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オーリィと黄金の林檎 ~蛇の娘と蝙蝠の母・「麗しき蛙売り」外伝~  作者: おどぅ~ん


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6 ~蛇の踊り子と羊の賢者~(2)

(うそ……うそうそ、どうして?こんなことって?)

 声高らかに、肌も露わに。歌い舞い踊るオーリィに吸い寄せられるように。

 気が付けば、右も左も人の海。この村にこれ程の数の人間がいるとは?そして一時にこれ程集まるとは?ケイミーには見えている光景が本当のことだと思えない。

(凄い……凄いよオーリィ……!!)


 前日。ケイミーを伴って早々に園から帰宅したオーリィは、その企てに必要な準備を整えた。何も聞かず、言われるままに手伝うケイミー。母と娘が作戦会議を始めたのは、日が落ちてからのことだった。

「でも、いいのかなオーリィ?あの樹のことはさ、『一子相伝』、つまり園長さん代々の秘密なんでしょう?それを村の大勢の人達にバラしちゃうってことだよね?」

「ええ、そうなりますわね。私にはそれが何故秘密にされていたのか、それもわかるのです。大樹はかけがえのない宝物、信用の置けない人間には任せられない。至極当然の話です。ですが……多分もうそれでは『限界』なのです。

 婆ァ様がおっしゃってましたわ、『あの偉いサーラ様にも叶わなかったこと』。サーラ様とおっしゃるその方がどれ程偉い方なのか?直接お会いする事が叶わない以上、私にはわかりません。けれどあのよだか婆ァ様が『あたし如きには最初から出来ないことだった』と…… 婆ァ様はいたずらにご自分を卑下される方ではございません。あの方がそうおっしゃるなら、それはその通りのことなのでしょう。

 代を重ね、次々に磨き上げたこの村のりんご作りの技、それはもう、行きつくところまで来てしまった。それでも越えられない問題があるなら、それを解決するには何か全く新しい知恵が、知識が必要なのです。多分婆ァ様はそれを予感されていた。だからこそ、かつてはコナマさんに秘密の一端をお漏らしになった。そしてだからこそ。婆ァ様自身が理想の後継者と目されたシモーヌ様の実力をご自分以上とお認めになった上で、なお!結局それは今までの自分のりんご作りを磨き上げたに止まると、大樹を救うには足りないと思われたのでしょう。

 そして私をお選びになられた……

 もちろん。私自身にはそんな知恵も知識もあるはずがありません。

 だから。『わからないことは他人に訊く』!

 そういう知識を持った方を、今のこの村で探すのです。私が探すべき『隠された秘密』とは、秘密そのものではなくて、そういう知られざる知識の『持ち主』。それが私に出来ること、やるべきことなんです。

 ただそのためには、一子相伝の掟は、邪魔でしかありません。こちらが何を知りたいのか明かさずに、人探しなど出来ませんもの。でも私は『大馬鹿者』。タブーを無視して伝承を台無しにする、それが出来るのは、怖い者無しの横紙破りの愚か者。ケイミーさん、私にふさわしいとは思いませんか?」

 オーリィが前夜、ケイミーに打ち明けた彼女の思惑。すなわち、

「人を大勢集め、その中から大樹を救うための知識を持った人物を募る」。

 発想は単純。だがこの村では簡単ではない。

「でも……今この村にそんな人いるのかな?木の病気のことがわかる人って、結構珍しいと思うよ?」

 荒地によって外の世界(そんなものが存在するかどうかすら不明だが)から一切隔絶されたこの村。通信網や情報メディアの力を使って知識を集めるなど、ここでは望むべくもない。そして前時代から受け継がれた文献や口伝なども極めて乏しい。厳しい環境が、貧しい生活を支える必要最小限の知識しか、人々に蓄積を許さないのだ。

 ただし、この村の住人は全て「現代人」だ。呼び寄せられた世界はバラバラでも、どうやら彼らは時間軸は共有している。つまり、かつて彼らが暮らしていた世界の高度な知識や技術は、その一人が「持っている分だけ」は持ち込める。

 今オーリィ達が求めている特殊な知識。それを持った人物が、今この時、この村に生まれ変わって存在しているのか?

