてその禁忌を犯したベンの言葉の響きに、一同は彼の覚悟を感じ取る。そして。
「偉大な樹だ……偉大な生命だ!生まれはどうあれ、同胞である園のりんごを守るために身を挺して、その身を犠牲にして何十年も!!この樹はこうして立っている。
完璧な献身だ。もの言わぬこの樹の働きのおかげで、これまでりんご園にはカミキリムシは一匹たりとも入り込まなかった。だからこそ。代々の園長も、よだか婆ァ様、あなたほどの方であっても!この虫の存在に気づくことすらなかった。そしてただ一言、『この樹を決して絶やすな』という伝承だけが残されたんだ。
オーリィ、もうこれは俺にとって、君からの頼み事では無くなった。偉大な生命だが、生命には限りはある。今救わなければ……俺は、俺自身で。この樹を救いたい!この樹は、『絶やしてはならない』んだ!!」
自ら「だんまり羊」と名乗る、この寡黙な小男の胸中に密かに蓄えられた知識と情熱。それはひとだび発露されると、堰を切られた奔流のようにその場の皆を飲み込んだ。
即座に、よだか婆ァがベンの胸元に嚙り付いた。
「お前様、お前様!お頼みします、大樹をお救い下され、お救い下され……!」
「やらせて下さい、是非。俺はつまらない男です。誰と比べても大していい所があるわけじゃありませんが……樹のことなら、それに相手がこのカミキリムシなら!
この村の森で俺はもう、十年以上もこの虫と戦い続けてきました。こいつらのやり口、退治の仕方に後始末、よくわかっているつもりです。
それに俺は、この樹のことがもっと知りたい、世話をしてみたい……
お願いします、俺にやらせて下さい!」
頼まれて、かえって頭を下げるベン。素朴で誠実、そして何より樹木に対する敬意と愛情。婆ァは彼にたちまち心酔した様子だ。もはや言葉もなく、ただ頼もし気にこくこくと、いつまでも頷き続ける。
「よっしゃ、そうと決まれば!」
「む。俺は山小屋に行く。そっちも頼む」
「当座間に合う分だけな!」
「それでいい」
ここが頃合いと割って入るゾルグ。そしていざ仕事となると彼も無駄口が無くなった。二人とも、いかにも職人同士といった振る舞い。そして。
「あの!」オーリィはもどかしさに堪りかねた。最前から彼女の「本気」も沸騰していたのだ、ただし、いつもの「質問攻め」の癖を必死に抑えながら。シモーヌに一度水を差された不愉快に、自分は同じ愚を繰り返すまいと歯を食いしばっていたのである。が、てきぱきと話を進めてしまう二人に、彼女はとうとう食らいついた。ここで取り残されてなるものか。
「あの!お二人はこれから何を?わたしは何を……いえ!わたしにも何か!!」
「ゾルグの方が手間がかかる。二人で手伝ってやってくれ。今日は準備、仕事は明日の朝から。また明日、ここで、よろしく」
ベンは言葉だけはごく簡単に、ただし慌てふためくオーリィをなだめようと、にこりと穏やかな笑みを浮かべるのは忘れない。それだけ言って婆ァとシモーヌに頭を軽く下げると、その足でそのまま森に向かってスタスタと歩き去った。
「んじゃ、カワイコちゃん二人はオレが独り占めだ。オレの家に戻ろう。何をしてもらうかは着いてから話す、たのむぜ?」
「はい!」
ゾルグもまた、すばやく踵を返して大樹の下を立ち去る。わき目も振らずに後を追うオーリィ。ケイミーは一人、チラリと振り返る。
大樹の下の、よだか婆ァとシモーヌ。師弟の表情は明暗にくっきりと分かれていた。期待に胸躍らせ、満面の笑みを浮かべた婆ァに対して、シモーヌの顔色には何か、切なげな濃い屈託の色。その胸中には何が?
(シモーヌさん……ごめんなさい、今は……!)
ぶるぶるとかぶりを振り、後ろ髪を引かれる思いをどうにか追い払うと、ケイミーは慌ててゾルグと愛娘の後を追った。
(続)




