理由~やる気のない救出劇~
太陽はすでに沈み、町は夜の闇に包まれていた。人や車通りはまばらで、昼に賑わっていた頃とはまるで別の世界のように見えた。ただ一つ同じことがあるとすれば、いまだ温度が高いということぐらいだ。
ランスの別荘から少し離れた歩道に、月夜は一人立っていた。暗い空を見上げながら、目に映らない遠くの星を探しているかのように、神経を研ぎ澄ましている。月夜のそばを通りかかった数人の人間は、あの少年は何をやっているのだろう?と疑問を浮かべたが、その誰もが、月夜が発している得体の知れない恐怖を感じ取り、声をかけるどころかなるべく視線すら合わせないように、一人二人と通り過ぎていった。そんな人々には目もくれず、月夜はぶつぶつと何かを呟きながら、神経を研ぎ澄ませている。そして、月夜がそれを始めてから、さほど時間も経たない内に、月夜は上に向けていた顔を前に戻した。
「距離はおよそ二キロ弱、ってところか・・・さっさと、済ませて帰るか」
緊張も、緊迫した様子もなく、月夜はやや気だるげにそう呟いた後、人とはかけ離れすぎた速度で、その場から走り去っていった。
電灯も明かりも何一つない暗い廃工場の中、錆びれて使えなくなった大きな機械の陰に隠れるように、金色の長い髪をした女性が一人、うずくまっていた。身長は百七十届かない程度、目はやや切れ長だが、冷たい、というよりは温かい印象を抱かせる女性だ。しかし、その瞳は今、何かに怯えているような不安の色に染め上げられている。服装は白いティーシャツに、着古したようなジーンズ、と質素なものだが、ところどころが破れている。体中は傷だらけで、顔色は良くない。女性は、自らの体から血が流れ落ちることすら気にせず、何かから身を護るように自分の体を強く抱き締めている。微かに聞こえる風の音や、鳥の鳴き声が聞こえるたびに、身を震わせ、抱き締める腕に力を込めた。
「はぁ・・・はぁ・・・」
荒く短い呼吸をしながら、女性はこれからどうするか考えていた。
(どうすればいい?どうすれば・・・いいの?)
先ほどから考え続けている言葉が、ずっと頭の中をぐるぐると回っている。それでも、逃げることに疲れ、死ぬことに怯え、戻ることに嫌悪を抱いている女性は、何もすることが出来ず、ただそこにうずくまっていた。
「廃工場か・・・隠れるにも逃げるにも悪くない場所だなぁ」
のん気な声を出しながら、月夜は目の前に立つ工場を見上げる。結構大きい工場ではあるが、外見を見るだけでも長い年月の間取り壊しが行われていないことがよく窺えた。
「んー・・・」
月夜は軽く唸ってから、少しだけ神経を集中させる。
(人の気配は一つ、間違いなく彼女だろうな。他の気配がないってことは、うまく逃げ延びることが出来た、ってわけか)
状況を理解した月夜は、まずは合流するか、と思いながら、廃工場に足を踏み入れた。
カツン、という小さな物音が工場内に響いた。女性はその音を聞いて、ビクッ、と身を震わせる。
(見つかった・・・!?)
そう思い、とっさに女性は立ち上がって逃げようとしたが、暗いため道がよく分からない。
(どこに行けば・・・?)
辺りをキョロキョロと見回しても、闇以外目に映ることはなかった。女性は焦った顔をしながらも、近づく足音から逃げるように、そちらとは反対方向に、物にぶつかったりつまづいたりしないよう注意して走り出した。
(ん・・・逃げた?)
月夜は暗い工場の中を歩きながら、不意に聞こえた足音に耳を済ませた。自分とは反対方向に逃げる足音に、月夜はため息を吐いた。
(失敗したなぁ、そりゃ逃げるに決まってるか。大方追っ手だと思われてるんだろうな)
足音に注意するべきだった、と月夜は自分の失敗を反省しつつ、少しだけ真剣な顔をした。相手に無駄な労力を使わせるのは気が引ける月夜は、そこから先足音を立てないように、走り出した。
突然聞こえなくなった足音に、女性は走りながら困惑の表情を浮かべた。相手が足音を消したとなれば、先回りされていてもおかしくはない。かといって、女性は戻ることも出来ずに、ただ暗闇を走った。まるで、今までの全てから逃げるかのように。しかし、
「あ・・・嘘・・・?」
その先は、行き止まりだった。周りをコンテナに挟まれていて、女性の目の前には黄ばんだ壁があった。この暗闇の中、どこをどう進んでいいのか分からない女性は、自ら逃げ場のない場所に来てしまっていた。そこには、隠れられそうな場所もない。今まで何にもぶつからず、そして目の前の壁にもぶつからなかったことだけは幸いだったが、女性にとっては今の状況は何よりも災難だった。
「・・・逃げられない・・・の・・・?」
呆然と立ち尽くし、女性は一人呟く。それは追っ手からという意味にも、今までの自分からという意味にも聞こえた。座ることも、壁に寄りかかることも、うずくまることもせずに、女性はただ、呆然と立っていた。
(足音が止まった・・・諦めたのか迎え撃とうとしてるのか、はたまた行き止まりにでもぶつかったのか。どれにせよ、こっちとしては好都合だな)