「可能性で言えば、難しいでしょうね。これは『分の悪い賭け』なのです。だから今まで誰もやらなかったのかも。でも私は……」

「『大馬鹿者だから』でしょう?うん、わかったよオーリィ、アナタの気持ち。そうだよね!やってみなくちゃわかんないよね。あたし手伝うよ!

 ……でも、人を集めるって、具体的に何をするの?」

「騒ぎを起こします」

「ええ?!」

「ケイミーさん、私はこの村で何度も騒ぎを起こしました。そう、その度にあなたが一番酷い目に遭わされたのですもの、お忘れではございませんわね。そしてその度に沢山の人が集まった……静かで普段は本当に何事も起こらないこの村、ここではちょっとしたことでも騒ぎになる、騒ぎが起こせる、人を集められる!

 でも安心してくださいませ。騒ぎと言っても、今までのような殺伐としたものは、私自身ももう御免です。今度は。

 楽しい『ショウ』を開くのです。村外れから役場前の広場まで、私が歌って踊って練り歩くのです」

 その突飛なアイデアに目を丸くしているケイミーに、オーリィは少しほろ苦い微笑みを返して続けた。

「歌に、踊り。私はそれを職業にしていたわけでも、アマチュアとして何らかのレッスンを受けたわけでもありません。全くの素人。無様でしょうね、きっと。

 でも、私は称賛を受けたいがためにこれをするのではありません。人目を惹ければよいのです。無様で滑稽なら、それが返って武器になるかも。そう、それに今の私には、この首枷があります。私の悪名は、この村では広く伝わっている、それも武器に出来る!あの罪人のオーリィが一体今度は何を?と。

 ただ私が一つだけ不安なこと。それはこのショウを誰かに止められてしまうことです。札付きの女がまた不穏なことを企てている、そう思われて、充分な人が集まる前に邪魔されてしまうかも。それでは台無し。

 ケイミーさん。ですから、あなたに是非お願いしたいのです。一緒に着いてきてくださいませ。あなたがいらっしゃるなら、私の今回の企てに悪意が、村に対する害意が無いことを皆さんにわかっていただけるはず……」

 ケイミーはその時、出かかった言葉を即座に飲み込んだ。

「長老様に許可をいただいたら?」。だがそれは出来ない。オーリィは刑罰執行中の身の上、そして伝承の暴露はよだか婆ァに対する背信行為だ。その気持ちはどうあれ、長老には立場上許せる事ではないだろう。抜き打ちでやるしかない……

 ケイミーは再び大きく頷いた。

「わかった。オーリィ、今度は二人で一緒に……叱られよっか!ね?」

 母と娘はにこやかに笑いあって、再び翌日の準備に取り掛かったのであった。


 そして今。集まった人々の群れのあまりの大きさに、ケイミーは目を丸くする。

 そもそも。

 村外れでオーリィの唇が最初のメロディを奏でた瞬間、ケイミーは背筋に走る甘美な痺れに、軽く飛び上がる思いだった。

 オーリィの声はどこまでも透き通るようにあたり一帯の空間に浸透した。その響きは輝かしく、海原のさざなみのような柔らかく心地よいビブラートを伴って。

 しかもその繊細さにもかかわらず、驚くべき声量なのだ。村外れのこととて、歩き始めたそこからでは犬小屋程度の大きさに見える離れた家々から、村人達が顔を出したのは、オーリィが一パッセージ歌い終わるか否かのこと。

 ケイミーは「歌に合わせて鈴を鳴らす」という自分の役割を、一時完全に忘れた。耳を、心を娘の歌声に奪われてしまったのだ。オーリィがそれを見て、ニコリと笑い顔で促す。慌てて、手にした鈴の棒を握りしめたものの、今度は。

(でもでも!いいの?こんな綺麗な歌なのに……)