月夜は足音がピタリと止まった地点を目指して走り続ける。どんなに深い暗闇でも、月夜の目にははっきりと内部が見えていた。徐々に彼女に近づくたびに、幅が狭くなっていっている。そして・・・コンテナに囲まれ、目の前には黄ばんだ壁が立ちふさがる狭い道で、月夜はようやく彼女を見つけた。壁を見ながら呆然と立ったままの女性は、月夜の足音に気づき、とっさに振り返って叫んでいた。
「来ないで、こっちに来ないでよ・・・!」
「ま・・・」
待て、と静止の声を発する前に、女性は月夜に向けて手を掲げ、そして振り下ろした。女性が振り下ろした手からは、空気を圧縮したかのような目には見えない拳程の塊が放たれる。二人の距離はおよそ五メートル程、その二人の間の空間を切り裂くかのように、それは拳銃の弾程の速度で月夜目掛けて飛んできた。月夜はとっさに、すぐ目の前まで来ていたそれに対し右手を振り払う。しかしその右手は、ただ何もない空間を薙いだだけだった。
「・・・?」
確かに放たれたはずの物は、月夜に当たる直前に急にその姿を消した。月夜はしばしぽかんとして、目の前の怯えている女性に目を向ける。
「来ないで・・・次は、止めないから・・・黙って、見逃してよ・・・傷つけるのも、傷つくのも・・・もう、嫌なの・・・!」
泣きじゃくる子どものように、女性は叫ぶ。月夜は一瞬だけ痛々しい顔をした後、そこから歩を進めずにその場で相手を不安にさせないように、出来るだけ穏やかで優しい口調で話しかけた。
「あなたがリファさん、だよね?」
穏やかで優しい口調の声に、リファは一瞬だけ気を緩めた。しかし、すぐに怯える子どものような表情を浮かべ、ブルブルと震え出す。
「そうよ・・・!確認するまでもないでしょ・・・それで、どうする気なの?私を、どうする気なのよ・・・!?」
月夜は怯える相手に、困ったように頭をかいた。泣いてる女性と不安がっている子どもが苦手な月夜は、それを両方併せ持っている今のリファにどう接すればいいのか分からずにいる。相手を刺激しないようにするにはどうすればいいか?それを考えながら、月夜は立ち止まって思考している。
「また・・・私を組織に戻す気?それともここで殺すの?そんなの嫌・・・そんなの嫌よ!」
動かない月夜に不安を感じたのか、リファは叫ぶ。そして再度手を掲げ、振り下ろす。リファの手から生まれた見えない風の塊は、今度は月夜の横をすり抜け、後方にあった壁に穴を穿った。拳程の大きさの塊で、人の頭程の穴を穿つ物を何も使わずに飛ばせるのはすごいことだが、所詮それは人から見たら、だった。
「お願いだから・・・帰ってよ・・・」
威嚇するつもりで飛ばしたそれを見ても、月夜は一つとして動じない。それどころか、月夜の頭は、どうすれば安心させられるか?という疑問でいっぱいだった。いまだに怯える子どものようなリファを見ながら、月夜はため息を吐きながら、軽く手を掲げた、そして振り下ろす。すると、月夜とリファのちょうど真ん中上空に、小さな光の玉が発生した。突然現れた光にビクビクするリファに、月夜は再度優しく声をかけた。
「俺は敵じゃないよ、味方でもないかもしれないけど・・・君を助けに来たんだ」
周囲を照らす光の玉は、とても優しい光を放っていた。自分は見えても、リファが相手を見えない状態では不安を取り除くことは難しい。そう考えた月夜なりの配慮だった。
「助けに・・・君は、誰?」
月夜の姿を見たリファは、愕然とした様子でそう口にした。追っ手だと思っていた相手が、こんな小さな子どもだと知り、驚いているのかもしれない。更にその子どもは、助ける、とまで言ってくれたのだ。
「俺の名前は月夜、何者なのかは・・・まぁ、聞かないで欲しいかな」
影のある自嘲的な笑みを浮かべ、月夜は自己紹介した。
「月夜・・・?」
そう呟きながら、リファは何かを考える仕草をする。しかし、すぐに首を横に振った。おそらく、記憶の中にある名前とは合致しなかったのだろう。リファは立ち上がり、月夜に近づき、腕を伸ばせば触れられる程まで距離を詰めた。警戒心や怯える気持ちは、そこにはすでになかった。
「君が何者なのか分からない、けれど、ここは危険よ?・・・すぐにでも、親御さんのところに帰りなさい」
体中が傷だらけで、血が地面に流れていくことすら気にかけず、リファは月夜にそう言った。その姿は、今まで一人で、助けて欲しい、死にたくない、戻りたくない、と嘆いていたリファとはまるで別人のようだった。
「悪いけど、あなたを助けないと・・・帰れないってわけでもないけど、夢見が悪くなるんでね」
月夜は本心からそう言った。最初は、ただ単に自分と同じ生物兵器を助けに来ただけだったが、今のリファの言葉を聞いて、月夜は、リファ、という一人の人間を助けたくなった。自分がどんなに辛い状況でも、相手を心配出来る人間を、月夜は見殺しにすることなんで出来なかった。
「どうして・・・?」
純粋な気持ちでそれを問うリファに、月夜は逆に聞き返した。
「インフィニティ、って知ってる?」
その言葉を聞いた瞬間、リファは唖然とした。驚きのあまり、結構端正な顔立ちが面白い顔になっている。
「一応有名だと思うんだけどね、昔は、そう呼ばれてた」
自嘲気味に言う月夜に、リファはしばらく呆然とした後、くす、と吹き出した。そして、軽く笑ったまま言う。
「君がインフィニティだって言うの?冗談は程々にしないとだめよ?君が普通の人とは違って、私寄りの人間なのは認めるけど・・・でも、ここは本当に危ないのよ?」
ま、信じるわけないか、と月夜は思いながら、ため息を吐いた。
「まぁ、冗談だけどね。俺とあなたが同じだって分かってるなら、話は早い。俺は仲間が困ってるのを黙って見過ごせる人間じゃなくてさ、単なる馬鹿なのかもしれないけど、そういう理由であなたを助けに来た」
仲間云々関係なく、リファ個人を助けたい、という本音は恥ずかしくて言えなかった。
「仲間・・・?ただ、同じというだけで助けなきゃいけないのなら、人間はこの世界の全ての人間を助けなきゃいけなくなる。違う?」
それに、とリファは続ける。彼女はどうしても、月夜をこの場から離れさせたいようだ。
「君は人を殺したことなんてないでしょ?君と私は確かに同じかもしれない、けど、仲間なんかじゃない」
辛そうで、今にも崩れ落ちそうな顔で言うリファを、月夜は困った顔で見た。不安を取り除いた後は、説得か・・・苦手なことの連続だなぁ、と思いながら、月夜は何を言うべきか迷った。その時、カツン、という音が工場内に響き渡った。そしてすぐに、
「あそこだけ明るいぞ!」
「ここに隠れているんだ、探せ!」
という数人の声が響いた。
「やべ、ゆっくり話してる暇じゃなかったな・・・」
焦ったように言う月夜だが、内心は全く焦っていなかった。
「・・・早く、君は・・・逃げなさい・・・!」
焦りを露にしながら、リファは小さな声で月夜に叫ぶ。こんな状況になって尚、彼女は月夜を巻き込みたくなかった。
「逃げる?どこに?逃げる場所なんてないだろ」
ついでに逃げる必要もね、と月夜は言って、リファの腕をつかんだ、なるべく怪我をしていない箇所をつかんだ月夜だったが、リファが痛みで顔を少しだけ歪めた。月夜は申し訳無さそうな顔をしながら、力任せにリファを引きずって、行き止まりになっている壁に押し付ける。
「ど、どうする気なの?」
「いいから、少し黙って見てなよ。それと、あんまり動かない方がいい、傷がふさがっていってるとはいえ、その程度の回復力じゃ体が保たないよ」
戸惑い顔で聞いてきたリファに月夜はそう答え、さっき自分が通ってきた通路に目を遣る。ドタドタと、数人の人間が慌しく走ってくる音が聞こえる。
「いいから、君は早くここから離れなさい!」
懇願するようなリファの声を背に聞きながら、月夜は一歩、二歩とリファから離れ、その場で立ち止まる。何一つ気負うことなく、そして緊張した様子もなく立つその姿は、無謀にも勇敢にも見えた。そして、幾ばくの間もなく、五人の男が姿を現した。全員が一様に、同じ黒いスーツを着ている。ネクタイはつけておらず、下は白いワイシャツ、見ようによってはクールビズを行っているサラリーマンに見えなくもないが、どう見てもチンピラにしか見えない凶悪な顔は、スーツとは全くもって合っていなかった。
「やっと見つけたぞリファ!さぁ、馬鹿なまねは止めて戻って来い!」
「ボスはお前のことをファミリーの一員として、信頼してるんだ!それを裏切るようなまねは許さんぞ!」
男たちは目の前に立っているはずの月夜など目に見えていないかのように、壁を背に立っているリファに向けて口々にそう言った。リファの顔は、驚きに包まれている。
「悪いね、少し・・・眠っててくれ」
男たちが月夜を見ていなかったのは仕方がないのかもしれない、なぜなら月夜は・・・男たちの視界に入る前に、音もなくその後ろに回りこんでいたのだから。ドサッ、という音が響く。五人の男を、月夜は瞬く間もなく気絶させた。光の玉や闇の玉を出すこともなく、ただの手刀で頚椎を叩く、という肉体的な方法で。普段の月夜はひ弱な高校生だが、力を発揮した時の月夜は肉体的にも人間をはるかに凌駕している。人間の目には見えないその一連の動作は、月夜と同じ生物のリファですら、ぎりぎり目に捉えられる程だった。
「・・・君は、何者・・・なの?」
人間の姿をした悪魔を見たかのような戦慄の表情を浮かべ、リファは身震いしながら月夜に聞いた。
「俺は・・・月夜。それ以上でもそれ以下でもない、単なる高校生だよ」
寂しそうな目で微笑んで、月夜はリファに駆け寄り手を差し出した。
「ここまで来て、俺を部外者だとは言わせないぜ?リファさんに関係なく、俺もこいつらからしたら、もうお尋ねみたいなもんだからさ」
子どもの屁理屈みたいなことを言う月夜に、リファは恐怖の混じった戸惑いの表情をし、おそるおそるといった感じで聞いた。
「彼らを・・・殺したの?」
「いや、気絶してもらっただけ。後遺症が残らないように手加減したし、少しすりゃ目が覚めるよ」
あれで手加減していたの?と驚きの表情を浮かべたが、その表情はすぐに安堵のものへと変わる。そしてリファは、目の前に差し出された手を掴んだ。
「君は・・・強いのね」
真っ直ぐと、眩しいものを見るような目で、リファは月夜を見ながらそう言った。
「強くなんかないさ、この力が疎ましく思うことなんていくらでもあるし」
苦々しげに呟く月夜に、リファは首を振りながら言う。