 自分の鈴の音は邪魔ではないか?その思いを振り切るのにかなりの時間を要した。

 そうやってケイミーがまごまごする間に。村外れのまばらな家々から、村人が次々と現れ、二人に近づいて来る。何事かと怪訝な人々の顔色に怯むケイミー、だがオーリィは余裕綽々。村人一人、一組、一群れごとに歌い踊りながら手のジェスチャーと笑顔の会釈で挨拶、時にはウィンクも飛ばす愛嬌ぶり。

「さぁ皆さま、ご覧になって!よろしかったらご一緒に、役場前の広場まで!足をお運び下さいませ!」

 歌の合間にそう声をかけ、一切臆した素振りなく悠々と道を踊り歩いてゆく。

 そのオーリィの歌と踊り。

 前夜、ケイミーが聞かされていたこと。「自分は全くの素人である」。娘のその言葉が今は全く信じられない。

 歌は。美しく声量豊かな声に加えて、次々と変わる歌のレパートリーの豊富さ。

「歌は数が要りそうですから、明日までには全部は【創れない】。私が前の世界で聞いていた歌、覚えているもので間に合わせますわ」

 オーリィがそう言っていたのを、ケイミーは前夜ぼんやりと聞き流していた。役場前までの道中、ただ2〜3曲を使い回すのだとばかり思っていたのだが。

 人々を飽きさせないためだろう、オーリィは次々と歌を変えた。どうやら長い歌は途中で切ってメドレーにしているらしい。明るい歌、メロウな歌、アップテンポにスロー、あるいは上品可憐、あるいは俗に情熱的に、粋にシックに、時に際どく煽情的に。レパートリーは自由自在だ。それでいて、どれだけ歩いても一曲として同じ歌は出てこない。

 そして踊りも、歌に合わせて変幻自在なのだ。時に優雅に芸術的に、素朴な民舞もあれば、腰をくねらすセクシーポーズまで大胆に決める。

 鈴で付き合うケイミーは目が回る思いだった。歌が変わる度に慌てて拍子を変え、どうにか身振り手振りも変えて、ようやくノリがわかった時にはもう次の歌。

(『無様』はあたしの方だよ……)

 オーリィを見つめる人々の恍惚とした顔色に比べ、時に自分が目に入ると、そのジタバタに彼らはおやおやと苦笑い。

 だがケイミーは悪い気はしなかった。

 自分は愛する娘の引き立て役。そう思えばむしろやりがいが湧く。オーリィが作り出した劇場のようなその空間に、共演者として立っている。それがたまらなく喜ばしいのだ。

(凄いよオーリィ……あたし知らなかったよ……アナタが……)

 ケイミーの胸に満ちていく、感じたことのない憧憬。

(アナタが、こんなに素敵な女性だったなんて……!)

 ケイミーとオーリィの不思議な縁。

 惹かれあった魂が自然に求め、結び合った「母と娘」の絆。如何に余人には奇妙に見えようとも、二人にとっては揺るぎない真実。

 だがこの時。

 ケイミーの中に、母としての愛情とは矛盾する、その甘い感情が目覚めた。

 後に彼女は、その思いに涙をもって訣別するのだが、今この時は。

 ケイミーにはただ、そのときめきに酔い身を任せるしか術がなかった。

 そして。

(いけない痺れね……)

 オーリィも一人、彼女の本能に向かいあっていた。

(変わろうとしたけれど、わたしはずっと同じ。この、背筋を貫くとろけるような痺れ。あの夜の街で、男達の視線を受けて感じていたもの、あれと同じ。

 わたしには、この方法しかなかった。生きる知恵を何も学ばず、怠惰に遊び耽ることしか知らなかったわたしが、あの夜の街で淫蕩な男達を狩るために覚えた、たった一つの技、【人目を惹くこと】。

 大樹を救う。あの婆ァ様にも叶わなかった大事をなすなら、普通の方法では足りない。神か悪魔に選ばれた特別な技が必要だと、婆ァ様はおっしゃった。

 人目を惹く!これなら、これだけは!