「違うの・・・それだけすごい力を持っているのに、私なんかを助けてくれるし。彼らのことも、殺さないでくれたから・・・それは心の強さ、だと思うの」
純粋に褒めてくれるリファに、なんとなく気恥ずかしさを感じて月夜は目を逸らした。
「俺は弱いさ・・・それに、そんなこと言ってるけど、リファさんも相当強いと思うけどね」
どうして?といった感じの表情で、リファは首を傾げる。
「自分が窮地に立たされても、他人である俺の心配や、そいつらのこと心配出来るんだからさ。自信持ってもいいじゃんない?」
後方に倒れている五人の男に軽く目配せしながら、月夜はそう答えた。
「そう?」
「そうだよ。さて、こんなところで長話してるのもなんだし、ちゃっちゃと行こうか」
自信なさげに言ったリファに、優しく微笑んで月夜はそう言った。そして、リファの傷が痛まないようにゆっくりと手を引いて歩き出す。彼女の出血は既に止まっていたものの、傷は完全にふさがっていなかった。そのため、ゆっくりでも、歩く度に痛みが走ったリファだったが、前を歩く月夜の後ろ姿を見ているリファの表情は、とても嬉しそうで、そしてとても穏やかだった。こんな状況でも、冷静で堂々としている月夜に、彼女は好意を抱いた。
ある程度の時間をかけて、二人は工場から出た。月夜が彼女を抱えて走れば、数分も経たずに工場の外どころか、ランスの別荘まで運べたが、月夜はそれをしなかった。その理由は二つ、一つは、いくら生物兵器と言えど、リファの身体能力では月夜とは比べ物にならない。尚更、今の彼女は怪我を負っている。それ故に、今の彼女を抱えて全力疾走なんてしたら、リファの体が保たない。いまいちそのさじ加減が分からない月夜としては、下手な真似はしたくなかったのだ。そして二つ目の理由、それは、今月夜とリファの目の前に立っていた。
「キール・・・」
歳は二十代半ば程、身長は百八十中頃、髪は薄い青色で、短めの髪をオールバックにしている。目はリファと同じく切れ長だが、彼は彼女と違い、冷酷で冷静な印象を抱かせる。服は白のタキシードで、場違いなものにも関わらず、一見紳士っぽい彼には似合って見えた。二人の目の前に立つその男の名前を、リファは呼んだ。それは、信じられない、といった愕然とした呟きだったが、同時に、来るのが分かっていた、といった感じだった。月夜は、キールと呼ばれた男が工場の外にいることを知っていた。だからこそ、リファに無理をさせないようにゆっくりと歩いてきたのだ。つけられたままでは、後々迷惑になりそうな相手を黙らせるために。そして、その後楽にリファを連れて行けるように。
「リファ・・・」
キールは、悲痛な面持ちで彼女の名前を呼び返した。しかし、表情とは裏腹に、キールは冷静に、目の前に立っている月夜とリファを注意深く観察している。
「どうして?なんて言葉は言わない。だって私は、あなたが来るのを知ってたもの・・・でも、すごく辛いの」
分かっていたことを納得出来ないように、知っていたことを認められないように、リファは切なそうに言った。繋いでる手が震え、月夜の手にその感覚が伝わる。
「・・・戻ってくるんだ、リファ」
優しくも、強い意志の感じられる口調で、キールはそう言った。二人の間に挟まれている月夜は、この二人がどんな関係なのか、なんとなく理解した。
「それは出来ない・・・私は、もう戻りたくないの」
リファの口調は弱弱しい、しかし、それでもキールと同じように、その言葉の中には強い意志があった。
「なら、力づくでも俺は君を連れて帰るぞ・・・それが、俺の役目だから」
もはや言う言葉はない、とでも言うように、キールはズボンについている左右のポケットの中に両手を入れる。そしてすぐにポケットから出された両手には、果物ナイフのような小さなナイフが一本ずつ、握られていた。キールはそれを手品師のように上に放り投げ、逆手でキャッチした。得物を使う生物兵器も珍しいな、と月夜は軽い感想を抱きながら、前屈みになり今にも襲い掛かってきそうなキールに声をかけた。
「あのさ、勝手に話進めるのやめてくれない?」
それはこの場に全くもって合わない緊張感の欠片もない言葉だった。
「君には関係がない話だろう?確かに君も彼女や俺と同じ感じがするが・・・これは俺ら組織の問題であり、君が口を出すことではないはずだ」
キールは身構えたまま、そう返した。ただ単に月夜を無視していたわけではなく、そんな理由があったようだ。
「まぁ、そりゃそうだな。確かにお前ら組織のことなんざ何一つ俺には関係ない」
でもさ、と月夜は続ける。
「困ってる人間が目の前にいたら、誰だって手を差し伸べるもんだろ?」
月夜の後ろにいるリファは、なんとも言えない表情をしている。それは驚いているようにも喜んでいるようにも、そして切なそうにも見えた。対して、キールは冷静な表情を崩さない。
「それはエゴだ。違うか?君が誰かを助けたら、その陰で見えない誰かが被害を受けるかもしれないんだぞ?」
しかし、返事をしたキールの言葉には明らかな侮蔑と怒りが混じっていた。子どもの幻想には付き合っていられない、とばかりに。
「そうだな、エゴだよ。誰かを助けたいと、誰かを護りたいと思うのは、俺のエゴにしか過ぎない。誰かに幸せが傾けば、反対側の誰かが不幸になることぐらい分かってる・・・それでも、俺はリファさんを助けたいと思う。例えお前らの組織を、潰すことになったとしても、だ」
そんなものの答えはとっくに出ている、とばかりに月夜は答えた。歳不相応な、強い意志を持って。月夜の言葉を聞いて、リファはその後ろで小さく息を飲んだ。そこまでの決意があるとは、思っていなかったのだろう。
「君の言い分は分かった、それだけ強い意志があるなら止められるはずもない・・・しかし、俺も退くことは出来ない」
今度こそ、言うことはもうない、と言うように、キールは鋭い目で二人を睨みつけた。
「下がって」
月夜は振り向き、そう言いながら、繋いでいた手を離した。心配そうな目で自分を見つめるリファに、月夜は笑いかける。
「大丈夫、あなたを戻させはしないし、俺も死なない。何より、彼を殺すような真似はしないよ」
優しく丁寧に宣言する月夜に、リファは辛そうな顔で一度だけ頷いてから、数歩下がった。自分のことのはずなのに、自分で解決出来ない出来事が悔しくて、リファは涙が出てしまいそうだった。
「さて・・・おわっ」
月夜がキールに振り向くと、彼は既に月夜の目の前で腕を横に振っていた。右手に握られているナイフが月夜の首を切断する前に、月夜はとっさにしゃがみこんでいた。しかし、避けられるのを悟っていたかのように、しゃがみこんだ月夜の顔にキールの膝蹴りが飛んでくる。
「ちっ・・・」
月夜の後ろにはリファがいる。後ろに跳んで避けることが出来ない月夜は、とっさに横に転がった。膝蹴りは何とか回避したものの、無理な体勢でいきなり横に転がったため、月夜は落ちていた小さな石に頭をぶつけて、いて!と叫んだ。なんとも、緊張感に欠ける月夜だが、それを追撃するためにキールは横っ飛びで月夜に追いつく。そして、転がっている月夜に今度は左手のナイフを突き立てようと上から振り下ろす。月夜は再度転がり、なんなくそれを回避。しかし、反撃をする隙を与えないかのように、キールは月夜を攻め続けた。防戦一方になりながらも、月夜は変な違和感を感じて考え始めた。
(・・・殺す気がない、のか?)
キールの攻撃はどれもこれもが致命傷になりそうだが、その攻撃には殺意がないように感じられた。冷徹な殺人マシンのように攻撃を繰り出してはいるが、そこにあるのは殺意でも無感情でもなく・・・ただ、子どもが泣いて暴れているようにしか月夜には見えなかった。
(勘違い・・・なのか・・・っ!)
考えている内に、避けるのを誤った月夜は、左頬に熱い痛みを感じた。そして痛みとほぼ同時に、ドロリとした生暖かい物が頬を垂れていく。一閃されたナイフが、月夜の頬を浅く切ったのだ。月夜は軽く舌打ちしながら、袖で垂れる血を拭き取り、すぐにキールと距離を開ける。そしてキールは月夜に追撃をかけるために・・・追ってこなかった。
「・・・?」
訝しげな表情を、月夜はキールに向ける。キールはなぜか立ち尽くしたまま、距離の離れた月夜を冷たい双眸で見つめていた。
「君はなんだ?」
キールは冷たい声で、月夜に問いただした。
「なんだ、って・・・どういう意味だよ?」
訳が分からず月夜が聞き返すと、熱のこもった声でキールが叫ぶ。
「君は、彼女を助けるためなら組織すら潰すんじゃなかったのか?それとも所詮それは子どもの戯言だったのか?答えろ!」
周囲を震わすような怒気を孕んだ声に、月夜は唖然とし、リファはビクッ、と身をすくめた。そんな二人に気がつかないキールは、同じ調子で同じことを問いただした。
「どうなんだ、答えろ!?」
月夜は唖然としていたが、すぐに我に返り、その問いに言葉を返した。
「もちろんそのつもりだよ」
「なら、なぜ反撃して来ない?組織を相手にしようとする人間が、まさか俺程度に臆してるわけでもないだろうに!?それとも・・・君は俺を甘く見ているのか!?」
怒気を孕んで叫ぶキールは、甘く見られていることに対して怒っているようには見えなかった。それどころか、リファを連れ戻すことが目的ならば、反撃をされないのは悪いことどころか良いことであるはずなのに、なぜかキールは怒っている。
「本気で来い!さもなければ・・・」
二本のナイフを握る手に力がこもる。さもなければ本気で殺す、そう言っているような気迫が、そこにはあった。月夜には、キールが怒る理由など分からなかった。いや、分かってはいても、それをよしとはしたくなかった。本当は月夜は、最初からそれを分かっていたのかもしれないのだから。
「・・・分かったよ、本気でやらせてもらう。ただ、」
後悔するなよ?その声は、到底人のものには聞こえなかった。脅しではなく、冗談でもなく、聞く者全てを地獄に叩き落すかのような声で、月夜は言った。その場の空気が、まるで異世界のようにガラリと変わる。普通の人間ならば、その場にいるだけで狂死するか、平静を保てたところで自殺をしてしまうか・・・それ程重苦しく、そして、異常な世界だった。
「な・・・に・・・?」
「あ・・・あぁ・・・っ」