 神や悪魔には及ばなくても、わたしならきっと人並み以上には出来る!

 それに。この村の、この世界の、それこそ神に裁かれ悪魔に呪われたような、見渡す限り一面砂の色の風景が、わたしに味方してくれる。ほんの少し色を足すことが出来れば!

 そう、わたしには、これしか思いつけなかった……)

 オーリィは天を仰いだ。空には雲がほとんど見当たらない。乾いた空気を貫いて、どこまでも高く伸びていくように思える視線。

 その先にオーリィが投影する姿。

(ああ、あなたはあの日のオペラの歌姫……

 今もあなたは、その素晴らしい歌声で、身の程知らずのわたしを嘲笑っているのね。いいわ。それでもわたしはあなたの姿を借りる。今だけは、今だけは!

 叔父様、それに猫のようなあなた。

 あなたたちに見捨てられて、わたしはここに堕ちて来た、この村に。

 逃した飼犬の足掻きをどうか、そこから存分にご覧になって!

 お父様。お母様。それにお兄様。

 こうして見上げても、あなた方の姿は見当たらない。あの日、わたしの知らない遥か遠くの空に飛び去ってしまったあなた方に。せめて!この歌声だけでも!)

 そして一瞬、幻を振り払うかのように激しく頭を振ると、ふたたび。

 何事もなかったかのように歌い踊り続けたのだった。


 オーリィの歌は人々を魅了し、歩みを止めさせなかった。役場前にたどり着いた時。オーリィ達二人を囲繞する群衆は広場を埋め尽くしていた。 

「こりゃどうなってんだ?!」

 人々のどよめきを聞きつけ、役場から飛び出したメネフの驚き。後に続いて出てきた長老も目を丸くしている。

「長老、こいつは一体?」

「ふむ?……あれは!」

 ダチョウを体に宿した長老は、その長い首を潜望鏡のように伸ばして人垣の中心を見下ろす。

「あれは!オーリィか!ケイミーもいる、二人で……踊っている?」

 そうと聞いて、あわてて人垣をかき分けるメネフ、長老もおっとり刀で続く。

 くるくると回り踊りながら群衆に愛嬌を振り撒き続けていたオーリィが、二人の接近に先に気づいた。素早く、ただし丁重な態度で会釈、そしてケイミーに目線で知らせる。無我夢中で鈴を振り続けていたケイミーは、それと知って慌てて近づいて来る二人に駆け寄った。

「おいケイミー、オーリィちゃんも!二人ともコイツは一体何の騒ぎだ?!」

 メネフの問いは咎め調子。長老に当分大人しくしていろと言われたはずのオーリィが、よりによって騒ぎの中心。そして保護者役のケイミーまでそれに加担している様子。下手くすれば首枷の刑が伸びる、メネフとしてはそれが心配なのだ。

「これにはわけがあるんです!メネフさん、長老様、もう少しだけなんです、続けさせて下さい!!お願いします!!」

 これが自分の今日一番大切な出番。この行進が始まった時からそうと思い続けてきたケイミーは、この時とばかりに必死の顔色で訴えた。逆立つ冠羽、燃えるような猛禽の大きな瞳。言葉こそ懇願だが、その様は戦闘体制。雛を守る親鳥の姿だ。

 そしてメネフという男はおそらく、この村で誰よりもその眼に弱い。思わず怯み、背後の長老を振り返る。すると。

 震えている。滅多に動揺というものを顔に見せない長老が、何故か、何かに心を強く動かされていたのだ。

「……メネフ、かまわん。もう少し見てみようじゃないか。君も見たまえ、それに聞くんだ……オーリィのあの姿、あの声、わしには止められない。止められんよ……」

「長老?」

「『この村にわしら独自の文明を』。科学者の端くれだったわしの長年の望み。無論それを捨てるつもりはないさ。だが【片手落ち】だったよ。今わかった。この老いぼれのこの胸が、これほどときめくとは……素晴らしい!

 彼女は、オーリィは始祖の一人になるのかも知れない、この村独自の【文化】の……もう少し確かめてみようじゃないか」

 そう言うと、長老は長い首をユラユラと左右に振り始めた。オーリィの歌のリズムに合わせて。メネフは肩を軽くすくめて、ホッと安堵のため息を一つ。

「やれやれ……どうやら、お咎め無しみてぇだ。ケイミー、鈴がお留守だせ?」

 メネフの言葉に、飛び跳ねるようなお辞儀で礼を返して。ケイミーがオーリィの元に駆け寄った時、オーリィはすでに広場の中心、あの花壇の前にたどり着いていた。

 これがこの「ショウ」の終点、最後の舞台。それはそうと言われずとも群衆に伝わっている。高まる期待の渦に取り巻かれながら、オーリィは一向に怖じける様子もなく。一旦わざと歌を止め花壇に駆け寄り、村人たちに向き直り、大きく深呼吸。焦らしを入れて注目を一点に集中させると。

 歌い始めたのだ。


 風香り 木漏れ日きらめく

 集いましょう 集いましょう

 あの大きな樹の下に


(この歌って、あの樹の歌?)

 大樹の伝承は園長代々の秘密。その大樹になぜこんな歌があるのかと、一瞬訝ったケイミー。だがすぐに、夕べのオーリィの言葉を思い出す。

(『歌はたくさん要るから、全部は創れない』……全部は!じゃあこの歌は、オーリィが創った歌なの……?)


 日は高く 地を照らして

 人の営みは 狭間に焼かれて

 荷の重さに 跪き

 こぼす涙の 枯れる前に


 風香り 木漏れ日きらめく

 集いましょう 集いましょう

 あの大きな樹に


 繁る葉陰に 今日の憩いを

 白い花に 明日の実りを

 求めましょう 願いましょう

 あの大きな樹の下に


 あの大きな樹の下に 


 穏やかな長いクレッシェンド。オーリィの歌声は風に溶けて消えた。誰もがその余韻に耳を奪われたまま、静まり返って佇んでいる。

 だが一瞬訪れたその静寂を、オーリィは逃さない。

「皆様!!どうか私の訴えに、しばしお耳をお貸し下さい!!」

 思わずギョっと息を呑んで立ちすくむ群衆を、オーリィの声は隅々まで掻き分けていく。そして彼女が語る、あの大樹の物語。オーリィは訴えた。

「私はあの大樹を救わなくてはなりません。甦らせたいのです!

 どうか力をお貸し下さい!皆様の中にどなたか、良いお知恵をお持ちの方はいらっしゃいませんか?!」

 最前までオーリィの歌に酔いしれていた群衆に、今度はたちまち当惑のざわめきが広がる。

(なるほど、思い切ったことを……この騒ぎを起こしたのはそのためか!しかし……?)

 長老は長い首を再び、潜望鏡のように振り回してその場の群衆を見渡す。

 そう、その場の誰もが自分の左右を見回している。誰かオーリィの訴えに答える者はいないのか、と。ざわざわと広がる人々の呟き。だがどうやら、我こそはと名乗り出る者は現れない。やがて、人の群れは一番外周から崩れていく。皆、夢から覚めたような顔つきで、ある者達はいくらか気の毒気な視線でオーリィを振り返りながらも、少しづつその場を立ち去って行った。

 唇を噛みしめ、眉間に悔しさをにじませながらも、オーリィは取り乱す様子は見せなかった。

「わかっていた……簡単なことではないわ。覚悟の上よ」

 むしろ落胆はケイミーの顔色の方に強く現れていた。愛娘の思いが届かなかった切なさに堪りかねたのだろう、目には涙がにじむ。その肩を、逆にオーリィの方が抱いて慰めようとした時。