生物兵器であるキールとリファでさえ、その空気には耐えられない。気を少しでも緩めれば倒れてしまいそうな中、小さく嗚咽を漏らすのがやっとだった。頬につけられた傷が瞬時に治るが、他には月夜自身の体になんら変化はない。しかし、内に秘める能力は前に比べれば格段に上がっている。リミーナやルシファーなどとの戦いで、月夜自身、知らず知らずの内に能力が強くなりすぎていたのだ。完全なる無の一時的な覚醒も、それの要因かもしれない。
「惨めだな。力がないやつは、結局何も出来ないんだよ」
今にも倒れてしまいそうなキールに向けて、月夜は冷たく言い放つ。それには侮蔑や哀れみの色はこもっていない。そんなものをこめられる程、月夜とキールは対等の位置には立っていなかった。月夜とキールの距離は約五メートル。月夜はゆっくりと、キールに向けて歩を進めた。一歩一歩歩く度に、世界が歪んでいるような感覚さえ、キールは感じた。
「さっきまでの威勢はどうしたんだ?」
月夜はなんの感情もなく、そう問いかける。しかし、キールは答えられるはずもなかった。ただ純粋に、目の前にいる生物兵器が、過去最強であり最凶の月夜が、怖くてたまらなかった。
「っ・・・うぅ・・・」
震えることすら許されないように感じ、キールはただ倒れないように立ち尽くし、口からは嗚咽を漏らしているだけだ。その間にも月夜は歩き、月夜とキールの距離は既になくなっていて、手を伸ばせば触れられる位置にあった。
「力がないやつは、何も出来ないんだよな?」
先ほどのような断定ではなく、問いただすように月夜は聞いた。それでも、キールは答えない、答えられない。月夜たちの周囲は不自然な程静かで、先ほどまで微かに吹いていた風や、鳴いていた鳥の声は既に聞こえない。
「・・・違うだろ?お前は力があるから大切なものを護ろうとするのか?力があるから誰かを救おうなんて思うのか?・・・違うはずだろ」
諭すように、月夜は無感情で言う。しかしその言葉の裏側には、何か熱いものがあった。月夜が何を言わんとしているのかなんとなく理解出来たキールだったが、反論出来る余裕も気力も、全てがこの空間に奪われていた。
「誰かに託すような真似するぐらいなら、最後まであがけよ。甘ったれてんじゃねーぞ」
月夜はそう言った後、張り詰めていた気を一気に解きほぐした。そしてすぐに、周囲に張り詰めていた異様な空気も薄れていく。数秒も経たないうちに、世界は元に戻り、微かな風や鳥の鳴き声が再開された。すさまじい重圧から解放されたキールとリファの二人は、気が抜けたのかへなへなとそこに座り込んでしまった。月夜はすぐ目の前にいるキールを見下ろしている。その瞳には殺意や凶暴性、侮蔑の色などは一つとしてなく、ただ穏やかな瞳だった。
「組織だなんだって、そんなもんに振り回されてて大事な人一人護れないようじゃ、まだまだ子どもだぜ?」
からかうように言う月夜の顔を見上げながら、キールは哀しげな表情を浮かべた。
「俺は組織に逆らえない、だからせめて・・・代わりにリファを護ってくれる誰かが必要だったんだよ」
チラリ、とキールはリファを一瞥する。キールの声が届かない位置にいるリファは、疲れきった表情で不思議そうに二人を見ている。
「それで、わざわざ自分の命を賭けて、か。自己犠牲は大いに結構だけど、残されたほうはたまったもんじゃねーだろ」
まるで自分自身に言い聞かせるように、月夜はため息を吐きながら言う。もちろんその頭には、一人の少女が思い描かれている。月夜の言葉が耳に痛いのか、視線を逸らすようにキールは地面に視線を向けた。
「だが・・・結局君が彼女を護ってくれるのなら、俺はそれでいいのさ・・・死なずに済んだだけ、俺の方はもうけものかもしれないな」
そんな風に勝手に自己完結してるキールの頭を、月夜は引っぱたいた。バゴン、となかなか容赦ない音が響く。突然のことで驚いた表情で見上げてきたキールを睨み、月夜は言う。
「お前はいいかもしれないけど、俺は良くない。もちろん、彼女も良くないだろ」
そう言ってから、月夜はキールの襟首を掴んでずるずると引きずっていく。向かう方向は、もちろんリファがへたり込んでいる場所だ。
「な・・・余計なことを・・・」
「ええい黙れ!こちとら確証もない状態で推測だけで動いたんだぞ!少しは説明ぐらいしやがれ馬鹿野郎!」
キールの抗議の声を遮り、月夜は思うままに叫ぶ。実はキールが考えていたことは、月夜にとっては推測にしか過ぎなかったのだ。もし読み違っていたら、恥ずかしいなんてレベルではない。月夜は容赦なくずるずるとキールを引きずり、そしてリファの横に放り投げた。ドシャ、と倒れこむキールを、一瞬身をすくめて見たリファだったが、すぐに心配そうな顔をして、大丈夫?と抱え起こす。
「さて、一から説明してもらおうか。二人の関係とか、お前が思い悩んでることとか、包み隠さず全部話してもらうぞ。夜はまだまだ長いんだ」
ニヤニヤと悪魔的な笑みを浮かべて、月夜もその場に胡坐をかいて座りだす。相変わらず、真剣味や緊張感とは遠く離れた存在だった。想定外の事態に、リファとキールは困ったように顔を見合わせている。