「二人とも。ちょっと……あそこに一人、わかるかね?」

 長老が指で二人に指し示した方向に、男が一人。きょろきょろと辺りを見回しては、またおずおずとその視線をためらいがちにこちらに返してくる。

「先ほどからずっとああだ。何か君達に話したいのではないかな?」

「長老、しかしありゃぁ……誰です?妙だな、見かけないヤツだが……」

 あの山から生まれ変わってくるのでなければ、「よそ者」など誰も入ってこないこの村で、顔の広い事では村一番のメネフが知らない男。「妙な話」なのだ。

「ええと、う~ん……誰だっけ?困ったな、ここまで出かかってるんだけど?」

 長老は長い長い首の付け根、鎖骨のあたりを平手で打って、おどけた声で答えた。

「……そりゃ、『全然思い出せない』って意味ですかい?」

「うんそう!ごめんねメネフ君。オーリィ、ケイミー、君たちも」

 長老のいささか笑いにくい冗談に、思わずあきれ顔の一同。そこに助け船が。

「なるほど、思い出せませんかな長老?でしょうな。地味な男ですから」

 役場からもう一人、遅れてやってきたのはグノーだった。

「あれはベン、『だんまり羊のベン』。樵ですよ、それに炭焼きなどもしておる。わしは鍛冶の仕事に炭を使うので付き合いがあるんです。なにしろ人見知りが強くて人付き合いが苦手というやつで、年中山小屋にこもっておって……メネフが顔を知らんのも無理もない。今も多分、ああしてこの場に人けが無くなるのを待っているのでしょうな。だが悪い男ではありません。ごくおとなしい、真面目な働き者ですよ。人物はわしが保証します。

 オーリィにケイミー、なんならわしからあいつに声をかけてやろう。待っていろ」

 そう言ってグノーはすたすたと速足で、数十歩ほど先にいるその男に近づいた。そして何やら一言二言話した後、グノーがその場から手招きを返す。

「二人とも、どうやら呼ばれているようだね。行ってみたまえ」

 母と娘に、長老のその言葉が最後まで聞こえていたかどうか。二人は即座に男に駆け寄っていった。

 オーリィ達の前に立っているその男、年頃は中年。女性としては長身のオーリィに比べ、背は頭一つも低い小男だ。だがその肉体は逞しい。分厚い胸板に盛り上がった肩、太い腕と足。がっしりと噛み合った骨と筋肉の様子が、粗末な服の上からも窺える。貧しく万事原始的なこの村、誰もがそれなりに厳しい労働に鍛えられてはいるが、これほど屈強そうな体は格別。グノーのいう「真面目な働き者」は本当らしい。容貌はと言えば、きつくカールした乳白色の髪が千路にもつれ、そこに大きな二本の巻いた角。つま先を見れば蹄、そしてなにより独特の横長の瞳。

(羊……)オーリィはすぐにそう見てとった。

 しかし奇妙なことに、男は二人を目の前にすると急に伏し目がちになり、もぐもぐと口の中で何か言っているようなそぶりはするものの、一向に話し出さない。

 やれやれと、頭をかきかきグノーが間に入った。

「二人とも、ちょっとだけ待ってやってくれ。この男はこういう男なんだ。気心が知れて来れば親切でなかなか気の利く男なんだが、何せ人と話すのが苦手で。それというのも、実は少々言葉が不自由でな。話し出すのに時間がかかるんだ。

 そらベン、落ち着いてゆっくり話せばよいから、の?」

 そうグノーが水を向けると、男は伏せていた目線をオーリィに向けた。

「き、君……達、さっきのはな、話はほん、とうの、こと?大きな、りんごの、樹……」

 なるほど、ベンというその男はかなりの吃音症の持ち主のようだ。だが、オーリィはその拙い言葉づかいにむしろ安心を覚えた。太く深みのある声を慎重に選ぶ様から、彼の実直さが伝わってくる気がする。そしてオーリィを見つめる羊の瞳にも、熱意といたわりが感じられるのだ。

 彼は自分の胸にごつごつと節くれだった手を当てて、ゆっくりとこう言った。

「びょ、病気の、りんごの樹……俺、力になれる、かも……」

(続)

※作中歌「大樹の下に」

 YouTubeで … https://youtu.be/Sw4P2kDdwgo

 ニコニコ動画で … https://www.nicovideo.jp/watch/sm40230896

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