「・・・強引なやつだな、だが、リファを護ってもらうからには、それなりの説明も必要、か」
仕方ない、といった感じでキールは月夜に視線を移し、何から話そうか、と迷っている。月夜はただ黙って、説明が始まるのを待っていた。
「お前がどこまで知ってるのか分からんが、俺らがマフィアだってことは知ってるか?」
キールの質問に、月夜は頷く。それを見たキールも頷き、そして続ける。
「俺らの組織には、五人の生物兵器がいるんだ。監視兼リーダーの俺を筆頭に、リファ含めた生物兵器で構成された部隊がある。その部隊は、他の組織との抗争の際には前線に立ち、また、他の組織との取引などを有利に進めるために使われたんだ。普通の人間にしたら脅威である俺らは、便利な手札だった、ってわけだ」
どこでも人間が考えることは一緒か、と嘆息しながら、ふむふむ、と月夜は頷く。
「俺とリファの関係はまぁ・・・単なる上司と部下なんだが」
言い辛そうにキールがそう言うと、隣に座っているリファが、
「・・・そんな風に思ってたの・・・」
とあまりにも哀しそうに呟いたので、キールは慌てて、
「いやいや、そうじゃない、確かに君には好意を抱いてたりしてたわけなんだが・・・組織内での、体裁とかけじめっていうのもあったから・・・」
そう訂正した。色々込み入った事情があるんだなぁ、と月夜は他人事のように思う。月夜はてっきり、二人が恋人なんだと思っていたのだ。
「組織が大事なのね・・・だから、組織を勝手に抜けた私が許せなくて、殺しに来たの?」
「いや、だからそれは違くて・・・」
勘違いしながら辛そうに言うリファに、キールは戸惑いながらどうにかフォローをしようとするが、全然効果はなかった。はぁ、とため息を吐きながら、月夜は助け舟を差し出す。
「キールはリファさんのこと大事に思ってるよ?だからこそ、あなたを託せる人間をその目で見極めたかったんだよ。例え、自分が悪者扱いで死んだとしても、ね」
月夜の言葉に、リファは驚いた顔をし、そしてすぐに照れたように頬を染める。キールの方は、自分の考えを明確に言われ、恥ずかしそうな顔をしている。
「まぁそれはそれで、一つ問題があるんだ。どうしてそこまで相手を想うなら、彼女と一緒に逃げる道を選ばなかった?」
月夜の疑問の声に、キールは押し黙った。何やら、複雑な理由がありそうだ。
「・・・俺の組織内での役目は、部隊をまとめあげること。だからこそ、俺は他の四人より強力な能力を持っている。いや、強力な能力を持ってしまったからこそ、その立場になったんだ」
だがな、とキールは感情を押し殺した声で続ける。
「組織にとって、俺らは諸刃の剣なんだよ。当たり前だよな、五人いるだけで組織の一つや二つを潰せる力はあるんだから。・・・組織は俺らの反乱を防ぐために、一番強力な俺を制御することにしたんだ」
制御?と月夜は疑問の表情を浮かべる。リファも月夜と同様の顔を浮かべている辺り、その辺の上の事情は何一つ知らないのだろう。キールは右手で自分の頭を軽く叩く。
「ここに、遠距離操作型の爆弾が埋め込まれてるんだ」
自嘲するように言うキールに、二人はあまりにも驚いた表情をした。リファに至っては、頭痛を感じてしまう程なのか、体がふらふらとふらついている。
「だから俺は組織に逆らえない。裏切れば俺は死に、そして残された四人も、あいつらは殺すつもりなんだ。俺はともかく、他の四人だけじゃ組織には勝てやしないのさ・・・所詮、俺らは生物兵器としては劣化版だからな」
先天的な月夜と比べれば分かるように、後天的な生物兵器はそこまで強い力を持っていない。そしてその中でも、強い力を得る者もいれば、弱い力を得る者もいる、ということだ。
「確かに俺は、死んででもリファを護ってくれるやつを見極めようとした。でも俺は死ねない、他の三人が、死ぬことになってしまうから・・・俺の身勝手で、それは許されないことなんだ」
真面目でなおかつ、普通の人間よりも強い力を持っているからこそ、その煩いは多い。国家の真面目な王様が、国のことに対して煩いが多いように。それでもキールは、自分が出来る範囲の中で一番良い選択肢を選ぼうとしたのだ、自分を犠牲にしてでも。
「なるほど・・・ね。事情は分かったよ」
暗鬱とした口調で言う月夜、しかし、その表情には余裕の笑みが浮かんでいた。そんな月夜に、二人は怪訝な顔を向ける。
「聞きたいことがあるんだけどさ。その他の三人って今、どこにいる?」
え?と言った表情を浮かべながら、月夜の意図の分からない質問に、キールは答える。
「今は組織のアジトにいるが・・・」
「場所は?」
矢継ぎ早に聞く月夜に、キールはとっさに答えてしまう。
「ここから五キロ程北に行ったところにあるでかい建物だ。周りには小さな建物しかないからすぐ分かると思うが・・・って、ちょっと待て・・・まさか・・・?」
ようやく月夜の意図を理解したキールは焦った声を出す。月夜はその声を聞きながら、緩やかな笑みを浮かべる。それは陽気とも、残忍ともとれるような曖昧な笑みだった。
「お前に出来ないなら、俺が全部やってやるさ。安心して待ってればいい」
「だが、爆弾は・・・っ!?」
抗議の声をあげようとしたキールの頭を、月夜は軽く横から殴った。ついでに、その中に埋め込まれていた爆弾とやらも、間接的に力を送り込んで破壊し跡形もなく消し飛ばした。肉体的な戦いよりも、月夜は精密射撃の方が得意なのだ。
「これで終わり、後は相手に悟られる前に、決着つけるだけさ」
月夜は倒れたキールと驚いた顔で座り込んでいるリファに微笑みかける。キールは月夜に殴られた影響か、それとも爆弾を破壊した影響かは分からないが、気絶してしまっていた。
「あ、あの・・・」
早すぎる展開についてこれないリファは、困惑したような声をあげる。
「ん?ああ、どうする?俺は組織潰すわけじゃないから危険が残るし、別に二人でどこか遠くに逃げてくれても俺は構わないんだけど・・・良ければ、二人を庇護してくれる安全な場所に送るけど?」
困惑を押し広げるように言う月夜に、リファは、あの、えと、と言葉にならない声をあげている。月夜が少しの間黙ると、ようやく整理がついたのか、リファはとつとつと言葉をつむぎ出す。
「私ね、もう誰も傷つけたくないから、組織から、全てから逃げ出してきたの・・・でも、私が逃げ出したことで、彼を傷つけてしまった。ううん、彼だけじゃない、組織の他の人たちも・・・君を見て、それが分かったから・・・私は、もう逃げたくないって思うことが出来たの。助けてくれて本当にありがとう、すごく感謝してるよ」
関係のない人間に対して、そこまで世話を焼ける月夜。その姿から、リファは学んだ。殺すことが嫌だから、自分が傷つくのが嫌だから、それで逃げることがどれだけ情けないことなのかを。月夜の過去をリファ知らない。それでも、どれだけ月夜が辛い体験をしてきたのか、分かった気がした。
「逃げるのは、悪いことでもないけどねぇ・・・」
そんな月夜の呟きに、リファは唖然とした表情を浮かべる。
「でも、ま、逃げ続けるのは無理だし。ならせめて、他の場所で自分なりに頑張ればいいと思う。俺が連れてく先は、確かに二人を庇護してくれる場所だけど、人手不足で仕事があまってんだよ」
そんなのは俺には関係ないけどねぇ、と月夜は付け足す。きょとんとした目で、リファは月夜を見ている。リファはもしかしたら、組織に戻ろうと考えていたのかもしれない。それが今のリファにとって、逃げることではなく立ち向かうことなのだから。
「・・・ありがとう」
「礼を言われるようなことじゃないかな・・・さて、時間もないし・・・ちょっと失礼」
月夜は左腕でキールを、右腕でリファを抱えあげる。
「下かまないようにね」
九の字に折れ曲がる二人を一瞥し、月夜は全力で暗闇に覆われた空を飛んでいった。
数分どころか数十秒で、月夜はランスの別荘の前についた。
「やぁ月夜、随分早かったな」
月夜が来るのを知っていたかのようなタイミングで、ランスはドアを開けて外に出てきていた。
「ああ、これお土産」
地面に寝かしつけるように、月夜は二人を地面に置く。あまりの速度に目を回しているリファと、元々気絶しているキールにランスは目を向け、
「二人もか、人手が増えて助かるな」
と悠長に言った。
「ああ、これから三人程増える予定だから。後のことは任せるよ」
ぎょっとしてるランスの顔を見る間もなく、月夜は先ほどの速度で暗い空へと飛んだ。そして、一瞬でその姿は見えなくなる。
「・・・五人か、大漁だなぁ」
やや困ったように呟くランスに、ある程度回復したリファはおそるおそる声をかける。
「あの・・・」
「っと、一応初めましてだね。リファ=ウェスト。そっちに転がってるのは、キール=ウィード。でいいのかな?」
月夜が消えた空からリファに視線を移し、ランスは尋ねた。
「初めまして・・・どうして、名前を知ってるの?」
「一応僕は軍の人間だからね、君らの名前ぐらいは知ってるさ。僕はランス=レンフォード、以後よろしく」
軍、という名前に、リファはビクッ、と身をすくめる。
「ああ、警戒する必要はないよ。別に僕は君らをどうにかしようと思ってるわけじゃないし」
それは安心させるため、という声色ではなく、ただ純粋に、何かするわけじゃない、という無感情な響きだった。
「軍は今人手不足でね、良ければ仕事を手伝ってもらえると助かる、かな」
お願いするようなランスの言葉に、リファは自然と笑ってしまった。月夜といいランスといい、今現在ではリファより上の立場のくせに、そういった色が全く含まれていないのが、リファにはおかしかった。
「私は良いですけど、キールが納得するかどうか・・・」
「まぁその時はその時で。いつまでもこんなところにいるのもなんだし、部屋に案内するよ」
そう言った後、ランスは、よっ、と声をあげながら気絶しているキールを両手で抱えあげる。
「ついておいで」
そして、別荘の中へと入っていった。悪い人じゃないみたいで、良かった、と思いながら、リファもそれに続いて別荘の中へと入っていく・・・。
この救出劇が後々大事件に繋がることは、誰一人として知らなかった。
更新速度が終わってます。このままだと終わらせるのに二年近く(ry
まぁそれはおいといて、相変わらずな月夜が相変わらずやる気ないのにがんばります。そんな彼を、応援していただけたら・・・嬉しいなぁ